宝塚雪組公演「ロミオとジュリエット」(宝塚大劇場)

 仕事がお休みの木曜日。わたしは友人のボンちゃんと兵庫県宝塚市にやって参りました。ええ、宝塚。もちろん目指すは大劇場。今日の演目は、宝塚雪組公演「ロミオとジュリエット」、雪組の新トップスター、音月桂のお披露目公演でございます。
 え、くさてるさんが宝塚?と思う人もいらっしゃるかと思いますが、わたしも思ってます(笑)。前々から少し興味はあったところ、3年ほど前に職員旅行で一度見る機会に恵まれたのです。それなりに面白かったのですが、なんとなくそれっきりに。しかし、つい先日、ふたたび職員旅行で、星組「愛と青春の旅立ち」を見たところ、これがとてもよろしくて。ええ、よろしくて。すずみんが(謎)。「愛と青春の旅立ち」は、例のリチャード・ギア主演の映画の舞台化だったのですが、作品そのものに透けて見えるアメリカという国の構造や時代性のテーマにしびれ、男女の愛が崇高に歌い上げらながらも、そこかしこに脇を固める友情や親子愛にもいたく胸が震え、なおかつ、生演奏のオーケストラと歌唱と演技の力に圧倒されたところ、最終的にあの華やかなフィナーレでやられちゃった感じになりました。ヅカ好きな方にはなにをいまさらな感想とは分かっていますが、いやあ、巧い歌っていいね…。まあ、3年前に初めてみた時も「すごいね、誰も台詞間違えない」という感想をもらして某Sさんに叱られたのも良い思い出なわたしなので、お許し頂きたい。
 ていうか、嫌いなわけがないですよね…。理屈じゃなくて、とにかく巧い歌と音楽、あの衣装、美しかったり可愛かったりするあの空間のみに実存する人物たち、さらに、ひとが惹かれあい離れたり結ばれたりする物語なんだから。しかしながら、宝塚は歴史が長い分、実際に目にする前に余計な先入観でおなかいっぱいという人も多い気がする。少なくとも、わたしはそうだった…。なおかつ、自分はそもそも、演劇とかミュージカルにはピンと来ない感性の人間だとずっと思っていたのです(帝國が当てはまらないのはわかりますよね)。が、あんがい、それは単にこれまで見てなかったから、というのもあるかもしれません。まあ、そういった様々な逡巡は、生の舞台の前にしっかりと取りこまれて飲み込まれてしまったわけですが。なので、もっと見たくなって、「ロミオとジュリエット」というコスチューム的な、おおこれって宝塚っぽくない?と素人なりに思った演目があったので飛びついた次第です。同じように職員旅行の最中に「ねえどうして野球みたいに上演中の通路を『いらないやと思ってたけどいまになってやっぱりオペラグラス欲しいかたいらっしゃいませんか?』って持ってくるひといないのかな」とまで感想をもらしたボンちゃんも同行してくれるとなって(野球にもそんなひとはいません)、百万力です。岡山からなら、ちょうど良い息抜きの小旅行にもなるのですよね。
 しっかり段取りして10時半には宝塚駅に着く予定で動いていたものの、思わぬ電車の遅れ、なおかつこれまでは観光バスで駐車場に乗りつけの経験しかなかったもので、JR駅からの道のりでキョロキョロしてしまい、劇場に着いたのは上演3分前。上演前にパンフレットをチェックしておこうと思ったのに!しかしちゃんとオペラグラスは持参です。隣のボンちゃんはオペラグラスを持参したつもりが双眼鏡になってましたが問題ありません。
 さて、「ロミオとジュリエット」です。いまさら説明する気にもなれない有名な話でありまして、なおかつ原典のみならず、様々なかたちで翻案、カヴァーされている物語です。わたしとしては、藤子・F・不二雄先生の「サンプルAとB」と「ウェストサイド物語」が真っ先に浮かびます。前者はともかく、後者は同じミュージカルということで、今回の舞台を見ているときも内容がずっと浮かんでいました。もっとも、それだけの名作ではありますが、内容としてはベタもベタ、大事なのは「報・連・相」と神父の礼拝堂に貼っておくべきでないのかというお話でありますから、正直、退屈しなければいいなーと最初は思っていました。なんせ、ご贔屓のスターさんとかまったくいないしね。
