「地球デビュー25周年記念・期間限定再集結 聖飢魔ll ICBM TOUR(東京国際フォーラム)

 さて、翌日です。せっかく東京に来たのですが、正直言って、ラストミサとなると、あれこれ予定を入れる気にはならなくて基本的にはノープラン。けれど、Twitterで情報が流れていて、前から気になっていた、ゆうきまさみ先生(公式サイト)の30周年記念企画展(サイト)だけは行くことにしました。上京と企画展のタイミングが合うとは、なにかのお導きに違いない、と。

 そして、会場の渋谷PARCOに行くのにも、Twitterで、ご親切な皆様のつぶやきに助けられたわたくし…。ありがとうございました。渋谷公会堂には確かに行ったことがあるはずなのに…。企画展の会場自体は、こぢんまりとしたものでしたが、展示されているのが「究極超人あ?る」の生原稿とあっては!生原稿を見る機会に恵まれるたびに思うのですが、プロマンガ家さんの原稿って、本当に綺麗なんですよ…、複製原画じゃね?って疑うくらいに。で、ほんのわずか盛られたホワイトを見つけて、あ、生なんだと納得する次第。とくにゆうき先生の線は無駄が無い。他にも「機動警察パトレイバー」の表紙絵とか(内海!内海!)(黒崎!黒崎!)(ていうか関係ないけどこれを書くために参考にしたWikiの「機動警察パトレイバー」の登場人物欄、黒崎のとこ書いたひと、気持ち分かるけど、自重な…)も嬉しいのですが、なにより個人的に見られて幸せだったのは、劇場版「ザブングル・グラフィティ」のパンフレットに掲載された見開き2Pのカラーマンガの生原稿!懐かしい…。

 わたしがゆうきまさみ先生のマンガを読んだのは、もちろん「OUT」からなのですが、その頃の「OUT」というのは、メジャーではなく、マイナー誌の匂いをひきずっているような存在でした。マイナーといえば、アニメのパロディというもの自体がマイナーな存在であったといえます。そこに掲載されている多くのマンガ(初期の「アニパロ・コミックス」もそうですね)は、あくまでアマチュアの作品で、投稿者と掲載者の間に、そんなに差は無いように思えました。つまり「自分たちの側のひと」な共犯者的意識を持って楽しむことが出来るマンガが多かったのです。なので、そこ出身のゆうき先生が「少年サンデー」でデビューしたことは、「わたしたちの仲間がメジャーに躍り出た」くらいのインパクトを持つ出来事でした。いや、あくまで読者のひとりとしての勝手なお思い入れなんですけど。そして、嬉しいことに、描く舞台が変わっても、ゆうき先生はゆうき先生のまま。作品の完成度は高まっても、どうにも消せない、なんというか素敵な「こっち側のひと」匂いも漂わせた作品を、いまでも描いて下さっています。嬉しいことです。

 また、ゆうき先生に縁のあるマンガ家さんたちからのお祝いイラストもすごかった…これまた皆さん原稿が本当に綺麗で…。高田明美先生の「あ?る君は元祖草食系男子?」のコメントになるほどと手を打つ。何気にモテだし、米食いだし(違)。椎名高志先生の描くあ?る君はああ、兵部のルーツはここね、と納得したくなるほどのカッコよさ。島本和彦先生の焔燃の負け惜しみが楽しい1pマンガも素敵だし、石川雅之先生描くところのバーディーは絵柄的にもぴったり!どの先生のイラストも、ゆうき先生と作品への敬意と愛情が見てとれて、本当に見ているこっちも幸せになれました。そして、ここでわたしは【サンデーキュージョン】機動警察パトレイバーを記念に購入しました。わーい、オレ、オタクー♪(浮かれている)。

 そのあとは、いったんホテルに帰り、せっかく東京まで来たということで、普段はなかなかゆっくりお話する機会のないちほさんとフォーラムで待ち合わせして、お茶にお付き合い願いました。観劇帰りにあわただしくお付き合いただき、申し訳ありませんでした。さらに、再会していちばん最初の話題が「アレ」で、もうひとつ申し訳ありませんでした…。「元帥もヒいてた」の確認が取れて幸いです(謎)。思えば、ちほさんとも帝國が出会いですが、今後は宝塚でよろしくお願いします!とご挨拶。そ、そんなにいれ込んだりはしないと思うんですけど、嫌いなわけはない世界だからなあ…。そして、お互いがいちばん共感してふかいため息をついたのが「10年前に戻れたらもう少しうまくやるのに」(何を)だったあたりが、ソウルシスターな二人です。でもたぶん、同じように頭ぶつけるんでしょうね。いたいいたい。今後ともよろしくお願いいたします。

 今日の席は、後列ながら、これまたど真ん中で、会場で待ち合わせた歩姐さんと2人で大喜びです。ありがとう、FC!もちろん、満員の観客席を眺めて、あー、これで本当に最後なんだな、となんとなく思いました。実感はない。信者みんなが思うことなんだろうけど、次は30周年記念で再集結がある、かもしれない。でも、それが今回のツアーと同規模で開催される保証はなく、そもそも、行われる約束もない。だからこそ、いま、この瞬間に、この会場にいられたことを嬉しく思いました。来て良かった。チケットが取れて良かった。そのために、頑張ることが出来て良かった。

 この日の感想は、前日のように一曲一曲を追うことはしません。セトリは同じなので、ある意味、同じ言葉を繰り返すことになりそうなので…。なので、思い出すままに、つれづれと述べていこうと思います。
 いちばん最初の「GOAHEAD!」で、ライデン殿下のドラムに酔いしれました。聖飢魔llがバンド好きの出発点だったわたしは、後々になって、自分にとってのドラムの基準が殿下であると思い知らされることになるのです。ぶっちゃけ、他のバンドでは首をかしげることが多すぎて。力強さと繊細さ、安心して気持ち良く身体のリズムを任せられるその音だけでなく、殿下の可愛すぎるキャラクターも魅力でした。今回も、尻尾をつけたおちりの可愛さにノックアウト(笑)。

 今日はスカパーにて3Dで生中継、ということだったのですが、それを知ったときにまず「大丈夫?」と思ったものです。ほら、色々と(笑)。案の定、中野サンプラザでのミサに参加したスカパーのスタッフから「どうもその…」なご相談があったとのことで、但し書き入りの生中継となったそうです。でも、そんなこと言われたら、閣下が飛ばす飛ばす。カメラに向かっての5千人の「ざまあみろ」は気持ちよかったよ!3D、ということで、カメラに向かって必要以上にビシっと決めポーズを決める参謀も可愛かった。ていうか姐さんが好きなひとですよね、どこまでも。

 この日はラストミサ、といいつつも、途中まではそんなにそのことに思いを馳せたりしなかったのですが(ミサって純粋に楽しいから、目の前のこと以外のことが浮かぶ余裕がないのよね)、最後、ということをぐっと意識させられたのが、構成員紹介におけるジェイル大橋代官。不正確で申し訳ありませんが、これはもう、自分の記憶の為に記しておきたい。だいたいこんな感じのことをおっしゃいました。

 「今回、俺がステージ上手に立つことで、複雑に思うひともいたと思う。最初の海外はやってやれ!で出来たけど、日本では、アウェイでやる覚悟もありました。でも、ツアーが始まってみたら、信者の皆が、ものすごく大きな声で迎えてくれて…」と信者に感謝の言葉を述べたあと、なおかつ「87年に俺が辞めたときに、迷惑もかけたし、嫌な思いもさせたと思う…でも、こうして迎え入れてくれて、本当にありがとう! 感謝してます。聖飢魔ll 最高!!」と構成員やスタッフへの感謝まではっきりとおっしゃったのです。

 それはもう、何のてらいもカッコつけもなく、本当に無防備な、思ったままのことを云っているんだな、と分かる言葉でした。もし、演出を狙うならこのタイミングでは云わない。感謝の言葉は最後までとっておくものだもの。でも、最後のミサの自分のコーナーで、云いたい言葉はそれだったんだな、と思いました。人は変われる(悪魔だけど)。わたしは昔のトガっていたジェイル代官の言葉に、とても悲しい思いをしたこともある古参信者です。でも、人は変われる。すごく嬉しかったし、良いものを見られたと思いました。いくら一つのことが素晴らしくても、それを取り巻く世界が変わり続けている限り、いつまでも変化することが無ければ、いつしか色あせたものに変わってしまうことは確かに、ある。生きている限り、ひとは変化していくし、そうならなくてはいけない部分があると思う。どうやっても変えられないことと、変える必要がないことと、変わらなければいけないこと、それらの区別をつけるのはとても難しいことなのかもしれないけれど。ジェイル代官は、変わってみせた。すごく、カッコいいと思いました。

 そしてそんなジェイル代官の良い話のあとに、颯爽と自転車で舞台に登場するルーク参謀は、そこ、変わらなくてもいいですよ(笑)。身体にぴったりフィットした背中空きの白い衣装に「またいやらしい格好して…」と閣下にからかわれ、和尚に「ドリフが入ってきたね」と云われたとしても!わたし、今回のミサツアーで、見方が変化した二大構成員が参謀と和尚です。和尚は、まあ、「イエイのおじさん」に乗っ取られたのだとしても、参謀の可愛さに開眼いたしました。もう、すっごく可愛い!あのおっきなおくちでにまっと笑うあの笑顔の愛くるしさよ、動きのキュートさよ!まあ、姐さんみたいに「あのキラキラしてるのは衣装じゃなくて内面のキラキラがこぼれてるから」とまでは言えませんが。姐さん、それは衣装。

 泣くかなー、と思ってた。泣くかどうかはそんなに大きな問題じゃないんだけど、とにかく今回の再集結はとてもとても楽しくて、まるで聖飢魔llが解散してたことなんて無かったような感覚で、いつもミサに参加していた自分が、いよいよ最後だという現実に向かい合ったときに、どうなるんだろうと思った。前回の再集結から5年あったけれど、うーん、勝手な思い込みかもしれませんが、信者さんってさ、とくに、今回、国際フォーラムにまで参加しちゃうようなひとってさ、5年の間、聖飢魔llの存在を忘れたことなんか、無かったと思うんですよね。解散してからも、普通にCD聴いたり、DVD見たりしてたんじゃないんだろうか。つまり、大好きなバンドとしてずっと現在進行形の存在じゃなかったのかな。「ああ、聖飢魔ll?高校生の時、ちょっと聞いてたな、懐かしいな」とかいうレベルのひと、ここにいないと思うの。だから、今回、また消えてしまうとしても、また、待てる。それは5年後の再集結をお約束として余裕で待ち構える、とかいうレベルでなくて、この先、未来永劫「聖飢魔ll」という存在が、復活することがなかったとしても、自分の大好きなバンドは、ずっと「聖飢魔ll」だから大丈夫、という自負心のようなもの。いつかまた会える。最終的には、文字通り、地獄で会えるよ。

 とりあえず、わたしのなかでは、そんな感じで気持ちが固まっていたので、「DEMON’S NIGHT」の構成員横並びを見たときも涙は浮かばなかった(むしろここでは突然の邦楽な舞に驚くのに忙しかったいた。花柳鳴介師匠かと思ってたが違いました。能楽師の山井綱雄さんというかたらしい)。「蝋人形の館」でも、声を震わせることなく、「ラララ」と歌えた。さすがに、「BLAND NEW SONG」だけは胸にぐっと上がってくるものがあったけど、「FIRE AFTER FIRE」の激しさの前にはすべてが持っていかれるように感じた。「嵐の予感」の閣下の舞いは泣くよりも目に焼きつけようと思う気持ちが強かったし、「JACK THE RIPPER」は、5千人の「こ・ろ・せ!」を体感出来る瞬間に、心を震わせていた。そして、「ELDORADO」は、文字通り、最後だから。泣くよりもなによりも、最後だから。いまこうやって書いていても、自分がなにを見たのか、感じたのか、はっきりとは思いだせない。でも、あの会場に降り注いだ、金のテープのきらめきが、綺麗で、とても綺麗で。あのキラキラを覚えている。

