「コールド・スナップ」トム・ジョーンズ(河出書房新社)



 以前、「拳闘士の休息」(訳・岸本佐知子/河出文庫)というとても良い短編集を読んだことがある作家です。かの舞城王太郎が訳者ということもあって、この新刊も楽しみにしていました。

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 10篇の短篇が収録されています。そのどれもが、アフリカでの医療ボランティア、ボクシング、海兵隊、糖尿病やそううつ病などなどの苦しみ、傷ついた経験を持った人々が主人公となっています。しかし直接的な哀しさや苦闘を感じさせるものではなく、むしろどれもが読むものを圧倒させる生命力に満ちたエネルギーに溢れた作品です。最初のうちは、あまりに極端から極端にぶんぶん針が振り切れていくような言葉の奔流に、楽しむよりもさきに辟易とした気持ちになってしまいました。ちょっと町田康を連想した。なりふり構わずの汚いスラングやドラッグ使用、暴力や直接的な性描写が、あまりに生々しく息づくような語り言葉で並べ立てられていくと、するすると読まされるのは確かなのですが、「で?」という気持ちになってしまうのです。この露悪的な饒舌さからなにが現れてくるのかな?と。この語りそのものを楽しむことが大事なのかもしれないけれど、「拳闘士の休息」にあった、リアルでパンチを食らったような錯覚に陥る圧倒感には遠いかなあと思っていたのです。が、それはやはり、少しずつ姿を現してきて。以下、とくに印象に残った三つの作品について。
 「ウウ?ベイビーベイビー」若いころはアフリカで医療活動を行っていたけれど、現在はロサンゼルスで美容整形の医師として働き、糖尿病の発作に脅えながらも、同僚の美女とセックスに耽る男。もう若くない身体への苛立ち、糖尿病、死への想い、アフリカでやり残してきたあまりにもたくさんのこと、己の無力さ、そういった気持ちと感慨が複雑に混ざり合い、最終的にひとつのかたちになって主人公を襲うまでの流れが、情けなくも人間らしく、だらしなくて、良かった。誰もそう思うようにタフガイにはなれないものだ。
「ロケットファイア・レッド」この作品がいちばん好きです。アボリジニの血が4分の一ある18歳の女の子がオーストラリアの都会で生きていくあいだにも忘れなかったもの。女優になるべく励む美人のいとこのあまりにも典型的な女子としてのこじらせかたを横目に、スポンサーのいないドラッグレースにのめりこみ、友人を得て、無くし、モデルとして成功を収めていく彼女。その芯にある、素朴でスピリチュアルな輝きがすごく良いのです。
「私を愛する男が欲しい」筋ジストロフィーの障害を持つ女性のもとに戻ってきた昔の彼氏。戯れのような電話での会話が、彼女を導いていって。どうしてそうなってしまうのか、その運命は悲惨なはずなのに、ここでの語りは、あまりにもうろうとして、正直で、素直で。だからわたしはこのラストもそのまま受け入れて眺めることが出来る。人間は、きっとこういうものなんだと思う。
 とにかく最初は、あまりの言葉の汚さと饒舌さに圧倒されてしまうかもしれないけれど、慣れるまでちょっと読み通して欲しい気がします。よくある、「乱暴で汚い言葉で語られた殺伐とした物語にほろりとする良い話が埋もれている」とかいうものではないのです。出てくる人間は誰もが問題を抱えていて、だらしないし、卑怯だし、ちょっと色々と見失ってしまう感がある。それを誤魔化すために喋り続けて、動き続けて、ようやく本当のことに目を向けられたときには手遅れだったりする。そもそもそんな余裕も持てないような状況下にいることもある。でも、そんなぎりぎり感のなかにいる自分とは無縁なはずの人間のどこかに惹かれてしまったり共感出来るところがみつかるその不思議さと面白さがこの本にはあります。
 人間は、そんなに上等でもかしこくもないけれど、でも、もがくように生きている。そのこと自体は誰にも否定できないし、されるべきでもない。それを飲み込まされるだけの熱量がこの本には溢れていると思いました。

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