「繁栄の昭和」筒井康隆(文藝春秋)



 筒井康隆の最新短編集です。まず、表紙のモノクロ写真の女性が美しい。それに添えられた題名と合わせて、これだけでノスタルジックな雰囲気が漂う素敵な装丁です。そしてこの女性が誰か分かったときに、なるほどなあと思いました。以下、とくに印象に残った作品について。
「繁栄の昭和」:「ダンシング・ヴァニティ」などの過去作品でもあった、絶妙な世界の繰り返しと少しずつずれていく様相に酔いました。それも、アルコールの陶然とした酔いではなく、乗り物酔いのような目眩をともなう感覚で。
「大盗庶幾」:「今日は帝劇、明日は三越。母の日常はその頃のそのような流行語の通りだった」という冒頭から引き込まれました。大正時代の華族の家に生まれた美少年が、やがて運命に導かれるままに成長していって…という内容。夢のように描かれる大正時代の華やかさがすごく良い。そして、最後の引用文で、はっきりと明らかになるかれの正体。その鮮やかさがたまりません。乱歩ファンは必読といえましょう。
「科学探偵帆村」:身に覚えのない妊娠に動揺する様々な立場の女性たち。まさかの処女懐胎の原因は…という内容。往年のヒドいドタバタ作品の数々(褒め言葉)を思い出しました。このデリカシーの欠如が著者の特徴でもあるので、それをどうこう云っても仕方ないよね。「大盗庶幾」が江戸川乱歩オマージュで、この作品は海野十三オマージュです。
「リア王」:伝統的な自然主義リアリズムを信奉している初老の役者。ある日高校の文化祭でリア王を演じているときに、携帯電話の着信音が鳴り響いて…。そう、デリカシーのない作品も書くけれど、こういう、なんともいえない優しいくすぐったさを持つ作品を書くのも筒井康隆なのです。わたしはこれ、すごく好きだなあ。単なる良い話に終わらない、なんだか夢のような優しさが満ちている作品です。
「一族散らし語り」:古い屋敷のなかで腐った身体を引きずりながら生きていく一族のさまが、それぞれ違った語り手によって描かれるのがグロテスクで生々しい。「遠い座敷」を思い出しました。
「附・高清子とその時代」:これのみエッセイ。奥さまに良く似ているエノケン映画に出演していた女優さんについての文章です。もうこの時代には存在しないだれかを「好き」になる楽しさとせつなさが現れていて、いいなあと思って読んでいたら、最後になんだかとても多いなる意志による具現化的な場面。これもまた夢と現実の融合した感じで、「繁栄の昭和」という言葉から浮かぶイメージにぴったり合うエッセイだと思いました。そして、この高清子という女優さんが表紙の女性なのですね。まさに夢見るような美しさ、です。
 全体的に、なんだか「筒井康隆らしい」という言葉を繰り返してしまう短編集でした。でも、単なる再生産という感じはしないんですよね。どの作品も、雰囲気は違えど、紡がれる言葉の一つ一つが、筒井康隆の選ぶ文字という感じです。満足しました。

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