「私の男」桜庭一樹(文藝春秋)



 わたしは明日、結婚をする。結婚をして、父と暮らす部屋を出て行こうとしている。父は、私の男だった
 
 桜庭一樹の小説を読むのはこれが初めてです。直木賞をこの作品が獲った時に知ったストーリーが、とてもわたし好みだったのと、作者の日記での執筆状態が興味深いものだったので、今回、手に取ってみました。カミングアウトしますと、わたしは父と娘の恋愛というテーマの文学作品が好きで好きで。もちろんフィクションに限ることはいうまでもありませんし、虐待の匂いがするものもアウトです。あくまで父と娘の、純粋に排他的な、恋愛。本当は性的接触もないほうが好ましい。要するにファザコン文学萌えなのです。じゃあ幸田文とかも好みかと云われそうですが、あれはちと違う。ちょっと度を越した執着や恋着がある不謹慎な匂いが漂っていてほしい。はい、そんなわたしの日本文学におけるベスト作品は森茉莉「甘い蜜の部屋」です。あれです、あれ。


 というわけで、この作品は設定だけでこちらの負け。しかもテーマだけでかなり心が揺れるうえ、主人公の花と、16歳年上の養父淳悟の関係が、さながら濃いシロップを丹念に舌でなぞりあげていくような、濃密な味わいを感じるように書き込まれ、キャラクターが実にくっきりとまっすぐに歪んでいて(意味が分りませんか)、魅力を感じずにはいられないような作品です。素晴らしかった。ひとに知られてはならない秘密を、おそらくは生誕のときから抱えていた花と、なにかが欠けていて歪んでいるために、どうしようもなく飢えている淳悟。このふたりをくっきりと描写できなければ、この物語は成り立たなかった。そう思います。そして、この二人を説得力を持って存在させることさえできれば、この物語は、勝ちなのです。ミステリとしての整合性なぞ冬の海に呑まれてしまえ。わたしには賞の基準がよく分りませんが、直木賞を獲ったのに文句はない。こういう不埒な匂いのする作品を正当に評価すること、多くの人、こういう物語に惹かれる人々にその存在を知らしめることはとても大事な賞の役割のひとつであると思います。
 この物語は、いくつかの視点を持ちつつ、時代が逆行して流れていきます。最後まで読んだ時にもう一度最初から読みなおせば、その時代の流れをもう一度感じ、二人が人間であることを思い知らされるでしょう。ひととして許されないことをした、あくまで人間の、二人。ひとつの情熱。忌み子とその父の物語。二人をつなぎとめるのは、愛情と呼ぶには不穏すぎる、もっと切実な、なにかです。それをなんと呼んだらいいのかわたしには分らない。暗い冬の海の黒さにも似た、底知れぬ、渦の果てにあるもの。そして、この物語の切なさは、二人のたどりついた最後の場所が終わる部分を、いちばん最初に準備したところにあると思います。どんなに激しい情熱のもとでも、ひとは変化してゆき、平穏を求めていく。けれども、それは終わりではなく、ただ永遠に続いていく忘却なき道のりなのです。たまらない。
 確かに、非常に趣味性の高いものであると思います。設定だけで受け付けられず、こういう世界を認めたくないひとも多く存在して当たり前だと思います。ただ、ある種、極端な色彩でしか表現できない絵画があるように、人を不快にする可能性が高い設定や表現でしか届かない深みというのも、存在するのではないでしょうか。人間のもつ心の奥深さは、けして美しいものだけではないと思います。そして、それが認められるかどうかという判断は、読み手ひとりひとりがするほかはなく、わたしがそれをするときの基準は、作者の腰の座り方を感じられるかどうかであります。本気で書いているのかどうか、それがわたしに伝わるかどうか。それがなければ、向いてなかったと諦めますが、この作品はそうでなかった。読みやすくかつ曖昧なところのない的確な文章と、それによってたちのぼるひとつの焔のような世界は、触れたひとになにかを残すはずだと思わせるものがありました。そのなにかについて考え続けたい、そんな余韻を残す作品です。

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