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2015年の読んだ本ベスト10
by くさてる
 2015年、自分が読んだ本のなかでのベスト10というものを選んでみました。

 最初は20にしてたんだけど、とてもじゃないが長すぎて途中でうんざりした(わたしが)(完成してたらたぶん読み手も)。まだ完結していないマンガはのぞいています(「弟の夫」(田亀源五郎)や「阿・吽」(おかざき真里)「白暮のクロニクル」(ゆうきまさみ)「レッド」(山本直樹)など)。さらに、この一冊とは決め難いけど、作家でまとめて色々読んだものも含めてません。マーガレット・ミラーとか雁須磨子とか。

 あと今回は新たに紹介したいがためにまとめたものなので、すでにこってり感想を書いたおすすめ本は外しています。シャーリー・ジャクソン「なんでもない一日」(URL)、ピエール・ルメートル「その女アレックス」(URL)、「黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」リチャード・ロイド・バリー (URL)、「街角の書店」ブラウン、ジャクスン他(URL)などの本については、ぜひリンク先を参照してください。

 そんな感じでマンガもエッセイもノンフィクションも小説もごたまぜですが、共通するものがあるとしたら、どれもとても面白かった、とわたしが感じたということ。そしてその面白さのツボはそれぞれ違うので、順不同でご紹介しようと思います。年末年始の読書の参考にして頂ければ幸いです。

 
 「カールの降誕祭」フェルディナント・フォン・シーラッハ(イラスト・タダ ジュン/翻訳・酒寄 進一)(東京創元社)


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 「シーラッハはあるインタビューで、ドイツではクリスマスに殺人事件が頻発するといっている。理由は会いたくない家族に会うせいだという。」訳者あとがきより引用。

 読後、この言葉に思わず頷いてしまうような一冊。収録されている3つの短篇のどれもが違った趣の犯罪を描いた小説です。しかし、どれもが、まともだったはずの人々に生まれた微妙なひずみがどんどん大きくなっていって、本人のみならず周りの人々をも飲み込んでいく物語となっている。人間の深くて暗いとても奥深い場所に潜む孤独と狂気について書かれていて、すごく良いのです。シンプルで冷静な文章と暗いけれどどこかユーモラスで底知れぬ雰囲気を浸食するような挿絵とのバランスが絶妙。単に哀しかったり救われない話というよりは、果てしなく広い虚無の穴ぼこを覗いたような気分にさせられます。その結果生まれたものが、非人間的な感じではなく、どこまでも人間的でもあるのが、またなんとも凄みのある感じです。


「みちくさ日記」 道草晴子(tourch comics・リイド社)

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 ウェブの連載(URL)でずっと読んでいたのだけど、書籍にまとまった形で読むことが出来て、本当に良かった一冊。中学生でちばてつや賞を取ったマンガ好きの女の子が、自分の病に翻弄され、障害というレッテルに苦しみながらもなんとか生きていく姿を描いたこの作品。同じような病を抱えたひと、そうでないひと、もしかして関係があるかもしれないひと、すべてのひとの元に届きやすくなったのは素晴らしいことだと思う。ぱっと見たら読みにくく思える殴り描きのような描線だけど、これが不思議と読めてしまう。精神の病だったひとの作品と聞くと、その病のおかげで描けた作品と思う人もいるかもしれないけれど、全然そんなことはなくて、わたしは、大変な病にも奪われることがなかった「描く」という才能が産んだ作品だと思った。病から生まれる焦りと哀しさ、それでも、生活をすることで見つかる、ちょっとした可能性と楽しい気持ち。色んな思いや感情が画面から滲み出てくるような作品で、わたしはそれが、とても良いと思ったのです。

「戦場のコックたち」深緑 野分(東京創元社)


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 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台にした、合衆国軍の19歳のコック兵が主役の連作形式の長編ミステリです。戦地で兵士が体験するもの、かれらが見るものを歴史に忠実に描きながらも、無味乾燥な戦記物や単なる謎解きに終わらない構成で、とにかく面白く読みました。登場人物たちの躍動感と関係性と成長が、かれらと一緒に泣いたり笑ったりハラハラしたりしているうちに、心に沁み入っていくのです。ヨーロッパ戦線という舞台の非人間的な環境の描写とミステリとしての謎解きが不自然なく融合していて、苦くはあるけれど後味は良くて、本当に文句無しの内容です。この著者にとって、これは二冊目の著書となるのですが、一冊目である「オーブランの少女」(URL)も、収録されているすべての短篇が長編に膨らまされても文句無い密度があって完成度が高い作品で、素晴らしい短編集でした。これからが期待しかない作家です。


「105歳の料理人ローズの愛と笑いと復讐」フランツ=オリヴィエ ジズベール(翻訳・北代 美和子)(河出書房新社)


