「リテラリーゴシック・イン・ジャパン: 文学的ゴシック作品選」高原英理・編 (ちくま文庫)



 「人間の持つ暗黒面への興味」を必要条件とし、「不穏」を最大の特性とした文学。それをテーマにしたアンソロジーです。明治から大正、昭和、平成と、時代の制限は無く、詩歌や随筆も収録され、幅広いジャンルから選ばれたそれらの作品は、すべてが豊潤な香りを放つ内容となっています。
 脳が沸騰しそうなほど興奮しながら読みました。単純に、こういうのが好き、なのです。文学少女的、厨二的メンタリティからの背伸び感や憧れを通り過ぎて、さまざまな言葉や表現に触れ、それぞれの美点を楽しみ味わってきました。でも、わたしはやっぱり、こういうのが好きなんです。幻想、怪奇、退廃、耽美…これまでに評されてきたであろうどんなキーワードを選んでも足りない気がします。単に粒揃いの真珠、というのなら、どれもが極上のバロック真珠です。美しく、貴重で、歪んでいる。幾通りもの言葉の組み合わせが厳密に成されて表現されるだけで、こんなにも世界が暗く、そして色鮮やかに豊かになるなんて、と思います。そのひとつひとつを引用していたらきりがありませんが、そのなかでも厳選してお気に入りの作品をいくつかご紹介します。
月澹荘奇譚」(三島由紀夫):ある焼け落ちた別荘の跡地を訪ねて島にやってきた男に、老人が語る40年前の悲劇。子どもの頃から何一つ、自分の手を汚そうとしなかった侯爵家の嫡男と、かれにつき従う別荘番の息子の、こどもらしい主従関係。それは、かれらがやがて青年となったあとも変わること無く…。なぜ別荘は火事となったのか、侯爵家に嫁いだ夫人の謎めいた憂鬱、というあたりがちょっとした謎解きのようにもなっていて、読み応えあります。しかしなによりも、全体に濃く匂うフェチズムの香りと、目にも鮮やかな夏茱萸の色が忘れられません。最後で本を取り落としそうになりました。
」(金井美恵子):全身を大きな白い兎の毛皮で包んだ少女の語る、あたたかく生臭い血の香りに満ちた父との生活。これは既読の作品でしたが、このアンソロジーにふさわしいMadnessがある一作で、選ばれたのも納得です。
大広間」(吉田知子):目隠しをされた「わたし」が受ける蹂躙の不可思議さと残虐さ。ストーリーでもキャラクターでもなく、純粋に言葉の力だけで作りあげられるこの世界に打ちのめされました。どんな解釈も成り立ちそうで、どんな説明も却下されそうな世界です。確かにこれは「不穏」。救いの見つからない(けれど絶望も無い)不思議な世界です。
眉雨」(古井由吉):そしてまた、男女の交合もまたどこまでも不穏を高めていくことが出来る行為なのだなと思います。理性ではなく、純粋な感覚だけでつながっていくこと。その恐ろしさ、たどりつかなさがどこまでも広がっていくような感覚を、何度も行きつ戻りつする夢のような語り口で表現されると、ただもう、圧倒されるしかありません。
今日の心霊」(藤野可織):どんな写真を撮ってもかならずそれが心霊写真になる少女。彼女の写真が巻き起こす騒動と、彼女を見守る人々。ゴシックというと、恐ろしかったり耽美であったり、という面が強調されがちですが、この作品は、黒い笑いもまた十分に不穏なものであることを教えてくれます。ユーモラスで、不謹慎で、楽しい一作です。
 700頁近い大著のうえ、濃い内容の作品ばかりなので、読むのには多少の覚悟が必要かもしれません。けれど、いったん読み始めてしまったら、そこにたたずむ様々な不穏な美の世界に浸りきってしまうことでしょう。わたしとしては「幻想文学の領土から」の章で、素晴らしさに呻きっぱなしとなりました。読む人それぞれによってお気に入りの箇所は違うと思うのですが、ひとによってはこの本で生涯の忘れられない一作に出会うかもしれません。表紙写真の中川多里による人形写真を見て、それに惹かれるものが少しでもあるのなら、手に取って見ることをおすすめします。

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