2015年の読んだ本ベスト10

 2015年、自分が読んだ本のなかでのベスト10というものを選んでみました。
 最初は20にしてたんだけど、とてもじゃないが長すぎて途中でうんざりした(わたしが)(完成してたらたぶん読み手も)。まだ完結していないマンガはのぞいています(「弟の夫」(田亀源五郎)や「阿・吽」(おかざき真里)「白暮のクロニクル」(ゆうきまさみ)「レッド」(山本直樹)など)。さらに、この一冊とは決め難いけど、作家でまとめて色々読んだものも含めてません。マーガレット・ミラーとか雁須磨子とか。
 あと今回は新たに紹介したいがためにまとめたものなので、すでにこってり感想を書いたおすすめ本は外しています。シャーリー・ジャクソン「なんでもない一日」(URL)、ピエール・ルメートル「その女アレックス」(URL)、「黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」リチャード・ロイド・バリー (URL)、「街角の書店」ブラウン、ジャクスン他(URL)などの本については、ぜひリンク先を参照してください。
 そんな感じでマンガもエッセイもノンフィクションも小説もごたまぜですが、共通するものがあるとしたら、どれもとても面白かった、とわたしが感じたということ。そしてその面白さのツボはそれぞれ違うので、順不同でご紹介しようと思います。年末年始の読書の参考にして頂ければ幸いです。
 
 「カールの降誕祭」フェルディナント・フォン・シーラッハ(イラスト・タダ ジュン/翻訳・酒寄 進一)(東京創元社)


 「シーラッハはあるインタビューで、ドイツではクリスマスに殺人事件が頻発するといっている。理由は会いたくない家族に会うせいだという。」訳者あとがきより引用。
 読後、この言葉に思わず頷いてしまうような一冊。収録されている3つの短篇のどれもが違った趣の犯罪を描いた小説です。しかし、どれもが、まともだったはずの人々に生まれた微妙なひずみがどんどん大きくなっていって、本人のみならず周りの人々をも飲み込んでいく物語となっている。人間の深くて暗いとても奥深い場所に潜む孤独と狂気について書かれていて、すごく良いのです。シンプルで冷静な文章と暗いけれどどこかユーモラスで底知れぬ雰囲気を浸食するような挿絵とのバランスが絶妙。単に哀しかったり救われない話というよりは、果てしなく広い虚無の穴ぼこを覗いたような気分にさせられます。その結果生まれたものが、非人間的な感じではなく、どこまでも人間的でもあるのが、またなんとも凄みのある感じです。
「みちくさ日記」 道草晴子(tourch comics・リイド社)

 ウェブの連載(URL)でずっと読んでいたのだけど、書籍にまとまった形で読むことが出来て、本当に良かった一冊。中学生でちばてつや賞を取ったマンガ好きの女の子が、自分の病に翻弄され、障害というレッテルに苦しみながらもなんとか生きていく姿を描いたこの作品。同じような病を抱えたひと、そうでないひと、もしかして関係があるかもしれないひと、すべてのひとの元に届きやすくなったのは素晴らしいことだと思う。ぱっと見たら読みにくく思える殴り描きのような描線だけど、これが不思議と読めてしまう。精神の病だったひとの作品と聞くと、その病のおかげで描けた作品と思う人もいるかもしれないけれど、全然そんなことはなくて、わたしは、大変な病にも奪われることがなかった「描く」という才能が産んだ作品だと思った。病から生まれる焦りと哀しさ、それでも、生活をすることで見つかる、ちょっとした可能性と楽しい気持ち。色んな思いや感情が画面から滲み出てくるような作品で、わたしはそれが、とても良いと思ったのです。
「戦場のコックたち」深緑 野分(東京創元社)