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 題名がずばりそのままの内容です。マルセイユの料理人、ローズが語る、105年の彼女の生涯を彩った性愛と政治、料理と戦争についての一代記。主役のローズは、時代の渦に巻き込まれながらも、いつでも己の身に降りかかった悲劇とその復讐を忘れず、全うしてみせる女。まったくのフィクションであるにもかかわらず、アルメニア人虐殺からナチスの台頭、毛沢東による「大躍進」などの歴史的な背景を舞台にしながら、ヒトラー、ヒムラー、サルトルにボーヴォワールといった実在の人物も次から次へと登場する展開はめまぐるしく迫力いっぱいの面白さ。105歳の女料理人、という言葉から連想されそうなほっこり感や和み感はほとんどなく、どこまでもノンストップで情熱的に派手にがんがん突き進む内容で読み応え有りました。


「彼らは廃馬を撃つ」 ホレス・マッコイ(翻訳・常盤 新平) (白水Uブックス)


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 これもまた題名がすべて。原題「They Shoot Horses, Don't They?」というクールな響きのもつ絶望と諦めがそのまま胸に残ります。大恐慌時代のハリウッドで、何処にも行けず誰の為にも動けないでいる男女が、孤独のままに出会いながらも、その間に恋愛も温もりも生まれないまま、永遠に踊り続ける物語。なんというか、こうなるしかないのだな、と。金もなく、夢も持てず、若さにも意味が無いままで、たどりついた場所がここなら、そうなるしかないのだな、と。その単純で冷徹な事実が、読み終えたあとのわたしを、深い穴に落とし続けているような気がする。いつまでも。どこまでも。


「手巻き寿司課長と覆面男」(山口ツトム(POE BACKS・ふゅーじょんぷろだくと)


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 これはお薦めです。本当にお薦めです。本当なんです。いくらの手巻き寿司課長と、課長をストーカーする覆面男のギャグBL…なのだけど…。BLなの…?というかあれは恋愛感情なの…?(自信無し)。なによりそもそもこのひとたち人間なの…?そんな疑問符すべてを豪快に吹き飛ばす無茶苦茶な展開と謎の説得力溢れる面白さにすっかり虜となりました。もうこればっかりは本当に読んでいただくしか。人間の発想の可能性に乾杯です。大好きだ。


「ひと皿の小説案内 主人公たちが食べた50の食事」ダイナ・フリード( 監修・ 翻訳・阿部公彦)(マール社)


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 世界文学の50の名作。ハイジが食べる黄金色のチーズ焼き、プルーストの「失われた時を求めて」のマドレーヌと紅茶など、それぞれの作品に登場した食べ物を再現して、一枚の写真に収めた写真集です。知らない作品もいくつかありましたが、そんなことは関係なく面白くて楽しかった。食べたくなるかどうかは別として、そのコンセプトが楽しいのです。テーブルコーディネートまできちんとこだわった写真が綺麗なうえに、それがそのまま丁寧な作品紹介にもなっているのがとても良かった。また、日本語版を作成した方の隅々まで行きとどいた心配りが本当に素晴らしく、それぞれの作品の邦訳の有無まで解説してあるのが有難い限り。丁寧な本づくりってこういうのをいうと思います。

「帰還兵はなぜ自殺するのか」デイヴィッド・フィンケル(翻訳・古屋 美登里 )(亜紀書房)


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 海外に派兵された米国軍人。その4分の1が重いPTSDに苦しみ、多くの自殺者が出ている。そんな軍人たちの「その後」を描いたノンフィクションです。政治的な主張や煽情的に訴えるような部分は少なく、淡々と、しかし無機的ではない語り口で、かれらの抱える問題を広い視点から語っています。登場する5人の軍人とそのまわりの人々の姿が生々しく人間的で、重いテーマにも関わらず、自然と頁をめくる手が止まらなくなるような一冊でした。スピルバーグが映画化を企画するというのも納得。この本を読んで、人間にはそれぞれ固有の「ひととして」耐えられるぎりぎりの一線というものがあり、戦場という場、つまり「人を殺す」という体験は、いともたやすくその線を越えさせてしまうのではないかということをわたしは感じました。壊れてしまった線によってもたらされる影響をなんとかしようともがく人々、周りの家族、それぞれの姿は、重く、苦しいけれど、それはそのままで終わるようなことにしてはいけない。原題「THANK YOU FOR YOUR SERVICE」という言葉にはいくつもの意味がこめられていると感じました。

「壇蜜日記」「壇蜜日記2」壇蜜(文春文庫)

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 以前、文藝春秋に掲載されていた日記を何気なく読んだらとても良かったことを記憶していたのだけど、こうやって書籍になったものをまとめて読むと、それがただのまぐれあたりで無かったことが分かりました。頭の良いひとの書く、天性のリズムがある文章だと思う。淡々と静かに、でも率直な言葉遣いで、読んでいてとても心地良いのです。なにも具体的なことが描かれていなくても、彼女の住む世界が透けてみえるような語り口に、一般人の自分でも、少し胸が痛くなるような気持ちになりました。自分のことを「33歳の勘違い短足ババア」「消えた」「干された」と表現しても、それは自虐でも卑下でもなく、そう罵る人々の声があり、それを認識しているという冷静な表明なのではと思いますが、ネコとサカナと家族に触れる言葉は嬉しそうで、なんだか安心しました。

