COUNT
PROFILE
NEW ENTRIES
CATEGORYS
COMMENTS
SEARCH BOX

「なんでもない一日」シャーリイ・ジャクスン(創元推理文庫)
by くさてる

<amazon>

 わたしはこの日を待っていました。

 いつからこの日を待っていたかというと、復刊(再刊)をのぞき、最後にシャーリー・ジヤクスンの作品が翻訳されてから、ということになります。つまりそれは、学研ホラーノベルズ版の「ずっとお城で暮らしてる」が出版された94年から。それからずっと、わたしはシャーリー・ジャクスンの本が読みたくて仕方がありませんでした。

 初めて読んだ彼女の作品は、かの有名作「くじ」です。夏の日、広場に集まった村人たちが、ひとりずつくじを引いていく。当たりくじを引いたものはその場で……というショッキングな内容の短篇は、やたらと「異色」「恐ろしい」と評価されていたのだけど、まだ10代だったわたしにはピンときませんでした。(なんせ作品中でその「くじ」の正体はまったく明らかにされない、つまり「種明かしがない」!こどもには分からない面白さだったのですよ)。それでも作者の名前を忘れることはなく、なんとなく、当時出版されていた異色作家短篇集「くじ」を入手したのでした。すると、そこにいたのは。


<amazon>

 パーティから抜けだした男の前で、世界の終わりを淡々と語る少女、結婚するはずの男が突然消えてしまったオールドミス、列車に乗り合わせた4歳の男の子に自分の妹をバラバラにした話を語る赤ら顔の中年男、痛む歯を何とかしようとしただけなのに夢と幻想の隙間に迷い込んでしまう女性……。

 なんだかよく分からない内容のものも多かったです。いまでも意味が分からない話もあるし、そもそも意味や謎解きなど最初からないのかもしれません。ただ、そこにあるのは、ごく普通のひとびとが、一瞬の偶然から何か違うものを招いてしまった違和感、足をちょっと滑らせただけで、どこまでも届かない暗い穴に落ち続けてしまっているような怖さでした。どうやったらこんなことになるんだろう。どうしたらこんなお話が出てくるんだろう。今回、この文章を書く為に久々に本棚から取りだしましたが、また最初から読み始めてしまいました。ぞわぞわする。

 そして、これは他の作品も読まねば、と、当時すでに絶版だった短編集「こちらへいらっしゃい」<amazon>をネットの古本屋で入手し、同じように収められたひとつひとつの奇妙な話、あり得るのにあり得ない話、どうしてそこにたどりつくのか分からないのにそうなるしかないことだけは納得できる話を夢中で読んだのでした。家出した後、自分のことを探し続ける家族の元に戻った娘を迎えた言葉は…という「ルイザよ、帰ってきておくれ」や、バスに乗り込んだ老婦人が巻き込まれる悪夢を描いた「夜のバス」など、未だに忘れられない作品がたくさん収録されています。これも復刊しないかなあ…。

 また当時、スティーヴン・キングにもハマっていたわたしは、かれのホラー論「死の舞踏」<amazon>(おすすめ!)も読んだのですが、そこで紹介されていたのが、長編「山荘崎談」(現在は「丘の屋敷」。何度か映画化された関係で「たたり」という題名のバージョンもあります)。この恐るべき幽霊屋敷の物語に関しては、このブログでも語っていますのでよろしければそちらをどうぞ→URL。名作です。

 また、長編といえば、「ずっとお城で暮らしてる」も、忘れるわけにはいきません。孤独な姉妹二人の閉じた世界という設定自体は、よくあるホラーといってしまってもいいかもしれないのに、ラスト近くからぐいっとねじれて思わぬところに物語が進んでいくところが、シャーリー・ジャクスンらしい、と思いました。本当、どうしてそんなことになるのかわからない。けれど、そこにたどりつくことは最初から決まっていたとしか思えない。居心地の良い場所に落ちついたわけはないのに、こんなハッピーエンドは他にないような気がする。こんな話が書けるのは彼女だけ!とわたしはシャーリー・ジャクスンにすっかり惚れ込んでしまったわけです。


