「密会」ウィリアム・トレヴァー(新潮社)



 これもまた、桜庭一樹の読書日記で知った名前です。アイルランドとイギリスを舞台にして、ごく普通の人々の生活と、そこに生まれる感情の揺らめき、出会い、別れといったものを描く短編集です。わたしの好きなミステリでも奇妙な味小説でもない、けれど、読後感がじんわりと心に沈みこんで離れない、そんな作品集でした。
 わたしはそもそも、人生の苦い味を考えさせられるような純文学作品は得意ではありません。どんなに優れていても、最後まで読み続けられなかったりします。その苦味を受け止めるにはわたしの心の許容量が少なすぎる。たとえば、大変優れた内容で、傑作揃いであることは十分分かりながらも、同じクレストブックスのウェルズ・タワー「奪い尽くされ、焼きつくされ」は、最後まで読みとおせませんでした。辛かった。もっとも、それは純文学に限らずとも、通俗的なドラマでも同じです。6歳の頃に読んだ「キャンディキャンディ」で、キャンディのかわりにイライザ(しかし秀逸なネーミングだ)を不幸にする企みをえんえんと考えたころから変わりません。暗いよ自分。こういう過度な感情移入能力で面倒臭い思いをするエピソードが、新井素子の「結婚物語」にもあって、大いに共感したものです。そんなわたしが、この、ある意味で喪失と別離ばかりの短編集を読み終える事が出来たのか。それは解説でも書かれている、共感を持って寄り添うのでなく、「提示」するだけ、という著者の姿勢のおかげなのかもしれません。
 ある出来事のせいで、世界をさまよう生活を送ることになった親子の姿を、一人娘の視点から描いた、どこにも辿りつかな浮遊感ともどかしさが素晴らしい「孤独」、妻の不義を諦念と共に受け入れる教師とその教え子のあいだの空気、少女の潔癖さと曖昧さが印象的で、最後の一文が哀しい「ローズは泣いた」、長年の不倫の関係が終わる瞬間を、実にリアルに淡々と、けれど心に残る描き方で表現した「密会」の3作が、特に良かったです。
 そういいつつ、ひとつひとつの作品について細かく語ることに意味があるとは思えません。どこでも、男と女は諦め、それでもどこかでつながろうとし、果たせず、目の前の不幸というにはあまりにささやかな上手くいかなさを受け入れようとしている。美しくないこと、若くないこと、愛した相手が遠くへいってしまうことと同時に、それによってもう自分が相手を愛していないことにきづいてしまうこと、そんな、人間の生活ではいつでも起こり得るささやかなありふれた不幸と秘密が、ここにはあります。そこに救いがあるかどうかはわからない。なにしろそれはあまりに人間の営みであるのだから。だからこの声は届かない。届かせようとも思わない。わずかな溜息のなかに、すべてがおさまってしまうようなそんな小さな運命が変わることは、ありえないのだから。
 哀しい、寂しい物語でありながら、読後感はしみじみと、涙とは無縁の溜息に満ちています。いつまでも心の隅に消えない手形が残っているような、そんな感触を味わうことが出来ると思います。

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