「SFまで10000光年」「SFまで10万光年以上」水玉 螢之丞(早川書房)

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 昨年急逝された著者が、22年にわたりSFマガジンに連載していたコミックエッセイをまとめたもの。読み応えがあるなんてものではな い細かさと充実した内容で、もちろん一気にはとても読めずに少しずつ噛み砕くように読み進めました。その当時の世相やオタク界のはやりすたりも懐かしく、可愛いイラストや著者ならではの自在なツッコミも楽しいけれど、そこかしこで語られる「SF者」としての自意識とそれを突き詰めていく視線の確かさと、因果な感じがいちばん、響きました。やがて、その世界にTwitterや動画サイトも登場して、SFやアニメというよりは、そういうものに属するファン(マニア)としての視点についての文章が増えてくると、その視線の鋭さと厳しさに胸が苦しくなるような気もするのですが、それでも必ずそこにある客観性からくるユーモアが絶妙なのです。とくに「SFまで10万光年以上」の方は、著者のSF関連のイラストがほぼ網羅されており(かの「PLUM」掲載のコラムまで!)、ブックガイドとしても秀逸。本当に濃く楽しい内容です。

 なんかこうやってまとめてみると、ジャンルがばらばらもいいところなんですが、基本わたしはそういう雑食読みなんですよね。興味のままにあちこちつまみ食いしてるせいで、誰もが読んでるミステリの名作とかが読書歴から抜け落ちていたり、ベストセラー作家がぜんぜん読めてなかったりもするので、読書家とかマニアとかとは名乗れない、ただの本好き。ですが、こうやって感想を書き散らしていくのと、それで誰かに自分の好きな本を紹介できるのは嬉しい。わたしもそうやって色んなひとの感想から新しい本を知るので、まあ要するにみんな本って面白いよな!と能天気な結論にいたるわけです。

 そういえばこのあいだ、ダルク(依存症患者の為の回復支援施設)を紹介したTV番組を見たのですが、そこでビートたけしがいかに合法的な依存対象を見つけるのが大事かということを語っていました。朝4時とかに起きてずーっと絵を描いてたりすると、本当におかしいけど楽しくて仕方ないんだ、的なことを言いながら。それを見て、ほんまそうやなと思いながら、無限にネットで本屋さんで受け取る書籍購入と図書館予約をする作業を繰り返しているわたしがいたりしたわけです。あらゆる合法的依存は(反社会的なものでないかぎり)本人の社会生活と人間関係を破壊しない限りは、まあエエかというスタンスで、これからもやっていきたいものであります。


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「なんでもない一日」シャーリイ・ジャクスン(創元推理文庫)
by くさてる

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 わたしはこの日を待っていました。

 いつからこの日を待っていたかというと、復刊(再刊)をのぞき、最後にシャーリー・ジヤクスンの作品が翻訳されてから、ということになります。つまりそれは、学研ホラーノベルズ版の「ずっとお城で暮らしてる」が出版された94年から。それからずっと、わたしはシャーリー・ジャクスンの本が読みたくて仕方がありませんでした。

 初めて読んだ彼女の作品は、かの有名作「くじ」です。夏の日、広場に集まった村人たちが、ひとりずつくじを引いていく。当たりくじを引いたものはその場で……というショッキングな内容の短篇は、やたらと「異色」「恐ろしい」と評価されていたのだけど、まだ10代だったわたしにはピンときませんでした。(なんせ作品中でその「くじ」の正体はまったく明らかにされない、つまり「種明かしがない」!こどもには分からない面白さだったのですよ)。それでも作者の名前を忘れることはなく、なんとなく、当時出版されていた異色作家短篇集「くじ」を入手したのでした。すると、そこにいたのは。


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 パーティから抜けだした男の前で、世界の終わりを淡々と語る少女、結婚するはずの男が突然消えてしまったオールドミス、列車に乗り合わせた4歳の男の子に自分の妹をバラバラにした話を語る赤ら顔の中年男、痛む歯を何とかしようとしただけなのに夢と幻想の隙間に迷い込んでしまう女性……。

 なんだかよく分からない内容のものも多かったです。いまでも意味が分からない話もあるし、そもそも意味や謎解きなど最初からないのかもしれません。ただ、そこにあるのは、ごく普通のひとびとが、一瞬の偶然から何か違うものを招いてしまった違和感、足をちょっと滑らせただけで、どこまでも届かない暗い穴に落ち続けてしまっているような怖さでした。どうやったらこんなことになるんだろう。どうしたらこんなお話が出てくるんだろう。今回、この文章を書く為に久々に本棚から取りだしましたが、また最初から読み始めてしまいました。ぞわぞわする。