<amazon>


 あとは、育児エッセイの「野蛮人との生活」<amazon>でしたが、これも絶版だったため、図書館で読みました。育児エッセイには間違いないのだけど、なんかちょっと、こう。心温まるとは言い難い、なにかが、その。怖い。

 しかし、それ以外のシャーリー・ジャクスン作品が、その後、日本で翻訳出版されることはありませんでした。学研ホラーノベルズ版の「ずっとお城で暮らしてる」は新刊で購入した覚えがあるので、今回の新刊「なんでもない一日」は、なんと21年ぶり!マジか!(いま計算したことを後悔した)(あとそれをわざわざ書いたこともちょっと後悔した)。まさか21年待つとは思わず、わたしは「ずっとお城で暮らしてる」出版以後も、シャリー・ジャクスンのことをネットで調べては、まだ未訳の長編や短篇がある…と翻訳を待ち続けていたわけです。原書を入手して読もうと思ったこともあったよ!でも無理ですよね…。この微妙なニュアンスとほんのちょっとのずれで意味が変わってしまうに違いない展開を読みとれる英語力は私にはない。それはすぐに気が付きました。

 なので今回、この「なんでもない一日」の翻訳出版を知った時には、まさに歓喜跳躍したものでした。あ、でも、待っている21年のあいだ、東京創元社さんは「丘の屋敷」「ずっとお城で暮らしてる」も再刊してくれました。ありがとう東京創元社さん!

 で、長々と書いて、ここから感想です。この新作「なんでもない一日」には23の短篇と5つのエッセイが収録されています。23の短篇の内容は、シャーリー・ジャクスンらしい、普通の人々の生活に一瞬おとずれる暗い影を不気味に描いたタイプのものもあれば、古式ゆかしいと表現したくなる幽霊譚や、なんとも分からない幻想的な作品まで、本当に様々な味が楽しめます。共通するものといえば、それでもどれもがかすかに舌に残るような奇妙な味であること、かもしれません。

 「くじ」のイメージから、シャーリー・ジャクスンといえば「後味が悪い」「厭な物語」的なイメージを持たれる方もいるかと思うのですが、なんか、そういうのとは違うのですよ。分かりやすい不幸とか、悲劇とか、そのどうしようもなさで読み手を打ちのめすのではない。むしろ、さらっと、あっさりと。こちらが油断しているうちに、世界の色がさっと変わるような体験に近い気がします。そしてそのことを誰も気づいておらず、自分の内心だけがどんどん不安になって背中に汗をかいていくような感じ。ねえ、ここは本当にわたしの知っている場所だよね?わたしはわたしだよね?そんな風に自分の胸に問いかけずにはいられなくなるような、足元を一瞬震わせるめまいのような作品だとわたしは思っています。

 たとえば、この短編集のなかでは「スミス夫人の蜜月」という話があります。ずっと父と二人で暮らしてきた中年の孤独な女性が、父を亡くした後、思わぬ男性と出会って新婚生活に入るものの、周りの人々が彼女におかしな干渉をしかけてきます。彼らは彼女の夫がこれで6度目の結婚であり、かれの花嫁はみな不審な死にかたをしたことを彼女に警告するのですが…という展開。設定だけならよくあるミステリに思えます。ところが面白いことに、この本にはその同じ話の二つのバージョンが収録されているのです。スミス夫人が夫の過去を全く知らずにかれを信じきっているバージョンと、スミス夫人が自分でも夫のことを疑っているバージョンと。どちらも、シャーリー・ジャクスンらしい展開になっていると思いますが、わたしの好みは後者でした。まさに、どうしてそうなるのかと悲鳴を上げたくなるけれど、それ以外の方法はないと分かっている、そんな話に思えて。

 また、「なんでもない日にピーナッツを持って」もシャーリー・ジャクスンらしい作品です。素晴らしい陽気のある一日に、ピーナッツとキャンディを持って町を歩く紳士。かれは退屈したこどもの相手をしたり、遅刻で焦る若い女性と男性の縁結びをしたり、すれ違う人々にさまざまな善行を施していく。満足した一日を終えて、帰宅したかれを迎えた妻との会話は…というこの作品。これこそ、わたしにとってはシャーリー・ジャクスン!と読後しばらく本に顔をうずめたい気持ちになりました。ひどい。いやひどくないんだけど、ひどい。どうしてこんなことを思いつくんだろう。どうしてこんなおかしなことを成り立たせるんだろう。この物語はなにもそれを説明せず、ただ、そういう夫婦が存在するというだけのお話で終わらせてしまう。このわたしに残ったもどかしいとも、もやもやとも違う、なんとも説明できないおかしな気持ちは何。この一篇だけでも読む価値はありました。

 さらに、そんなモヤモヤとはまた違い、心地良い後味と言ってもいいのだけど、でも、それだけに終わらない深さを感じたのが「レディとの旅」。列車に乗って一人旅をすることになった9歳の男の子の前に現れたひとりの女性。彼女と男の子のあいだにひと時だけ生まれた共犯の関係とその終わりを描いたこの短篇は、奇妙な味だけに留まらないシャーリー・ジャクスンの、人間性のようなものも感じます。解説によると彼女はロマンス作品も書いているそうなので、それも納得の、優しさ。でも甘ったるくない。好きな話です。

 というかこの調子で紹介していくと、全作品について語りかねないので、ここら辺にしておきますが、わたしのこのネタバレしたくない気持全開のためまったく分かりにくい文章を読んで、少しでもシャーリー・ジャクスンに興味を持っていただいた方がいらしたら嬉しく思います。と、いいますか、彼女の作品は、ネタバレしたところで、それだけだと「ふーん」で終わると思うのです。「村人総出で引いたくじに当たったひとは×××ちゃうんだよ」とネタバレたところで、それだけだと「なんで?」「だから?」ですよね。でも、作品として一つ一つの短篇を味わうと、ネタや落ちというものを越えた、なんだか恐ろしい物を感じるのです。な、何を言っているのか分からねーと思うが、わたしも何をされたか分からなかったというあの感じ。是非ご賞味ください。

 そして残る未訳の作品も翻訳が続いたら嬉しいなあ…どうぞ次は21年待つことがありませんように!

|| 22:10 | comments (x) | trackback (x) | ||
「街角の書店」ブラウン、ジャクスン他・中村融編(創元推理文庫)
by くさてる

<amazon>

 不思議だったり、怖かったり、あり得なかったり、思いもよらない展開だったり…読み終わった後に、なんとも表現できないような後味を読み手に残す小説があります。そういう小説のことを、「奇妙な味」と呼ぶことをご存じの方は多いでしょう。この本は、そういういわゆる「奇妙な味」ジャンルの名作を集めたアンソロジーです。

 大人の小説の入り口が星新一だったわたしにとっては、原体験でもあり帰る場所でもあり、なによりも読んでいて落ちつくジャンルでもあります。短篇が主な為、このジャンルはすぐれたアンソロジーが多いのも特徴です。今回のこのアンソロジーも、予告が出た時から発売を楽しみに待ち続けました。期待を裏切らない濃い内容で、とても満足です。また、どの作品にも丁寧な解説が添えられているのが有難かったです。以下、その一部をご紹介。

「肥満翼賛クラブ」(ジョン・アンソニー・ウェスト)
 ある田舎町に存在する、とある集まりからのお知らせ、という形式を取ったこの作品。このアンソロジーのトップバッターですが、「奇妙な味」とはまさにこういうものですよ、というお手本のような読後感でした。「奇妙な味」の短篇は多くがそうなのですが、あらすじを不用意に紹介してしまうと、それだけで読書の楽しみがそがれてしまうことがあり、この短篇もまさにそんな作品です。ストーリーだけ説明するとラストが見えてしまいそうな内容なのだけど、何の事前知識もなく読み進めている時にはそんなものちっとも浮かばないのです。どんどん不穏な雰囲気が高まっていく展開が、まさかなラストに到達した瞬間に「やられた!」と思いました。良いです。

「ディケンズを愛した男」(イーヴリン・ウォー)
 映画「ハンドフル・オブ・ダスト」の原作「一握の砂」の原型となった一作。「奇妙な味」ジャンルでは、グロやエロという問題でなく読んだことを後悔してしまうような、後味がとても良くない作品が見つかることがよくあります。もう勘弁して下さい、と泣きを入れたくなって、物語の展開をハッピーにするためだけの二次創作とか作りたくなるような、読んだあともしばらく胃が重くて気分が沈むような、ぐったり系作品。これはまさにそういう作品なので本当にご注意ください。わたし、これ無理(泣)。イギリス流のブラックユーモアという分類なのは分かりますが、これを楽しめるとはアングロサクソンはタフだ…。

「お告げ」(シャーリー・ジャクスン)
 わたし的にはこのアンソロジー最大のお目当てがこの作品でした。シャーリー・ジャクスンの!雑誌掲載のみで単行本未収録の!短篇!しかも訳者が深町眞理子さん!わくわくしながら読んだところ、不思議なほどの読後感の良さと優しい展開に意外さを感じてしまいましたが、それはそれ。それでも、母親と娘の葛藤という暗いテーマが背後に潜んでいる辺りが、シャーリー・ジャクスンらしいと思います。でも、本当に可愛らしくて良いお話でした。こういうのもまた奇妙な味。

「アルフレッドの方舟」(ジャック・ヴァンス)
 聖書にしるされた大洪水が目の前に迫っていると信じ、箱舟を建造し始めた男。周囲はもちろん猜疑とからかいの目で見守るのだけど…というお話。人間の不思議な心理と集団心理の奇妙さを扱った内容で、ミステリでも普通小説でもない、どのジャンルにも属さないという意味で、まさに「奇妙な味」という読後感でした。このラストのあと、人々はどのようにふるまうのだろう…

「おもちゃ」(ハーヴィー・ジェイコブズ)
 いわゆる魔法のファンタジーではないのに、ファンタジーとしか言いようがない。ノスタルジーがテーマかもしれないのだけど、甘くなく、もしかしなくても、とても残酷な話ではないかと。読んだ人の多くが「自分がこの立場ならどうするだろう?」と思わずにいられないような、そんなお話だと思いました。

「赤い心臓と青い薔薇」(ミルドレッド・クリンガーマン)
 これも「ディケンズを愛した男」に負けずとも劣らない後味の悪さ。女性にとってはこっちのほうが駄目かもしれません。ストーカーものといってよいのかどうなのか。それよりももっと始末の悪い、理由の無い執着と逃げようがない情念がとにかく気持ち悪く、悲劇的な作品です。わたしは安部公房の「友達」を連想しました。

「姉の夫」(ロナルド・ダンカン)
 戦地に出征した弟とかれを溺愛する姉。その二人の間に登場したひとりの男。ゆっくり進んでいくロマンスだと思っていた話が、正解が明示されないまさかのラストに到着すると、もう一度最初から読み直さずにはいられませんでした。いくつも考えられる解釈のうち、自分がどの解釈を正解とするかでそのひとの性向が分かるような気もします。わたし?わたしはやっぱりこれは……あれだと思うなあ…。

「街角の書店」(ネルスン・ボンド)
 このアンソロジーの最後をしめくくる作品。あるはずのない本が並ぶ書店が登場するこのお話は、ありがちな話のようでいて、どうにも落ちつかない暗さを持ったラストは独特です。でも、読後感は悪くないのが良いです。

 一部だけ紹介しましたが、こんな風にバラエティに富んだ内容の、全部で18作品が収録されています。どれもが、奇妙で、解釈が分かれそうで、面白い作品だと思います。興味を抱かれたかたにはぜひご一読を。

|| 22:15 | comments (x) | trackback (x) | ||
「狼少女たちの聖ルーシー寮」カレン・ラッセル/松田青子訳(河出書房新社)
by くさてる

<amazon>

 奇妙で歪で、不思議なほど美しい、10の短編が収められています。

 一篇をのぞき、すべての作品が思春期前後の子供を主人公としていて、その年齢にふさわしい瑞々しく純粋な心性と、それに付随する痛々しいほどの傷つきやすさと残酷さが混ざり合ったセンチメンタルな雰囲気が、作品そのものの奇想極まりない設定や展開で見事に中和されていて、とても不思議なバランスになっている作品ばかりです。どれもがおかしな世界のはずなのに、そこにたたずむ人々は、自分がよく知っている表情をしている、そんな感じ。

 わたしは海外文学が好きですが、ある種の海外文学のなかには、その奇想な展開にこちらの感性がついていけずに置いてけぼりになってしまったり、そのシュールさにお手上げになってしまうことがあります。ヌルい文学好きだなと自分のことを思うのはそんなとき。この本も、それに近いシュールさと奇想な展開は溢れているのですが、読んでいてもそういう置いてけぼり感とはほとんど無縁で楽しめました。

 なぜなら、登場人物たちがどんなに奇妙な立ち位置にあるおかしな存在だとしても、それぞれのキャラクターとしての造形がしっかりしているから。かれらの感じる哀しみや情熱に共感することが出来るから。だから、狼少女が集められた女子寮や、歌声で氷河を砕く少年合唱団、睡眠障害のこどもたちが集まるキャンプ、などの不思議さや奇妙さにも、すっと入ることが出来るのです。その奇想のなかに自分も入れてもらえるような不思議な快感を味わえました。

 どれもそれぞれに魅力的な短篇ですが、わたしがとくに好きなのは人間社会に帰化する為に集められた狼少女たちが、徐々に野性を失っていく過程とそこからはみ出した少女の運命が交差していく展開がせつなくて哀しい「狼少女たちの聖ルーシー寮」、ミノタウルスを父に持つ少年が西部を夢見て家族とともに歩き続ける開拓史「西に向かう子供たちの回想録」です。

 あと、この本の翻訳は、作家でもある松田青子によるものですが、とても良かった。わたしは松田さんの小説のほうも好きなのですが、原文を知らずともなんとも読みやすく、原文のエッセンスをこぼすことなく伝えていることが分かるような文章でした。訳者あとがきも、著者の経歴や他作品の紹介、各短篇の解題、著者が考えるカレン・ラッセルの魅力までコンパクトにまとめたもので、海外文学の翻訳解説にわたしが求めるものが揃っていました。良かったです。

|| 23:05 | comments (x) | trackback (x) | ||
「SFマガジン700【海外篇】」山岸真編 (ハヤカワ文庫SF)
by くさてる

<amazon>

 〈SFマガジン〉創刊700号を記念する集大成的アンソロジーの海外編。12編が収録されています。

 実を言うと、これまでのわたしは、海外文学やミステリは好きだけど、海外SFには苦手意識がありました。ちょっと内容が理解できなかったりついていけない感じになることが多くて敬遠していたのです。が、この本はそういうわたしでも十分に楽しめました。まさに粒揃いのアンソロジー、なのだと思います。以下、とくに心に残った短篇について。

 「危険の報酬」(ロバート・シェクリイ)
 殺し屋から逃げ回っている一人の男性。その危機はTVで中継されていて…という内容で、いまや類似の作品(有名なところでは映画「バトルランナー」とか)が多く作られ、ディストピアものとしては一つのジャンルになってるのかもしれないのですが、この作品が発表されたのは1958年。こういう、当時は斬新な作品だったけれど、その後に同アイデアの作品がたくさん作られてしまったものというのは、その結果、オリジナルの作品は後世の人間から見ると色あせてしまう…という風になりがちなのですが、この作品は違いました。いまでも充分に読めます。発表当時は単にSFだった作品によって書かれた状況が、現代では当たり前に存在しているという事象はそんなに珍しいことではない。ただし、この作品では、発明や文化の進歩によって空想のものが現実化したということによってそうなったのではなく、むしろ人間心理、大衆の変わらなさを見抜いた力から考えられたストーリーが、結果としてこうなったということでは。それって、やはり、すごいんじゃないかと思います。なにより、そんな理屈を抜きにしても、普通に読んでもこの短篇は純粋に面白いのです。その昔、小松左京氏がこの作品の事を「読んで、目がひっぱたかれたような衝撃を受けた」と表現したのも納得です。

「江戸の花」(ブルース・スターリング)
 明治時代、文明開化の東京を舞台にした歴史ファンタジィ。小粋な芸を使う噺家と、元は幕末の志士だったけれどいまや鬱屈を抱える商社の青年、時代の変化のなかで自らの画風を変えて生き延びようとしている浮世絵師、という登場人物と、火事にの炎に彩られる江戸の町、陰気くさい煉瓦作りの建物、そしてなにより、電線を走る魔物!ユーモラスではあるけれども、それ以上にどこかもの悲しく、でも、新しい時代の抱える熱気が文中からつたわってくる面白さでした。

「いっしょに生きよう」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)
 わたしは、どこかで読んだこの作家の「ビームしておくれ、ふるさとへ」という短篇がとても好きでした。せつない雰囲気に満ちた、どこか哀しい話だったと記憶しています。この作品も、せつない。原題の「Come Live with Me」という題名がまさにぴったりな、ひとりでは生きることが出来ない存在がもうひとつの存在を求める、美しい物語です。美しいスイレンの花のかたちをして、存在しないものをこの世に生み出すちからをもった共生生物の辿ってきた運命が、己の出自を求めることに繋がっていくこと。その壮大なストーリーが素晴らしいと思います。

「耳を済まして」(イアン・マクドナルド)
 孤独で禁欲的な生活を送る修道士の元に送られてきた一人の少年。その沈黙と夢から広がっていくイメージから、少しずつ明らかになっていくこの世界の謎。静謐な雰囲気から始まったこの物語が壮大なスケールの世界に広がっていく快感に圧倒されました。正直言って、ここで展開されている論理のすべてを正しく理解できたなどとは思えないのですが、それでも美しく、広がり、収縮していく、その世界の描写の素晴らしさよ。そして結びの静かさ。いや、堪能いたしました。

「孤独」(アーシュラ・K・ル・グィン)
 辺境の惑星に降り立った文化人類学者とそのこどもたちがその星で学んでいったものについての物語ですが、これがたまらなく好きです。異文化と理解、共感というイメージと、実際の母と娘の関係がかぶさって溶けるように一致していく展開に心が震えました。わたしに及ぼす力はあなたにはない。なんて美しく、重い言葉。単なる自立や別離の言葉でも物語でもなく、本来は互いに孤独である人間同志の関係としての母と娘の物語なんですね。この世に存在する、両者の関係を共依存の毒としてみなすか、あるいは神話めいた美しいものとしてしか見られない人びとに対して、この世界を見てよと言いたくなりました。母と娘。文明と荒れ地。二つの世界に属する主人公の見識の豊かさと美しさに、救われた思いになりました。そして、これは親という大人が介在することが出来ない兄と妹の物語でもあります。主人公の兄が、女である妹とはまた別のかたちで惑星の文化に惹かれ、そこから離れていくこともまた、この物語にとっては重要なものだったと思います。「ねえ、おまえが留まり、おれが行けば、おれたちは死に分かれになるんだね」という台詞のせつなさ。そこに込められた意味。描かれている異文化についての表現も、それだけでぐいぐいと物語を読み続けさせてしまうような面白さです。良かった。
 
 自分自身の海外SFに対する身構えを打ち壊してくれた、良いアンソロジーでした。とりあえず、これからは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアとアーシュラ・K・ル・グィンをちゃんと読んでみたいと思います。




|| 21:03 | comments (x) | trackback (x) | ||
「コールド・スナップ」トム・ジョーンズ(河出書房新社)
by くさてる

<amazon>

 以前、「拳闘士の休息」(訳・岸本佐知子/河出文庫)というとても良い短編集を読んだことがある作家です。かの舞城王太郎が訳者ということもあって、この新刊も楽しみにしていました。