 そして始まった舞台。最初の群舞の段階で、ごめんなさい。ご贔屓出来た(早いよわたし)。なーんか、いる。しゅっとした目つきのひときわ美形のひとが目について仕方がない。ロミオはまだいないが、なんとなく問題ない。ていうか、このひとイケてない?わたし、そういえば面食いだったし!と、最初の段階でうふうふチェックするひとが見つかってしまったので、退屈するんじゃないかという心配はなくなりました。ロミオの親友、マーキューシオです。そーなのよね、わたし、男子はこういう切れ長の目とまっすぐな眉に弱いのよね…。それはともかく、群舞、楽しい!モンタギュー家とキャピュレット家で赤と青に衣装も分かれ、それが対立しつつ絡み合う、その全体の動きも美しいんだけど、そこかしこで見える違う動きもチェックしたくなる。なにより、楽曲が良いなあ…。
 ロミオについて。そもそもこの話、ロミオとジュリエットに魅力がないと成り立ちません。恋に恋していた若い男女がほんの一瞬で、真実の恋に出逢ってしまうという話なのですから、イケメンと美人ちゃんであることが絶対の条件。なおかつ、基本的に若者の恋とはそういうものであるのですが、他人から見たら愚かとしかいいようがない行為に飛び込んでしまうわけなので、その行動に説得力を持たせることが出来るくらいに、恋のはなやかさ、恋の魔力、恋のときめきを体現してくれないと、見てる側は共感できません。その意味で、この音月圭が演じるロミオ、完璧。パーフェクト。顔が奇麗なのはいうまでもありませんが、ジュリエットと出会うまでの、なにかが起こるのを待っている若者らしい退屈した感じと、ぼんやりと平和を望んでいるあたり、良いところのボンボンらしさがロミオ。そして、いざジュリエットと出会ってしまった瞬間、手が触れ合うか触れ合わないかで、時間が止まり、お互いしか見えなくなってしまう、この恋の純粋さを体現した表情が素晴らしくロミオ。問題ないわー。ロミオは若い。その若さゆえに生まれた悲劇を体現するのに、こんなにふさわしいロミオはいません。うっとりした。本当に奇麗な顔なのに、笑うと目が細くなって白い歯が光って、かーわーいーいー。
 ジュリエットも、そういう意味では本当に可愛らしくて、幼くて。こういう世間知らずのお嬢さんには自然と点が辛くなってしまうのが年寄りの常なのですが、このジュリエットならいいわー。ロミオと同じく、ジュリエットもまた、若く恋に憧れる少女としての存在を見事に体現していました。ダブルキャストというジュリエット、わたしが見た回は、夢華あみちゃんがジュリエットだったのですが、この子がまた歌が上手い。巧いとか言うのが失礼なのが百も承知でこういうしかないが、巧い。この二人だからこそ、神父の前で永遠の愛を誓う「Aimer」の時に、曲の美しさと、これからの悲劇を想像せずにいられない重苦しくも哀しい旋律がたまらなく響貸せることが出来たのだと思います。

 あと、ミュージカルということについて。ある一定の年齢から上の日本人にはみな「タモさんの呪い」とでも呼ぶべき「なぜ芝居の最中に突然歌いだすのかが分らない(のでミュージカルは駄目)」という概念が存在していると思うのですが、わたしもまたその呪いにはかかっていました。が、これが実際に見たら、全然気にならないの。むしろ、歌のなかで言葉で説明すべきことが謳われ、砂に水が吸い込まれるがごとく、歌われるものの感情が染み透っていく感じで、気持ちいい。とくに今回、歌詞がとても聞き取りやすく、同時に楽曲としても優れていて、良かったです(帰宅してからYouTubeでフランス版の動画を検索するのに忙しかった。そして「Aimer」に泣いた)。
