……ちょっと試してみただけのつもりだったんだよ、とルパン三世は言った。
「あの映画見てさ、おれにもこの道具が作れるかなって思ったわけ」
ルパンは、ペンのような機械をかざす。あの映画、というのは、地球に住んでいる異星人を追いかける秘密諜報員を主役にしたドタバタSFコメディだ。不二子もその映画を見たことはあったので、ルパンのいう道具のこともすぐに見当がついた。
「シャボン型のは作ったことあるから、ノウハウはばっちりだしよ。もっと威力を強力にできるかなーなんて思ったのが、まあ、失敗というかある意味成功というか」
「成功ではあるが、相手選びはみごと失敗であったな。ルパン」
五ェ門が冷静に言うと、ルパンは頭をかいた。
「だってよ、やっぱり出来たら試してみたくなるだろ?そんなときに部屋に来るのが悪いんだぜ。おれだってまさかそこまでとは」
やっぱおれって天才なのかな?と首をかしげるルパンの頭に、次元がその場にあった紙屑をぶつけるのを不二子は見る。
「……天才なら、はやく元に戻す方法を見つけろ。落ち着かねえんだよ、こっちは」
たしかに言葉の通り、落ち着かない様子で帽子のつばをいじる次元を見て、不二子はため息をついた。
まったく、記憶消去装置なんて、ほんとうに作れるものだなんて思わなかったわよ、と。
今回の騒動のそもそもの原因は、記憶を消去できるレーザー光線を出す道具をルパンが発明したことだった。ほんの思いつきでルパンが作った試作品の光を、たまたまルパンの部屋を訪れた次元が浴びてしまったということらしい。
五ェ門までもが心配そうに次元の顔をのぞきこんでいる。
「……本当に記憶が無いのか、次元?」
「無いわけじゃねえよ」
次元は肩をすくめる。
「自分のことは分かるし、おまえらのことも覚えてる。ただ、どうにも微妙な記憶がところどころ消えてるらしい。おかしな気分だ」
かぶりを振って答えた次元に、ルパンがからかうように言った。
「おれが貸した10ドルのことも覚えてないのか?」
「こういうときにつまらない冗談はよせ」
次元はあきれたように言う。
「まあ、頭のなかが虫食いになった感じだな。昨日終わった仕事の中身も、自分がなにをやったかは覚えてても、肝心のお宝は覚えてない。アジトの場所は知ってるのに、自分の部屋がどこかは思いだせない、そんな感じだ」
次元は自分のこめかみを指で叩く。
「教えてもらえりゃ、ああそうかなとは思うんだが、いまひとつ実感がわかねえし、あんまりあれこれ言われると、なんだか頭がクラクラしてくるんだ」
「次元。これがなにか分かるか」
五ェ門が自分の斬鉄剣を、次元の前にかざす。
「そう、おまえのその刀も……残念剣だっけか」
「おぬしのその頭が残念だ。ルパン、なんとかしてやれ」
「うーん」
ルパンは腕組みをして考えこむ。表情こそ余裕を見せて笑ってはいるが、その目は真剣なことが不二子には分かった。
「ちょっとライトの仕組みをもう一回いじってみる。なにがどうなってるか、いろいろ確かめてみるしかなさそうだ。五ェ門、ちょっと来てくれよ」
まさか拙者を実験台にするつもりではなかろうな、という五ェ門を、ルパンがまあまあとなだめながら、一緒に部屋を出ていった。その後姿を不二子は見送る。
そうなると、部屋には不二子と次元だけが残された。ふたりきりになったのを確認し、不二子は次元の表情をうかがった。さりげなさを装って、話しかける。
「ねえ、記憶が欠けてるって怖くないの」
「なにを忘れてるかがハッキリしねえから、べつにたいしたことじゃねえな」
次元はマグナムを取り出した。いつものように手入れを始めるその手順によどみはない。
「まあしょせんはルパンの発明だ。効果に持続性があるかどうかも怪しいし、そのうちもとに戻るだろうよ」
ここまでずっと、不二子は次元が自分をからかっている可能性について考えていた。しかし、どうもそうではないようだ。頭がしびれるような不安が、不二子の中に広がった。
不二子は、次元の隣に腰かける。
「……なんだよ」
