「比類なきジーヴス」P・G・ウッドハウス(国書刊行会)



そのことを考えると気分がめいって、どうしてもあるひとつのことをなし遂げずにはいられない気持になった。僕は自分の部屋に直行し、カマーバンドを引っ張り出して腹に巻きつけてみた。僕が向き直るとジーヴスが驚いた野生馬みたいにあとずさりした。
「失礼ですが、ご主人様」彼は声を抑えて言った。「まさかそれをご着用で人前に出られるおつもりではいらっしゃいませんでしょうな」
「このカマーバンドか?」僕は軽く受け流すと気楽な、屈託のない調子で言った。「そのつもりだが」
「それはお勧めできかねます、ご主人様。本当にいけません」
「どうしてだ?」
「ご印象がにぎやかきわまりすぎでございます」
 僕はこの悪党と渡り合うことにした。つまり、ジーヴスが知恵の王者たることは僕が誰よりも分かっているが、しかし、それでも自らの魂は我がものとせねばならない。執事の奴隷にはなれない

(p37-38「アガサ伯母、胸のうちを語る」より引用)
 しばらく前から本屋などで、ずらりと並んだ背表紙を見て、なんとなく気になっていたところ、わたしのなによりのブックガイド、桜庭一樹読書日記でも、まとめ買いをしてしまったと書いてあったのを見て、軽い気持ちで手に取りました。エドワード7世下(1901-1919)のイギリスが舞台で、ちょっと頼りないお人よしの上流階級の若い旦那様であるバーティが、様々なトラブルに巻き込まれるたびに、かれに仕える忠実にして有能な執事、ジーヴスが、明晰な頭脳と冷徹な行動で問題を解決に導いていく、そんな二人の生活を描いたユーモア小説でありました。それがまあ。これがあなた。読書でこんな気持ちになったのは、久しぶり。分りやすく言えば、萌え
 いやいやいや、分かってますよ、失礼ですよ!(わたしがな)そもそもそんな本じゃありませんよ。これはイギリスの大衆小説ならではの、皮肉なユーモア(バーティが次から次へと受ける様々な困難は、それこそ残酷なと表現してもいいものだったりします。笑えるけどな)、わかりやすい展開と、良い意味で類型的なキャラクターが起こすドタバタを楽しめる、娯楽小説として大変にすぐれたものであります。こう見えてもわたくし、10代のアイドルのひとりにエリック・アイドルがいたパイソニアン(いちばん好きなのは「アンドナウ」)なので、こういうユーモアが大好きです。ちょっと気取った感じなのに、その気取りも含めて皮肉に眺めて笑いとばしておいてから、すました顔で紅茶を飲む、そんなユーモア。…そういうの全部わかったうえで、カミングアウトする。ごめん、萌えた(しつこい)。
 
 しかしわたしがここで萌えた萌えたとか云ってるのは別にBLな意味でなく(それだったらそれ専用のものがいくらでもあるので)、この二人の関係性です。だって、それなりに頭も良く(オクスフォードを出てる)毛並みも良さそうなのに、女の子からは「変人」「おもしろい人」レベルにしか思われておらず、迷惑をかける一方の友人に腹を立てつつも突き放せずに、厳格な叔母様には頭が上がらず、服装の趣味では自分の意見を通そうと頑張るものの、たぶん絶望的にセンスがないご主人さまと、丁寧な言葉遣いと適切な態度をどんな場合でも貫いて、ご主人さまの服装にはきっちりとした審美眼をもってたずさわり(紫の靴下なんか絶対に許さない!)、ご主人さまに優しいかといえばとんでもなく、もしかしていちばんご主人さまにひどいことしてるのはあんたじゃないかと思うくらいの仕打ちをおこないつつ、ご主人さまの苦難を救うためには、自分の明晰極まりない頭でとんでもない解決方法を持ち出して、しかもそれをきっちり成功させ、ついでにさりげなく自分の貯蓄も(彼女も!)増やしたりする執事。こんな組み合わせ。ああ、ウッドハウスさんは良い仕事をなさいました(ごろごろ)(喉を鳴らすな)。
 まあ、読みながらジーヴスジーヴスとつぶやいてたわたしですが、あくまで主題はバーティの巻き込まれるトラブルとそこからの解決法なのです。それも、吹き出すほどにとんでもない。また、ときどきちらつく、ジーヴスやバーティのひととなりが見え隠れする一言や行動が楽しい。ジーヴスに関しては、さりげなく彼女を作ってたりするあたりも素敵なのですが、顔の悪口を言われてげんこつをくれてやろうと下働きの男の子をおいかけちゃったりとか(わたしのなかのジーヴスはイケてるよ!)、サーディンに身震いしたり、執事仲間とやたら文通してたりとか、そういうあたりが実に楽しい。そういうのって、物語自体を楽しんでいる時に思いがけなく受け取れる、素敵なおまけという感じがいたします。
 これは映像化してないのかなーと思ったら、予想通りドラマ化されてるみたいですが、日本では見ることが出来ないみたいですね。あと、漫画化もされてます(「プリーズ、ジーヴス」勝田文)。うんうん、わかる。これはマンガにしたくなる。これはまだ未読ですが、絵を見る限りでは原作のイメージに忠実な感じです。が、正直云って、これを読んだ時に、坂田靖子以外の絵で想像できた70?80年代生まれの少女漫画ファンがいたらお目にかかりたい。


 ウッドハウスは多作な作家で、このバーティとジーヴスシリーズだけでも何冊もあります。幸せ。このシリーズに関しては、短編がメインのようですし、これも長編と言いつつも、本来は短編のものをつなぎ合わせて長編のかたちにしたものです。なので、とてもとっつきやすいです。あと、100年前が舞台とは思えないモダンさと、スラップスティックなユーモアが満載なので、とても読みやすいです。主従関係好き、執事好きのひとには文句なしにおすすめ。
 …ちなみに冒頭で引用した部分で、バーティが着用しようとしているカマーバンドの色は、ひどく明るい真っ赤。うん、にぎやかきわまりすぎます。

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