<amazon>

 10篇の短篇が収録されています。そのどれもが、アフリカでの医療ボランティア、ボクシング、海兵隊、糖尿病やそううつ病などなどの苦しみ、傷ついた経験を持った人々が主人公となっています。しかし直接的な哀しさや苦闘を感じさせるものではなく、むしろどれもが読むものを圧倒させる生命力に満ちたエネルギーに溢れた作品です。最初のうちは、あまりに極端から極端にぶんぶん針が振り切れていくような言葉の奔流に、楽しむよりもさきに辟易とした気持ちになってしまいました。ちょっと町田康を連想した。なりふり構わずの汚いスラングやドラッグ使用、暴力や直接的な性描写が、あまりに生々しく息づくような語り言葉で並べ立てられていくと、するすると読まされるのは確かなのですが、「で?」という気持ちになってしまうのです。この露悪的な饒舌さからなにが現れてくるのかな?と。この語りそのものを楽しむことが大事なのかもしれないけれど、「拳闘士の休息」にあった、リアルでパンチを食らったような錯覚に陥る圧倒感には遠いかなあと思っていたのです。が、それはやはり、少しずつ姿を現してきて。以下、とくに印象に残った三つの作品について。

 「ウウ~ベイビーベイビー」若いころはアフリカで医療活動を行っていたけれど、現在はロサンゼルスで美容整形の医師として働き、糖尿病の発作に脅えながらも、同僚の美女とセックスに耽る男。もう若くない身体への苛立ち、糖尿病、死への想い、アフリカでやり残してきたあまりにもたくさんのこと、己の無力さ、そういった気持ちと感慨が複雑に混ざり合い、最終的にひとつのかたちになって主人公を襲うまでの流れが、情けなくも人間らしく、だらしなくて、良かった。誰もそう思うようにタフガイにはなれないものだ。
「ロケットファイア・レッド」この作品がいちばん好きです。アボリジニの血が4分の一ある18歳の女の子がオーストラリアの都会で生きていくあいだにも忘れなかったもの。女優になるべく励む美人のいとこのあまりにも典型的な女子としてのこじらせかたを横目に、スポンサーのいないドラッグレースにのめりこみ、友人を得て、無くし、モデルとして成功を収めていく彼女。その芯にある、素朴でスピリチュアルな輝きがすごく良いのです。
「私を愛する男が欲しい」筋ジストロフィーの障害を持つ女性のもとに戻ってきた昔の彼氏。戯れのような電話での会話が、彼女を導いていって。どうしてそうなってしまうのか、その運命は悲惨なはずなのに、ここでの語りは、あまりにもうろうとして、正直で、素直で。だからわたしはこのラストもそのまま受け入れて眺めることが出来る。人間は、きっとこういうものなんだと思う。

 とにかく最初は、あまりの言葉の汚さと饒舌さに圧倒されてしまうかもしれないけれど、慣れるまでちょっと読み通して欲しい気がします。よくある、「乱暴で汚い言葉で語られた殺伐とした物語にほろりとする良い話が埋もれている」とかいうものではないのです。出てくる人間は誰もが問題を抱えていて、だらしないし、卑怯だし、ちょっと色々と見失ってしまう感がある。それを誤魔化すために喋り続けて、動き続けて、ようやく本当のことに目を向けられたときには手遅れだったりする。そもそもそんな余裕も持てないような状況下にいることもある。でも、そんなぎりぎり感のなかにいる自分とは無縁なはずの人間のどこかに惹かれてしまったり共感出来るところがみつかるその不思議さと面白さがこの本にはあります。

 人間は、そんなに上等でもかしこくもないけれど、でも、もがくように生きている。そのこと自体は誰にも否定できないし、されるべきでもない。それを飲み込まされるだけの熱量がこの本には溢れていると思いました。

|| 22:34 | comments (x) | trackback (x) | ||

CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<  2017 - 10  >>
ARCHIVES
LINKS
OTHERS
    処理時間 0.228026秒
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ゲットネット