「悪魔の薔薇」タニス・リー(河出書房新社)



 「わたくしをだれだとお思いです?」彼女は言った。「おまえのなめらかな肌に、がさついた肉をこすりつけたいと願う耄碌した老婆?正気も選り好みも持ち合わせぬおまえが、幻によって、快楽の名残によって堕落させ、そののち命を奪い、指から宝石を食いちぎってやれる老婦?それともおまえの若さを体液とともに舐めとろうとする、みだらな欲望を抱いた老女?わたくしがそのようなものだと?とんでもない」(p25「別離」より引用)
 いろいろ本を読んでいるわたしですが、いわゆる剣と魔法系のファンタジーは苦手であります。ラノベでも小説でもマンガでもあまり惹かれない…。唯一OKだったのはグイン・サーガですが、あれもまた正統派の剣と魔法ものかといわれたらなにかが違うような気がします。しかし、このタニス・リーに関しては、以前、短編集と「平たい地球」シリーズを読んだ思い出があります。しかしそれも下手したら10年以上前で、なんとなく面白かったという曖昧な印象しか残っていません。なので、たまたま河出の奇想コレクションのなかに短編集が存在しているのに気がついて、読み始めた時も、そんなに期待はしてなかったのです。それがあなた。いや、びっくりした。ていうか、そもそもタニス・リーは、剣と魔法系のファンタジーじゃないのかもしれない…。絡みつくような濃厚な文体と対照的に、ひんやりと冷めて対象を見つめる視点、それによって繰り出される物語の奥深さは、神話的なものさえ感じさせます。好き嫌いは大きく分かれるでしょうけど、わたしはこういう、悪文すれすれの、しつこい比喩と目的を見失いかけるくらいの絢爛豪華な修飾が散りばめられた文章が大好きなので…(自分が書いたら単なる悪文になるんだけどな…)。いや、これは好きだわ…。以下、いくつか感想を。
「別離」
 年老いた女吸血鬼と、彼女に仕える従者を登場人物に、二人の別れと新たな出会いを描いた作品。わたしはこういう置いていくものと置いていかれるもの話に致命的に弱いので、それだけでも良いのですが、キャラクターの人物像がくっきりと際立っていて、目に浮かぶようとは本当にこのこと。最後の一文が、哀しくて、たまらなく美しいです。
「悪魔の薔薇」
 田舎町で足止めを食らった主人公が教会で聞いた悪魔の伝説と、教会で出逢った美しい娘。この二つが思いもよらないかたちで結びあうラスト。いや、まさかそういうおしまいが用意されているとは思わなかった。まさにタイトルが示すとおりの話です。
「魔女のふたりの恋人」
 囲い者であるジャーヌが、ある日、恋に落ちる。そして、その恋を自分のものにするために、女がなることが出来る存在、魔女になった。しかし、その魔法と想いが、思わぬかたちでジャーヌの運命をもてあそんで…。これはさまざまな教訓と、恋の意味するものについて考えさせられるお話。寓話めいてはいますが、それだけにとどまらない残酷さと哀しさに満ちています。
「黄金変成」
 騎士が忠誠を誓った王のもとに現われた、美しく、なおかつものを黄金に変えることが出来る娘。騎士はその娘を怪しみ憎んだが、やがて娘は王の妃となり、王子を出産した。騎士の疑念はやがて確信となって、娘の正体を突き止めることとなるが…。萌えた。あ、すいませんつい。ただそれだけであれば、ありふれたお話であるかもしれない展開を、最後の最後で、騎士に消せない後悔が残ることで、どこまでも不吉な雰囲気が残る作品となっています。禍々しく、美しい。
「蜃気楼と女呪者」
 ひとりの仮面を顔から外さない魔女が、街の若者たちを食い物にしていくことを誰にも止められなかった。しかし、ある日、その街を訪れた楽師が、魔女の屋敷を訪れたときに…。わたしはこの話、好きだなあ。ちょっと甘すぎるというひともいるかもしれないが、魔女の美しさと可愛らしい愚かさが、ある意味「愛」の本質をとらえていると思うのです。こういう魔女は、きっとどこにでもいる。現代でも。日本でも。もしかしたら、わたし自身も。
「青い壺の幽霊」
 あらゆる魔術を使う魔道王のスビュルスにも、手に入らない美姫ルナリアがいた。彼女の心をとらえるために、ありとあらゆる珍しい贈り物を探していたスビュルスの前に現われた青い壺の中身とは…。すこし皮肉で、切ないお話。魔道王のスビュルスのキャラクターが、よくある冷酷一辺倒の無敵の魔動王にとどまらないあたりが可愛くも、ルナリアの最後の述懐がせつない。これもまた恋のお話であります。
 対象と距離を置いて冷静に物語が組み立てられてはいても、その物語を彩る言葉は、冷静どころか情熱的にうるわしい。そしてその文章によって立ち上がる光景や人物は、なまめかしく生き生きと息づいて、単なる神話や寓話めいた世界より、ずっと頽廃的で、この世でない。なのに、そこに広がる感情や運命は、我が身にひきつけて思うことが出来るほど身近なものが見つかったりします。ううん、タニス・リー、ちょっといろいろ読み返したり、新たに読んでいこうと思いました。おすすめ。

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