「タラチネ・ドリーム・マイン」雪舟えま(PARCO出版)



空気が、夜の気が、月の光が、あんな柔らかいものが、わたしたちを削る。音もなく」(P169 「電」より引用)
 この本は、歌人・小説・随筆家である雪舟えまさんの短編集です。公式サイトはこちら
 わたしが彼女の作品に触れたのは、「ファイン/キュート 素敵かわいい作品選 」高原 英理 (編) (ちくま文庫)というアンソロジーに収録されていた「」という短篇が初めてでした。タイトル通り、素敵で可愛いという作品ばかりを集めたこのアンソロジーのなかでも、この作品は群を抜いてキュートで、そのままわたしの胸に飛び込んできて忘れられない作品となったのです。


 時は平安時代。年頃なのに眉も抜かずに、書きものばかりしていて目を悪くしてしまい玻璃を工夫した眼鏡のようなものを発明したりしながら、夢で見る不思議な国の見聞録を書きつづって草紙を作る変わり者のお姫様と、そこに通う公子との、とてもういうしい恋物語。読んでいると、良質の少女マンガを読んだ時のときめきのような恥ずかしさが極限まで高まるけれど、同時にしみじみと幸福感がしみわたるような、そんな物語でした。でも、甘いだけではない。その物語のなかには、その甘さや幸福はその一瞬だけかもしれないこと、でも、奇跡的にそこに存在していることだけは確かなことが現れています。そんな、本当の恋愛のいちばんの上澄みのようなものを掴み取った物語だと思ったのです。そのせつなさと甘さ、頼りないような曖昧さにいかれてしまったわたしが次に手に取ったのが、この作品集でした。
 この作品集には13の短篇が収録されていますが、先ほど紹介した「」をはじめとして、どの作品も、少し懐かしいようなファンタジーとお伽話とSFのハイブリッドという感じの設定を、不思議で独特な言語センスをもって、すいすい自由に泳ぎ回るような感覚的なお話ばかりです。海外文学でいえば、エイミー・ベンダーとかカレン・ラッセルなどの作品を連想する奇想さですが、アメリカに彼女らがいるのなら、日本には雪舟えまがいる!と大声で云いたくなってしまいました。そういう感じ。
 いくつか例を挙げるなら。身体をうす青い炎に包まれた同級生の少女との心の寄り添いをもうひとりの少女の目から描いた上質な百合物語(「モンツンラとクロージョイ」)(←こういうゲスな表現というか誤解しないでいただきたいのですが百合が下種なのではなく、そういう風な世俗的な表現しか出来ないわたしの心情そのものが下種なわけなのですが、まあ百合で。これが素晴らしい百合で。もうお好きな方にはぜったいお薦めの純度100%の百合で)。火星で石を並べて地面に絵を描きながら、遠く離れた地球に去った夫を待ち続ける妻と不思議な少女の邂逅の物語(「ワンダーピロー」)。細かな水の粒子となって雨に混ざりこみ、たずね人やいなくなったペットを探す探偵の女性(「草野ずん子」)。若返り手術を繰り返して恋をし続け、それでもとうとう老化を止めることができなくなった女性が、何百年ぶりかに出会った双子の妹と選んだ暮らし(「タタンバーイとララクメ」)。などなど。
 それらのお話は、どれもが濃淡こそあれど、男女や夫婦、少女と少年、人間と猫などの愛情の交歓が描かれていて、その表現がわたしはとても好きになりました。常識を軽く跳びはねた設定のなかでも、気持ちや恋の感情が純粋に極まって、そこからこぼれる感情の粒が、どんなに美しいものになるのか、それを体現しているような登場人物たちの言葉や使われている表現が、どれも良すぎて、いやもうたまりません。そして、美しいだけでない、それはとてもはかないもので、いつなんどき終わるか分からず、消えてしまうか見当もつかず、もしかしたら今この瞬間にも途切れているのかもしれないという静かな諦念のようなものすら感じられるのです。
 描かれている内容の可愛らしさに、最初、著者はとても若い人ではないかと思っていたのですが、プロフィールを確認したらばっちり同世代だったので、少し驚き、納得しました。この感覚、すべては過ぎゆくけれども、その一瞬のはかなさの美しさを知っていてとらえるには、あるていどの年齢を必要とするはず、などと勝手に思ってしまったのです。的外れだったらすみません。でも、とても可愛らしく甘いお話ではあるけれど、同時にたまらなくせつないお話たちであるのですよ。そこに惹かれました。
 著者はたいへん多才なかたであるらしく、電子書籍でも多くの作品を発表されているので、これから少しずつ他の作品も読んでいこうと思います。しかし、他の作品がどうであれ、この短編集はわたしにとってとても素敵で可愛い一冊でした。良かったです。

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