 わたしの涙腺が崩壊したのは、最後の最後。「ELDORADO」が終わって、閣下が松崎さまを下がらせて、舞台に構成員だけが残ったとき。舞台の後ろに、丸い空間が出現して、そこに、構成員がひとりひとり階段を登って、消えていくのだと分かったとき。最後のコメントを残すこともなく、信者の呼び声に、手を上げて応えて、信者に背を向けて階段を昇っていく構成員の姿を見たときです。10年前の解散がフラッシュバックして、どうしようもなかった。消えてしまう、終わってしまうという現実の前に、背中を向けた閣下に、わたしはどうしても伝えたくて、声を届けたくて。なにを云いたかったかというと、「ありがとう」「大好き」の言葉でしかないのです。陳腐だと笑われそうだけど、会場からは他にも同じ叫びが聞こえてきました。本当に、本当にありがとう。わたしの前に現われてくれて。わたしにこんなに誰かを好きになる気持ちを教えてくれて。14歳の出会いからいままでずっと、わたしがいちばん好きになった相手は、聖飢魔llのデーモン小暮閣下です。閣下を好きになって、聖飢魔llを大好きになったこと。それがこれまでのわたしの人生に与えてくれた影響は、はかり知れません。わたしはそれを誰にも否定させない。閣下が大好きです。わたしにとって、誰かを好きになることは、そのために生きていこうと思えることでもありました。閣下の存在が、いまのわたしをこの世に存在させてくれました。本当にありがとうございました。

 今日のミサで、閣下は、信者に「諸君らが本物になる、あるいは、本物を見極める力をもつことが大事だ」とおっしゃった。わたしはその言葉に、また閣下のことが好きになりました。「本物になれ」なら、ある意味、誰でも云える。でも、世の中には本物になる能力や資質に恵まれないひとだっている。なにをもって「本物」「まがいもの」とするか、というのも解釈の問題かもしれません。それでも閣下は、ナンバーワンになれない人間の存在を忘れない。あるいは、ナンバーワンの人間をナンバーワンたらしめる、それを支える人々に目を向ける存在なんだ、と思いました。だったら、わたしは自分自身を世に問うような存在かどうかという意味では本物でないかもしれないけれど、ここにいていいんだと思います。閣下は、最後の最後で、わたしにまた、居場所をくれました。大切なことを教えてくれました。大好き。

 「正義のために」(SE)が終了しても、なかなか席を立つ気になれず、まだぐすぐすしていたけれど、同じように残った信者さんの呼びかけで始まった三々五々拍子のおかげで、気持ちが落ち着いて、ようやく、笑えました。しかし、あの三々五々拍子のそろい方。みんなどれだけ信者の集いに参加してたひとたちなんだ(笑)。ああ、信者さんも大好きだ…。

 そのあとは、歩姐さんとお酒を飲みながら、いっぱいおしゃべりして、すごく楽しい夜を過ごしました。少しでも穿った見方や斜めの姿勢でいるような言葉はいっさい聞きたくない夜なので、ひたすら馬鹿な話で楽しめる相手とご一緒できて、嬉しかったです。ちょうどM-1の決勝参加者が決定して、姐さんが大変すぎたし(笑)。わたしも東京にいたならば、姐さんにくっついて、あちこちのお笑いライブとかに出かけてたんだろうな、と思います。今回、お付き合い頂いて本当にありがとうございました、某たんのお話の続きが超気になりますので、また機会があればよろしくです!
 本当に素晴らしい二日間でした。ありがとう、聖飢魔ll。わたしは、あなたがたが大好きです。

「地球デビュー25周年記念・期間限定再集結 聖飢魔ll ICBM TOUR(東京国際フォーラム)

 さて、今日はこれから、東京国際フォーラムAにて、聖飢魔ll期間限定再集結ICBMツアー、ラスト2DAYSの一日目でございます。この日は新幹線に乗ったときからずっと、聖飢魔llとまたお別れする現実と、都条例の問題が最高潮に盛り上がっているところの二つの状況で頭がいっぱいいっぱいな感じでした。とくに都条例については、Twitterで常にリアルタイムの情報が入ってきて、それに一喜一憂で忙しかった…都議会民主党、頑張ってほしかったんだけどな…。しかし、その最中でも、静岡駅のガンダムを見ることが出来たのは良かった。これもまたTwitterでわたしのつぶやきにその場で答えてくれるご親切な方々がいらしたおかげ。

 余談になりますが、わたしは、ネットツールに関してはそれほどマニアックに触れてきた人間ではありません。たぶん、普通に遊んでるうちに早や10年なだけなんですが(ファイル共有系にはいっさい手を出してませんし)、そんな人間でもTwitterは面白いです。97年くらいからネットに触れていて、最初にホームページを作ったのが98年。WORDで作成したファイルを一つ一つ手打ちでFTP転送したりしてたのを、ホームページビルダーで作成するようになって、やがて自然にブログに移行したのが05年。マイミクは、リアルで面識ある友人に限らせてもらっていますが、mixiもやってます(いまは更新というよりアプリで遊んでるだけですが)。そういう風になんとなくネットツールの変遷に触れてきた素人の印象からしても、Twitterは、なんか違う。つながり感がある。サイトやブログより、ずっと手軽に様々なひとの意見に触れられるうえに、そのリアルタイム感が、便利で、実に生っぽい(当たり前なんですが)。もちろんそれには弊害もあるだろうし、自分もそんなになうなう呟いてるほうではないのですが、画面の向こうに生身の人がいる感がするんですよね。長い文章よりも、短い文章のほうがその人の本質を切り出すように思えるからかもしれません。ああ、こういうことをTwitterでつぶやけばいいのか(笑)。
 
 けれどたとえば、今回の都条例の件に関しては、Twitterをやってなかったら、こんなに自ら動くことはなかったと自分で思います。一つの事例や言葉が、多くの人に伝搬していくうねりのようなもの、それをソーシャルメディアとか名づけるのかもしれないけれど、つまり、ひとりじゃないんだという思い。それはフォローやリプライ関係なく、伝わってくるものです。同時にそこにはすごい勢いでデマや単なる希望的観測が事実のように広がっていく危険性も内包しているのですが、それを打ち消す波もまた、同時に広がっていったりする。それが単純に、面白いなと思います。自分以外の誰かがいること、それが伝わること。

 東京駅からは新橋まで移動して今回のお宿に。たとえ駅から3分の場所であったとしても、初めての場所になんとなくたどりつけるような技能は持ち合わせていないわたしなので、iPhoneちゃんには本当にお世話になりました…。ホテルで一息ついたあと、ょうど5年前の再集結の時に、ふわふわした気持ちのまま購入した服に着替えました。思えばそれがいまではわたしの外出着を一手に引き受けてくれているOZZON(公式サイト)との出会いだった…。どうしようもなく緑と柄と重なる布にヨワいわたし(たぶん前世がカエルった。アマゾンとかにいる緑が基調のくせに変な模様がはいってるやつ)にとっては、とても有難いお店です。お手ごろ価格だし、洗濯が家で出来るし、基本フリーサイズで伸びるからってそれは黙っておけばいいのか自分の名誉のために。まあ、おかげでわたしのクローゼットはOZZON岡山支店みたいになってますけど。そうか、あれから5年か…。そう思うと、いろんなことがくっと押し寄せそうになりましたが、まだまだ泣くのは早いよ、と会場に向かうことに。新橋からですが、有楽町まで、ちゃんと電車に乗りました。いくらiPhoneちゃんが頑張ってくれても、それを乗り越えそうな自分の方向音痴は甘く見ないことにしています。うん、わたし、大人になった。

 会場では、ちょうど5年ぶり(!)の歩姐さんと再会。きゃー姐さん変わってないー(はーと)。帝國でお知り合いになったひとで、いまでもネット上で付き合いが続いている皆さんと共通するのは、何年ぶりでもまったく変わらずに会話が始まるということでしょうか。見る対象は変わっていっても、見ている人間は一緒だからね。届いているお花をチェックして楽しむのにもお付き合い頂きました。色々と届いていたけれど、ひときわ大きいGLAYからの花束と、参謀に美輪明宏から素敵な紫と白のお花が届いていたのが印象的でした。そして、今日のお席は二階席ながら、きっちり真ん中で、とても良い場所でした。5000人収容の会場がもちろん即日完売で、今回のツアーでは延べ60000人を動員したらしい。でも、たぶんその60000人は5000人が3会場以上参加した結果なんだろうなと思ってしまう(笑)。そんな大人げない大人たちが大集合している東京国際フォーラム、やっぱり来てよかったと思いました。以下、曲順に感想を。

 今回のツアー、初めて参加した時に、1曲目が「GO AHEAD!」だったので、ちょっと驚いたものですが、やっぱり名曲です。聖飢魔llというバンドを体現する曲といえば、信者さんによって挙げられる曲はさまざまかもしれませんが(そもそも一曲に絞れないとか)、わたしはこの曲も候補に入ると思う。己に内在する敵、つまり、自分の弱さを指摘する厳しさと可能性、それはどこまでも広がる乾いた道を歩いていくことに似ている。そうやって生きていく気高さと孤独は、すごく、聖飢魔llだと思います。そしてこの曲は、閣下が素晴らしいよ。閣下はいつでも素晴らしいんだけど、本当に、ひときわ素晴らしい。閣下の声にまず酔いしれ、演奏が表現する世界の芳醇さにため息をつく。わたし、今回のツアーは、そんなに閣下閣下云ってない(いや本当に)、それは、閣下という存在が大好きとか大事とかいうことは前提としても、まず、自分は聖飢魔llそのものが大好きだったんだと思い知ったから。その場にいる構成員全員、信者、スタッフ、みんなで創り上げる、聖飢魔llのミサという空間が、どんなに素晴らしいものだったかを思い出すことが出来ました。当然ながら、基本的にベスト盤的な選曲になっているおかげで、見ているだけで、聖飢魔llを追いかけていた10代後半から20代後半の思い出が自動的に蘇ってきてしまいます。良いことも悪いことも。得たものも失ったものも。でも、それら全部の経験がいまのわたしをかたちづくっているのだと思えば、それを消すわけにもいきません。これは、再集結ならではの感覚だと思う。

 続いての「WINNER!」はアガるよね!わたしはどこかで見た、この曲でモンキーダンスっぽい振りをする参謀が実にかわゆらしかったことから、今回のツアーでもにこにこやってたのですが…、み、みんなはどうだったかな…。お約束だと思ってるのですが…。これも聖飢魔llを代表する曲です。わたしがミサに参拝し始めた時期もこの曲が出た頃。自分としては信者であると胸を張って語れるのは、第5経典以降というわけで、すごーく思い出にスマッシュヒット。この曲が、アンコールで構成員が登場しての一曲目だったり、最後の曲だったりしたら、本当に大喜びでした。ミサの最後の曲といえば「EL.DORADO」が定番となってますが、わたしは、「WINNER!」や「悪魔組曲」で締められるVerも大好きです。

 「STAINLESS NIGHT」。今回のツアーでは、この曲前の閣下の語り、本能のままに感情をあらわに出来る場所として挙げられたものに、「WEBの電脳空間」が付け加えられたのが印象的です。ちょうどネットが爆発的に普及した直後のタイミングで、聖飢魔llは解散したのだけど、閣下のその頃の発言は、いまになってみれば非常に納得いくものが多い。ぶっちゃけ、その頃はこっちの理解が足りなかった。たとえば「20世紀狂詩曲」の「貧富以外の境界線を越え」という歌詞がありますが、わたしはそこに、なにもかも平等につながっていくとされているWEBの世界であっても、そもそもネットにアクセス出来る環境が用意されていることが前提になっているという皮肉を唱っていると解釈しています。自分の立ち位置が世界の立ち位置であると思い込みがちなこっちの感性に、一瞬、冷や水を浴びせるようなその視点が、聖飢魔llだと思いました。ていうか、「STAINLESS NIGHT」ですよ!聖飢魔llがじわじわと一般への人気を上げていたころの、突破口のひとつとなった曲であると認識しています。なんといっても閣下のポールダンスが(違)。いや、本当にね、閣下宗にはこの曲の閣下の立ち振る舞いは、たまんなんくてね…。途中のロボットダンス(違うの?)も、いと愛らしいですが、ラスト!ラストののけぞった顎のライン、絞ったウェスト、伸びた指先!たいへんです皆様、東京国際フォーラムにも、美の化身が現われましたよ!本当に奇麗だった…。

 「1999SECRET OBJECT」今回のツアー、わたくしは全部で6会場参加いたしましたが、セットリストをいいかげん覚えていても、このイントロを聞くたびにどの会場でも律儀に悲鳴をあげました。大好き。もうね、この曲に関してはね、ツアーに参加されたみなさまは御承知でしょうが、「転げまわる」の歌詞に合わせて、実際に舞台を転げまわるデーモン小暮閣下を重要無形文化物に指定するにはどうしたらいいいんでしょうね!もうね、ごろんごろん転がるの。あれ、最前列で見てたらごろごろしてるのが聞こえるはずなの、きっと。もちろんわたしは大はしゃぎです。別に実際に転がる必要はまったくないのですが、それをやっちゃう閣下を愛してます。必要などといっていれば、そもそも逆立ちで歌う必要もないよね。ああ閣下素敵。閣下最高。参謀とのコンビもさすがです。一緒にくるくる回るの。もうすっごく可愛いです。

 ここでいったん、MC。世界の殺せの時間です。今回のツアーで、フランスや韓国を回ってきた閣下が、各国語での「お前を殺す」を信者にご教授くださるありがたいコーナーです。これでいつでもフランスや韓国に行ける、と自信がついたところで、これまでのツアーだったら(なんせ「殺せ」ですから)「JACK THE RIPPER」なのですが、いきなり始まったのが、新曲「BABIES IN THEIR DREAMS 」うわわわ!この期に及んでセットリストを変えるとは。しかも新曲とは意外すぎて、すごく驚きました。でも、これも大好きな曲なので、問題なし!今回の再集結にあたって収録された新曲はどれも良い曲揃いで、それもなんだか嬉しかったなあ…。「BABIES IN THEIR DREAMS」はメロディがとても奇麗な感じですが、なにこのオシャレな聖飢魔ll、な「DESERTED HERO」もわたしの大のお気に入りです。しょせん、わたしは中?後期の信者なので、参謀の曲が本当にぴったりくるのだ、と思いました。

 続いて、「REVOLUTION HAS COME」。最後の大経典の曲ながら、手堅い印象がする名曲で、今回のツアーで選曲されたのもうなずけます。赤い照明が、曲の雰囲気にすごく合ってて、本当に奇麗なんですよね。主に閣下が。(今回は閣下閣下いわないんじゃなかったっけ、わたし)。そして、そのまま「BAD AGAIN?美しき反逆?」第一部のトリを務める、これまた名曲です。聖飢魔llのシングル曲としてはいちばん売れたんじゃないかしら。「白い奇跡」のほうが好きな信者さんが多いという印象なんですが、わたし、生で見るならこっちかも…と思うくらいに、まあね、閣下宗が喜ばないわけないよね、この曲!会場全体の信者全員の脳髄まで震わせたであろうと確信させられる閣下の歌声に、ただもう、ため息です。歌ってる閣下も、本当に気持ちよさそう。それを見ているこっちも、気持ち良い。閣下の声ってね、響きながら広がるんですよね。歌が上手いとかそういうレベルじゃなくて、ただもう心地よい音が溢れて広がっていくような、そんな歌声でした。閣下素敵。
 
 ここで一部終了、15分の休憩です。とりあえず、歩姐さんと「JACKは?」と慌てる(笑)。「殺せ」のMCをもうしてしまったとあっては、後半に持っていくのも不自然?しかし、あの曲をやらないのはもっと不自然。首をひねっていると、2部に入るにあたっての前説が始まりました。担当は和尚。ていうかイエイのおじさん。ある意味、今回のツアー最大の疑問は「いつから和尚はああなってしまったのか」「そもそもああいうキャラだったのか」「なにがきっかけで花開いたのか」でしたね。楽しませていただきました(笑)。

 2部の始まりSEは、「三大怪獣地球最大の決戦」。1部の「死ね死ね団のテーマ」始まりも悪くはないのですが、やっぱりミサはこれ始まりだよう(泣)。そしてそのまま「聖飢魔IIミサ曲第2番『創世紀』」につながる、この美しい流れ。何百回見ても飽きない。棺桶ががたがた揺れ始めると、胸が本当に早鐘を打つ。閣下が棺桶からゆうゆうと登場し、中央に降り立って「地獄の皇太子」って、これがミサだよ!って思わず力説してしまいましたが、本当にね、懐かしくて、大好き。自分がこの流れをこんなに好きだったことを思い出させられた瞬間でした。
 
 続いては「アダムの林檎」。この曲の前説に関しては、今回のツアー、各地でそれぞれ工夫をこらして、磨きがかかったトークが繰り広げられていたかと思いますが(個人的には名古屋において、林檎を手に取った閣下が「みずみずしいね」と他の構成員に同意を求めて振り返ったところ、そこには誰もおらず、むくれた閣下がそのまま「…悪魔の果実だからだ!」と曲を始めようとした流れがいちばん好きだ。前説じゃないけど。そしてもちろん、楽器隊がいないんだから曲が始まるわけもないこと含めて大好きだ)、今回語られたエピソードが、いちばん笑ったかもしれない。岩手地方出身の父をもつ、30代の女性スタッフ(しかも閣下のピンスポ担当)が、紅玉の呼び方を父に確認しようかどうか迷っていた…という話です。あとで、歩姐さんともさんざん話したのですが、この「30代の女性」「仕事で頑張ってる」「未だに実家住まい(つまり未婚)」というキーワードが本当に、こう、わたしらの身に染みて。名前も存じ上げないのですが、お仕事これからも頑張ってください。そして、ここでの五千人による「青森県南部地方および岩手県における紅玉の呼び方」は、本当に素晴らしかったですね。ふだんはとくに意識もせず、楽しく叫んでるのですが、五千人がそろってこんなに楽しそうにこんなこと叫んでる空間ってあり得ないよ(笑)。そして今回も「えー」「やっだー」「うっそー」「ばっかー」「コマネチ」の流れはぴたっとハマって気持ちがいいくらい。そもそもなんで「コマネチ」なのか、そんな疑問も抱く暇がないほどの全体の統一感が素敵だった。

 「RATSBANE」。だからわたしは第五経典からの信者だと何度叫んだら気が済むのか、主にわたしが。この曲はPVも本当に大好き。聖飢魔llを馬鹿にする人間には突きつけてやりたいような名曲です。ギターバトルのカッコよさがたまらない。本当に、大好き。そして続いて、ジェイル代官がメロディアスなギターを奏で始めたので、ん?と思いました。これまでのツアーにはなかった演出ですよ…と思いかけたところで、始まったのがなんと「秘密の花園」!皆さんは、五千人が一度に息をのむ音を聞いたことがありますか?わたしは今日、ここ、東京国際フォーラムで聞きました。よりにもよって「秘密の花園」!レア曲多い聖飢魔llでも、ひときわ信者人気が高い「秘密の花園」!もちろん、わたしも大好きです。たまらなく美しくて、すこし切なくて、ドラマが見える曲。聖飢魔llが持っている世界観の大切なピースのひとつです。ジェイル代官がいるから、当然といえば当然かもしれないんだけど、泣けたよ。本当に、この「秘密の花園」は良かった。この時に聴くことができて、本当に幸せだと思いました。

 ここでちょっと休憩で、各構成員の紹介タイム。正直、あまり覚えてないので(主に笑いすぎと秘密の花園ショックの余韻が抜けなかったため)、不正確な記述になるのを避けるため、細々とは記せないのですが、参謀のところで「ダラダラしてきた!いかんいかん」と焦る閣下が「今日は曲も多いのに」とするっと口を滑らせたのが可愛かったです。でも、わたし、思うんだけど、聖飢魔llの構成員は、本当にみんな大好きだ。ジェイル代官に関しては複雑な思いを抱いた青春の一時期もあるのだが、それに関しては二日目の感想で語るとして、みんな、最高の構成員だと思う。可愛くて、お茶目で、カッコいい。わたしはこのバンドに出会えて、本当に良かったなあ。

 構成員の紹介が終わると、殿下による「巨乳好きのやつが踊りだしたくなるようなリズム」が始まり、イカしたダンスを踊り始める参謀(笑)。そのままの流れで「DEMON’SNIGHT」が始まりました。わたしは「DEMON’SNIGHT」で、構成全員が一列に並んだときに、今日のミサで初めて目に涙が浮かびました。うわ、と思った。この懐かしい曲で、全員がさっと並ばれたら、たまらないものがこみあげてきました。でも、まさに曲が曲なだけに、泣くとまではいかず、実に楽しく拳を上げてました。うん、楽しかった。つづく「害獣たちの墓場」は、これもまた聖飢魔llのこだわった部分、世界観を代表する曲なのは間違いないです。そして、「蝋人形の館」。これまた和尚のキャラクターが開発されていなかったら、まずあり得なかった閣下との素敵な前振りです。閣下が英語で語ったあと、和尚がそれを日本語訳で語り直す演出なのですが、和尚がちょっと英語が分かってない場面もあって、それも可愛かった。「蝋人形の館」といえば、もちろん聖飢魔llの代表曲中の代表曲なわけですが、デビュー曲でもあって、それをデビュー以来25周年記念のミサでも、こんなに楽しく、盛り上がる曲としてやれるバンドって本当に良いなあと思いました。シンプルな曲ですが、楽しさがいっぱい詰まってる曲だと思います。

 そしてそして、「BRAND NEW SONG」が始まりました…。もうね。参謀にピンスポが当たってね。あのイントロが流れた瞬間に、沸き立つあれ。あれはなんと表現したらいいですか。涙とか喜びとか、そういうものじゃない。ぶちきれたように、なにかが溢れる。これと「SAVE YOUR SOUL」の二曲は大経典「NEWS」のなかで対となっているような名曲ですが、本当に、「BRAND NEW SONG」は、卑怯。これ持ってこられたら、泣くとかそういうレベルじゃなく、文字通り魂が引き裂かれるような気持ちになります。この曲を、ミサのラスト近くでやられると、本当にたまんない。白い光と、閣下の歌声、ギターの音、ライトでなく、自らが発光しているように神々しい(悪魔だけど)、構成員の姿。メロディの奔流に必死でしがみつきながらも、懸命に己の中に焼きつけたくてたまらない、そんな瞬間が溢れる一曲でした。素晴らしかった。

 そして、そんな曲が終ったあとに、赤い光とともにジェイル代官が現われて、あのイントロ!「FIRE AFTER FIRE」はジェイル代官のものです、間違いなく。本篇最後の曲と分かっていたので、始まるのがもったいなく、でも聞きたくてたまらないもどかしさに胸が打ち震えました。この曲の持っているあの勢いと激しさ、同時にたまらなく感じるせつなさはなんでしょうね。最後の曲だから、というのとはまた違う意味で、「銀河の果てまで」という歌詞で、いつも泣きたくなります。名曲。ラストには特大の本物の炎が噴きあがる演出も。舞台にいるあいつ(見た人にはおわかりですね)が焦げないかと不安になるほどの炎でした。良かった、しびれた。

 そしてアンコールへ。とりあえず手を叩きながらも、合間に「花園…花園…」としかつぶやけなかったわたし。

 始まったのは「嵐の予感」。これも、選ばれるべくして選ばれた名曲ですね。この曲に関しては、とにかく閣下の舞いが…。なんせ最後が近くなってますので、萌えるとか素敵とかより、こんな奇麗なものがもうすぐ見られなくなるなんて!という事実にじんわりと来ました。大昔、日本舞踊を習い始めた閣下に対して、ちゃんと知識がある信者から「もうひとつですね」というコメントが寄せられたところ「褒めて育てる教育をしろ!」と本気で云っていた閣下。このエピソードが、本当に閣下らしくてかわゆらしくて大好きなのですが、閣下、本当に育ちましたよ!あとこの曲は参謀のギターソロが素敵過ぎる…。