次元はけげんな顔つきになって、不二子との間に距離を取った。
「……あたしのこと、覚えてる?」
「覚えてるさ、性悪女の峰不二子」
次元は首を横に振る。
「なんで、おまえのことを覚えてるんだろうな、きれいさっぱり忘れてたなら、さぞかしスッキリしただろうによ」
不二子は自分の顔が強張るのを感じる。どうやら冗談ではなさそうだった。近くにいても自分と目も合わせようともしない、こんな次元の様子には確かに覚えがあった。ふたりの唇が触れあうようになるより前は、ずっとこういう感じだった。基本的に不二子の言葉に興味がなく、耳を傾けるのも面倒だという姿勢を隠さない、そういう態度だ。
不二子は、大きく息を吸ってから、口を開いた。
「……それでも、記憶が欠けたままはヤバいでしょ。仕事に思わぬ穴が出来ないとも限らない。迷惑かけられるのはゴメンよ」
あえて、次元の態度に合わせた口調でそっけなく不二子は言って、立ち上がった。
「いろいろと確かめてみたほうがいいかもね。あなた、自分の隠れ家に行ってみたら?」
次元はけげんな表情を変えないまま言った。
「おれの隠れ家?アジト以外にか?」
覚えてないのね、と不二子は内心で深いため息をつく。
「連れていってあげる」
「……なんでおれの隠れ家をおまえが知ってるんだ」
不二子に案内されるがままに、自分のアパートメントに連れてこられた次元は、露骨にいぶかしげな表情を隠さない。ほんとうに、なんででしょうね、さっさと思いだしなさいよと不二子は思いながら、つい数日前に自分が泊まったばかりの部屋の鍵を取り出す。
「あたしの情報収集能力を甘く見ないほうがいいわよ」
不二子は玄関を開けて先に中に入り、次元を招きいれた。次元はキョロキョロと部屋のなかを見回しておいてから、慎重に足を踏み入れてくる。
「どう、覚えがある?」
「たしかに見たことはあるな……」
次元はテーブルに置きっぱなしになっているバーボンを手に取って言う。その様子を見ておいて、不二子は、緊張で鼓動が早くなるのを感じながら、クローゼットを開けた。
「まあ。次元、あなた、ここで“彼女”と逢引してたのね」
「なんだと」
次元はあわてて不二子のそばに来て、クローゼットのなかを見た。そこには、不二子がいつも置いている最低限の着替えや化粧道具などが収められている。その明らかに女物である荷物を見て、次元は頭を抱えた。
「……マジかよ」
これが下手な演技なら殴ってやりたいところだったが、不二子は次元がこういうことに関しては嘘がつけないタチなことを知っていた。台本があるような仕事のときならば、演技もそれなりにそつなくこなすものの、それ以外の日常の場面で、ウソをついたり芝居するくらいなら、ただ沈黙を守るか、その場を離れてやり過ごすことを選ぶ男なのだ。
「……面倒くせえ話だ」
ようやくそれだけ言った次元に、不二子は問う。
「“彼女”のことは思いだせる?」
「ちっとも」
次元はクローゼットのなかを、もういちど気のない様子でのぞきこんで首を横に振った。
「おまえ、このことをルパンには言うなよ」
「あなたの“彼女”のことなんて、ルパンも知らないでしょうね」
次元は舌打ちして、ため息をつく。
「もうひとりのおれがいるみたいな気分だな。頭がおかしくなりそうだ」
「あら、そこまで?」
「……決まった女を作るような男じゃねえよ」
「運命の相手に出会ったのかもしれないじゃない」
「かんべんしてくれ」
次元は肩をすくめて、クローゼットを閉めた。
「そんな話、ありえねえ」
その言葉を聞いた不二子は、寝室に置かれているベッドがダブルであることを指摘してやりたい気持ちを懸命に抑える。記憶は人間の脳の動きのなかでもひときわデリケートな部分だ。ちょっとした暗示や働きかけで偽記憶を植えつけることもそう難しいことではないし、ルパンの装置の効果は未知数だ。いまはこれ以上混乱させないほうがいいことに、不二子はようやく思い当たる。
しかしそうと分かっていながらも、不二子の気持ちはざわついて仕方がない。そのまま、ほかの部屋をのぞいたり、置いてある雑誌をめくったりしている次元の背中に声をかける。
