「犬たち」レベッカ・ブラウン(マガジンハウス)



 ある夜、私のアパートに犬がいた。一人暮らしの狭いアパートに突如出現した犬は、やがて数を増やして、私を奴隷同然の身の上におとしめていった…。
 これはなんと説明したらいいのだろう。幻想小説とひとくくりで語るのは乱暴な気がするし、ファンタジーというには、その痛みや表現が生々しい。寓話や風刺としてとらえることは、なにか大事なものを取落してしまうことを意味している気がする。もっとも、そういうジャンル分けは無用なのかもしれない。ただ、この文章が立ち上らせる情景を味わえばいいのかもしれない。繋がっているようで途切れ、また唐突に始まリ終わる。そうやって繰り返される短い語りを、自分の中で再構成しながら読んでいくことにより、じわじわとこの世界が形作られていく感覚が大事なのかも。
 「私」と私を取り巻く「犬」たち。その関係は嗜虐性に満ちている。しかし、犬は時に女の子でもあり、私の中に内在する「誰か」でもあるようだ。最初のうち、犬の出現に戸惑いながらも、やがて犬の価値を認め、犬と暮らす生活を楽しむようになっていく「私」の描写は、熱っぽい幸福感に満ちていて、猥雑でさえある。だらりと落ちた犬の舌、息遣い、舞い散る無数の毛。そしてなにより、あの体温。
 ただしこれは犬好きにはお勧めできないかも。ここで語られている「犬」が文字通りの犬でないことは明らかのうえ、かれらへの悪意、残虐な描写も頻出するから。「私」はかれらに魅了されつつも、懸命に犬の支配から逃れようとする。何度も挟み込まれる赤ずきんちゃんのオマージュが、「私」の存在が意味するものを示唆する。「私」は、襲われ、噛み砕かれ、嘲られるもの。そんな犬によって埋められた(あるいは掘り返された)「私」の魂の復活を描いた最後の章は、みずみずしく、神々しくさえある。解釈が意味のないものであることを知って、それでもあえて行うなら、それはレイプないしは殺人、残虐な暴力によって、永遠に損なわれた魂の再生であり、勝利でもある。生まれなおすことを必要とした魂をさがすもの、あるいはおとしめるものとして、存在する犬たち。読んだ人の数だけその正体が存在するであろう犬たち。読み手であるわたしはそれに圧倒され、自分の肩や首に食い込む彼らの牙を感じるような心持ちにさえなった。この圧倒的な呪縛力をもった文章だけでも、読む価値があると思う。
 ただ正直、まったく意味がわからない、というひともいるかもしれない。レベッカ・ブラウンにはもっとわかりやすい普通小説の範疇に入る作品集もあるのだけど、ただ、他の作品と比べても、この「犬たち」が際立っているのは確か。なんだかとても圧倒された。

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