 そしてその雰囲気のなかだからこそ、幼すぎるがゆえに真剣なロミオとジュリエットの恋がくっきりと浮かび上がるのにしびれた。「ウェストサイド物語」もまさにそうなのですが、これは自分たちの意思ではどうにもならない長年の憎しみの歴史に翻弄される若者の悲劇なのですね。だからこそ、はかなく、それが永遠になる為には「死」が訪れるしかない。なんかもう、「ロミオとジュリエット」なのに、と一幕の終わりには悔しくなるくらいでした。この二人が結ばれるラストが見たいと思いました。そんなことあるわけないのに。
 そして休憩。ここでパンフレットを買いに走り、マーキューシーオを演じているひとをチェックしました。早霧せいなというお名前で愛称はちぎちゃん(その場でググった)。くさてる、覚えた。
 二幕からは、予想された悲劇に向かって話は進んでいくわけですが、マーキューシオが殺されてしまい、哀しかった…。ちぎちゃんが舞台から消えてしまった…。なにもかもが分かっているラストにたどりつくここまでの流れは、一幕が若者の躍動感と恋のときめきに満ちていただけに、痛々しく、胸に迫るものがあります。しかしそこでも、群舞の美しさと楽しさに目を奪われっぱなしのわたし。ちぎちゃんがいなくなったから全体をさらに良く見るようになっただけかもしれませんが。そして、「死」と「愛」の存在感が胸に響いた。最後の最後、死のなかで結ばれたロミオとジュリエットですが、いやーもう、この歳で「ロミオとジュリエット」で泣かされるとは!…だって、最後、ジュリエットの手を取るロミオがそれはそれは可愛らしい、幸せそうな笑顔でね…。やられちゃったなあ。
 ロミオとジュリエットとちぎちゃん(役名で書けよ)のことばっかり書きましたが、他の役も、いちいち拾っていたらきりがないくらいに、見せ場があって、楽しい。乳母のコメディエンヌぶりは、年齢相応の重さを感じて頼もしくも愛らしく、ただひとり生き残る結果となったベンヴォーリオの、「どうやって伝えよう」には、一幕の狂騒的に楽しかった「世界の王」との落差を感じて、たまらなくせつなくなったし、ジュリエットへの叶わぬ恋に狂うティボルトの存在が、シンプルな恋物語にひとしずくの深みを与えていた。主役二人の運命に絡みあって舞った「愛」と「死」の存在感はいうまでもなく。いやー、本当に堪能しました。
 そして、宝塚といえばお約束のフィナーレ。これがまたさきほどまでの哀しさを浄化する役割を果たして、とっても楽しかった!ラインダンスがすっごく可愛いの。適度な肉がついた太腿とお尻にときめきました。うむ、やはり、棒切れのような脚をいくら見せられたところで、これにはかなわぬな。
 しかし初心者の哀しさ、出てくる男役がみな、あ、あれはちぎちゃんかしら、とどきどきわくわくして、あ、どうやら違う…とオペラグラスを震わせる結果に。舞台化粧だとそういうこともあるかもしれません。駄目だな、これから慣れないと(これからがあるんだ…うん、きっとある…)。それにしても、最後の音月桂さんが背負った羽にはびっくりした。そういうものだと分かっていたのに、じっさい見ると、圧倒された。見たいものが見られた感満載です。
 終了後は、「羽…」とつぶやいてるボンちゃんと共に、劇場内のレストランで遅めのお昼を食べながら、次の予定を決めることに。同じ職場、同じ職種で働いてる2人なだけに、数か月に一回はこうやってプチ旅行的なことをして、溜まったものを出さないと…。そしてやっぱりコスチューム物が見たいね、というわけで、次回は、月組公演「バラの国の王子」を見る事になりそうです。美女と野獣か!人外と人のラブストーリー大好きなので、これも期待。
 なんせ、歴史も長く、ファン層も厚く、お約束も多いところだけに、見当違いなことをつぶやいていたらご容赦いただきたいと思います。けれど、とっても楽しかったです。お芝居にはなかなかアンテナが向かなかったわたしですが、宝塚には抗えなかった、ということで、ひとつ(笑)。これからも機会が許す限り、見ていこうと思います。

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