 そして、ここでまさかまさかの「JACK THE RIPPER」!きゃあきゃあ。前半で飛ばされたので、演奏しないのかと思っていた名曲がここに!「時に19世紀末…」という語りから入られて、倒れるかと思うくらい嬉しかった!東京国際フォーラム5千人の「こ・ろ・せ!」が、すごく楽しかったです。本当に、この場所以外では叫べないことをいっぱい叫べるバンドだこと(笑)。しかも、がんがんに盛り上がっているところで、まさかまさかのゾッド星島親分の登場で、会場内の興奮は最高潮に!斧型ベース壊れてましたけど、関係ないですよね、親分!もう、わたしの首とか肩とかどうなってもいいくらいに、振りました。後悔はありませんとも。

 そして、ここで閣下のMC。楽しいおしゃべりもあったのですが、本当に、ものすごく感じ入ったので、あえてここに記します。今回の再集結に関して「聖飢魔llはこうじゃないといけないんです、あの曲のここはこうで、それじゃないとダメなんです」みたいな便りをもらうことがある、と話し始める閣下。それに対し、いま現在のこの布陣で最高のミサを作り上げてきたと語ったうえで、「長年、聖飢魔llを支えてきて応援してきてくれた昔からの古参信者の諸君…そんな保守的な子に育てた覚えはありません!」「だいたい、聖飢魔llがどうあるべきかなんてことは我々が決めることだ!」大爆笑

 東京国際フォーラム5千人の苦笑と大爆笑をわたしは聞いたね!いやー、すごいすごい閣下。本当にそのとおり。聖飢魔llなんかを選ぶ我々が、そんな保守的でどうするよ?!納得とともに、反省もして、すごく心に刻み込まれた。うん、そんな保守的な子に育てられた覚えはありません!閣下はすごい。本当に、こんな最後の最後で、まだ、わたしに教えてくれる。気付かせてくれる。閣下最高。そうやって盛り上がった気持ちのまま、いよいよ最後の「EL.DORADO」に突入です。始まった瞬間に、キャノン砲(だっけ?)による金の紙テープが噴き出して、客席に降り注ぎ、すごくすごくきれいだった。良い演出だと思いました。ただ、前MCの印象が強すぎたのと、これくらいになると、終わりと思うより「まだ明日がある!」と自分を誤魔化す防衛反応が働いて、泣くとかそんなのより、楽しむほうに神経を向けました。もちろん、大好きというか特別な曲です。ほかの曲ではまったく感じなかったのですが、この曲でだけ「あ、長官がいてほしいな」と思いました。閣下とのコーラスがすごく好きだったから。

 終了したのが、21時半。三時間半のミサでした。本当に堪能しました。

 終了後は、歩姐さんとお食事に。こういう仕切りは他人任せのふたりなのでふらふらとさまよったものの、なんとかお店にたどりつき、しばし歓談とあいなりました、姐さんも「そんな保守的な子に育てた覚えはありません」が印象に残った様子。いやーでも、あれは来るよねえ…。現在はお笑いジャンルにいる(っていうのかな)姐さんから、色々とお話を伺うのも楽しかった。ねづっちもピースも、最初に知ったのは姐さんの日記でした…。「見る目はあるのよ!」と言い切る姐さんが、もう十年近く応援しているのはカリカだそうです。そろそろブレイク必至ですね!そして、飲んだあとでも、ちゃんとホテルにたどり着き(ラストオーダー23時の店にしたことが勝因です)、楽しかった一夜を一人でしばし反芻いたしました。まだ明日があるので、湿っぽくはなりません。でも、ありがとう聖飢魔ll。あなたがたの信者でいられて幸せです。

結婚祝い

「はいどーもこんにちは」
「こんにちはー」
「漫才コンビ、ノコッタヨコッタでーす」
「いやあ、かれのような人間をこのような晴れがましい場所にお呼びいただいて実に恐縮です」
「俺を指さしながら云うな」
「実を申しますと、僕らが今回、ここに招かれましたのは、新婦のご友人からのお祝いの一環でございます」
「いや、こんな営業は珍しいです。ぼくらみたいな駆け出しコンビ、わざわざご指名頂いてね」
「めでたい席にも関わらず、かれのような人間をお呼びいただいてなんとお詫びしたらいいか」
「せやから俺を指さしながら云うな」
「いいですね、結婚式!」
「ぶったぎりやな」
「いやホンマにええと思わへん?結婚式」
「まあ、なんていいますか、人生のあらたな門出というわけで、実におめでたい」
「なんか、世の中、不景気もあって、結婚もなかなかできないとか籍を入れるのが関の山って巧いねヨコっタん!」
「お前の滑ったネタを俺の名前で云うな」
「まあ、それでもあれですわな、籍を入れるって、あれ、なかなか大変らしいですよ」
「そうなん?俺、役所いったらそれでしまいと思てた」
「いや、お前、やったことないやろ。あれでややこしいねん」
「ほんまに」
「そもそも新婦さんは戸籍があるのかと」
「祝いの席祝いの席祝いの席!」
「出生届を出したのが、マンモスが氷漬けになってた頃とか、いやいや地球が平らで象の背中に乗ってた頃とか、ホンマ、友達や思うて好き勝手いいよりましたよ、お友達」
「あー、いま、友人席爆笑やね。そこ以外は確かに氷漬けやけど」
「失礼な話ですよ、俺、さっき新婦さんに本番前にごあいさつさせていただいて」
「ああ、行かせていただきました」
「俗に、結婚式は花嫁さんがいちばん奇麗いいますが、いやー実に可愛らしい」
「ウェディングドレスがまたたまらんね」
「よく知らないひとが見たら人間やと思いますよ」
「祝いの席や云うとるやろうが!」
「この晴れの席に合わせたようなNASAの発表。あれは式に駆けつけようとした御親戚かなにかで」
「すいませんねー、文句いうなら新婦のご友人にねー」
「そういや聞いた話によりますと、この新婦さん、料理がたいへんお上手で」
「おっ、いいねえ、新妻の手料理」
「おいおい、ヨコっタん、新婦さんが自分の手を刻んで料理してるみたいな誤解を招く発言はやめたほうがええよ?」
「お前がやめろ」
「まあ、無くなっても生えるらしいですし」
「やめろ!」
「あと、お酒もお好き。いいですよね、二人で晩酌」
「あー、憧れるね、独身男子としてはね」
「どこから飲むんやろうなあ」
「お・く・ち」
「リズミカルにでこピンしながら突っ込むなや」
「こんなに素敵な新婦と新朗、まさにお似合いのお二人です」
「新朗のチャイナドレスもお似合いです」
「俺、それはつっこまんとこ思うたのに、云うたなあ、おまえ」
 というわけで、杉本真夜さん、ご結婚おめでとうございました!

東京都青少年健全育成条例の改正案が提出されます

 またこのエントリーを書く日が来るのが、本当に嫌でした。が、事実として、それがいま行われようとしているわけです。以前より、このブログでも何度か取り上げてきた、東京都による青少年健全育成条例の改正案についてですが、このたび、再び、都議会の方に改正案」が提出されました。今回の改正案についての問題点は、山口貴士先生のブログ(URL)、およびてんたまさんのページ(URL)がたいへん分かりやすく、かつ現状を認識できるものとなっておりますので、ぜひそちらをご覧ください。
 さて、この問題に関して、自分は何が出来るのかをわたしは考えました。前回の時は、それでも数カ月の余裕があった。今回は、いくら予想されていた再提出とはいえ、いきなりの感が否めません。正直、スルーしようかと思いました。いや、ちょっと忙しくて…とか、迷ってるうちに議会が終わってました、とか云えばいいかなという思いが頭をかすめました。だってね、これは正直、わたしのようなタイプの人間にはすごく辛い問題なのです。ネットの世界にいると錯覚しやすいことですが、実はオタクは世の中で言えば少数派。ましてや、マンガをはじめとする創作の価値を大事にしなければという思いを行動に移すひとは、もっと少ないはず。その心細さと行動したにも関わらず負けてしまうことへの哀しさとやるさなさを想像すれば、くじけるほうが楽に思えました。だって、そっちのほうが多数派だから。あーバカなこと考えるひとたちもいるね、でもなにかしろといわれてもね…とためらっているうちに時間は流れることでしょう。わたしよりかしこい、わたしより偉い人々がどうにかしてくれることと片付けることも可能だったでしょう。しかし、わたしは、ここで何らかの行動をとる方を選びました。といってもあまりにも時間がありません。わたしに出来たのは、悩みつつも、何人かの議員のかたに手紙を書くことにすぎませんでした。あまりにもささやかなことと流されるかもしれません。が、それをしながら思ったのです。この言葉が届くひとがもしいるならば。
 本当に、行動できる可能性を持ちながら、それでも迷ってるひとがいるとするなら、やっぱり、やったほうがいいですよ、と思いました。確かに時間が無いけど、意味が無いことと片付けられるかもしれないけれど、なにより、自分の為にやればいいんじゃないんでしょうか。わたしは自分に言ったのです。腹が立つよね、と。自分の愛するものが差別され厭われ削除されてしまうかもしれないこと。自分を救ったものが、他人をも救うかもしれない、その可能性が摘み取られること。それを回避することに、何万分の一でも自分の力が役に立つのなら、それを使わなかったことを、あとで絶対に後悔すると思ったから。
 
 ただ誤解は避けたいのですが、わたしは、この一連の騒動に対して、何らかの思いを抱きつつも、結果として傍観を余儀なくされているひとを非難するつもりはまったくありません。だって、気持ちは分かるもの。なにより、一つの物事にどう対処するかの判断は、その個人の自由な考えと行動に基づくべきで、それによってなされたことを、他人が「こうでなくてはいけない」と指図するなんて、有り得ないと思います。これはあくまで、わたしという個人がどう考えたかという記録を記しているものにすぎないので、念の為。
 わたしは、創作の持つ力が、ひとりでも多くの人の心を救い、人と人の絆を広げることが出来る環境を望みます。多様な価値観が多様な可能性を生み、生きていくことが出来る世界が続いていくことを望みます。わたしは、かつて物語に救われたこどもでした。そのこどもの感じていた痛みは、いまもまだわたしの中に存在し、そのこどもが与えられた救いもまた、わたしのなかにあるのです。どうぞ、ひとりでも多くのこどもが、そのこどもが必要とする物語と出会えますように。もし、こんなわたしにも大人としての力が有るとするならば、わたしはその力を、このシンプルな願いがかなえられることに、注ぎたいと思います。

犬神サーカス団「『ビバ!アメリカ』レコ発単独興行」(岡山CRAZYMAMA 2nd Room)

 さて、ライブが続くよ日曜日。というわけで、今日は地元にて、犬神サーカス団のワンマンライブです。イベントではちょこちょこ見ていたのですが、ワンマンはなんと3年ぶり。
 本来は10月発売だった新作「ビバ!アメリカ」は、ちょっとした事情の為、iTunesでのDL販売が先行となっています。犬神といえば、歌詞もとても重要なバンドの為、パッケージ販売を待とうかとも思っていたのですが、ついつい待てずにDLで購入しました。そしたらこれがあなた。大変な傑作。個人的には、「形而上のエロス」以来の作品です。それ以後のアルバムもどれも良作なのは間違いないのですが、この「ビバ!アメリカ」を聴いてしまうと、あともうひとつ欲しかったのかなあ…となんとなく思ったり。それだけこの「ビバ!アメリカ」が良かった。たとえば、他人にバンドをお勧めする際に、どれを聞かせたらいいか悩む事ってあるじゃないですか。無難なのはベスト盤かもしれませんが、本当ならば、そのバンドの最新アルバムを聴かせて「こういうバンドだよ!」と胸張ってお勧めできれば気持ちいいですよね。このアルバムはそれが出来るアルバムです。これだけの曲数(15曲)の、どれもが捨て曲無しで、どれも犬神、バラードも振りつけ曲も激しい曲もずらりと勢ぞろい。もちろん、犬神の世界観は濃厚にゆるぎない。たまらないです。そんなアルバムの発売記念ライブとあれば、期待も高まるというものですよ。
 
 会場は、外階段に並ばされるので印象深い岡山CRAZYMAMA 2nd Room。幸い、大して並ぶこともなくするっと入れました。お客さんは30?40人くらいだったからね…。イベントでは何回か来岡していますが、ワンマンで来るのはここ数年ではないことでは。それもあってか、地元バンドのO.A有り。
 