 そして、これは他の作品も読まねば、と、当時すでに絶版だった短編集「こちらへいらっしゃい」<amazon>をネットの古本屋で入手し、同じように収められたひとつひとつの奇妙な話、あり得るのにあり得ない話、どうしてそこにたどりつくのか分からないのにそうなるしかないことだけは納得できる話を夢中で読んだのでした。家出した後、自分のことを探し続ける家族の元に戻った娘を迎えた言葉は…という「ルイザよ、帰ってきておくれ」や、バスに乗り込んだ老婦人が巻き込まれる悪夢を描いた「夜のバス」など、未だに忘れられない作品がたくさん収録されています。これも復刊しないかなあ…。

 また当時、スティーヴン・キングにもハマっていたわたしは、かれのホラー論「死の舞踏」<amazon>(おすすめ!)も読んだのですが、そこで紹介されていたのが、長編「山荘崎談」(現在は「丘の屋敷」。何度か映画化された関係で「たたり」という題名のバージョンもあります)。この恐るべき幽霊屋敷の物語に関しては、このブログでも語っていますのでよろしければそちらをどうぞ→URL。名作です。

 また、長編といえば、「ずっとお城で暮らしてる」も、忘れるわけにはいきません。孤独な姉妹二人の閉じた世界という設定自体は、よくあるホラーといってしまってもいいかもしれないのに、ラスト近くからぐいっとねじれて思わぬところに物語が進んでいくところが、シャーリー・ジャクスンらしい、と思いました。本当、どうしてそんなことになるのかわからない。けれど、そこにたどりつくことは最初から決まっていたとしか思えない。居心地の良い場所に落ちついたわけはないのに、こんなハッピーエンドは他にないような気がする。こんな話が書けるのは彼女だけ!とわたしはシャーリー・ジャクスンにすっかり惚れ込んでしまったわけです。


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 あとは、育児エッセイの「野蛮人との生活」<amazon>でしたが、これも絶版だったため、図書館で読みました。育児エッセイには間違いないのだけど、なんかちょっと、こう。心温まるとは言い難い、なにかが、その。怖い。

 しかし、それ以外のシャーリー・ジャクスン作品が、その後、日本で翻訳出版されることはありませんでした。学研ホラーノベルズ版の「ずっとお城で暮らしてる」は新刊で購入した覚えがあるので、今回の新刊「なんでもない一日」は、なんと21年ぶり!マジか!(いま計算したことを後悔した)(あとそれをわざわざ書いたこともちょっと後悔した)。まさか21年待つとは思わず、わたしは「ずっとお城で暮らしてる」出版以後も、シャリー・ジャクスンのことをネットで調べては、まだ未訳の長編や短篇がある…と翻訳を待ち続けていたわけです。原書を入手して読もうと思ったこともあったよ!でも無理ですよね…。この微妙なニュアンスとほんのちょっとのずれで意味が変わってしまうに違いない展開を読みとれる英語力は私にはない。それはすぐに気が付きました。

 なので今回、この「なんでもない一日」の翻訳出版を知った時には、まさに歓喜跳躍したものでした。あ、でも、待っている21年のあいだ、東京創元社さんは「丘の屋敷」「ずっとお城で暮らしてる」も再刊してくれました。ありがとう東京創元社さん!

 で、長々と書いて、ここから感想です。この新作「なんでもない一日」には23の短篇と5つのエッセイが収録されています。23の短篇の内容は、シャーリー・ジャクスンらしい、普通の人々の生活に一瞬おとずれる暗い影を不気味に描いたタイプのものもあれば、古式ゆかしいと表現したくなる幽霊譚や、なんとも分からない幻想的な作品まで、本当に様々な味が楽しめます。共通するものといえば、それでもどれもがかすかに舌に残るような奇妙な味であること、かもしれません。

 「くじ」のイメージから、シャーリー・ジャクスンといえば「後味が悪い」「厭な物語」的なイメージを持たれる方もいるかと思うのですが、なんか、そういうのとは違うのですよ。分かりやすい不幸とか、悲劇とか、そのどうしようもなさで読み手を打ちのめすのではない。むしろ、さらっと、あっさりと。こちらが油断しているうちに、世界の色がさっと変わるような体験に近い気がします。そしてそのことを誰も気づいておらず、自分の内心だけがどんどん不安になって背中に汗をかいていくような感じ。ねえ、ここは本当にわたしの知っている場所だよね?わたしはわたしだよね?そんな風に自分の胸に問いかけずにはいられなくなるような、足元を一瞬震わせるめまいのような作品だとわたしは思っています。

 たとえば、この短編集のなかでは「スミス夫人の蜜月」という話があります。ずっと父と二人で暮らしてきた中年の孤独な女性が、父を亡くした後、思わぬ男性と出会って新婚生活に入るものの、周りの人々が彼女におかしな干渉をしかけてきます。彼らは彼女の夫がこれで6度目の結婚であり、かれの花嫁はみな不審な死にかたをしたことを彼女に警告するのですが…という展開。設定だけならよくあるミステリに思えます。ところが面白いことに、この本にはその同じ話の二つのバージョンが収録されているのです。スミス夫人が夫の過去を全く知らずにかれを信じきっているバージョンと、スミス夫人が自分でも夫のことを疑っているバージョンと。どちらも、シャーリー・ジャクスンらしい展開になっていると思いますが、わたしの好みは後者でした。まさに、どうしてそうなるのかと悲鳴を上げたくなるけれど、それ以外の方法はないと分かっている、そんな話に思えて。

