「変愛小説集?」岸本佐知子・編訳(講談社)



  ニコルソン・ベイカーなど、個性的な海外文学作家の翻訳で知られる著者の選んだ、「愛にまつわる物語でありながら、普通の恋愛小説の基準からはみ出した、グロテスクだったり極端だったり変てこだったりする小説」、その名も「変愛小説」のアンソロジー、第2弾です(1の感想はこちら)。わたしは海外文学がけっこう好きですが、あまりに文学的に捻っていたり高度すぎるようなものはダメです。けれどただの家庭小説や恋愛小説もどうもその、なので、そういうわたし個人の微妙な嗜好の隙間に、ぴったり入ってきた感のある小説集でした。以下、気になった作品の感想など。
「彼氏島」(ステイシー・リクター)
 船が難破してたどりついた孤島には、いっぱいの素敵な男の子たちがいて、みんながあたしの彼氏になりたがった…。というありえなさそうな話が、寓話的に発展していく展開を、あれよあれよといううちに読み進まされてしまうのが面白かった。今時の女子のふわふわした感覚のままでいた「あたし」が、やがて人間のなかにある芯の部分、根本的な生きる意味のようなものを求めていく流れは、そのとんでもない設定がそのままであるにも関わらず、自然にとても美しく感じられました。
「私が西部にやってきて、そこの住人になったわけ」(アリソン・ベイカー)
 アメリカ人にとってのチアリーダーという存在を、真の意味で日本人が理解することはひょっとして不可能なんじゃないか、そんなことを思わされた一作です。伝説の獣を追うハンターのごとく、深い山のなかを飛び跳ねるチアリーダーを追い求めて冬山をさすらう主人公、ってこれも設定だけならとんでもない。けれど、その根底に流れる、なにか遠くにあるものに対するせつない憧れ、という感情。それが普遍的なものであるからこそ、心の中の、なんともいえない部分がチクチクと刺激されるのを感じます。わたしにとってのチアリーダーは?そして主人公の前にいよいよ…なときに、感じる高ぶりは、やっぱり、感動と呼ばれるべきものだと思います。絶対に現れないもの。叶うはずのない夢が、現実化する一瞬。それ以後の余韻がじーんと広がるような最後の部分を含めて、素敵な物語だと思いました。
「ヴードゥー・ハート」(スコット・スナイダ―)
 荒れ果てた大邸宅を手に入れた主人公とガールフレンド。主人公には、何度も祖母を幸福にしては不幸のどん底に叩きつけた祖父の記憶がつきまとっていた。いつでも、女性と真の意味で親しくなる前に世界が様相を変えてしまうことを恐れていた主人公が、危機の際にすがった行為は…。これが良かった。「変愛」というより、ミステリに近いと思う。といっても、サイコサスペンスのように、わかりやすい通俗心理学が下敷きになっているのではなく、あくまで通常の人間の意識にふとたちの登る破壊衝動、のようなものをとらえた、悲しい作品です。最後の彼の問いかけに、答える声はあったのでしょうか。
『人類学・その他100の物語より』より(ダン・ローズ)
 恋愛にまつわる寓話をAからZまでまとめたもの。短いコント風のものから、せつないもの、或いはぞっとさせられる感覚のものまでのすぐれた掌編集です。原典の抜粋になっているそうですが、全部読みたいな。
「シュワルツさんのために」(ジョージ・ソーンダーズ)
 ちょっと「トータルリコール」(P・K・ディックの「記憶売ります」)を思い出させるような、記憶やイメージを体験させる機械を使った商売をしている男が、ボランティアで知り合った老婦人のために行った行為とは…。懐かしいSFにありそうな、これはとても美しい物語です。高熱で強くねじ曲がった鉄のような太さと存在感を持って存在する、悲しみや後悔という感情について思い知らされたあとに、ゆっくりと訪れる静かな終末。じんわりと心に響きました。
 全部で11の短篇が収録されています。どれもが少し風変わりで、不思議で、歪んでいて、どこか愛しい部分が見つかるような、作品集です。どれかひとつはお気に入りが見つかるのではないでしょうか。おすすめです。

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