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「無力感は狂いの始まり」春日武彦・平山夢明(扶桑社新書)
by くさてる

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 精神科医の春日武彦と、ホラー、実話怪談の名手で作家である平山夢明との対談集。題名が全てを物語った内容で、両者どちらかのファンであれば面白く読めること請け合いです。そして、この題名が現す現実が怖いという意味で、わたしには平山夢明の実話怪談が第一級に怖いものであります。本当に怖いのは、理解を越えた存在。共感を拒否する心性。そしてそれが自分の隣人、すれ違う人々、職場の同僚、こどもの友人のなかにも潜んでいるかもしれないという、単純な事実が。

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「いらつく二人」三谷幸喜・清水ミチコ(幻冬舎文庫)
by くさてる

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 ラジオ番組を書籍化したもの。

 実はわたしは三谷幸喜の作品をきちんと見たこが一度もないのですが、清水ミチコは好きです。それで手に取ったのですが、二人の噛み合うような合わないような、そこはかとない悪意が見えるようなやりとりが面白かったです。

|| 00:19 | comments (x) | trackback (x) | ||
「直撃!強くなりたい道!!―こんな経験、ボク初めてなんです 」大槻ケンヂ(福昌堂)
by くさてる
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 珍しい出版社から出ているせいか、数あるオーケンの著作のなかでもあまり有名ではないと思いますが、ノイローゼがたぶん一番くらいひどかった頃に、医者の勧めでUFOから格闘技に興味の対象を移して、とうとう実際に空手を始めたかれが、様々な格闘技の達人たちにインタビューを行って作成した入門書がこの本です。

 わたしは一般の格闘技とか、世の男子のDNAに予め刻み込まれている様子の「最強とは」的概念とは、とんと縁が無い人間なのですが、たぶん、そこらへんに詳しいひとならなるほどと思う人選なのではないでしょうか。わたしがあらかじめ名前を知っていたのは、真樹日佐夫先生くらいなのですが。しかし面白かったです。やはりひとつの道に向かって邁進してきたひとたちの語る言葉というのは、たとえジャンル違いでも用語がよく分からなくとも、実に響くものがある。格闘技とか分からないわたしでもとても面白く読むことができ、なおかつ「空手ってそんなに良いのかなあ」とちょっと憧れる気持ちにもなった(笑)。

 そしてこれは同時に、ノイローゼのただなかにあったオーケンが病の回復と停滞のなかで、迷いつつ進んだ記録にもなっているのですね(筋少でいえば「ステーシーの美術」の頃)。決して聖人でもないし、強くもないし、へこたれちゃうし茶化しちゃうし、ヲタクならではの斜めに構えたところも十分にあるオーケンが、なかなかトンでもなかったり無茶だったりするその道の達人たちとまともに向かい合い、時にはツッコミ爆笑しつつもやがて本気で感動していくその様は、とても良いと思います。とくに、筋少のころのステージ衣装(特攻服)にも刻まれ、特撮の名曲「パティー・サワディ」にも引用された「過去は過ぎ去りもうない、未来来たらずまだない。あるのは今だけ」という言葉を書いた柳川昌弘先生との対談で、その著書が自分にもたらしたものを語るうちに泣き出してしまったその姿は、絶対に、みっともなくない、カッコ悪くない。
 もちろん、そこらへんとは距離をおいて、オーケンが出会う様々な「達人」たちとのユニークなやりとりだけでも楽しめる一冊です。そういう意味でのおすすめは、やはりかの梶原一騎先生の実弟であらせられる真樹日佐夫先生との対談。わたしのお気に入りの一節はこちら。

「大槻:しかし、これをいうとミもフタもないんですが、もともと空手道場に入るとボコボコにされるというイメージができたのは、真樹先生と梶原一騎先生の影響であると思うんですが(笑)。
真樹:がっはっはっはっは!違うよ、俺たちは、なんかある時は、道場の外でやっていたよ。」

 
 というわけで、そもそもオーケンが読者として想定している「文科系オタクで格闘技マニアで、頭の中ではすでにグレーシーを倒してるんだけど、実際の格闘技なんてとんでもない、それどころか体育は昔から苦手でした、でも、強くなりたい君」にもおすすめだと思いますし、オーケンのファンにも、オーケンの生き生きしたさま、迷い只中の時代の様子が肌身にしみて感じられる一冊だと思います。わたしは、オーケンの本は〈創作以外〉ほとんど全部読んでいるとは思うのですが、まるごと一冊韜晦なくハズしもなく、己についてきわめて正直に語っているのはこれと「のほほん日記ソリッド」だと思います。

 また同時に、とくにファンでなくとも、オーケンと同じ様な心の不具合に悩み、行き詰まり感にやられそうになっているひとにも、なにかのヒントになるのではないかしら。10年近く前の本なので(なおかつ未文庫化)、情報なども古くなっているとは思いますが、興味を持たれたかたは、ぜひ一度お手にとってみられることをおすすめします。

