「謎のギャラリー こわい部屋」北村薫編(新潮文庫)



「スキップ」等の作品で有名なミステリ作家である北村薫が編んだアンソロジイです。北村薫自身の作品はまったく未読のわたしですが、今回、このアンソロジイを読んでみて、その選択眼の幅広さと確かさに舌を巻く思いがしました。たくさんの本をちゃんと読んできた人が選んだもの、という気がするのです。アンソロジイのテーマは「こわい」。はい、確かに、こわい作品が勢ぞろいでした。以下、とくに印象に残った作品をご紹介。
「七階」(ディーノ・プッツァーティ)
 病を得た主人公が入院したのは、患者が己の症状の重さにしたがってそれぞれの階に配置される、奇妙なシステムをもった病院だった。7階の最上階がごく軽い症状の者が入る場所であり、それから下っていくに従って症状が重いものとされ、1階にいるのは望みのない者ばかりというその病院で、主人公は7階に入院した身の幸運を確かめる。しかし、やがて抗いようのない理由で、かれの居室は移動してゆき…。ある意味、展開が読めると言えば読めるのですが、読めたところで、この奇妙さと重苦しさの価値が減ずるものではありません。具体的に、どうしてそうなっていくのかという本当の理由が明確になっていないことがまた恐ろしい。入院するような病気を得たひとにはより身に迫って感じられる恐ろしさでしょう。
「待っていたのは」(ディーノ・プッツァーティ)
 ある不条理な状況に巻き込まれた旅行者の恐怖を描いたもの。なんか外国旅行ではこういうことが容易に起きそうで、それがまたいや。このタイトルがまた恐ろしい。ちょっとシャーリイ・ジャクスンの作品を思わせます。こういう自分ではどうしようもない状況のなかに、ただ追い込まれていくことに、人間はどこまで耐えられるのだろうか、そういう怖さです。
「お月さまと馬賊」(小熊秀雄)
 町を荒らす馬賊の大将が、酒に酔って月を見た。そこから始まるリリカルで可愛らしく、そしてちょっとグロテスクな童話です。下村富美の「首」を思い出しました。
「煙の環」(クレイグ・ライス)
 夫殺しの罪で捕まった女性が、弁護士に打ち明けた殺人の理由は。ごくごく短い話なのですが、正直、面食らった。これは奇妙だ。どうしてこんなことを思いつくんだろう?そして、それに至った作者の発想こそが、地味にこわい作品です。
「懐かしき我が家」(ジーン・リース)
 透明に美しい語り口にすいすい読んでいくと、最後に至って、悲しくなる、そんな短いお話です。最後の一文で、主人公と読者の気持ちが重なる。I used to live here onceという原題がまた、哀しい。
「やさしいお願い」(樹下太郎)
 こどもを交通事故で亡くした母が、加害者に望んだものは、ちょっとした「やさしいお願い」だった。軽い気持ちで引き受けた加害者が、しかしそれでもやりきれず、約束を反故にしようとしたときにみたものは。こわい。最後の一文を読んだ瞬間、本を取落しそうになった。これは、こわいです。そして、衝撃的。
「どなたをお望み?」(ヘンリィ・スレッサー)
 奇妙な紳士から、ある組織の説明を受けた男を待ち受けていた運命とは。諸星大二郎に似たテーマの短編があって、それと同じことかなあと思って読み進めていたところ、とんでもなかった。ぜんぜん違った。短い話だし、内容を説明すること自体がネタばれなので、あれですが、こわい。これはこわいよ。
「避暑地の出来事」(アン・ウォルシュ)
 汗水流して働いてきた結果、ようやく得た別荘でひと夏を過ごそうとした母とこどもたちを迎えたのは、鼠だった。冒頭から、そういうパニック系の作品かなと思っていたら、見事に裏切られました。少しずつ少しずつ進んでいく物語の最後が、読者に判断をゆだねるような、けれども怖ろしい結末です。
「死者のポケットの中には」(ジャック・フィ二ィ)
 キングにも同じような高層階の恐怖を描いた作品がありますが、味わいがぜんぜん違います。そう思えば、恐怖の対象となるもの自体は限られていて、それをどう料理するかは作者の技量と人柄なのかでしょうね。そういう意味ではフィニイはキングよりも、きっとずっと良いひとなんだろうな…。怖い話でありますが、後味がとても良い作品です。
「二十六階の恐怖」(ドナルド・ホーニグ)
 「死者の?」と同じく高層階に立ち尽くす男を主役にしたものですが、理由も作品の味わいも全然違います。Man with a Problemという原題が、あっさりとしているけれども、ぴったり。最後の最後で明かされる主人公の企みが、意表をついて鮮やかです。
「ナツメグの味」(ジョン・コリア)
 わたしみたいに奇妙な味の短編が好きとかいっている人間にとっては避けて通れない名前である、ジョン・コリア。「ナツメグの味」というタイトルだけは知っていましたが、初読です。しかしこれは怖い。もしかするとぎりぎりのラインで笑いに結びつくかもしれないほど(恐怖と笑いは表裏一体とはよくいう言葉)、狂気というものに迫った作品です。怖い。
「光と影」(フョ―ドル・ソログープ)
 影絵に夢中になった少年とその母。ロシア文学ですが、これはとても美しく、同時に、とても怖い。なにかに憑かれるということと、それに寄り添うことにより伝染していく禍々しいなにか、そんなものを読み取ることが出来ます。
「夏と花火とわたしの死体」(乙一)
 小さな声で告白しますが、読書が好きといいつつ、乙一は初読です。これが16歳の時のデビュー作ということですが、それを思えば驚くほど優れた作品です。巧すぎてちょっと鼻につくくらい。読者をいいようにひきつけては振り回している、そのたずなさばきが見える感じがするのが若さかもしれませんが、それはあくまで個人的な受け取り方。好き嫌いはあるとしても、たいへん優れた作品であるのは間違いないでしょう。
 それぞれが個性ある『こわい』を堪能できる優れたアンソロジイです。わたしは短編が好きなので、アンソロジイを手に取ることが多いのですが、これはそのなかでも粒ぞろい。ちゃんと目利きのひとが選んだという感じがしっかり伝わってきます。あ、でも、巻末掲載の宮部みゆきと編者の対談は、情け容赦のないネタばれの嵐なので、本篇をぜんぶ読んだあとで目を通すことをお勧めします。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする