優しく雨ぞ降りしきる

 

 あの女を撃ち殺す許可をくれ、と次元大介は言った。

 その言葉を聞いたルパンは、ため息をついて、次元の肩に巻いていた包帯を、強く引っ張る。

「……頭にくるのは分かるけどよ、これくらいですんで良かったじゃねえか」

 そこまで巻かなくても、と次元が思うほど厳重に包帯を巻き終えたルパンは、仕上げとばかりに、包帯の上から次元の傷をぽん、と叩いた。ひびく痛みに、次元は眉をしかめる。

「これでよし。あと、痛み止めと抗生剤な」

 ルパンは錠剤と水の入ったコップを次元に渡す。

「それ飲んだら、寝とけ。あとはおれと五ェ門でかたをつけとく」
「まったく。ざまあねえな」

 薬を飲んで、次元はため息をつく。

「利き腕をやられたんだ。大人しくしとけよ」

 ルパンはそう言ってから、にやりと笑う。

「なあに、お宝は目と鼻の先よ。せいぜい高みの見物を決め込んどくといい」

 次元は包帯に包まれた自分の肩に手をやった。

「そうだな。傷が治るまでは動けそうもねえ」
「次元」

 不意の呼びかけに、次元はルパンの顔を見る。思いのほか真剣な顔がそこにはあった。

「不二子の尻はおれが思いっきりひっぱたいとく」

 そう言い残すと、ルパンは部屋を出て行った。

 

 

 今回の仕事の獲物は、ある大富豪が所有している対になったサファイヤとルビーの原石だった。写真でも分かるそのかがやきの見事さに、これは不二子には教えない方がいい、ぜったいに厄介の種になると次元は強く主張し、ルパンもめずらしくそれに同意した。もっとも、手に入れてからプレゼントした方がインパクトあるしな、とつぶやきながらではあったのだが。

 しかし、隠し場所とされている大富豪の寝室に忍び込んだ次元とルパンを迎えたのは、大富豪のベッドのなかで白い裸体をさらしている不二子だった。そして不二子があげた悲鳴で大富豪が目をさまし、手元のピストルで次元を撃ったのだ。

 素人の弾筋ほど読めないものはない。次元は苦々しくその時のことを思い出す。銃弾は次元の肩の肉をえぐり、さすがに反撃をあきらめた次元は、這う這うの体でその場を逃げ出し、ルパンの肩を借りて、この間に合わせの宿であるモーテルの部屋にまでたどりついたというわけだった。

 ふたたびお宝を手に入れる為にルパンが出て行けば、次元のそばに残るのは、いつのまにか降りだしていた雨の音だけだった。

 一杯呑んで、ささくれだった気持ちをなだめたいところだったが、間に合わせの宿にはそんなものは見つからない。さいわい、骨には当たっておらず、肉が削れただけとはいえ、利き腕の肩というのがまずかった。自分にとってはかなりの打撃だ、と次元は痛む肩を撫でる。肉体的にも、精神的にも。次元は、枕に頭を乗せた。

 まったく、あんな場所であんな不二子を見るとは思わなかった。ベッドのなかで浮かび上がるように見えた不二子の生々しい裸体を思い出すと、胸中に黒い雲のような不快感が広がるのを次元は感じる。

 それが単に、仕事の邪魔をされたうえに、そのおかげで自分が撃たれたということだけに起因する不快感なら、まだ格好はつくのだが。

 いまおれが撃ち抜きたいのは、意味も無くいろんなことを考えている自分の頭のほうかもしれないな。そこまで思って、次元は目を閉じた。疲れはさざ波のように押し寄せてきていて、次元はそのまま眠りに落ちる。

 

 

 

 静かに雨の音がしている。次元はその音に耳をくすぐられるようにして、目を覚ました。

 そして、柔らかな重みが自分の身体にかかっていることに次元は気づく。寝ていた次元の胸の上に、顔を伏せて眠っている女がいた。ベッドのそばの椅子に腰かけた姿勢のまま、上半身をぴったりと次元に寄せている。

「不二子」

 声をかけ、肩に触れると、不二子は小さな声でうなるようになにか言いながら、ゆっくりと顔を上げる。

「ケガ人の上で寝るな」
「疲れちゃった。ここまで来るのがやっとだったの」

 不二子は目をこすりながらのびをする。そしてふたたび、次元の胸の上に頭を寄せた。その全身から漂ってくるのが、いつものシャネルの香りだけではなく、どこか焦げ臭い匂いなことと、不二子の髪や体のあちこちもなんとなく黒く汚れていることに次元は気づいた。

「ルパンたら無茶するの。大富豪とあたしが乗ってた車を、火炎放射機を使いながら追いかけまわしたのよ」
「マジか。見たかったな」

 次元は笑った。

「笑いごとじゃないわよ。大富豪のお宝を取りあげるためだったらしいけど、ひどくない?おかげで、あたしまでもう少しでローストされるところだったわ」

 不二子は唇をとがらせる。次元は笑みを消さず、その頭に手をやった。たしかに、普段は、つやつやとしたかがやきを保っている長い髪が、どこか痛んでいるようにもみえる。

「……あなたが怪我をしたって言われたわ。あたしのせいで」

 不二子の視線が、自分の肩を覆う包帯に向けられたのを次元は感じる。

「ルパンにすっごく怒られちゃった。お尻まで叩かれたのよ、信じられない」

 有言実行がおれのポリシー。ルパンが言いそうな言葉が次元の頭に浮かんだ。

「でも、あたしのせいじゃないわよね。あなたのヘマのせいだわ」

 開き直った不二子の言葉を聞き、次元は思わず笑いにむせてしまう。腹が立つより先に、不二子はこうでなくては、と思ってしまったのだ。

「おい、おれにも一発尻を叩かせろよ。それくらいの権利はあるはずだ」
「いやあよ」

 伸びてきた次元の手を避けて、不二子は身体をひねる。しかし、次元のそばを離れることはないままで、あいかわらず、次元の胸に顔を寄せたままで喋りつづける。

「あんな素人の弾を受けちゃうなんて、次元もヤキがまわったんじゃないの」
「うるせえ。ビギナーズラックだ」

 次元は不二子の顔を見下ろす。そして言った。

「まあ、おれもどうかしてたがな。おまえがあんなとこにいやがるから、面食らっちまった」
「あら、びっくりさせちゃった?」
「ムカついた」

 次元はそう言うと、肩の傷がうずくように痛むのを感じて、眉をしかめる。
 不二子はそんな次元をじっと見つめている。その顔は煤で多少汚れてはいても、その眼の美しさだけは変化ない。その瞳に吸い寄せられるような気持ちになって、次元は不二子に唇を寄せた。軽く唇を合わせるだけで離すと、不二子が問う。

「怒ったの」
「なにしてやがる、とは思ったな」

 目の前のこの女が、欲しいものを手にいれるためならば、色仕掛けでも裏切りでもなんでもござれというポリシーであることは重々承知していた。そして、その目的のために、神様から頂いた男の夢のような身体を利用することは、自分がマグナムを使うことや五ェ門が斬鉄剣を使うことと、なんら区別されるようなことではない。そう頭では分かっていた。そのはずだった。しかし、不意にそんな場面を見てしまった瞬間に、理性で納得していることを、感情が受け入れなかったのだ、と次元はいま、気づく。

 馬鹿じゃねえか、と、次元は自分にあきれてしまう。そんな感情の揺れのせいで、マグナムを抜くタイミングを逸し、ど素人に撃たれてしまうという失態を招いてしまったのだから。

「……謝ってほしい?」

 不二子は次元の身体に手を回し、そっと抱きしめてきた。

「怪我をしたのはおまえの言うとおり、おれのヘマさ。べつに謝るようなことじゃない」

 不二子が聞きたいのは自分に怪我をさせたことではないと知りながら、あえて次元はそう言った。そのまま、不二子の身体を抱き返す。傷に響かないように、と慎重にすると、それだけ、この女の全身の柔らかさと触れあう部分から伝わってくる体温のぬくもりが心地良いものに思えた。

「言っておくけど、あたしはあの男に、肝心なことはなにひとつさせてないわよ」
「そういうことにしておこうか」
「聞きなさい」

 不二子は次元の耳を引っ張る。

「この峰不二子さまは、そんなに安っぽい女じゃなくてよ」

 そうささやくと、不二子は次元の首筋に顔をうずめた。

「焦らすだけ焦らして、肝心な時には催眠スプレーにお出ましいただくわよ。決まってるじゃない」
「ふん」

 次元は不二子の髪をかき分けて、耳を見つけ出す。その柔らかな耳たぶに唇を寄せ、甘く歯を当てると、不二子の身体が震えた。

「じゃあ、ここでも、そろそろ催眠スプレーの出番か?」
「そのへらず口をふさげるスプレーなら使いたいわね」

 不二子はわずかに身を起こして、次元を見つめた。

「つまらない独占欲であたしを縛らないで」

 厳しい言葉に聞こえるが、次元の目には、その瞳に隠しきれない微笑みが浮かんでいるのが見える。頬も薔薇色に染まって、みるからに機嫌良さそうだ。なぜ不二子がこんなに嬉しそうなのか、次元にはそのからくりがさっぱり不明だ。女は分からねえ、とだけ次元は思う。

「縛りゃしねえよ、好き勝手どこにでも行けばいい」

 これは半ば次元の本心でもあった。自分がなにをどうしたところで、この女を思うがままにできるわけもないし、それが自分のしたいこととも思えなかった。たぶん、どれだけこの女に苛立たされ、腹を立てたとしても、自分はこの女のそういうところも好ましくて、こうしているのかもしれないのだ。まったくどうしてこうなってしまったのか、と思わないでもないが、考えるだけ無駄だということも次元には分かっていた。理屈でないのだ、こういうことは。

「……こっちも好き勝手にさせてもらうさ」

 理屈でないから、いましたいことは、ただこの女の存在を自分で確かめることだった。次元は胸のなかにいる不二子を抱きかかえるようにして、そのままベッドのなかに強引にひきずりこんだ。

「ちょっと」
「いやか」

 次元の唇を避けて顔を横に向けた不二子の顎を、次元はとらえて、目線を合わせる。

「……いや」
「どうして」

 不二子は、この女にはめずらしくあいまいな表情になって、次元の視線を避けた。

「……ルパンに火炎放射器で追いかけまわされたって言ったでしょ。身体中、煤だらけで、お化粧だって取れちゃったわ」
「それのなにが問題なのかさっぱりわからねえ」

 次元は不二子の抗議を聞き流して、その背中のジッパーに手をかける。

「……もう」

 不二子の声に甘さが混じる。

「ケガ人に抵抗できないあたしのやさしさを利用するなんて、ひきょうものね」

 そうささやいておいて、不二子は、包帯に包まれた次元の肩の傷をピン、と指でするどくはじいた。一瞬、次元の動きは止まってしまう。不二子の小さな笑い声が部屋に響いた。

「……だから、尻を叩かせろよ」

 腹だちまぎれに手を不二子の身体に滑らせた次元の指先に、小さな違和感がひっかかった。そのまま探った。

「スケベ」
「ちょっと待て」

 ふくみ笑いをしながらの不二子の言葉を無視して、次元は指先に触れた固い感触をそのまま引っ張りだした。
 不二子と次元の目の前に、鈍いひかりを放つ青いサファイヤの原石が姿を現す。

「おまえ」
「だって、ルパンったらあたしのお尻を叩くんですもの」

 次元のあきれた声に、つん、とすまして不二子は言った。

「簡単に抜きとれたわ。でも、あなたを怪我させたのを反省しているから、片方だけにしたのよ?」
「よく言うぜ。自分の好みで選んだんだろ?」

 次元はサファイヤを不二子の肌に当てる。不二子の白い肌に青い色が不思議なほど映えて見えた。

「あと隠してるものはないか?ブローニングはあるだろ?あと、ナイフに催眠スプレーに…」
「もう、そんなにいじらないでってば!」

 不二子は笑い声をあげて、次元の指の動きを牽制する。次元を抱きしめて、ささやいた。

「ほかにもまだ、あなたが見つけてないものがあるわよ」
「なんだ」

 不二子は次元を見つめる。この瞳だな、と次元は思う。最高級に着飾ったときでも、いまみたいに薄汚れているときでも、その美しさには変わりがない。地球上のどんな宝石にも負けない。それこそ、自分を裏切るときでも、いまのようにふざけて唇を重ねて遊ぶときでも。
 どんなときでも、その美しい瞳が自分に向けられている。揺らがない、視線。
 それがあれば、おれは十分だ、と次元は思った。

「あたしのあなたへの……」

 不二子はそこまで言っておいて、言葉を止める。まるで、とんでもないことを言いかけたと気づいたかのように頬をさっと染めて、次元の肩に顔を埋めてしまう。髪からのぞいた耳の先までが赤く染まっているので、次元は驚く。

「なんだって?」
「言えない。さがしてみて」

 不二子の声がいちだんと甘くなる。次元はその声に導かれるように、不二子をもう一度抱きしめて、その肌に指を滑らせていった。

 

 

 

「次元。起きろ」

 ルパンの声で次元は目を覚ました。外から明るい光が差しこんでいる。いつのまにか雨はやんでいたようだった。
 もちろん、ベッドには次元以外、だれもいない。

「許可出すぜ。あの女狐、今度こそ撃ち殺そう」
「おだやかじゃねえな、ルパン」

 ルパンはいらいらした様子を隠さずに、起き上がった次元の包帯に手をやった。

「不二子のやつ、結局、お宝をひとり占めだぜ、信じられるか」
「なに?」

 サファイヤだけじゃなくルビーもか、ともう少しで言いそうになり、次元はあわてる。ルパンはそれに気づいた様子もなく、次元の包帯を外して傷の状態を確認しながら、言葉を続ける。

「おまえのために尻ひっぱたいてやったら、ごめんなさーい、ルパーン、あたし本当に悪いと思ってるのよ、なんていつもの調子で言いだして、涙ぐむもんだから、まあいいかって頭ナデナデしてあげてたんだが……」

 ルパンの言葉のトーンが下がっていく。あまりにも見慣れたそんな光景に、次元もこれで何度目になるか分からない言葉を口にした。

「そのときにやられたな」
「あーもう、信じられねえ!しかもご丁寧に、銭形のとっつあんまで呼んでやがってよ、あのあと逃げ出すのがどれだけ手間だったか!」

 ルパンが腹いせのように、乱暴に傷のガーゼを剥がす。次元は痛みに眉をしかめた。

「おー……、次元ちゃん。さすが怪我慣れしてるねえ。思ってたよりぜんぜんいけるわ。このぶんなら、包帯はすぐ外せるぜ」
「マジか、助かった」
「そしたら、五ェ門入れて三人でキツネ狩りだ」

 ルパンが真面目な口調で言うので、次元はあきれて言った。

「よしとけ、また化かされちまうのが落ちだ」

 けどよう……とつぶやくルパンを見ながら、次元は煙草に手を伸ばす。

「ま、今度はおれが自分であの女の尻をひっぱたいてやるさ」

 そう言いながら、次元はふと思う。あの女が言っていた、おれがまだ見つけていないものとはなんだったのだろう。そこまで考え、次元はひとつの可能性に思い当たる。

 そうか、ルビーか。

 くまなく触れたつもりだったが、あの女はそれがなんであれ、きっと抜け目なく、自分の大切なものはおれの目に触れないよう、上手に隠せるんだろうな、と次元は思った。

 

 

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