「……ねえ、おなか空かない?」
アパートメントをあとにして、不二子と次元は、小さなメキシコ料理の店に入った。アパートメントのすぐ近くにあり、ふたりが何度か訪れたことのある店だ。しかし次元は初めて入ったように店の様子を見回しながら、不二子が注文した赤いソースのエンチラーダスを口に運んだ。
「こんな辛い味なら、覚えていそうなもんだがな」
「あなた、それが気に入ってたわよ」
髭を汗に濡らしながらも舌鼓を打っていた姿を思い出しながら不二子は言う。ライムを絞った冷えたビールと辛いエンチラーダスの組み合わせを次元は好んでいた。不二子はその様子を見ながら冷えたマルガリータに口をつける。
「たしかに美味い。けどな」
次元は、ビールを飲みながら、ふと、不二子を見た。
「おれとおまえがメシを食いに行くことなんかあったのか」
「たまたまよ、それも覚えてないのね」
そこまで言って、不二子は気づいた。次元がいま自分を見るその視線は、いつのまにか慣れ親しんでいた、あの優しいものとはどこか違う。決定的になにかが足りなかった。とても大事な、なにかが。
それはとても無視できるようなことではなかった。不二子はわずかに唇を噛む。
……この店だけではなかった。遅い朝食を取るために何度か立ち寄ったカフェ、次元がコーヒー豆を仕入れていた専門店、自分のバーボンだけでなく不二子のためにクルボアジェを買ってくれた酒屋。そんな風に、次元のアパートメントに不二子も出入りするようになったいくらかの月日のうちに、ふたりだけに共有された場所の思い出がいくつあるだろう。そのどれもが他愛のない、それこそ忘れてしまってもなんの問題も無いような場所だった。しかし、いま、それらの前をなんの感慨もない様子で通り過ぎていく次元の後姿に、不二子は思う。
次元は本当にどの場所のことも覚えてないのだろうか。すべてただの風景としか思わなくなってしまったのだろうか。そして、もしこのままいつまでも、忘れたままになったとしたら。そこまで考え、不二子は足がすくむような気持ちになる。息が苦しくなった。ねえ、次元。
……あたしたちのことも、なかったことになってしまうの?
アジトに戻るなり、次元は疲れた、と自分の部屋に引っ込んでしまった。不二子を迎えた五ェ門が言う。
「ルパンはあれで責任を感じているようだ。とりあえずは時間の経過を待って様子を見るしかないらしいのだが、万が一のことがあっては困る、と言ってな。記憶に関する専門家のところに出かけたところだ」
不二子はため息をついた。
「……ちょっとこのあたりを回ってみたのよ。覚えてるところとそうでないところがやっぱりあるみたい。見れば思いだすみたいなんだけど、それもあやしかったり……難しいわね」
そう、自分のアパートメントのことはなんとなく思いだしても、そこで誰と時間を過ごしたかまでは思いだせないのだ。
「うむ。まだらに忘れているというのはあんがい始末に悪いものだな」
五ェ門はうなずいた。
「そもそも我々とて、自分たちと知り合った後の次元のことしか知らぬ。だから本来、やつがなにを覚えていてなにを忘れているかを正確に把握できるものは次元自身しかいないのだ。だが、その本人が忘れてしまえば……」
「消えちゃうのね、いろんなことが」
不二子は、思わずつぶやいて、五ェ門から視線をそらし顔を伏せた。自分がどんな表情をしているのか、とても他人に見せられる自信がなかったのだ。
五ェ門と別れたあと、不二子は次元の部屋をのぞいてみることにする。そっとドアを開け、部屋に入ってみると、次元は上着を脱いだだけの姿で、ベッドの上で寝息を立てていた。よっぽど疲れちゃったのね、とそのそばに歩み寄り、自分もベッドに腰かけたときに、不二子はある事実に気づく。手が震えた。
次元は、あたしのことを忘れてないわ。
なぜなら、どんなに眠りが深い時でも侵入者の気配を感じれば、飛び起きてマグナムをつかむのがこの男の習性だったからだ。抱きあうようになったあとでさえ、不二子自身もそんな目に何度かあったことがある。