 まずは、KILER(公式サイト)。GtとVoのユニットで、今回が結成してから、ライブ三回目、とのことでした。訥々としたVoのMCによると、前のバンドで一緒だったGtとユニットを組むにあたり、活動頻度はゆっくりで行こうと話していたにも関わらず、Gtから来た今回の話はとても急で「一生のお願いだから」と言われたとのこと。なぜか。Gtが犬っ子だから。「怪談首吊りの森の頃からファンです、今回、サインをもらえるんじゃないかと淡い期待をもってきました」とにこやかに語るGtに好感度上がる。例えリップサービスだとしても、こういうこと云われると嬉しくなるじゃないですか(でも、Gtは後でブログに「よしき君へ」と書かれたサイン付きCDの写真をUPしていたので、リップサービスではなかったと判明)。でもまあね。そういうのはおまけでね。ちょっとね、えらいことが。主にわたしのなかで。チラシを見た段階では、正直、まったく期待してなかったのに。演奏が始まり、何曲も聴くにつれ、メロディアスな楽曲と抽象的で甘い歌詞、そしてVoのハイトーンで歪まない声が。が。ががが。わたしのなかのマスケラとかBABYLONとかが入っていた部屋をこんこんとノックして、「すいませーん新入りです」って云った。いま云った間違いなく云った!来たよこれ来た!という感じで、うはうはとCDも購入してしまいました。お友達が聴けば、はい、くさてるんの好みですねとお分かりかと思います。視聴ができるMySpaceはこちら。ぜひひとつ。 
 そんなわけでKILLERにふにゃふにゃしてたもので、続くセツナ神姫さんは、まったりと眺めてしまいました。様式美って楽しいなあと思った。
 そしていよいよ本編、犬神サーカス団の登場です。これからツアーに参加されるかたのために、曲名だけ保護色にしておきます。
 犬神サーカス団を生で見るたびに思う。この凶子さんの声が、音源で再現されないのはなぜなんだろう。もちろん、音源の声も素晴らしいんだけど、生声で聴くときの、響きというか質というか、とても可愛らしく、広がる感じが大好きです。今回のアルバムがわたし的に大傑作なので、そのアルバムのお披露目ツアーということで、期待はもちろんあったのですが、期待以上に、ライブで聴く新曲は良かったです。犬神はとても巧いひとたちなので、音源だけで完成されているのは間違いないのだけど、ライブではそれが再現されるだけで終わらない。当たり前と言われるかもしれないけれど、それが意外と当たり前でないバンドも多いと思うのよ…。アーティストが実際に眼前に実在している有難さというだけでない、ひとつの作品としてのライブ。そういう感覚を、別に芝居仕立てとか構成がどうこうというレベルで無く、感じることが出来ました。
 また、わたしにとっての犬神サーカス団は、出会った時期が個人的にとてもしんどかった頃で、その楽曲でずいぶん救われたという一方的な思い込みがあるバンドです。歌詞に励まされたとか共感したとかとはまた違う話で、歌詞も演奏も楽曲もぜんぶこみで、この曲に救われたという思いがした曲が何曲もあります。「夜が終わっちまう前に…」「鬼畜」「父親憎悪」などなど。今回のアルバムにも、いずれそうなっていくだろうなという曲が何曲もありますが、初聴からやられたのが、間違いなく「幼女人形」。絶対に放送されないどころか印刷された歌詞もあれだろうと思うものですが、この激しさと切なさ、美しさに、わたしは涙ぐむ思いになりました。この日のライブでも、この曲には激しく胸を掴まれたような心持ちになりました。どんな表現でも、その表現でしか現すことができないなにかがあるからには、そこに存在する意味を否定することは、誰にもできない。わたしは犬神の歌詞については、世間で思われてるほど、猟奇だの狂気だのというものは感じないのです。むしろそれを小道具にしながら、自然とにじみ出るなにかがある。それを受け取ればいい、そんな印象でいます。
 まあ、そんな理屈は置いておいて(笑)、今日も犬神サーカス団はみんな可愛かった!個人的にやりたいこと、というお題に、それなりに真面目に答えた兄さんたち(ジン兄「もっとピック弾きが出来るようになって、15周年で作ったピックを減らしていきたい」情次兄「楽屋でスポーツチームを作るとか盛り上がっても、いろいろ調整するのがめんどくさくて実現しない。なので、そういうことを調整してくれる若くて可愛い男の子を探す」明兄「小説を書いて賞金二千万を獲得する」)を見て、「みんなすごく真面目に答えてる…。あたい、雲に乗るとかそういうのでいいと思ってたのに…」とつぶやき、場の爆笑を引き起こして驚くきょんきょん。ツボに入って笑い続ける明兄さんとこみで本当に可愛かった。きょんきょんの笑い声は、それを聞くだけでこっちが笑っちゃいますね。極上。様々な振り付けや小道具に対応する犬っ子の皆さんを見て「みんな本当に柔軟ねえ」というコメントもおかしかった。みんな楽しそうなのでいいと思いますよ!
 あと、グッズのシュシュについて「一個ニ個じゃなくて三個着けるのが東京では流行ってるんだよ、トリプルテールって」としれっと云う情次兄さんも地味におかしかった。「振りつけは、フリーで行こう」とお約束を忘れない明兄さんといい、可愛い謎の店員さんが愛らしかったジンさんといい。犬神はメンバーみんなが犬神サーカス団を楽しんでいる感じが伝わってきて、それだけで、見ているこっちも楽しくなります。
 曲について。「ビバ!アメリカ」収録曲は全部演奏したんじゃないかな?一般に、バンドの新譜発売のツアーでは、新曲中心だと、つい過去曲が聴きたくて寂しくなることがあるのですが、今回は問題なし。アルバムを事前に聴きこんでたせいもありますが、ライブ映えする良い曲ばかりで、本当に楽しかったです。とりわけ、ライブで絶対に楽しいと思っていた「メメントモリ」や「DEAD END KIDS」が予想通りに楽しくて、しっかり拳を上げてました。また、「華麗に舞え!」にあんなに可愛い振りつけがあるとは(笑)。犬神の振り付けはその場で見てもすぐに対応できる難易度なので、有難くも楽しいです。また「CRAZY CAT LADY」の「猫にゃんにゃんにゃん!高部知子もにゃんにゃんにゃん!奥菜恵もにゃんにゃんにゃん!」には笑った。年齢ハードル高っ(笑)。 新曲以外では、大好きな「花嫁」が嬉しかったし、まさかのアンコールでの「黄泉の国」では、実に楽しく振りつけさせて頂きました。最後の最後での「命みぢかし恋せよ人類!」は、定番ながら、盛り上がるので良かった。ああ楽しかった。
 安定した完成度でいつも楽しませてくれる大好きなバンドです。今後も見ていきたいと思います。ありがとう、犬神サーカス団。

オレたち14帝國スペシャル「~全部みせますオレたち14帝國~」(名古屋アポロシアター)

  というわけで、先週の楠本柊生帝國元帥Presents「ライヒスリッターVol.27~帰ってきた元帥」に引き続き、二週連続の名古屋入り。今日のお目当ては、「オレたち14帝國スペシャル~全部みせますオレたち14帝國~」です。毎日曜日に軍人を見るなんて、ほんの5、6年前までは当たり前の日常だったような気もしますが、いや、思えばずいぶんと久しぶりです。今回ご一緒したのは、真夜さんと圭木さん。いつも本当にありがとうございます。しかし、今回の感想ですが、いつもにも増してレポでないただの感想となっております。正直、読んで頂いても、なにが行われたのかは具体的に良く分からないと思われますが、ご容赦ください。

 まず、始まったのは、記憶を失った定光寺中将に、アックスくんが中将自身のひととなりを説明していく…という導入部で始まった、これまでの5年間の式典をコンパクトにまとめあげたもの。要所要所でバンド演奏もちゃんとあり、そこがオレたち14帝國らしかったです。まずはなにより、中将が本当に頑張っていた!オレたち14帝國はこのひとの頑張りあってのものなんだなーというのが伝わってくるような、身体の張り方と活躍で、実に楽しませてくれました。

 お話の展開自体は、各式典の良いとこ取り(なおかつバンド演奏メイン)なので、内容のつながりがいまいちつかみにくいところもありましたが(初見のひとはよく分かんなかっただろうと思われます)、まあそれは仕方がないかも。個人的には、最近のオレたち14帝國のポイントのひとつである、ぬるいオタクネタが、草薙大佐の痛ギターのみだったのが、ちょっと惜しかったかな(笑)。ハルキングの活躍が見たかった。もう一度見たい名場面として、あの「ggrks」は忘れられないものであります。

 しかし、それ以外にも名場面が取り揃えられ、なおかつそれが再演されることで、新たな風味で味わい直せたことは事実です。リッターみんな、それぞれに見せ場があって楽しかった。「ひとつになれ」で春木大佐に笑いの神が降りたと思いました。あのとき声を上げた二三人の春木大佐ファンの皆さんは誇っていいと思うよ!また、バナナの皮に滑ったあとの加納中佐の独白は本当に素晴らしかった。思えば、はるか以前にVol.19のパロをやったときも、このかたは秀逸でした。こういう帝國のセルフパロは出来そうで出来ない。貴重な個性です。

 また、中将に対して「黙れ、この豚!」と切り捨てた五藤中尉の素晴らしさよ。きゅううん(ときめき)。「赤髪豚野郎」って云ってたらどうしようかと思ってどきどきしました。そういえば、トラロープをかけられた中将を「チャーシューみたい」と評したリッターは誰だっただろうか。いや、怖れ多くも中将のことをそんなふうには私は云えませんよ。でぶキャラがそんなかたちで定着しつつあるなんて(そろそろ本当にテルリストの皆さまに刺されないか、わたし)。大将に向かって、バリカンが掲げられたときの「で、どうするの?」感も良かった。わたし、髭を剃られたらどうしようかと思って気が気じゃなかったけど(笑)。

 そんな楽しいドタバタ騒ぎが繰り広げられたあとで、傷つき倒れる中将の姿が現れる展開にたどりつきます。元帥が戻ってきたからには、この5年間はなかったことになってしまう…と息を引き取ろうとする中将と、それを拒んで涙する風間少佐。「この5年間、あんなに頑張ったではないですか、あんなに笑って、楽しかったではないですか!」という言葉の重さに、胸にしみわたるものがありました。そして、そんな瀕死の中将の前に現われたのは柊生元帥の姿でした。

 今回の式典に出演するシークレットリッターが、元帥だと知った時、わたしは正直、なんだか嫌だったのです。それはもちろん、元帥が厭なのではなく、オレたち14帝國の世界は、中将も表現していた通り、元帥のいない世界(存在しているけれど実体はない)世界なので、そこに生身の元帥がどう介入するのかな、と思って不安になったのです。ライヒスリッターのカーテンコールで云ってたみたいに、最初から最後までPA席に座り続けているだけ(それも完璧なメイクと服装で)、な役割だったら惚れますが、まあ、そんな勿体ないことをするわけもなく。でも、この登場の仕方は納得でした。

 これは、オレたち14帝國の最初の式典だった「風間少佐の真っ赤なウソ」の時と同じです。あの時、わたしは涙ぐみました。さようならが云えた、と泣きました。帝國の精神世界を離れていく元帥に、臣民としてさようならが云えた。その機会を与えてくれてありがとう、と。

 しかし、今日のこの登場は、それとはまた違うメッセージを、わたしに与えてくれました。この元帥の登場は、かれの存在の有無に関わらず、オレたち14帝國の世界はこのままで存在し続けるということ。それを、これまでオレたち14帝國の式典を支えつづけてきた臣民たちに伝える、ものすごく直接的なメッセージだったと思います。受け取りましたよ。ある意味、それは言葉にしなくとも良いことであったのかも知れません。かれらの今後の活動をみることでおのずとわかったことなのかもしれません。でも、それをあえて、元帥自らがこのオレたち14帝國の舞台に立ち、伝えてくれたこと、わたしはそれをオレたち14帝國の臣民として、とてもありがたく思います。これから先になにがあるかはわからないかもしれないけれど。でも。

 5年間存在しなかった元帥の帰還がライヒスリッターVol.27であり、その5年を支えつづけた定光寺中将の死と再生がこの全部みせますオレたち14帝國。そういう意味では、このタイミングで、いま、公演されることに意味がある内容だったのだと思います。対になった式典とはお友達の圭木さんの感想ですが、わたしもそういう意味合いがあってもおかしくないと感じました。この5年間。流れた月日を、また味わいました。

 そうやって本編が終了したあとのカーテンコールもとても良い雰囲気でした。そのあとに暗転を挟み、鳴り響く「20th Century Boy」と共に、R-istのステージが始まった時も、個人的にはにこにこでした。カーテンコールまでで終わってくれても十分だけど、バンド演奏を入れるというのはオレたち14帝國のこだわりでもあるので、アンコールはやっぱこれでしょ!という感じ。そしてそこで「ある晴れた空の下で」が来たから、わたしは本当にもう、泣いてしまうかもしれないと思ったくらい。わたしにとって、「オレたち14帝國」を象徴するような曲です。時に不器用で、ちょっとカッコ悪いかもしれないけれど、懸命で、熱くて、キラキラして、笑ってる。いつまでも終わらない、続いていくかれら。続く「ゼロハンライダー」も、そんなかれらにぴったり。本当に、わたしもぴょんぴょん飛び跳ねながら、声を出して歌いながら、ありがとう、オレたち14帝國!と感激してたのです。

 正直、ライヒスリッターの新作が一作あったから、オレたちが消滅すると思ったことはなかった。それは、あのクオリティの高かったライヒスリッターを見ても変わらなかった。元帥のやりたいこと、目指すものは、元帥のコアなファンとはまったくいえないわたしには、なんとも読み取ることが出来ないもの。ただ、その才能と志向する世界の広さが、ライヒスリッターからさらに広く拡がったとしても、それは当たり前だと思うのです。でも、そうなったところで、かれが産みだして仲間と作り上げた14帝國の世界が薄まって消滅するわけはない。それは、そんな風に消えるにはもうあまりにも確定したものとして、様々な人々のなかで存在している。まさに、大いなる意思によって。

 これもまた14帝國。元帥が創り上げた箱庭の世界を、箱庭の砂を撒き散らす勢いで遊びまくっているオレたちの面々は、なによりも14帝國を愛しているのです。それを見てきた臣民も…とかそういうしちめんどくさいことをぼんやり考えながら、しかしその場はもう楽しくて、大はしゃぎしていました。あはは。

 そして、さらにそこで、元帥が呼びこまれたので、ああやっぱり最後はあれだな、となんとなく予想して、心構えはしてたんだけど、いやもう。わたしはバカだった。浅かった。まだまだ、かれらはそこ知れなかった。本当、この最後の一曲で、わたしは倒れたよ。定光寺中将が柊生元帥の肩を抱き、云い放ったあの言葉ときたら。ええ、「オレたち二人のために歌ってください、あの素晴らしい愛をもう一度!」ですよ。吹いた

 あの場にいたひとでわたしと同じ気持ちになったひと、いるかしら。うまく表現できる自信もないんだけど、リアルで「こういうとき、どんな顔をしたらいいかわからないの」だった。誤解をさけるためにいいますが、いわゆるみんながだいすきなあのてのおはなし的な乗りで吹いたとかではありません。そういうのじゃないの、ぶっちゃけ、萌えとかじゃないの!(萌えなら前半の春木大佐への中将の告白とかのがよっぽどげふんげふん)

 いや、中将ってすごいなーと思ったのです。これまでにも何度も感じたことはあるんだけど、そんなに無防備でいいの?ってあれです。その一言だけじゃなく、あの曲の間中ずっとそうだったんだけど、いや本当に、中将は14帝國のことが、柊生元帥のことが好きなんだねって素で思い知らされた。そして、そこに至るまでに、最後に一緒に「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌ってから、今日、ふたたび唄うまでに、5年の年月が必要だったんだ、と。なんか本当に、この二人の関係ははかりしれないと思いました。この5年はこれだったのかと思った。もちろん、ご存じなかたはよくご存知なように、ハイテンションのときの中将なので、ご本人は対して意識もせずに叫んだ一言なのだとは思います。が、わたしはなんというか、かなわないなあと思いましたよ。本当に、このひとたちにはかなわない。こっちはにこにこと見守るだけだ、こりゃ。

 全体的な感想としては「面白かった!次が楽しみ」に尽きます。そして感想を書きながら思ったんですが、本当にあの場所にいたひと、あの空気を吸った人間でないと伝わらないものがある内容だったと思います。再演しても、DVDを見ても、きっと、なにかが違う。なので、わたしもくだくだしく中身を再現するような感想を書く気にあまりなれなかった(まあ、書けなかったけど)。もちろん、わたしの感想レベルじゃ伝わらないどころの騒ぎではありませんから、これはすごく個人的なメモみたいな感想です。

 でも、わたしに限らず、5年間のおれたちの式典を見続けていた臣民にはきっとなによりの、かれらからの誠実が伝わってくるような、そんな空間だったとわたしは思いました。ありがとうといいたいです。ライヒスリッターが今後どうなっていくかはわかりませんが、それとはまた違ったジャンルとしてオレたち14帝國があるらしいので、素直にこれからが楽しみなのです。

 しかし、なんといっても次の式典はタイトルが「裸の大将」ですから!これまでに式典の数は多くとも、立花大将主役の式典って実は皆無に近いのです。要所要所は抑えるんだけど、主役はやらないひとなのだ。それでもいちばん主役ぽいのは、Vol.6かなーと個人的には思ってます。あれ何年前だ。というわけで、コメディ展開ではどのようなことになろうとも拍手で迎える覚悟はできておりますので、シリアス展開での活躍を切に希望します。ご本人の意思がどうかは無視して、長台詞とか!幻創論とか!(大将が語るんですよ、キャー)個人的には、シリアスの大将には、小悪党じゃなくて正統派の悪役、良い人キャラよりも凄腕職業軍人キャラが似合うと思うのです。いうまでもありませんが、一人称は「私」でよろしくお願いします(平伏)。なんだかわたしひとりの大いなる意思がいますごい勢いで生まれていますが、足りませんかどうですか。

 この5年間。先週のライヒスリッターとはまた違って、その意味を考える事が出来た夜でした。おかげで、わたしは久々に帝國のせいで大きく心を動かされ、さんざん訳の分からないことをつぶやいていたため、ご一緒した真夜さんと圭木さんには、多大なご迷惑をおかけしたかと思います。でも、あのとき一緒にいたのが、本当に昔馴染みのお二人で良かったですよ!(笑)楽しかったです、ありがとう、これからもよろしく!

大森望編「ここがウィネトカなら、きみはジュディ(時間SF傑作選)」(早川書房)



 実はこれまでわりと苦手意識があった海外SFですが、同じようなアンソロジイ「時の娘 ロマンティック時間SF傑作選」が面白かったので、これも手に取って見ることにしました。短篇アンソロジイが好きというのもあるのですが、これはやはりタイトルが秀逸。パッと見では意味がつかみにくいですが、まあ云ってしまえば「ここが名古屋なら、きみは柊生」みたいなものです、はい。時間をテーマにしたSF短編、13篇が収録されています。以下、収録作から、いくつかご紹介。
「商人と錬金術師の門」(テッド・チャン)
 アラビアンナイトに似た形式で語られる、時間を行き来できる門にまつわるいくつかの人生の物語。アラビア風味の世界が舞台なので、とっつきにくくなければいいなと思って読み始めたのですが、思いのほか読みやすかったです。また、過去を変えることはできなくとも、その意味を自分のなかでより深く噛みしめ、和解することが出来るというテーマが静かに響いて、美しい作品でした。そして、実際には、時の門がなかったとしても、この世界と時代に縛られたままでも、過去を自分なりに解釈しなおすことは出来るのでは不可能ではないとも思いました。事実は変わらない、けれど、真実はいかようにもその姿を変える、はずです。
「彼らの生涯の最愛の時」(イアン・ワトスン&ロベルト・クリア)
 時代を変えて何度も出会い直し、運命を変えようとする恋人たち…というのは、時間SFのなかでは、ある意味定番のストーリーなのではと思うのですが、これはなかなかとんでもない。無茶で軽く飛んでいて、けれど、芯にあるものは意外な純情であるようなので、はっちゃけた小道具が気にならない。ふざけすぎという印象はないのです。しかし、タイムトラベルのために時代に左右されない場所として選定されたのがあそことは。確かに下手な文化施設よりも、この世でいちばん見つかりやすく、異邦人が溶け込める場所なのかもしれないな。
「去りにし日々の光」(ボブ・ショウ)
 光が通りぬけるのに大変な時間がかかるため、過去の光景をその向こうに見ることが出来る素材、スローガラス。その産地を訪れた疲れ切った夫婦が出会った、ガラス職人の見つめる先にあったものは…。最後がちょっと感傷的にすぎるかもしれないけれど、スローガラスという発想自体がそういうものなので、似合いなのでは。SFというよりは、わたしの好きな奇妙な味寄りのお話と感じました。
「時の鳥」(ジョージ・アレック・エフィンジャー)
 タイムトラベルとヨーロッパ旅行をはかりにかけて、タイムトラベルを選べるようになった時代。歴史観光旅行の舞台として、アレクサンドリア図書館を選んだ青年が目にした、思いもよらぬ光景とは…。観光旅行のひとつとしてのタイムトラベルにまつわるもろもろの小道具や手続きがリアルで楽しいなと思って読んでいたのですが、その予想を裏切らなさもまた、このお話の皮肉な結論につながるものなのかもしれません。ちょっと意地悪だけど、ラストに納得いく作品です。
「世界の終わりを見にいったとき」(ロバート・シルヴァーバーグ)
 これも観光旅行としてのタイムトラベルを扱いながら、行先は「世界の終り」としての未来。はっきりと指し示されるわけではありませんが、読み手にじわっと伝わる皮肉でブラックなユーモアが、懐かしい感じの作品でした。80年代の日本SFにも似た味わいです。
「昨日は月曜日だった」(シオドア・スタージョン)
 月曜の夜に眠ったハリーは、水曜の朝に目を覚ます。いったいなにが起こったのか?基本設定自体は思いつく人がいるかもしれないし、よくある物の見方といえるかもしれないけれど、これをここまで発展させて理屈づけ、なおかつ登場する人物たちがお茶目で楽しい作品は無いかも。発想と、展開の勝利です。最初はきょとんとするかもしれないけれど、そういうものだと飲み込んで、二度読み直してみれば、面白さに目を開かれる思いがあるでしょう。
「旅人の憩い」(デイヴィッド・I・マッスン)
 場所によって時間の流れる速さが違うという設定を、架空世界の戦時下にあてはめてみれば、なんとも凄みのある、救いようのない作品になりました。この世界への昏いまなざしもまた、SFには必要な視点のひとつとして存在するものだとわたしは思います。タイトルが、なんとも。
「いまひとたびの」(H・ビーム・パイパー)
 過去の自分に戻って人生をやり直す、という設定は、すでにそれだけでオリジナルジャンルではないくらいに定着したものですが、これもまたそのひとつ。わたしはこの手の作品では、筒井康隆の「秒読み」が大好きなのですが、この作品もまた、もう一度やり直すことにより、世界を変えることとその可能性についての前向きな希望がほのかに漂う、読後感の良い作品です。
「12:01PM」(リチャード・A・ルポフ)
 一日の同じ時間が永遠に繰り返され、そのなかにひとり佇みながらそれを何十回でも体験し続ける男。なんとかそのパターンを破ろうともがく男の真剣さと、たちはだかる運命の両方に、重く哀しいものを感じます。これって設定を微妙に変えれば、ある種の幽霊譚にだってなりそうです。つまり、それくらいにひとつの時間、場所に囚われた人間の運命はものぐるしいということ。
「ここがウィネトカなら、君はジュディ」(F・M・バズビイ)
 ここでは時間が繰り返されることも、止まってしまうことも、閉じ込められることもなく、過去と未来を自由に行き来するわけでもない。人生の様々な時期を、滅茶苦茶な順番で生きていく運命にある二人の男女のロマンスを、不思議な発想と展開で描いた作品。ロマンティックで、せつなくて、どこか不思議。最後のセンテンスを読んだ時の充足感は、これがその自由さを許してもらったジャンルであるからこそのものであると感じました。様々なものに縛られず、様々なものを内包する自由さ。(そして時には、縛られること、一つのものに固執することができる自由さも含めて)多分、それがわたしにとってのSFです。読んだあとに、微妙に世界が変わるような不思議な居心地の悪さを感じさせられるという意味で、良いSFを読んだという印象がしました。最初はややとっつきにくいかもしれませんが、構造が分かれば、すごく面白いはず、おすすめです。
 すべての作品が、時間SFと区切りつつも、さまざまな趣があります。それで分かったのは、やっぱりわたしはハードSFとか科学的理屈にはまったく感性が鈍くて、ある種の特殊状況におかれた人々の感情とか心の動きとか、思いもよらぬ行動などがメインでないと反応できないんだなということ。しかしそう思えば、時間SFは、まさに、「終わってしまった過去」「これからの未来」をどうにかしたい、或いはそれに振り回され続けている人々のお話なので、思いのほかわたし好みのジャンルであるかもしれないのです。もうちょっと色々と読んでみようと思います。

