「綻(ほころ)びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語 」ジョージ・パッカー/須川 綾子・訳(NHK出版)



 アメリカという広大な国。そのなかに存在する巨大なシステム。そして人々。70年代から現在に至るアメリカの歴史を、4人の男女の人生を追うと共に、その歴史の時々を代表する人々の紹介を挟み込んでまとめ上げた大著です。
 その4人とは、南部のたばこ農家を出発点に、ガソリンスタンドなどの起業を手がけたのちに、バイオ燃料に人生の目標を賭けた企業家、ディーン・プライス。どんどんスラム化していく地元をそれでも愛し離れられずに、工場で働く人生からコミュニティ・オーガナイザーとして生きる道を選んだシングルマザー、タミー・トーマス。政治的理想を抱きつつも、ワシントンの利権闘争のなかでベストを尽くそうとするロビイスト、ジェフ・コノートン。インターネット業界で成功し、シリコンバレーで世界の未来を考え続ける億万長者、ピーター・ティールです。正直いいまして、わたしがこの本を読む前に知っていた名前は、ピーター・ティールのみ。それもフェイスブックのザッカ―バーグの本を読んだ時に、出てきたな…くらいの認識でした。しかし、どのひとの人生もエキサイティング。面白い。
 また、それ以外にも、そうそうたる有名な人々が登場します。たとえば、TV司会者であり黒人女性として最高の成功者となったオプラ・ウィンフリー、オーガニックレストラン「シェ・パニース」を経営して世界的に有名となったアリス・ウォータース、ラッパーのジェイ・Z、アメリカ最大のスーパーマーケット、ウォルマートの創始者サム・ウォルトンなどなど。さらに、フロリダの地方都市、タンパの歴史を追うことで、有名人だけでは無く、移り変わる巨大なシステムに翻弄されるごく普通の人々の姿も浮き彫りにされていくのです。
 700頁近くある厚い本ですが、これらの人々の人生が、時間の流れに沿ってランダムに切り替わっていくので、テンポよく飽きることなく読み進めることが出来ました。さらに、ノンフィクションではありますが、けして無機質な事実関係の羅列にはなっておらず、小説のようなドラマ性があります。大統領選挙や、ウォール街での鬼気迫るやりとりの場面では、おかしな話ですが、わたしの耳にはずっとグレイハウンドの吠え声が聞こえていました。それだけ、なにかに駆り立てられている人々。熱狂している世界。
 そして、そんな風にさまざまな個性溢れるひとびとがまさに綺羅星のごとく現れていくなか、読んでいてわたしが個人的に肩入れしてしまったのは、ジェフ・コノートンです。アメリカ大統領候補になり、最終的には副大統領になった政治家、バイデンと学生時代に出会い、以後、30年近くかれの選挙スタッフや参謀として尽くす、永遠のナンバー2。どんなに懸命に働いても、実力者としてのナチュラルな傲慢さからバイデンはかれを省みることはない。学生時代に何年も前に出逢ったときの約束を果たし、再会したバイデンがかれを見ても無反応だった時に、その背中を追いかけようとして思いとどまり、それを想像で終わらせる場面、それから様々な経験を経て、バイデンの人となりも知り、昔のような憧れだけではない複雑な気持ちも通り越し、それでも勝ち目のない大統領選でバイデンに笑顔で協力しようとしたときの、一瞬のバイデンとの和解の可能性が消えていく場面。「どうして君は、どうして私たちは…」という言葉の虚しさ。あまりにも遅すぎ、さりげなさすぎた言葉のすれ違いには胸が痛くなりました。コノートンは確かに有能で頭がよく、優れた人間ではあるのですが、傑出した存在ではない。そうはなれない。しかし、そういう人間だからこそ、誰かに憧れることに意味を見出してしまう。そんなかれが、理想と現実のはざまでもがき、時にはずるいことも間違えたこともありつつ、懸命にベストを尽くす。そして最終的にはワシントンの政治の世界から身を引き、保護施設から引き取った犬と一緒に暮らしながら自叙伝を書こうとしている。その生き方に、わたしはとても惹かれました。
 カーターからレーガン、ブッシュ、そしてオバマと交代していくアメリカ大統領選、サブプライムローンの破綻、アメリカ郊外の荒廃と貧富の拡大、など、様々な重要なテーマがありますが、それらすべてがアメリカという一つの国を形作るパーツとなっていて、なおかつそれを成り立たせるのがひとり一人のアメリカ人なんだな、と感じました。わたしはコノートンでしたが、読む人によって、この本の登場人物のだれに惹かれるかがとても分かれると思います。それだけ、多様な生き方が紹介されているのです。そしてその描かれ方が、著者その人の視点や信条を極力排除したクールさで、そこがいい。なんというか、こういう描かれかたをした日本社会の姿も読んでみたいという気になりました。この本を読んでいると、アメリカという国の欠陥や矛盾点に目が向いてしまいますが、当たり前のことながら、日本にもまた違うかたちで問題が存在するわけです。それが気になる。日本について触れられている僅かな個所が、印象に残ったので。
「日本はいまでも七十年代と同じ状況なのだろうか。つまり、国民に倹約と貯蓄を強制できる企業的な専制国家なのか。それとも、カリフォルニアやアメリカのように、本当のところ、運転席にはだれもいない状態なのか。国民はコントロールされている振りをしているだけで、じつはだれもコントロールしていないのが実状じゃないか」ピーター・ティール(p331より引用)
 ぶ厚い一冊ですが、断章的に描かれており、少しずつ読むかたちでも読書の楽しみが遮られることはないと思います。厚さとテーマにひるまず、手にとって頂きたい一冊です。

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