「こくごの時間」雁須磨子(秋田書店)



 「走れメロス」「少年の日の思い出」「十五の心」「言葉の力」「夕焼け」「小僧の神様」「山月記」「クマの子ウーフ」。国語の教科書に掲載されていた小説や童話や詩、文章をモチーフにした連作短編集。
 舞台になるのは小さなカフェ。そこの店主の女性がなにげなく昔の自分の国語の教科書を店に置いたことから、それを手に取るお客や従業員との間で交わされる、思い出の作品についてのあれこれ…という感じではありますが、そこらへんはいつも明確なかたちがあるわけではなく、カフェ自体が登場しない話もあったりするあたりが、ふわっと自由でこの著者らしいゆるさです。そしてそのゆるさが、とても自然で、自分の身の回りにも、こういう出来事が起きては通り過ぎていくのではないかと思わされるような錯覚を産みます。この自然さが、わたしにとっての雁須磨子の魅力です。
 個人的に好きなのは、木を描くのが好きなオタク系男子とつけまばっちりのギャル系女子の、恋にもまだ至らない惹かれあいを描いた「言葉の力」と、壇一雄が太宰治とのヒドいエピソードを描いた「熱海行き」と「走れメロス」について女性たちがおしゃべりするうちに、そのひとりが自分の間違った恋愛を待ち続ける不毛さに気づいて静かに歩きだす「走れメロス」の二話です。どちらも分かりにくいといえば分かりにくい、感覚で描かれている部分の多い話なので(そこが少女マンガだといえば少女マンガっぽいところではありますが)、ピンとこない人も多いかもしれませんが、ハマるひとにはハマる。わたしはそのひとりなのです。
 当たり前に誰かと一緒にいること。恋が生まれたり終わったりすること。他人と触れあうことで起きる波紋と、それに付きまとう自分自身の気持ちの揺れ動き。日々のなかで自然に生まれては消えていく、泡のような思いをすくいあげて目の前に差しだされているような気持ちになります。百パーセントの善人も、悪人も存在しない。特別な人間はどこにもいないけれど、ひとりひとりがみな違う、当たり前だけど、ここにしかない世界で生まれる人間模様が、心地良い短編集でした。

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