楠本柊生帝國元帥Presents「ライヒスリッターVol.27~帰ってきた元帥」(名古屋ダイヤモンドホール)

 さて、今日は、名古屋ダイアモンドホールにて「ライヒスリッターVol.27~帰ってきた元帥」です。ライヒスリッターというかたちで元帥が式典に戻ってくるのは、今年の2月の同じく名古屋ダイアモンドホールでの「楠本柊生帝國元帥 presentedライヒス・リッター「第14帝國物語~元帥がやってくるYar!Yar!Yar!~」」以来になるのかな?そうしますと、約1年ちかく。わう。しかしながら、ライヒスリッターと申しつつも、今回の式典では立花大将が欠席。そして、代役として(?)、かの安田大サーカスのクロちゃん、黒川明人大将が参加となっています。

 いや、何の根拠も後ろ盾もなく云うけれど、それを知った段階で「微妙」くらいに思う権利は、このわたしにはあるはずだ。だってわたし、タチバナ―歴13年ですよ?欠席に何らかの事情があるならば、それはそれは仕方がない。だったら欠番でいいじゃないですか。バンドマンや俳優が多数出演のアーデルやカイザーならいざしらず、なぜ、よりにもよってこのライヒスリッターで、芸人さんを呼んでこないといけないのか。わたし、安田大サーカス自体は好きですし、クロちゃんだって可愛いと思います。しかしそれはそれこれはこれ。ライヒスリッターだよ?といきり立つくらいには、わたしもうっとおしい古参臣民でありますよ。しかしそうやってブツブツ云い続けてたわたしの心をすとんと落ち着かせたのは、同じ帝國古参臣民の真夜さんによる「いいじゃん、お祭りなんだし。それに帝國が見たければ、オレたち14帝國があるんだし」という一言でありました。そうだね、まずは楽しもう。

 この式典は、来年1月に再演予定ですので、以下の感想は、読まれても、作品の核心はつかめないでしょうし、なによりも久しぶりに、☆電波度ピカイチ☆な、長い感想になりました。それらのことをお許しいただける方、よろしければお読みください。

 会場では、色々とお忙しい圭木さんと再会。そこで天崎少将がもうすぐ39歳のお誕生日であるという血も凍るような数字の話になる。いや、それはわたしもタチバナ―歴13年とか云ってるわけなので、不思議なことはないのですが…。そこでは関東臣民の皆さんとも一瞬再会。お話したかったのに、なんか気持ちだけ騒いでて慌てて会場入りしたため、ちゃんと会話も出来ずすみませんでした…。そして、場内で受け取ったチラシの「おい立花!」チラシに受ける。可愛いなあもう。さらに、リッター紹介のチラシに、見知らぬ三人の名前を発見しました。写真も無いのでなんとも判断しようがないのだけど、なかなか古風なお名前で、リッターらしいなと思いました。飛嶋丸太郎少尉、大安慶治少尉、翔吾卓哉少尉といわれます。少尉が三人入ったということで、そのそばの阿久須少尉と児玉少尉の写真を確認すると、嬉しいことに、そこには少尉の文字でなく中尉の文字が。おめでとう!引退直前の、Vol.18での尉官戦国時代以来だと思えば、10年越しの昇進ですね、児玉中尉!我がことのように嬉しいよ。ぜひこのままスムーズに大尉にも昇進して、有馬大尉との素敵コンビを確立させてください。

 やがて、場内が暗くなって、「Numb」が聞こえてきたときに、ふと思った。わたしはこれからなにを見るのかまったく予想してないんだな、と。オレたち14帝國の場合は、内容に信頼を持っているため、にこにこふわふわと待つことが出来る。元帥が戻ってすぐの式典は、再演だったから、そう怯えずにすんだ。けれど、これは新作で、大将もいない。本当になにが起こるか分からない。怖いな、とちらと思ったわたしの前に現れた、あの、圧倒的な赤い光。抵抗できるわけがない。大将のかわりに天崎少将が読み上げる元帥の略歴を聞き、「名古屋のみなさんこんばんは、劇団第14帝國です!」という声、そして現れる柊生元帥を見れば、もう、見つめるしかなかった。ただ、今回は新人少尉と思しき三人と吾妻中佐のダンスも盛り込まれていて、ひときわ華やかでカッコいいオンブラッタであると思います。ダイヤモンドホールでのオンブラッタは、臣民にとってひときわ意味深いものであるしね、すごく良かったです。
 
 前半。元帥が姿を消してから5年のち、議会派の台頭はめざましく、その勢力はライヒスリッターが統治する帝都にまで迫っていた。物資や兵器の備蓄も少なくなっている状態で、奮闘しつづけるリッターたちの元に、空から怪しい物体が降ってくる。密偵も暗躍する元帥府に、ふたたび姿を現した元帥の言葉の真意とは。さらに、何事もなかったように存在している黒川大将の不自然さに戸惑う元帥は、5年前の雪山で起こったことに思いを馳せる…。

 この前半に関しては、最初のうちは、見ているわたしの気が張り過ぎていて、つまり、これは何なのか、ライヒスリッターとしてなにを見せようとしているのかというのをなんとか把握しようとしていたんですが、わりと最初の段階で、客席に笑いがこぼれる展開に、ちょっとリラックスできました。ああいう小悪党やらせたら風間少佐は素晴らしいな。あと、クロちゃんが口を開いた瞬間にシリアス展開が続くわけもない(笑)。クロちゃんは基本出オチのひとなので、見事に仕事をこなして下さいました。こういう風に前半の展開で、笑いも入るところが、ライヒスリッターぽい感じがします。

 また、この世界では、五年の間、元帥はいなくなったことになっているわけです。わたしの記憶が曖昧なうえに、結果的に元帥にとり最後のライヒスリッターとなったVol.15と16の再演を、わたしが見ていないので、ちょっとついていくのに戸惑いましたが、雪山っていうのはそれのことですね、たぶん。しかし、この場面で出た「昆布の養殖」だの「パン屋」とかいうキーワードには、思い出がくすぐられてしまった。パン屋はともかく、昆布の養殖はいけないですよ中将…。そして、ここで記憶の統合に戸惑う元帥の様子に、幻創論の匂いを感じて、ぐっと引きこまれました。

 あとはやはり天崎少将の悪人ぶりでしょうか。それでこそ。髪も短く揃えられ、ルックス的にも素敵でしたが、裏切りの理由は分からないままでも、実にカッコいい!基本、悪人がなかなか存在しない帝國で(元帥除く)、ストーリー上の悪役といえば、中将が頑張ることが多いのですが、中将は純粋な悪というより、より偏執的な感じがするのです。どっちも好きですが、この野心を隠さない天崎少将は本当に素敵でした。キャー。

 オールナイト。

 ここでは、クロちゃんはあくまでお客さんなのですが、とてもサービスして下さっていて、それをつっこんだりいじったりする天崎少将が実に楽しそうで可愛かったです。「さっきまでクロちゃんに興味なさそうだったくせに!」とクロちゃんは云ってましたが、それ、たぶん地道に観察してたんだよ。で、満を持していま弄ってるんだよ。天崎少将はきっとそういうひと。

 そして同じくとても楽しそうな中将。あのね、わたし最近の式典の感想で、中将に関してはこれしか言ってない感じであれなんですが、他のことも云わせてほしいのは山々ですよ。まったく同じことを8月の式典感想でも云っていますが、また云います。コピペじゃありません。いつでも一から書いて同じことを云ってるんです。はい、何度でも云います。お願いですから痩せて下さい。いつもね、オンブラッタでお顔を拝見すると「あ、痩せた?」って一瞬安心するんです。それはシャドウを思い切り入れた顔しか見えないからだと、すぐに気づくのです。おなか…。そのおなか…。元帥はハゲキャラでいじろうとするんだけど、あのね、あの年齢まであそこまで前髪を持ちこたえてる人は別にハゲじゃないから。持ちこたえられなかった誰かさんは、潔くスキンヘッドになったから。元帥、五年貴方が帝國を離れていらっしゃった間に、そうやってリッターのあいだでもジョブチェンジが行われております。でもそんなチェンジやだ…。

 尉官ズ。長沢大尉が求めておられるお客さんとしてはまったくのボリュームゾーン外であるわたしは、素直に、これ、全体で30秒くらいだったら温かく見守れるのにとか思ってしまいます。楽しんで見守っておられるかたには申し訳ない。ああ、でも、本当にそうなったら児玉少尉の出番も減ってしまう…。確かに、あの児玉少尉が、ぎこちないながらもツッコミが出来るようになったなんて、10年前から見ているお姉さんとしては、赤飯を炊きたいくらい嬉しいです(わたしの料理でよければな…)。しかし有馬大尉の不思議馴染みっぷりには敵わないので、尉官ズは長沢大尉と有馬大尉にお任せで、どうでしょう、児玉少尉は、いっそイメージボーイ復活あたりの担当でも、わたしはまったく気にしませんが。わたしは(しかしそれもさらっと翔吾少尉あたりにさらわれてしまいそうだ…)。わたし、児玉少尉には、もうちょっと作りこんだシチュエーションコメディとか似合うと思うんだけどな。アリキリの石井さんみたいな感じで。

 成り上がり。そういえば今日は秋山少佐がいないよなと思ったところを、まさかまさかのカッザマーンの登場が。いやしかし、眼帯と衣装をつけたその姿は素晴らしかったですよ。イケメンはなにやってもイケメンだな、ちえ(笑)。素敵。さらに、あとで現れた唐草風呂敷マントVerのカノーンさまにも萌えさせて頂きました。可愛い可愛い可愛い。よし、二人とも今後はずっとこれでいいよ!(笑)しかしアックスくんのこの達者ぶりはなんだろう…。本当に勘が良い子なのだと思います。

 そして後半。中将は不思議なハゲの宇宙人に拉致されそうに。かれらを部下にしていたのは元帥だった。5年間のあいだ、宇宙海賊として惑星破壊の仕事に勤しんでいた元帥の、新たな目標はクロマニヨン星。しかしそこにはすでに過去に元帥に惑星を破壊されていたネアンデルタール星人の姿が。かれらの仲を何とか取り持つものの、結局は惑星を破壊してしまう元帥と中将。14帝國まで逃げた二人を追ってきた宇宙人たちは、記憶変換装置を利用して、リッターたちの記憶から元帥を消してゆき…。

 これがもう何からいえばいいのか。拾っていけば本当にきりがないくらい、前半の世界の再構成で笑いを引き出すやりかたが、すごく楽しかった。同じ台詞が違う意味を持って二重三重の効果を生み出すのです。ライヒスリッターだ、ライヒスリッターの式典だ(笑)と、笑いが止まりませんでした。また、宇宙海賊になってた元帥のキャラが素敵に鬼畜で、あ、私の知ってる元帥発見と思いました。ここも小ネタがちりばめられてて、本当に楽しかった。惑星を破壊してしまい、呆気にとられつつも、撃墜マークを足すあたりとか、ああん、これが柊生元帥ですぅ(咲)。