 また、「なんでもない日にピーナッツを持って」もシャーリー・ジャクスンらしい作品です。素晴らしい陽気のある一日に、ピーナッツとキャンディを持って町を歩く紳士。かれは退屈したこどもの相手をしたり、遅刻で焦る若い女性と男性の縁結びをしたり、すれ違う人々にさまざまな善行を施していく。満足した一日を終えて、帰宅したかれを迎えた妻との会話は…というこの作品。これこそ、わたしにとってはシャーリー・ジャクスン!と読後しばらく本に顔をうずめたい気持ちになりました。ひどい。いやひどくないんだけど、ひどい。どうしてこんなことを思いつくんだろう。どうしてこんなおかしなことを成り立たせるんだろう。この物語はなにもそれを説明せず、ただ、そういう夫婦が存在するというだけのお話で終わらせてしまう。このわたしに残ったもどかしいとも、もやもやとも違う、なんとも説明できないおかしな気持ちは何。この一篇だけでも読む価値はありました。

 さらに、そんなモヤモヤとはまた違い、心地良い後味と言ってもいいのだけど、でも、それだけに終わらない深さを感じたのが「レディとの旅」。列車に乗って一人旅をすることになった9歳の男の子の前に現れたひとりの女性。彼女と男の子のあいだにひと時だけ生まれた共犯の関係とその終わりを描いたこの短篇は、奇妙な味だけに留まらないシャーリー・ジャクスンの、人間性のようなものも感じます。解説によると彼女はロマンス作品も書いているそうなので、それも納得の、優しさ。でも甘ったるくない。好きな話です。

 というかこの調子で紹介していくと、全作品について語りかねないので、ここら辺にしておきますが、わたしのこのネタバレしたくない気持全開のためまったく分かりにくい文章を読んで、少しでもシャーリー・ジャクスンに興味を持っていただいた方がいらしたら嬉しく思います。と、いいますか、彼女の作品は、ネタバレしたところで、それだけだと「ふーん」で終わると思うのです。「村人総出で引いたくじに当たったひとは×××ちゃうんだよ」とネタバレたところで、それだけだと「なんで?」「だから?」ですよね。でも、作品として一つ一つの短篇を味わうと、ネタや落ちというものを越えた、なんだか恐ろしい物を感じるのです。な、何を言っているのか分からねーと思うが、わたしも何をされたか分からなかったというあの感じ。是非ご賞味ください。

 そして残る未訳の作品も翻訳が続いたら嬉しいなあ…どうぞ次は21年待つことがありませんように!

|| 22:10 | comments (x) | trackback (x) | ||
「街角の書店」ブラウン、ジャクスン他・中村融編(創元推理文庫)
by くさてる

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 不思議だったり、怖かったり、あり得なかったり、思いもよらない展開だったり…読み終わった後に、なんとも表現できないような後味を読み手に残す小説があります。そういう小説のことを、「奇妙な味」と呼ぶことをご存じの方は多いでしょう。この本は、そういういわゆる「奇妙な味」ジャンルの名作を集めたアンソロジーです。

 大人の小説の入り口が星新一だったわたしにとっては、原体験でもあり帰る場所でもあり、なによりも読んでいて落ちつくジャンルでもあります。短篇が主な為、このジャンルはすぐれたアンソロジーが多いのも特徴です。今回のこのアンソロジーも、予告が出た時から発売を楽しみに待ち続けました。期待を裏切らない濃い内容で、とても満足です。また、どの作品にも丁寧な解説が添えられているのが有難かったです。以下、その一部をご紹介。

「肥満翼賛クラブ」(ジョン・アンソニー・ウェスト)
 ある田舎町に存在する、とある集まりからのお知らせ、という形式を取ったこの作品。このアンソロジーのトップバッターですが、「奇妙な味」とはまさにこういうものですよ、というお手本のような読後感でした。「奇妙な味」の短篇は多くがそうなのですが、あらすじを不用意に紹介してしまうと、それだけで読書の楽しみがそがれてしまうことがあり、この短篇もまさにそんな作品です。ストーリーだけ説明するとラストが見えてしまいそうな内容なのだけど、何の事前知識もなく読み進めている時にはそんなものちっとも浮かばないのです。どんどん不穏な雰囲気が高まっていく展開が、まさかなラストに到達した瞬間に「やられた!」と思いました。良いです。

「ディケンズを愛した男」(イーヴリン・ウォー)
 映画「ハンドフル・オブ・ダスト」の原作「一握の砂」の原型となった一作。「奇妙な味」ジャンルでは、グロやエロという問題でなく読んだことを後悔してしまうような、後味がとても良くない作品が見つかることがよくあります。もう勘弁して下さい、と泣きを入れたくなって、物語の展開をハッピーにするためだけの二次創作とか作りたくなるような、読んだあともしばらく胃が重くて気分が沈むような、ぐったり系作品。これはまさにそういう作品なので本当にご注意ください。わたし、これ無理(泣)。イギリス流のブラックユーモアという分類なのは分かりますが、これを楽しめるとはアングロサクソンはタフだ…。