 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台にした、合衆国軍の19歳のコック兵が主役の連作形式の長編ミステリです。戦地で兵士が体験するもの、かれらが見るものを歴史に忠実に描きながらも、無味乾燥な戦記物や単なる謎解きに終わらない構成で、とにかく面白く読みました。登場人物たちの躍動感と関係性と成長が、かれらと一緒に泣いたり笑ったりハラハラしたりしているうちに、心に沁み入っていくのです。ヨーロッパ戦線という舞台の非人間的な環境の描写とミステリとしての謎解きが不自然なく融合していて、苦くはあるけれど後味は良くて、本当に文句無しの内容です。この著者にとって、これは二冊目の著書となるのですが、一冊目である「オーブランの少女」(URL)も、収録されているすべての短篇が長編に膨らまされても文句無い密度があって完成度が高い作品で、素晴らしい短編集でした。これからが期待しかない作家です。
「105歳の料理人ローズの愛と笑いと復讐」フランツ=オリヴィエ ジズベール(翻訳・北代 美和子)(河出書房新社)

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 題名がずばりそのままの内容です。マルセイユの料理人、ローズが語る、105年の彼女の生涯を彩った性愛と政治、料理と戦争についての一代記。主役のローズは、時代の渦に巻き込まれながらも、いつでも己の身に降りかかった悲劇とその復讐を忘れず、全うしてみせる女。まったくのフィクションであるにもかかわらず、アルメニア人虐殺からナチスの台頭、毛沢東による「大躍進」などの歴史的な背景を舞台にしながら、ヒトラー、ヒムラー、サルトルにボーヴォワールといった実在の人物も次から次へと登場する展開はめまぐるしく迫力いっぱいの面白さ。105歳の女料理人、という言葉から連想されそうなほっこり感や和み感はほとんどなく、どこまでもノンストップで情熱的に派手にがんがん突き進む内容で読み応え有りました。
「彼らは廃馬を撃つ」 ホレス・マッコイ(翻訳・常盤 新平) (白水Uブックス)

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 これもまた題名がすべて。原題「They Shoot Horses, Don’t They?」というクールな響きのもつ絶望と諦めがそのまま胸に残ります。大恐慌時代のハリウッドで、何処にも行けず誰の為にも動けないでいる男女が、孤独のままに出会いながらも、その間に恋愛も温もりも生まれないまま、永遠に踊り続ける物語。なんというか、こうなるしかないのだな、と。金もなく、夢も持てず、若さにも意味が無いままで、たどりついた場所がここなら、そうなるしかないのだな、と。その単純で冷徹な事実が、読み終えたあとのわたしを、深い穴に落とし続けているような気がする。いつまでも。どこまでも。
「手巻き寿司課長と覆面男」(山口ツトム(POE BACKS・ふゅーじょんぷろだくと)

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 これはお薦めです。本当にお薦めです。本当なんです。いくらの手巻き寿司課長と、課長をストーカーする覆面男のギャグBL…なのだけど…。BLなの…?というかあれは恋愛感情なの…?(自信無し)。なによりそもそもこのひとたち人間なの…?そんな疑問符すべてを豪快に吹き飛ばす無茶苦茶な展開と謎の説得力溢れる面白さにすっかり虜となりました。もうこればっかりは本当に読んでいただくしか。人間の発想の可能性に乾杯です。大好きだ。
「ひと皿の小説案内 主人公たちが食べた50の食事」ダイナ・フリード( 監修・ 翻訳・阿部公彦)(マール社)

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 世界文学の50の名作。ハイジが食べる黄金色のチーズ焼き、プルーストの「失われた時を求めて」のマドレーヌと紅茶など、それぞれの作品に登場した食べ物を再現して、一枚の写真に収めた写真集です。知らない作品もいくつかありましたが、そんなことは関係なく面白くて楽しかった。食べたくなるかどうかは別として、そのコンセプトが楽しいのです。テーブルコーディネートまできちんとこだわった写真が綺麗なうえに、それがそのまま丁寧な作品紹介にもなっているのがとても良かった。また、日本語版を作成した方の隅々まで行きとどいた心配りが本当に素晴らしく、それぞれの作品の邦訳の有無まで解説してあるのが有難い限り。丁寧な本づくりってこういうのをいうと思います。
「帰還兵はなぜ自殺するのか」デイヴィッド・フィンケル(翻訳・古屋 美登里 )(亜紀書房)