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「ひでおと素子の愛の交換日記(4)」新井素子・吾妻ひでお(角川文庫)
by くさてる
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 古本屋で見かけたのでつい購入。この頃の吾妻先生の絵は、本当に絶好調で可愛くて大好き。たしか以前にも読んだことはあったような…とぱらぱらめくっていたら、新井素子のエッセイ史上に残るであろう「正しいぬいぐるみさんとの付き合い方」が掲載されていました。うわ、他の部分は全然覚えてないのに、これはようく覚えている。もしかして後でこれだけ別のエッセイ集に再録されたかなと検索かけてみましたが、どうやらそうではないらしい。そんなに印象深かったか、そうだろうな。いま読み返しても、新井素子は頭がおかしい。いや、悪気はないです。キチガイ呼ばわりはいけないと思う。ご本人も「異常な内容」と述べておられるくらいだし、なにかが間違っていることはご承知な内容だろう。それがどういう内容かといえば。

 「ぬいぐるみさんは生物でないけれど、いきもの」

なんですよ。その論法によって語られる人間の幼年期から青年期以上のひとへのぬいぐるみさんとの付き合い方、禁止事項などを滔々と語るこの文章の持つ破壊力については、添えられた吾妻先生のカットがすべてを語ります。ひとこと「はい、すでに多くの死人とパンチドランカーを出してしまいましたね!」これ、ホントですよ。さすがSFマガジンに掲載されただけあります。この思考展開こそはまさにSF。すこしふしぎ。すばらしく不可思議。
(あの、ここで念の為に…わたしは少女時代、新井素子の大ファンでした。そして少女を遠く過ぎ去ったいまとなっては、新井素子のあまりにもあんまりな変わらなさというか固定された自意識の奔流ぶりに圧倒されて、最近の作品に手が出せずにいます。ここらへんいつか語りたい…)。

|| 23:58 | comments (x) | trackback (x) | ||
「マッド高梨の美容整形講座」高梨真教&中村うさぎ(マガジンハウス)
by くさてる

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 「中村うさぎさんがフェイスリフト手術を受けて、さらにきれいになりました」という帯の文句につられて、手を出してみたのですが、裏表紙の写真には確かにびっくり。これ、48歳の写真じゃないよ。整形かどうか分かるかと云われたら見抜けるかどうかは自信ない…。だってこういう顔、TVや雑誌に溢れてる気がするもの(このひとにとっての整形はすでに見抜くとかそういうレベルではないことは百も承知です)。さらに、カバー裏には彼女のフェイスリフト手術の連続カラー写真も掲載されてますが、わたしは怖くてまともに見ていません。

 対談内容は、主治医とともに、実践的な手術についてのあれこれを語るだけでなく、美容外科治療を決意する女性の心理についても少し洞察されています。が、本当にそれオンリーの内容なので、美容外科治療にあまり興味がないひとには辛いかも。わたしは、まずその費用的に最初から門前払いされてる感じだし、顔をそこまでいじりたいと思ったことはあまりないので(いまやるなら脂肪吸引だよ…←笑えない)、実際の手術のあれこれよりも、なぜ中村うさぎがそこまで美容外科にこだわるのかに興味があったのですが、この本だけでは、そこはいまいちよく分かりませんでした。以前、デリヘル嬢体験をしたときは「女としての価値を確かめるため」だったけれど、いまは「女としての価値を上げるため」に整形をしてるんだろうか。そこはやはり彼女自身の本を読んでいくしかないんだろうな。

 ただ、わたしは買い物依存、ホスト遊び、美容整形と、なんというか、そこだけ取ったら愚かしく見えるかもしれない彼女のやり方が嫌いでないのです。それはそこにいつもある「わたし(中村うさぎ)がやっていることだ。愚かなわたしのやることはわたしが責任もつ」という自意識のせいです。単なる自己顕示欲かナルシズムとかいわれるかもしれないけれど…。

 ちょっと話がずれますが、わたしがずっと考えている中島梓と中村うさぎの差はそこにあるのかなーとも思うわけです。この二人を比べて考えるのもおかしな話かもしれないけれど、どちらも強烈な自意識を持ち、女子が抱える問題については(ジャンル違いでも)一家言を持つひとたちです。が、中島梓は「少女たちは傷ついている」と云う。中村うさぎは「わたしは傷ついている」と云う。その差が大きかったのかな。中島梓がすでに少女でないならそれでいいけれど、あのひとは未だにまぎれも無い少女であり、それを自分で見ないようにしてしまったとしかわたしには思えない。中村うさぎは、「少女」というより前に「わたし」であり、その傷をなんとかしようと体当たりで様々なことにぶつかっている。評論家と作家の違い、生きかたの種類の違いだけなのかもしれないけれど、わたしは、中村うさぎのほうが好きです。どんなに病んだなかにあっても、その自意識は健全なものであると思うから。

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