「お告げ」(シャーリー・ジャクスン)
 わたし的にはこのアンソロジー最大のお目当てがこの作品でした。シャーリー・ジャクスンの!雑誌掲載のみで単行本未収録の!短篇!しかも訳者が深町眞理子さん!わくわくしながら読んだところ、不思議なほどの読後感の良さと優しい展開に意外さを感じてしまいましたが、それはそれ。それでも、母親と娘の葛藤という暗いテーマが背後に潜んでいる辺りが、シャーリー・ジャクスンらしいと思います。でも、本当に可愛らしくて良いお話でした。こういうのもまた奇妙な味。

「アルフレッドの方舟」(ジャック・ヴァンス)
 聖書にしるされた大洪水が目の前に迫っていると信じ、箱舟を建造し始めた男。周囲はもちろん猜疑とからかいの目で見守るのだけど…というお話。人間の不思議な心理と集団心理の奇妙さを扱った内容で、ミステリでも普通小説でもない、どのジャンルにも属さないという意味で、まさに「奇妙な味」という読後感でした。このラストのあと、人々はどのようにふるまうのだろう…

「おもちゃ」(ハーヴィー・ジェイコブズ)
 いわゆる魔法のファンタジーではないのに、ファンタジーとしか言いようがない。ノスタルジーがテーマかもしれないのだけど、甘くなく、もしかしなくても、とても残酷な話ではないかと。読んだ人の多くが「自分がこの立場ならどうするだろう?」と思わずにいられないような、そんなお話だと思いました。

「赤い心臓と青い薔薇」(ミルドレッド・クリンガーマン)
 これも「ディケンズを愛した男」に負けずとも劣らない後味の悪さ。女性にとってはこっちのほうが駄目かもしれません。ストーカーものといってよいのかどうなのか。それよりももっと始末の悪い、理由の無い執着と逃げようがない情念がとにかく気持ち悪く、悲劇的な作品です。わたしは安部公房の「友達」を連想しました。

「姉の夫」(ロナルド・ダンカン)
 戦地に出征した弟とかれを溺愛する姉。その二人の間に登場したひとりの男。ゆっくり進んでいくロマンスだと思っていた話が、正解が明示されないまさかのラストに到着すると、もう一度最初から読み直さずにはいられませんでした。いくつも考えられる解釈のうち、自分がどの解釈を正解とするかでそのひとの性向が分かるような気もします。わたし?わたしはやっぱりこれは……あれだと思うなあ…。

「街角の書店」(ネルスン・ボンド)
 このアンソロジーの最後をしめくくる作品。あるはずのない本が並ぶ書店が登場するこのお話は、ありがちな話のようでいて、どうにも落ちつかない暗さを持ったラストは独特です。でも、読後感は悪くないのが良いです。

 一部だけ紹介しましたが、こんな風にバラエティに富んだ内容の、全部で18作品が収録されています。どれもが、奇妙で、解釈が分かれそうで、面白い作品だと思います。興味を抱かれたかたにはぜひご一読を。

|| 22:15 | comments (x) | trackback (x) | ||
「タラチネ・ドリーム・マイン」雪舟えま(PARCO出版)
by くさてる

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空気が、夜の気が、月の光が、あんな柔らかいものが、わたしたちを削る。音もなく」(P169 「電」より引用)

 この本は、歌人・小説・随筆家である雪舟えまさんの短編集です。公式サイトはこちら

 わたしが彼女の作品に触れたのは、「ファイン/キュート 素敵かわいい作品選 」高原 英理 (編) (ちくま文庫)というアンソロジーに収録されていた「」という短篇が初めてでした。タイトル通り、素敵で可愛いという作品ばかりを集めたこのアンソロジーのなかでも、この作品は群を抜いてキュートで、そのままわたしの胸に飛び込んできて忘れられない作品となったのです。


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 時は平安時代。年頃なのに眉も抜かずに、書きものばかりしていて目を悪くしてしまい玻璃を工夫した眼鏡のようなものを発明したりしながら、夢で見る不思議な国の見聞録を書きつづって草紙を作る変わり者のお姫様と、そこに通う公子との、とてもういうしい恋物語。読んでいると、良質の少女マンガを読んだ時のときめきのような恥ずかしさが極限まで高まるけれど、同時にしみじみと幸福感がしみわたるような、そんな物語でした。でも、甘いだけではない。その物語のなかには、その甘さや幸福はその一瞬だけかもしれないこと、でも、奇跡的にそこに存在していることだけは確かなことが現れています。そんな、本当の恋愛のいちばんの上澄みのようなものを掴み取った物語だと思ったのです。そのせつなさと甘さ、頼りないような曖昧さにいかれてしまったわたしが次に手に取ったのが、この作品集でした。

 この作品集には13の短篇が収録されていますが、先ほど紹介した「」をはじめとして、どの作品も、少し懐かしいようなファンタジーとお伽話とSFのハイブリッドという感じの設定を、不思議で独特な言語センスをもって、すいすい自由に泳ぎ回るような感覚的なお話ばかりです。海外文学でいえば、エイミー・ベンダーとかカレン・ラッセルなどの作品を連想する奇想さですが、アメリカに彼女らがいるのなら、日本には雪舟えまがいる!と大声で云いたくなってしまいました。そういう感じ。

 いくつか例を挙げるなら。身体をうす青い炎に包まれた同級生の少女との心の寄り添いをもうひとりの少女の目から描いた上質な百合物語(「モンツンラとクロージョイ」)(←こういうゲスな表現というか誤解しないでいただきたいのですが百合が下種なのではなく、そういう風な世俗的な表現しか出来ないわたしの心情そのものが下種なわけなのですが、まあ百合で。これが素晴らしい百合で。もうお好きな方にはぜったいお薦めの純度100%の百合で)。火星で石を並べて地面に絵を描きながら、遠く離れた地球に去った夫を待ち続ける妻と不思議な少女の邂逅の物語(「ワンダーピロー」)。細かな水の粒子となって雨に混ざりこみ、たずね人やいなくなったペットを探す探偵の女性(「草野ずん子」)。若返り手術を繰り返して恋をし続け、それでもとうとう老化を止めることができなくなった女性が、何百年ぶりかに出会った双子の妹と選んだ暮らし(「タタンバーイとララクメ」)。などなど。

 それらのお話は、どれもが濃淡こそあれど、男女や夫婦、少女と少年、人間と猫などの愛情の交歓が描かれていて、その表現がわたしはとても好きになりました。常識を軽く跳びはねた設定のなかでも、気持ちや恋の感情が純粋に極まって、そこからこぼれる感情の粒が、どんなに美しいものになるのか、それを体現しているような登場人物たちの言葉や使われている表現が、どれも良すぎて、いやもうたまりません。そして、美しいだけでない、それはとてもはかないもので、いつなんどき終わるか分からず、消えてしまうか見当もつかず、もしかしたら今この瞬間にも途切れているのかもしれないという静かな諦念のようなものすら感じられるのです。

 描かれている内容の可愛らしさに、最初、著者はとても若い人ではないかと思っていたのですが、プロフィールを確認したらばっちり同世代だったので、少し驚き、納得しました。この感覚、すべては過ぎゆくけれども、その一瞬のはかなさの美しさを知っていてとらえるには、あるていどの年齢を必要とするはず、などと勝手に思ってしまったのです。的外れだったらすみません。でも、とても可愛らしく甘いお話ではあるけれど、同時にたまらなくせつないお話たちであるのですよ。そこに惹かれました。

 著者はたいへん多才なかたであるらしく、電子書籍でも多くの作品を発表されているので、これから少しずつ他の作品も読んでいこうと思います。しかし、他の作品がどうであれ、この短編集はわたしにとってとても素敵で可愛い一冊でした。良かったです。

|| 22:32 | comments (x) | trackback (x) | ||
「黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」リチャード・ロイド・バリー (ハヤカワ・ノンフィクション)
by くさてる

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 真実はあっけなく、単純で、だからこそ、痛ましい。

 恐ろしい犯罪の犠牲者になるということすら、ありふれた不幸の一バージョンにすぎないという無機質な事実。何も考えずにただ、道を歩いていた。けれど、そこには深い落とし穴が空いていて、そこに落ちてしまうと二度と地上には帰ってこれない。彼女は穴に落ちてしまったのだ。

 その場。その時。そこに現れたこと。様々な偶然と成り行きで、人生に不意にその穴は現れる。なんて怖いことだろう。わたしはそんな事実に身がすくむような思いになる。

 もちろん、いくらでも反論は思いつく。「そもそもその道を歩かなければ良かった」「注意深く足元を見ておくべきだった」「もしものための命綱を身につけておくべきだった」「落ちた瞬間に助けを求めて叫ばなかった」そんな当たり前の、誰でも普通に思い浮かべるような警告も、日常の自分自身の生活の無意識な言動を振り返れば、それが何の意味も持たない羽音のようなものとして通り過ぎていってしまうことに気持ちはざわめく。そして大事なのは、これらの言葉は、いざ、ことが起こった後には、なんの力も持たないということ。何と残酷な真実。穴に落ちたあとでは、誰も彼女を救うことはできなかった。


 この本は、2000年の7月に、東京の六本木でホステスとして働いていたイギリス人女性が、突然行方知れずとなり、その後遺体となって発見された事件について、イギリスの新聞「タイムズ」の東京支局長である著者による関係者への10年越しの取材の結果、その真相に迫るノンフィクションです。

 まずは、犠牲者となった女性の人生をたどることから始まります。彼女は、両親に愛されたブロンドのイギリス人の美少女。勉強はそんなに熱心ではないけれど、学校にはお友達がいる。ちょっとカードで買い物しすぎることはあるけれど、浪費家というほどではない。恋をすれば一途で、家族にも思いやりを忘れない。美人であるけれど、自分の容貌にコンプレックスも感じている。そんな、日本人であるわたしにも共感できて、そのひととなりが理解出来る、まさに隣の女の子という印象を受けました。