しかし、ふたりの関係が深まるにつれて、その警戒心は次元のなかで自然と薄らいでいったようだった。やがて、不二子は眠りこんでいる次元の胸元にそのままもぐりこんで甘えたり、それでも目を覚まさない次元にじれて、髭を引っ張って起こしてやることすらできるようになった。
そしていま、不二子が身を寄せても、次元は目を覚まさない。その事実に、不二子は目が潤むのを感じる。
あなた、やっぱり覚えてるんでしょ、あたしのこと。あたしとのこと。なんども抱きあって愛しあったこと。
こみ上げる思いのままに、不二子は眠っている次元に唇を寄せた。
ねえ、思いだしてよ。
唇が重なりあい、やがて離れると、次元の目がうっすらと開いた。
「……あたしのこと、覚えてる?」
不二子がささやくと、次元は眠そうに目をこすった。
「ああ」
わずかに間が空き、次元の手が不二子の頬を撫でた。
「……覚えている、おれの不二子」
不二子は、口をぽかんと開けてしまう。我ながら間抜けな反応だと思ったが、仕方がない。そのまま、次元に強くしがみついた。
「もう、次元!本当に?本当に思いだしたの?!」
「苦しい、首を絞めるな」
「馬鹿、さんざん心配させて……!」
言葉が続かなかった。不二子は次元を抱きしめたまま、あふれてきた涙で次元の肩を濡らす。しばらくそうしていると、次元が自分の髪を撫でていることに不二子は気づいた。顔を上げて視線を合わせると、あの見慣れた優しい目がそこにあった。ああ、あたしの次元だわと不二子は思う。そう思った瞬間に、ようやく、溶けるような安心感が体中に広がっていった。
「……悪かった。ようやく頭のなかがすっきりしたみたいだな」
「あたしのことを全部思いだした?」
「ああ。おまえのアソコにあるほくろの数まで全部思いだした」
「そんなの無いわよ!」
不二子は笑った。これまでの不安から一気に解放されたせいか、頭がふわふわとして、笑いが止まらない。くすくす笑いながら、次元にしがみついたままで会話を続ける。
「ねえ、本当に覚えてなかったの?アパートメントに連れて行った時も?」
「あのときは生きた心地がしなかったぜ」
次元は自分に抱きついて離れようとしない不二子をなだめるように、背中を軽くたたいて言った。
「おまえ、おれの隠れ家の鍵を当たり前みたいに持ってただろう。度肝を抜かれた」
不二子は笑い声をあげた。そういえばそうだった。自分がなんのためらいもなく玄関を開けたことを不二子は思いだす。
「しかも、クローゼットを開けた瞬間に、おまえのシャネルの匂いがプンプンだ。なのに、おまえと、その……どうこうなってるってことは、まったく思いだせなかったんだからな」
「どうこうなってるって、こういうこと?」
不二子はくすくす笑いを止められないまま、次元の耳にキスをする。次元がよせよ、と体をひねった。
「……そして、おまえはすました顔で運命の相手がどうこうとか寝言みたいなことを抜かしてるしな……いてえ」
不二子は、さっきまでキスしていた耳を、失礼ね、と指で引っ張る。
「こっちは確かめるに確かめられねえ。まあ、おまえとこうなってる可能性に、おじけづいちまったってことさ」
「ひどいわね」
「肝心の記憶がさっぱり無いんだぜ、仕方ねえだろ」
次元は不二子の背中を抱いたままで、つぶやく。
「それでも、あのあと飯を食って、おまえとぶらぶら歩いていたら、なんとなく……おまえとああやって一緒に歩いたことがあったような気もしてきた。けど、どうにもこうにも眠くてな。起きてられなくなってぶっ倒れちまった……起きたら、この通りだ。もう大丈夫さ」
「本当に?」
不二子は、ようやく笑いを止めて、すました顔になって言った。
「あたしにショーメのホワイトゴールドのネックレスとイヤリングのセットを買ってくれるって約束も、ちゃんと思いだしたんでしょうね?」
「おまえがとんでもない嘘つきだってことは忘れてねえよ、心配するな」
不二子はもういちど笑ってしまう。次元も笑い、不二子の耳元に唇を寄せてささやいた。
「面白いな。ぜんぶ思いだしたっていうのに、それでもなんだか新鮮だ」
「なにが?」
「……はじめておまえに触れるみたいな感じがする、ヤバい」
含み笑いと共に、次元の手が不二子の身体の線をなぞっていく。触れあっている相手の体温の熱さと高まりを感じて、不二子は甘くささやいた。
「……ねえ、確認させてよ」
「なにを」
「あなたがちゃんとすべてを思いだしたかどうか」
不二子は次元の唇に自分のそれを重ねる。
「あたしの愛しかたを」
「ま、大騒ぎするほどのことじゃなかったってわけだよな」
山ほどの資料を抱えて帰ってきたルパンは、すっかり普段の調子を取り戻した次元の様子に、拍子抜けしたように言った。
「これに懲りたら、おかしな発明をするのはやめてくれ」
「それが飯のタネになってるんでしょーが。もうちょっと改良して、狙いのとこだけ記憶が消せるようになればいろいろ使える機械だぜ?」
ルパンは次元の言葉を気にした様子もなく、紙の束を次元に渡す。
「これ書いてくれよ、次元」
「なんだ」
「記憶の専門家の学者先生にもらった調査書類さ。まあ、正式な臨床試験もなにもねえ、おれが適当に作った機械なんだから、正確なことは分からない。詳しいことを知りたければ、とにかくデータがいるんだと」
次元は難しい顔をして紙に目を通している。
「おい、その日食ったもんまで書くのかよ」
「調査ってそういうもんだろ。あと、記憶を無くしてからのこまかい行動、さらに、なにを思いだしたかって順番も肝心らしいぜ」
「順番?」
「そもそも、今回の記憶喪失は、トラウマ的な出来事にあったとか脳の器質的な問題とか、そういうちゃんとした理由があるわけじゃない。あくまでいきなりおかしなショックを与えられて脳がびっくりしちまった結果なわけだ」
先生はあれこれ論文を引っ張り出して説明してくれたんだけどよ、と、ルパンは解説する。
「まあ、なんせあわてふためいた脳みそのやることだから、理屈はつけられない。たとえば、ほんとうに大事なことは忘れないっていうだろ?ところが大切だからこそ消えちまうってことだってあるらしいぜ。衝撃的な体験をした人間が、その体験そのものをなかなか思い出せないことがあるのもその手のからくりだな」
ルパンの言葉を聞く次元の眉間に、みるみるうちにしわが寄っていくのを不二子は見る。
「つまり、おまえが今回無くした記憶のなかで、いちばん最後に思いだしたものが、次元大介という男にとって、もっとも大切なことって可能性もあるわけさ」
「……なんだか暑いわね。空気を入れ替えましょうか」
不二子は立ち上がって部屋の窓を開ける。とてもではないがまともに次元の顔を見ることが出来ない。おそらく次元も同様だろう。
「で、おまえが記憶をぜんぶ取り戻した後に取った行動もできるだけくわしく書いて……次元!」
ルパンが言い終わるのを待たずに、次元は書類をひねりつぶしてダストボックスに放り投げた。
「めんどくせえ。そんな順番なんざ、それこそもう覚えちゃいねえよ」
あーもう、とルパンが天を仰ぐのを見て、次元は言った。
「これ以上、おまえのつまらない発明の実験台になるのはごめんだ」
「ちえ、しょうがねえなあ」
ルパンは機械をながめたあと、肩をすくめてそれをダストボックスに放り込んだ。
「まあ、また気が向いたらちゃんとしたのを作るさ」
「こんどは自分で試してみるのね、ルパン」
不二子が言うと、ルパンは首を横に振った。
「いやあ、おれは、記憶を無くすなんてゴメンだねえ」
「そのゴメンなことをひとにやるんじゃねえよ!」
次元はそう吐き捨てると、立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。その後姿を見送りながら、すくなくともあたしがこの背中を忘れることはないでしょうねと不二子は思い、にっこりと微笑んだ。
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