「新世紀読書大全」柳下毅一郎(洋泉社)



 映画評論家であり特殊翻訳家である柳下毅一郎(公式サイト)が20年間にわたって、「映画秘宝」から「文藝」などの様々な媒体に寄せてきた書評の集大成です。扱われた書籍の数は数百はあるかと。そのジャンルも、映画、SF、犯罪、ミステリ、と幅広いだけでなくそれがさらに細分化された章立てになっていて、その分類そのものがすでに興味深く、趣味を同じくするものの琴線に触れること間違いないのです。取り上げられる本に合わせて添えられる図版、変えられるフォント、すべてがあいまって素晴らしい効果となっています。唯一、難点があるとすれば本文の紙が薄すぎて頼りないところなのですが、この薄さでなければもっと厚い本になっていたかと思うと仕方が無いところでしょうか。
 そもそも書評というのは、褒めてなおかつ面白い内容であることのほうが難しいような気がします。読者も、貶す評を読むことによってより高い次元でその本を見ることが出来ているような錯覚と共犯感覚に陥るから、実は(著者以外は)みんな、貶し書評のほうを有難がるんじゃないかと思うことすらあります。この書評集のなかにも、結果として貶している内容のものもありますが、それは期待通りに面白いのは否定しません。そういう意味では「DeepLove第?部 アユの物語」の書評がお薦めです。また、本としての欠陥(誤訳など)を指摘する言葉は時に厳しいものとなりますが、それは単純な貶し評価というレベルでないことは読めば分かります。たとえば、いい加減な翻訳に関して厳しい言葉を使うときの「英語の知識も映画の知識も、実はたいした問題ではないのだ(中略)本当に許しがたいのはわずかばかりの努力を惜しむ怠慢さ、粗雑な仕事ぶりである」(p137より引用)こういう姿勢は好きです。そして残念ながら、この類の言葉を叩きつけてやりたい本が存在することは哀しいですが事実です。
 ただし、ここに収められた書評はそのほとんどが貶すことが目的ではありません。なかには難解だったり評価するのには複雑な背景を読み込まなくてはいけない本も多いのですが、それぞれにふさわしい文体を選んで、丁寧に読みどころを解説しながら、推薦していく書評そのものが一個の読み物として完成しているのです。読み終えて、静かな余韻を感じる言葉がいくつも見つかります。ひとつ例を挙げるなら、トマス・M・ディッシュの「夢のかけら」に触れた文章の最後。
SFによって、想像力によって、彼女は現実にも救われたのである」(p95より引用)
 わたしは、この断言を美しく思います。
 もちろん、ここで推薦される本のすべてがわたしの好みというわけではありません。正直、どんなに熱をこめて推薦されても手に取る気になれない内容のものだってあります。けれど、その本を評する者のその言葉は信用できます。著者の視点は以下の文章に象徴されるような色で、統一されているから。
世界はあなたを愛していない。日常の裏には恐ろしい闇が潜んでおり、それは誰にでも襲いかかってくるかもしれない。そして、その闇に一度触れられたら、もうどうしようもない」(p208より引用)
 わたしはその闇に触れた人々の存在を感じます。自分が未だその闇と出会っていないのは単なる偶然だと知っています。世界の裏に悪意が潜むことを知っているひとと、そうでないひとの間には、暗く越えることが出来ないぽっかりと空いた溝が存在するのです。わたしはこの感覚を感じることが出来る人として、著者を信頼しているのかもしれません
 とにかく読み応えのある本です。そしてわたしはまだこの本を完全に味わい尽くしたとはいえないのですが、これから先の読書体験にとってなにより大事な一冊となることは間違いないと思います。とりあえず溢れた感情をかたちにしたいと思ってこの一文を記しましたが、取り上げきれてない部分が多すぎます。あれもこれも。どれも。
 サブカルチャーという言葉で片付けるのはあまり好きでありませんが、ここに在るのは、どれもがある意味、はぐれたもの、闇のもの、グロテスクなもの、完全でないもの、半端なもの、異形のもの、過剰なもの、歪んだものだと思います。けれども著者はそれらの世界を取りあげることによって自分の選択眼や趣味を誇るのでなく(その目的のためにこれらのものを利用するひとびとがどれだけ多いことか)、その世界をより深く理解する為の手がかりとしての言葉を差し出してくれるのです。その行為が、その世界を潜在的に必要としている人々へのどれだけの助けとなることでしょう。わたしは書評家の仕事というのはこういうことをいうのだと思います。その世界を求めているひとに、或いは求めていることにすら思い寄らないひとに、可能性としての読書の機会を示唆すること。
 そういう世界に惹かれることがある読書好きには素晴らしいガイドブックとなると思います。立ち読みにはまったく向かない厚さですが、3990円という値段は内容に比して決して高いものではありません。ぜひ、お手元でその内容を確かめてみて欲しい一冊だと思いました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする