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今年もお世話になりました。
by くさてる
 2014年が終わろうとしています。

 個人的に、今年の大きな出来事といえば、人生二回目の突発性難聴の出現で再度の入院を余儀なくされたことが思い出されます。聴力は回復したし、今回の難聴は音が原因でないものの、やっぱり自分は、ライブハウスでのライブに参加することは諦めなくてはいけないんだなあという気持ちを噛み締めました。10代から慣れ親しんできた楽しみから距離を置かなくてはいけないということ自体は寂しい話ですが、まあ、仕方が無いですね。本当に14帝國がバンドで無くて良かった。

 あと、それもあって、自分がブログやTwitterという媒体から何を発信したいのかなーということも考えるようになり、きちんとしたかたちで本の感想を残すことを心がけたくなったのも今年の変化かな。読書メーターでの記録に留めるだけでなく、もっと、心がうち震えるような作品に出会ったときには自分なりの長文の感想を綴っておきたいと思うようになりました。この数年、毎月の読書記録と式典の感想以外は放置状態が続いてしまったこのブログですが、そういう意味で仕切り直しです。まあ、今では、それよりもっとお手軽なやり方をする人の方が多いんでしょうが、わたしは、なんというか好きなものに関してはしつこくてねっとりしてるので、それを文章化しておきたいのですよ。そしてあとから読み返して、赤面したりにやにやしたりするのです。

 そんな感じで、ますます個人的な愉しみの発露にしかならないこのブログですが、それでもわたしの本の感想で、その本に興味をもって下さったり、14帝國の感想で、帝國を思い出して下さったりするかたがいらっしゃるとしたら、それはもう、とてもとても有難く、嬉しい話なのです。この文章を読んで下さったかた、みなさまに良い一年が訪れますように。来年もよろしくお願いいたします。

|| 18:10 | comments (x) | trackback (x) | ||
「グッデイ」須藤真澄(エンターブレイン・ビームコミックス)
by くさてる

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「明日死んじゃうわたしですが、今日はちょっと幸せものです。」

 15歳以上のひとが任意で服用することが出来る「玉薬」。その薬を飲むと、身体の寿命で亡くなる人の体形が、亡くなる前日から球体に見えるようになります。その現象は「玉迎え」と呼ばれます。ただし、亡くなる人と、そのひとの「玉迎え」を見ることが出来る人との組み合わせは、世界でたった一組のみ。天文学的な確率だけど、それでも起こりうる現象。あなたは、いますれ違った誰か、久しぶりに会った家族、偶然出会った他人、それぞれが死ぬ前日にいることに気づいたら、どうしますか?

 …というテーマの連作短篇です。これがまあ素晴らしい。テーマだけ聞くと、重々しかったり、お涙頂戴に思えたり、或いはもっと悪趣味なものに思えてしまうかもしれないのですが、そういう先入観は、須藤真澄描くところの「玉迎え」を迎えたひとびとのヴィジュアルを見た瞬間に吹き飛ぶことでしょう。可愛いんですよ、これが。

 そう、いくらでもシリアスな感動作に仕上げることが出来る素材ではありますが、須藤真澄はそれをとても軽やかに自然な笑いをともなったお話に創りあげています。そしてそれだけに終わらないのがまたすごい。

 なんといっても、絵の力が良いのです。つーてんな描線(見て頂ければ納得できますこの表現)で描かれるこの世界は、とても可愛いけれど、甘過ぎない。細かいところまで描写しているけれど、ごちゃごちゃしてない。作中の女の子たちは、うるさくて落ちつきが無いくせに男子の夢を裏切る冷たさをもっているけれど、そのまつげは可愛らしく伸びやかで、素直なほっぺたはきっと真っ赤に染まっている。

 また、このマンガは「身体の寿命」で亡くなるひとたち、をめぐるお話なので、お年寄りがメインを張る話が多いのですが、さすがはこれまでずっと、お年寄りを可愛らしく生き生きと描かせたら右に出る者はいないマンガ家さん(わたし調べ。次点はひらのあゆでお願いします)である須藤真澄らしく、いまの年代のおばあさん、おじいさんたちってこうよねえ、という服装に髪型、生活の風景に説得力が半端ないです。

 そしてこの可愛い描線で描く世界そのものは、油断して読んでしまえば良いお話、泣けるお話でもあるのですが、それでもなんだかそれだけに終わらない。笑って少し涙ぐんで、良いなあと感動したあとに、でも、そのあとに。ぞくっとするのです。ああ、このひとたちには翌朝は無いんだ、という事実に気づくと、少し冷え冷えするような気持ちが残るのです。須藤真澄の作品は、その可愛さとファンタジーな雰囲気に酔わされて楽しく読み終えてしまうことが多いのですが、そのところどころに、冷たさ、というか、人生そのものを達観して見ている冷静さを感じることがあり、この作品でも、わたしはそれをちらっと感じました。まさに神の視点。

 可愛らしい描線で描かれて悪人は登場しない、気持ちのいいお話が並んでいます。けれど、それは人間の寿命が分かってしまうというある意味、とても怖い世界。正反対であるような両者が同居している、そのバランスが絶妙な作品でもあると思います。須藤真澄の描線でなければ納得できない「玉迎え」の描写であることを踏まえて、本当に、このひとでなければ描けない作品だと思いました。わたしはたいしたマンガ読みではありませんが、直観的に、わたしのなかで、2014ベスト作品である、と決めました。おすすめです。

|| 22:41 | comments (x) | trackback (x) | ||
「死にたくなったら電話して」李龍徳(河出書房新社)
by くさてる

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 居酒屋でバイトしながら有名大学を目指して三浪中の徳山という若者が、ある日、バイト仲間に連れられて入ったキャバクラで、初美というひとりの嬢に出会う。ナンバーワンにふさわしい美しさをもった彼女は、徳山を見たとたん、なぜか哄笑の発作に襲われる。その奇妙な態度に苛つき、戸惑う徳山だったが、彼女はそのまま徳山の生活に入り込んでいく…。

 他人よりはいくぶんマシな容貌をもちつつも、それ以外はとりたてて秀でた部分もなく、ぐつぐつと鬱屈した内心を持て余しているような男である徳山と、若くて美しく、それを利用して水商売で高給を稼ぎつつも、その中身が底無しの虚無であるような初美。ひとつ、またひとつと彼女以外との人間との関係を削り取られていく徳山と、徳山と出会ったからこそ、己の先行きを定めて一心不乱にその方向に進んでいく初美。なのに、これはけして恋物語ではない。愛の物語ではない。むしろ、もっと切実で、深くて、絡みあって癒着しあったいびつな双子のようなふたりの物語です。溶けあった二人の肌は、血管ごと繋がってどろどろに腐った肉のかたまりのようになって、けして切り離せない。

 いや参りました。読んでいるあいだずっと「いい、いい」とつぶやき続ける自分の気持ち悪さに自分でヒきながらも、ラストまで中断することなく読み続けました。文学の世界には、こういう物語が、不意に現れます。壮絶な、愛と片付けてしまうには、それだけでは足りないような、もっともっと苦しい結びつき、地獄の中の極楽、蜜の中で溺れ死ぬような二人の物語が。

 とにかく、濃い物語なので、好き嫌いは分かれると思います。駄目なひとは、二人が最初に結ばれたあと、初美の書棚に並べられた拷問史や残虐史を初美が語りながら徳山が性的に興奮していく場面でアウトでしょうし、それがいけるひとはそこらへんから、この二人がどのような運命に突き進んでいくのかに目が離せなくなっていくと思います。そして、最初はそういうアブノーマルな性癖をもつ二人の「出会ってしまった」物語のように思えます。けれど、二人の関係が徐々に深まり、初美が徳山の言動に隠せない影響力を及ぼすようになってからがこの本の本領です。

