次元大介の声を演じられていた、俳優の小林清志さんが亡くなられました(URL)。
このブログを始めてから、お悔やみの文を書くのはこれで3回目です。モンキー・パンチ先生のときも、井上真樹夫さんの時も、辛かった。でも、なんだかいまは頭が真っ白と言うか、言いたいことはたくさんあふれてくるのに、ちっともまとまらない。こどもの頃から慣れ親しんだ存在がどんどん鬼籍に入られる、自分がそんな年齢になったことがひたすら恨めしいです。あと何回こんな思いをしなきゃいけないのか、と思います。もちろんそれは年齢に関係なく、どんな場合でも起こりえるお別れだと頭で分かってはいるのですが。
清志さん。わたしにとってはずっと次元大介のひと(スペースコブラのクリスタルボーイも好きでした)で、次元大介役から勇退されても、それでもわたしにとっては次元さんのひとでした。当たり前ですね。大塚明夫さんが次元大介役を引き継いでも、清志さんが命を吹き込まれた次元大介は、次元大介のまま存在し続けるのですから。だからわたしは、大塚さんの次元もにこにこ楽しみつつも、過去作品で耳にする清志さんの次元も、同じように愛していました。これまでずっとそうだったように。
思い出します。こどもの頃からルパンを見てきて、大人になってもそうでした。でも、いささか惰性の習慣になっていたその熱の種類がちょっと変わる時期が来ました。こどもの頃からずっと好きだったからというだけでなく、大人の自分からしても惹きつけられるものにルパンが変化したのです。わたしにとってのそれは「峰不二子という女」でした。
1話を見て、これはいままでのTVSPとかとわけが違うぞ、とわくわくしたあの気持ちをまだ覚えています。そして、2話の「.357マグナム」を見たときに、クリカンさんのルパンの声が初期の物真似声から変化したように、小林清志さんの演ずる次元にも変化が生じていることにわたしは気づきました。それは年齢相応の深みと表現すべきものでしたが、わたしはそこで、若き日の次元の話なんだから、もうちょっと若々しいほうがいいのでは……なんて不遜なことをつい思ってしまいました。
でも、そんな愚かなわたしを愕然とさせたのが、まさにその「.357マグナム」でした。最後の、息絶えたチッチョリーナを腕に抱いた次元の台詞です。「分からない……おれには、分からないよ」。あれですね、ほんとうにあれ。次元大介という男の魂のうめき声だと思った。「小鳥がピーチク鳴いてるぜ」の青臭いほど若々しい澄んだ声とはまったく違う味わいの、でも間違いなくあの次元大介の、声。わたしはそこで、小林清志というひとの凄みを知ったのでした。この作品が、わたしをいまのようなルパン好きにひきこんだ最初の一歩になったのは、そのおかげでしょう。
そしてそれからずっと。わたしは小林清志さんの次元に、変わらない「ルパン三世」の魅力を見出していたのかもしれません。めまぐるしく変化するルパン三世の世界は、ときにドタバタ、ときにシリアス、作られた時代背景によってもその風景をがらりと変えます。そのなかにはわたしの好きなものもあればそうでないものもあったり、挑戦もマンネリも新しいものも古いものも、ほんとうになんでもあったけれど、ずっと変わらないものはルパン三世というキャラクターが体現する「自由」。そして、小林清志さんの演じる次元大介が体現する「世界観」でした。
どんな状況でも次元は次元のまま、たとえときに「パパ」と呼ばれても、次元大介は、この愛すべきアナクロでハードボイルドな男は、次元大介でい続けたのです。なにものにも次元を変えることはできなかった。わたしはそれが嬉しかった。こどもの頃から大好きだった「ルパン三世」が、時代の変化とともに変わっていく、そのこと自体は喜ばしいことの方が多いけれど、それでも、次元は、次元のままでいてくれる。だから、わたしは新しい「ルパン三世」のことも、こどもの頃と同じ熱量で愛していられる。そう思った。そして、次元を次元たらしめていたなによりの原動力は、小林清志さんの存在だったのだと思います。
だから、ほんとうに望めるならば、ずっとその声を担当していて欲しかったけれど、まだ小林さんがお元気なうちに、大塚明夫さんというこれ以上の適役は考えられないかたに次元大介を引き継ぐことができたのは、やはり良かったのだと思います。なぜなら、大塚さんの次元のなかには、小林清志さんの次元が、そのスピリットが息づいているから。だから、小林清志さんの次元大介は死なない。わたしはそう思います。そしてなにより、ああいうかたちで引き継げたからこそ、PART6の「時代」は存在できたのですから。「またうまい酒を飲もう」という言葉で、小林さんにお別れできたのは、山田康夫さんのときのことを思えば、幸福なことのはずです。きっと。
人の死が哀しいのは、その存在がいきなり断絶されるからだとわたしは考えます。もうそれ以上、そのひとは新しいものを生み出すことが無く止まってしまうのです。でも、アーティストや表現者の多くは、それまでの人生で創り出してきたものすべてをさいごのお土産として、かれらを愛してきたひとに残してくれます。たとえその人の身内や友人でなくとも、直接のかかわりなどなくても、残されるものがあるのです。それをせめてもの慰めとしたい。それしか残されたものにできることはないから。
だから、わたしは小林清志さんが演じてきた次元大介をこれからも愛していきますし、楽しんでいきます。すべてに「ありがとうございます」と思いながら。ほんとうにありがとう。ちいさなころからいままで、そしてきっとこれからも、「大好きな存在」としてわたしのそばにいてくれる、次元大介を生み出してくださって、ほんとうにありがとう! いまはそんな気持ちでいっぱいです。
小林清志さんのご冥福を心よりお祈りいたします。ほんとうにありがとうございました。