「ごくらくちんみ」杉浦日向子(新潮文庫)



 杉浦日向子といえば、江戸の風俗を題材としたマンガで有名な作家です。晩年はマンガ家を引退して江戸風俗研究家として活動されていましたが、わたしは99の怪談を淡々とした描写で綴った「百物語」という作品が印象に残っています。
 しかしこの本はマンガではなく、いわゆる「珍味」をタイトルにしたショートショートが数十編収録された短編集です。なので、最初はごく気楽に、あー酒の肴をモチーフにしたちょっとしたお話ね?くらいの気持ちで読んでました。なんせ一篇一篇が短いし、添えられた作者のイラストも可愛らしく、話のなかには必ず題名になっている珍味の説明があって、それがなんとも美味しそう。それに、ちょっと意外な感じの落ちがある物語があって手軽に楽しめるなー、そういう感じで読んでいたところ、進むにつれて。
 なんか、怖い感じがしました。ここで描かれているのは、友人や恋人、家族との小さな諍い、あるいは穏やかな時間、別れや出会いです。どれもが自分と誰か、あるいは世界との関係を取り上げて、そこに訪れる様々な瞬間をすくいあげて、ひとつのお話にしているのに、それらが積み重なっていくと、人間は、たまらなくひとりなんだという結論にたどりつくような気がしました。それも、寂寞とした空しさや、甘い哀しさでなく、ただ、そういうものなんだという、甘さが抜け落ちたあとの、悟り、みたいなもの。それが、怖かった。本当だと思ったから。
 誰かといても、いなくても。一人でいる事が続いても、誰かが死んでも、生きていても。そういったもろもろのことが、ただ生きているだけで、自分の周りを取り囲んで、そんななかで働いてご飯を食べて愛し合って、生きていく。そしてそこから沸き起こるすべてのことが、最終的にはひとりで引き受けていくことなんだと、呟かれた気がしました。そのなかには、不幸も幸福も、もしかしたらないんじゃないか。すべてのひとは最後には終わっていって、誰もそのひとのことを覚えていなくなったときが、必ず、来る。あんなに味わった酒も肴も、舌の上で溶け、喉を滑っていったように、はかなく消えてしまうように。
 これはあくまでわたしの感じかたで、なにか象徴的なひとつの話があったわけではありません。このたくさんの、酒にあう珍味とそれにまつわる人々の話を読んでいくうちに沸き起こった感想のようなもの、です。そんな感じかたはさておいても、(食べ物に関する蘊蓄がいやなひとはそもそもこんな本には手を出さないと思うのですが)、お好きな方には、たまらない内容だと思います。
 なにより、ひとつひとつの珍しい珍味が、どれも丁寧に説明されていますが、グルメ気取りにもったいぶった感じはせず、自然と美味しそうに思えるし、興味深い成り立ちに深く頷いてしまったりします。自分が苦手な食材であっても。そのどれもに、共通するのは、それを味わう人々が、みな大人であること。ものによってはグロテスクだったり、とても食べ物と思えないような外見だったりするものを、酒と共に味わい、呑み下すことが出来る人間であること。ここでの珍味とは、つまり人間が生きてきた、そしてこれからも生きていくであろう時間のようなものかもしれません。お酒と肴が好きなひとにはもちろん、人生が垣間見えるような短篇を読みたい人にもお勧めです。

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