「星を数えて」デイヴィッド・アーモンド(河出書房新社)



 「今ならわかるの」バーバラがいった。「でも、あのときは、これからずっとひとりぼっちだと思ってた。あたしはとても小さくて、みんなはとても大きかったでしょ。それにみんなはこんなにたくさんでしょ。あたしがいっちゃったって、まだたくさん。みんなでいっしょにいたら、あたしのちっぽけな思い出なんて消えちゃうだろうって」(p225「キッチン」より引用)
 これも桜庭一樹の読書日記で紹介されていた本です。イングランドの古びた炭坑町で生まれ育った著者による少年の頃の思い出が、虚構が織り交ぜられた不可思議な19篇の短編となって、収録されています。最初は、田舎町で育った少年の家族との暖かな思い出や、友情を描いたハートウォーミング系の作品かなと思っていたのですが、読み進めるうちに、そうでもなくなっていきました。最初は曖昧なイメージとして存在しているような、すでにいなくなった妹や、不思議な人々、断片的な記憶などのモチーフが、繰り返し語られるうちに、その曖昧さを失わないままで、少しずつかたちになっていき、最終的に柔らかく大きな世界が形成されていく、そんな短編集でもあります。一篇一篇は独立した短編なので、それだけを取り出して読んでも良いのだけど、やはり一冊を読み通すことをお勧めします。
 
 田舎町で針仕事で生計を立てていたミス・ゴライトリーの家に出入りしていた僕が、「魔女」と呼ばれる彼女の秘密に触れ、後年それと再会して行った行為を描く「ベイビー」、父と息子のあいだのひそかな了解に絆を感じ、見世物小屋の描写にのどかさだけでは云いきれないどこか不穏なものがある「タイムマシーン」、過去の母親を知る人々の声により、自分もまた母と出会うことが出来るという「母の写真」、哀れな少女に宗教がもたらしたものの意味を考えてしまいながら読み進めると、最後の一文でぎょっとしてしまう「ルーサ・ファイン」、同じく、宗教がある少年の運命を歪めたことを思い、しめの一言に苦い皮肉がきいている「ジャック・ロー」、少年からさらに大きく成長していく狭間の時期に訪れた、夢のような真実、せつない存在との出会いを描いた「ここに翼が生えていた」などが、とくに心に残りました。
 しかしながら、わたしがいちばんやられたのは、昼下がりの光の中、家族がそろってお茶をのみながら、それぞれの記憶を追想していく「キッチン」です。これまでの短編で語られてきた家族の歴史が、再びゆっくりとささやかれていくうちに、記憶というぼんやりとした膜のなかで生まれる奇跡のような夢が生まれます。置いていくひとと置いていかれるひと。ありえない幸福とありふれた不幸。幻想的、のひとことで片付けるにはあまりに勿体ない曖昧さをまとった作品で、読む人によって解釈が分れそうです。ただ、わたしは思います。本当でないこと、夢であること、記憶のなかにしか存在しないことを大事に抱え続ける類のひとの心には、みんなこの台所があるのではないか、と。そんなものがあるのは死にかかった老人や心が弱った人々だけ、といわれるかもしれないけれど、天国、と囁けるような、そんな空間を、現実がどうであるかとはまったく関係なく心の奥底に忍ばせていなくては、生きていけない人々というのは、年齢性別に関係なく、存在するのではないかと思うのです。そしてそれはあらかじめ失われたものです。
 不思議な後味のする短編集です。真っ向からファンタジーを求めると拍子抜けするかもしれません。家族小説としての暖かさも、もちろんあるのですが、それだけに絞られるとなんか違う気もします。つまりは、時が流れていくということの意味を静かに味わえるような作品集と言えるかもしれません。じっくりと楽しむことをお勧めします。

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