 舞台を大阪の十三というごく狭い地域にしていることがまた良かったと思います。関西人の笑い、ボケツッコミという自然のフィルターに隠された男同士のマウンティングの無様さと残酷さが真っ向から取りあげられているからです。マウンティング女子、なんて言葉もありましたが、それは性差に関係なく存在することが良く分かります。そして、その、あまりに普遍的に存在している凡庸な関係性に、普通でない二人が向かいあう時に何が起こったのか。

 二人の結びつきが堅硬になっていくに従って、二人が相対しているのはそれぞれひとりの人間というよりは、むしろより深い、人間の皮一枚の下にある水分たっぷりの内臓と体液と血液を湛えた存在であることの醜さ、狡さ、どうしようもなさであるように思えます。そして、初美の美しい瞳には、そんな人間の底が透けて見えるようなのです。けして云ってはいけないことをぶちまけるのは、生理的な嘔吐にとても似ています。嘔吐がそうであるように、その行為はとても汚く、醜く、鼻につくけれども、それが与える爽快感はほかのどんな行為でも取って変わることが出来ないものなのです。その快感は誤魔化せない。

 そう、醜くてずるくてセコくて、残酷な、誰もが持っている人間のそんな部分。初美がそれを掬いあげて掌の上で転がすさまは、素晴らしく、残酷で、怖くて、そして誤魔化しようもなく魅力的です。それを認めなくてはいけない。

 それだけ、初美と、初美の影響を受けた徳山が、こちらを軽く見て威張り散らしたり虚勢を張る人間や、妬みや優越感を隠して親切気取りで己の行動に口を挟む人々を論破して彼らの傷を抉って地べたに投げ捨てるさまをみるのは、はっきりと快感でした。やれ、と思います。そうだよ、云ってやれよ、こいつらみんな醜い、ずるい、どんなに傷つけられても文句言えない最低な奴らだよ。でも。そこでわたしは止まります。でも。わたしは、どちら側の人間だろうか、と。

 この内容が響かない人には、ただどぎつく、露悪的で加虐な描写ばかりが目についてしまう物語なのかもしれません。また、構成の多少のぎこちなさ、謎のままの設定などが気になってしまって内容に集中できないかも。なによりもこの物語が現している「人間を人間たらしめているもの」。それが不快なひと、云われている意味が伝わらないひと、その問いを必要とするように生まれつかなかった人には届かない物語であると思います。

 でも、そうでないひとには届いて欲しい、と思いました。世の中の大多数のひとの、ちょっと良い話、ほっこりする優しい声にイラだつひとには読んでほしい。自らの鬱憤を代弁して綺麗に片づける登場人物の言葉に、最初はすっきりするものの、やがてどこか、もやもやと落ちつかない気分を感じるのでは。少なくともわたしはそうでした。そして、そのもやもやとした気分は、主人公の二人の落ちていくどこまでも深い穴、妥協すること無く出会ってしまったふたりが、必然ともいえる道行きに沈み込んでいくさまを眺めるうちに、なにかもっと深い内省にも似た気持ちに昇華していったのです。

 すぐれた文学は、読み手ひとりひとりに「この物語を理解出来るのは自分だけに違いない」という錯覚を起こさせます。人間はそれぞれ他人であるにもかかわらず、作者を飛び越えてその作品の登場人物を「わたしだ」と思わせるのです。わたし。初美の潔癖さを、徳山の迷いを、形岡の甘えとずるさを、わたしはみな持っている。つまり、目の前に「お前もこうやろ?お前はどうや?」という問いを。突きつけられている気がするのです。ただ本を読んでいただけなのに、己の内臓を泥だらけの手で引きずり出されたような、自らの人生への処し方にまで思いを馳せることを求められたような、そんな文学の力を感じました。

 最終的に、どこまでも透明に軽くなって空気に近くなっていく登場人物を眺めていくと、悲惨かもしれないその流れに、それでも、こういう風に胸を突かれたいからこそ、わたしは本を読むのだと思いました。おすすめです。

|| 22:18 | comments (x) | trackback (x) | ||

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