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 海外に派兵された米国軍人。その4分の1が重いPTSDに苦しみ、多くの自殺者が出ている。そんな軍人たちの「その後」を描いたノンフィクションです。政治的な主張や煽情的に訴えるような部分は少なく、淡々と、しかし無機的ではない語り口で、かれらの抱える問題を広い視点から語っています。登場する5人の軍人とそのまわりの人々の姿が生々しく人間的で、重いテーマにも関わらず、自然と頁をめくる手が止まらなくなるような一冊でした。スピルバーグが映画化を企画するというのも納得。この本を読んで、人間にはそれぞれ固有の「ひととして」耐えられるぎりぎりの一線というものがあり、戦場という場、つまり「人を殺す」という体験は、いともたやすくその線を越えさせてしまうのではないかということをわたしは感じました。壊れてしまった線によってもたらされる影響をなんとかしようともがく人々、周りの家族、それぞれの姿は、重く、苦しいけれど、それはそのままで終わるようなことにしてはいけない。原題「THANK YOU FOR YOUR SERVICE」という言葉にはいくつもの意味がこめられていると感じました。
「壇蜜日記」「壇蜜日記2」壇蜜(文春文庫)

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 以前、文藝春秋に掲載されていた日記を何気なく読んだらとても良かったことを記憶していたのだけど、こうやって書籍になったものをまとめて読むと、それがただのまぐれあたりで無かったことが分かりました。頭の良いひとの書く、天性のリズムがある文章だと思う。淡々と静かに、でも率直な言葉遣いで、読んでいてとても心地良いのです。なにも具体的なことが描かれていなくても、彼女の住む世界が透けてみえるような語り口に、一般人の自分でも、少し胸が痛くなるような気持ちになりました。自分のことを「33歳の勘違い短足ババア」「消えた」「干された」と表現しても、それは自虐でも卑下でもなく、そう罵る人々の声があり、それを認識しているという冷静な表明なのではと思いますが、ネコとサカナと家族に触れる言葉は嬉しそうで、なんだか安心しました。
「SFまで10000光年」「SFまで10万光年以上」水玉 螢之丞(早川書房)

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 昨年急逝された著者が、22年にわたりSFマガジンに連載していたコミックエッセイをまとめたもの。読み応えがあるなんてものではな い細かさと充実した内容で、もちろん一気にはとても読めずに少しずつ噛み砕くように読み進めました。その当時の世相やオタク界のはやりすたりも懐かしく、可愛いイラストや著者ならではの自在なツッコミも楽しいけれど、そこかしこで語られる「SF者」としての自意識とそれを突き詰めていく視線の確かさと、因果な感じがいちばん、響きました。やがて、その世界にTwitterや動画サイトも登場して、SFやアニメというよりは、そういうものに属するファン(マニア)としての視点についての文章が増えてくると、その視線の鋭さと厳しさに胸が苦しくなるような気もするのですが、それでも必ずそこにある客観性からくるユーモアが絶妙なのです。とくに「SFまで10万光年以上」の方は、著者のSF関連のイラストがほぼ網羅されており(かの「PLUM」掲載のコラムまで!)、ブックガイドとしても秀逸。本当に濃く楽しい内容です。
 なんかこうやってまとめてみると、ジャンルがばらばらもいいところなんですが、基本わたしはそういう雑食読みなんですよね。興味のままにあちこちつまみ食いしてるせいで、誰もが読んでるミステリの名作とかが読書歴から抜け落ちていたり、ベストセラー作家がぜんぜん読めてなかったりもするので、読書家とかマニアとかとは名乗れない、ただの本好き。ですが、こうやって感想を書き散らしていくのと、それで誰かに自分の好きな本を紹介できるのは嬉しい。わたしもそうやって色んなひとの感想から新しい本を知るので、まあ要するにみんな本って面白いよな!と能天気な結論にいたるわけです。
 そういえばこのあいだ、ダルク(依存症患者の為の回復支援施設)を紹介したTV番組を見たのですが、そこでビートたけしがいかに合法的な依存対象を見つけるのが大事かということを語っていました。朝4時とかに起きてずーっと絵を描いてたりすると、本当におかしいけど楽しくて仕方ないんだ、的なことを言いながら。それを見て、ほんまそうやなと思いながら、無限にネットで本屋さんで受け取る書籍購入と図書館予約をする作業を繰り返しているわたしがいたりしたわけです。あらゆる合法的依存は(反社会的なものでないかぎり)本人の社会生活と人間関係を破壊しない限りは、まあエエかというスタンスで、これからもやっていきたいものであります。

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