 そんな彼女が、借金を清算する為の新しい働き口として日本にやってきます。彼女の目を通して語られる東京。そこで丁寧に解説される日本の文化は、日本に住む私の目から見ても違和感は無い正しい描写だけど、同時に不思議な世界にも映ります。それは奇妙な感覚でした。確かに、その通り。偏見や誇張はなく説明されているのに、どうしてこの国のこの文化は、どこか不思議で奇妙なものなんだろう、と。わたしはこれまでにも何冊かの外国人による日本文化体験記を読んできましたが、この奇妙さを味わったのは初めてでした。持ち上げもせず、けなすこともない、評価するのではない、あくまでフラットな視点から見た、この不思議な国。不思議な街。不思議な人々。

 それはおそらく、この本を書いたジャーナリスト、リチャード・ロイド・バリーの視点から来る感覚です。その公平な視線は、彼女の死の真相に迫っていくなか、警察の対応、彼女を取り巻く人々、家族の動揺などのいくらでも情緒的に読み手を煽ることが可能な場面でも、常に一定の温度を保ち続け、変わりありません。しかし、冷たくはないのです。登場する様々な種類の人々には日本人もいればイギリス人もおり、お堅い職業の人もいれば犯罪者もいる。怒っている人も哀しんでいる人も諦めているひともいる。そんなかれらそれぞれの人間性がしっかりと伝わってくる描写でありながらも、かれらを一面的に断罪することはありません。かれらの人間としての善悪を著者が判断していない。だからこそ、やがてこの本の中でゆっくりと姿を現してくる、彼女を殺した犯人の、おぞましさとつかみどころのない悪の正体が明らかになったときでも、わたしはこの本を冷静に読めたのだと思います。これみよがしの煽情的な内容にすることも可能だったこの話を、あくまで冷静に語った文章のおかげです。

 しかし、肝心なのは、だからといってこの犯人のこれまでの所業のおぞましさが薄まっているわけではないということ。むしろ、余計な断罪や先入観が抜きになっていることで、この事件の本質が際立ち、その凄惨さがはっきりしたことになると思います。同じことが、この事件の舞台となった日本という場所についても言えるような気がします。日本という国の、不思議さ。

 あくまで中立で裁かない視点を持つ著者が唯一批判するのは、それ以前にも犯罪の訴えはなされていたのに真剣に取り上げることが無かったという警察の対応ですが、同時に個々の警察官の優秀さと仕事熱心さにも触れ、単純な悪者探しにはなっていません。あくまでシステムの問題であるという指摘には、頷けるものがあります。また、白人女性が日本人男性の犠牲となったという事実から連想されがちな、日本人男性の性的嗜好に問題があるとする考えや、忌まわしい成年マンガの影響であるという考えは明確に否定しています。著者は繰り返し、そんなに単純に片づけられる問題ではない、人間性とはそんなに簡単に割り切れるものではない。これはまぎれもなく人間が引き起こした事件なのだから、と言っているようにわたしには思えました。

 この本を読みながら、わたしは、未だに犯人が捕まっていないいくつもの女性が殺された性犯罪と思しき事件を思い出しました。そこには、いまもこの日本で暮らしている何人かも知れない犯人の存在があります。声を出せない被害者を思い、そのひとたちを取り巻く家族や友人たちの抱える心の傷の深さを思います。それらの人々とわたしには何の違いも無いのです、きっと。ただ、その人たちの前に事件は訪れたということ。彼女がそうであったように。
 
 凄惨かつ残酷な事件であり、なおかつ被害者が美しい外国人女性であるということなどから当時のマスコミにはセンセーショナルに取り上げられましたし、ある意味で特殊な事件であることには間違いはありません。ですが、同時に、人が殺されるということ(忘れてもらいたくないのは、性犯罪は“魂の殺人”とも呼ばれるほど被害者を傷つけるということです。この事件の犯人は、逮捕されるまでに何十年もそれを続けてきたのです)の悲劇を丹念に追った内容です。恐ろしいことに、犯人と同じ種類の欲望を抱えた人間は、この世界に何人もいる。それを思うと、足元から崩れていくような不安感が浮かびます。ですが、それでも生きていくことを人間は選ぶことが出来るということも伝わってきます。被害者と加害者。かれらを取り巻く人々。どこにも単純な勧善懲悪で片付けられる要素はありません。

 冷静に語られた文章によって事実が積み上げられ、少しずつ事件の真相が明らかになっていく展開は、上質のミステリにも負けないリーダビリティを備えているし、同時に、優れた日本文化論にもなっていると思います。痛ましい事件を扱ってはいますが、陰惨なだけの内容ではありません。人間という存在の深さ、人間性の複雑さに思いをはせる為に、こういう本を読むことは意味があると思います。読んで良かったと思いました。

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