 さらに、ネアンデルタール星の祭という名を借りたGPRAライヴ(笑)も、楽しくもカッコ良かった!新人少尉たちがこっち系なのは、オンブラッタから承知ですが、ダンスの切れが美しく、カッコよく、見ていて本当に楽しかったです。さらにここでは、クロちゃんと天崎少将のコンビが楽しすぎです。あまちん、それ「どーんどーんどどーん」やりたいだけやろ、みたいな(笑)。そして、海賊団の団長?ということで、元帥の身体に2人の手がかかったときには、ええ、わたしは期待しましたよ!元帥が男を見せてくれると思ったのに!(ないから)。さらにここでのチキンレースで、着実にクロちゃんのハードルを上げていく元帥のにこやかな様子が、とてもとても柊生元帥って感じで、楽しかったです。あんたやっぱりそういう人だ。さらにここでの、AKB48「会いたかった」。狙いが分かるだけに悔しいけれど、「どーんどーんどーん」は苦笑していただけの元帥が、「会いたかった」はきっちり振りつけて踊るんですよ、あのね。本当に可愛かったです…。

 さらに、元帥と中将の二人が第14帝國に戻ってきて、再び、前半の展開の再構成が始まり、元帥が元帥たらなくなっての追放という流れになります。不審者扱いされた元帥(ここでの佐官たちの芸達者ぶりの楽しさときたら)に、尉官たちが声をかけるあたりは実に和みました。ええ、児玉少尉が可愛かったですよね。他の場面でも、有馬大尉と二人して少尉たちの話を聞くあたりとか、ちょっとした場面だけど、良かったです。有馬大尉との不思議な関係性が垣間見えるようで楽しかった。まったく余談ですけど、この二人が一緒にいるだけで、わたし、にやついてしまいます。おかしな意味でなく(わたしの頭はちょっとおかしいですが)。しかし、そこで、児玉少尉はどのリッターのことを聞かれるかとわくわくしていたのに、風間少佐の乱入で、聞けなくて残念。ここでも風間少佐の小悪人ぶりが素敵です。お誕生日おめでとうございました。

 そして、ここらあたりから、わたしはじょじょにたまらなくなっていたわけです。最初にブツブツ云ってたわたしですが、これは、ライヒスリッターだと思いました。間違いなく、ライヒスリッターの式典だと思った。東名阪二回ずつ回って、最後のアンコールは愛知勤労会館です、みたいなこと云われても、何の不思議もなかったと思います。そしてわたしはファンサイトを更新して、何回目かの変更とか拾って感想をUPして…。そんな、有り得たライヒスリッターだと思ったのです。五年前に元帥が帝國を離れることがないまま、定期的な式典を続けながら、新しい試みや新しい血を入れていたなら、いまもまた存在していたかもしれない「ライヒスリッター」。自分がまるでパラレルワールドにいるようで、気持ちがぐらつきました。有り得た可能性、有り得た未来。存在したかもしれないリッター。起こったかもしれなかった笑い。それが、目の前に広がっている。ある意味で、これも幻創論なのかもしれません。けれど、わたしがどんなに錯覚しそうになっても、ほんのわずかの蝶の羽の動きで、世界が変わるように、運命のわずかな違いの結果、この式典は、元帥の復活式典として存在している。それが五年後の現実です。

 さらにまた、現在のわたしには「オレたち14帝國」があるのです。わたしは元帥が帝國を去ってから、ずっとかれらを見てきました。わたしにとっては、「オレたち14帝國」もまた、有り得た14帝國のもうひとつのかたちです。Vol.19あたりでかれらに起こったと思しき新たな展開を、選ばなかった場合の14帝國。わたしはそれがたまらなく好きです。わたしにとっては、いま、それこそが14帝國になっていたのです。それをこの式典で思い知らされた。なんてことだと思いました。時が、流れた。流れてしまった。そういうことです。

 それもあってか、元帥が射殺されたあと、宙に浮いて語った、リッターへの贈る言葉についても、本当に申し訳ないことながら、そこに至るまでの流れも、元帥の悟りの鋭さも、良さも、込められた意味の重さも十分に分かったうえで、わたしはただ、傍観してしまった。それはわたしがあまりに頑固で、素直でないだけなのかもしれません。それでも、わたしは「戻るぞ、第14帝國へ!」に泣けなかった。すごく泣きたかったし、感動したかったのは本当で、号泣したと云えればどんなに良いかと思う。いまここでこんなことを書く必要があるとも思えないし、実際に泣いてた人もいる(ていうかそっちのが多数派です、きっと)。そういうひとには、なにカッコつけてんだ、気取ってるんだと云われて嫌われてしまうかもしれない。申し訳ないです。この感じかたは、この5年をどうやって過ごしてきたかですごく変わるような気もしますし。だからいま書いていることはぜんぶ、わたし個人の感想や思い込みであることもう一度強調します。

 ただ、わたしは、いままで元帥が帝國を離れたと思ってなかったんだと思いました。だから、戻る、と云われても、あなたはずっとここにいたじゃない?と感じました。それはわたしがこの五年のあいだ、オレたち14帝國の式典を見てきたからです。あそこには元帥がいたのです。そしていまでも存在しています。ずっと。現身としてはなくても、あの世界を構成する一部分として、元帥がその姿を消滅させたことはなかったとわたしは信じます。あのときから、式典を続けてきた残ったリッターたち皆が、なによりだれより、定光寺中将が!そうさせなかったんですよ。終わらせなかった。元帥という存在を消さなかった。あなたは消えなかった。あなたは帝國を、去らなかった。ああ、これこそが、本当の意味での、幻創論の現れなのかもしれません。そう思って、たまらなくなりました。

 そして、自信を持って帝國に戻った元帥によるその後の展開は、なんというか、実に楽しく、同時に力強くて、良かったです。軍勢が一人になった天崎少将と吾妻中佐のやりとりには爆笑。吾妻中佐の「ご武運を」に痺れました(笑)。さらに、さらなる大いなる敵の伏線も生かされ、これからを見据えた元帥の視線の鋭さが素晴らしかった。

 …本当に良い式典でした。初日は思えない台詞の入り具合と、リッターそれぞれの個性が生きた活躍と見せ場が楽しめました。MVPは天崎少将かな(笑)。が、さらに、五年後の帰還という、元帥のキャラクターとしてのアイデンティティの確立という難問もクリアして、ライヒスリッターの本式典として文句が無いものだったと思います。ゲストの黒川大将は、本当に大活躍かつキャラが生かされた素敵な芝居を見させていただきました。命の危機があるわけでないので、良いお仕事だったでしょうか(笑)。3時間という長さは、ちょっとしんどかったけれども、しかし、式典はいつもそうだったから、仕方がないかも。

 ただひとつ難点があるとしたら、それはもう色んな事情があったとは思いますが、わたし、この式典を、今年の2月に始まった一連の再集結、最初の式典にして欲しかったです。これを最初に出したあと、懐かしの式典を再演するというのならまだ分かるけれど。これを最初に見ることができたなら、わたしもまた違う受け止めかたをすることが出来た、きっと。これもまた、云ってもしかたがないことなのですが。

 そういえば、最後の挨拶で、元帥はあれこれ云ってたし、あまつさえ謝罪までしていたけれど、わたし個人はそんな必要をまったく感じませんでした。それを聞きたいひと、云いたかった元帥のことはまったく否定しないけど、わたしには作品で十分だと思いました。創作者だから、それでいい。そして、最後に、舞台で握手する中将と元帥を見て、このお二人の関係性に関しては外野があれこれいえることは何もないけれど、ただ、また手を取れて良かったねと思いました。わたしは、ゼロか百か、白か黒かとはっきりした答でないと許せないのは子供の証拠だと思います。曖昧な状態のままで、それでもこれからに期待を持ちつつ、含みを持たせた関係を他人と持つこと、それが最良とまではいいませんし、見当違いのことを云ってるかもしれませんが、舞台の上にいるリッター全員にとって、いまの状態がベストであることを祈ります。わたしはただの臣民だけど、13年もかれらを見てきたんですから、ただ、かれらが楽しく幸せであることを願います。どうか。

 久しぶりに客出しもあるようでしたが、時間も時間だったうえ、ロビーの混みかたが殺人的だったため(なおかつうっかり児玉中尉が物販にいるところに居合わせたりしたら、「カードは使えますか?」とか訳の分からないことを云いそうだったため)、終了後は速やかに外に出ました。あの混乱で、ご挨拶できないままお別れしたお友達の皆さまには失礼をしました。またゆっくりお話しさせて下さい…。

 外では、式典には未参加のM嬢と久しぶりに会いました。彼女にもお勧めしたのですが、今回の式典、シュウセ二アン(元帥ファンの恥ずかしい呼び方)とアマザカー(天崎ファンの正しい呼び方)は必見ですよね。昔の臣民のかたで、いつのまにか卒業したひとなどにもおすすめです。1月に再演があります。ただ、わたしはいまのところ参加するつもりはないです。なんだか、色んな意味で胸がいっぱいになってしまって、この一回で受け止めたものだけを大事にしていきたいな、と思いました。繰り返し見ることで、その印象がぶれるのが寂しい。まあ、児玉中尉には未練があるので、うっかり参加している可能性もあります。否定しません(笑)

 でも、いまのところは、来週の「オレたち14帝國」ですよ!これもまた本当に楽しみでなりません。どんだけ名古屋に行ってるのかわからないくらいですが、いいの。そこにしかないから、行くの。また、駅では、10年振りくらいに、N嬢とも再会しました。声をかけて下さって有難うございました。もしかして…と思いつつ、声をかけにくかったとはN嬢の言葉。そうですね、「くさてるさんですか」って、かなり声をかけにくい名前だと思います。でも、わたしは人の顔を覚えるのがすごく苦手なので、話しかけて頂けないとこちらからはまずご挨拶できなかったので、本当に良かったです。相変わらず実に愛らしく、かわいそうなほどオタクでした。それでこそN嬢。

 そのあとは真夜さん宅にお邪魔して、手料理に舌づつみを打ちながら、そのまま長々と語りました。式典後のお約束とは云え、朝の6時まで語ったことを、この場で真夜さんにお詫びしたいと思います。しかしまだ語り足りないなんてナイショだ。

「すべての終わりの始まり」キャロル・エムシュウイラ―(国書刊行会)



 「私はあなたの家で暮らしているけれど、あなたはそれを知らない。私はあなたの食べ物をちびちびかじる。あれはどこに行っちゃったんだろう、とあなたはいぶかる…鉛筆やペンはどこへ消えるのか…一番上等のブラウスはどうしたのか。(あなたと私はぴったり同じサイズ。だから私はここにいるのだ。)どうして鍵は定位置の玄関脇にはなくて、枕元のテーブルまで移動しているのだろう、とあなたは思う。たしかにあなたは鍵をつねに玄関脇に置く。あなたは実に几帳面だ」(p7「私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない」より引用。)
 わたしは海外文学が好きなのですが、長編の場合は、本当の意味で長く分厚い作品が多いのも海外文学。それで最後まで読んだらハズレなどという哀しいダメージがしんどいので、まずは面白い短篇小説と出会えないかとよく探しています。これもそんな風に探しているうちに手に取った一冊。タイトルと、冒頭に引用した一作目の冒頭に惹かれました。カバー見返しによると、SF寄りの作家とのことで、現代海外SFはちょっと苦手な自分でもいけるかなと思わないでもなかったのですが、これはいけました。全部で20の短編が収録されています。そのうちいくつかをご紹介。
私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない
 タイトルの通りの内容。けれど幾通りも解釈することが出来て、すごく奇妙な話です。わたしは最初、認知症が始まった女性の妄想話かと思った。けれど、どうもそういうものではなく、「私」は実体をもって「あなた」の生活を侵食していく。やがてその干渉は大胆なものへと変化していき、「あなた」の人生をも左右するような展開へと…。とてもスリリングで、やっぱり奇妙な話としかいいようがない。シャーリイ・ジャクスンを連想しました。
「見下ろせば
 鳥のかたちをした生き物と、それを神と崇める「半人間」。神である「俺」が、「半人間」の神殿に囚われの身となったときから物語は始まります。より大胆に長い物語となることも可能だったかもしれないけれど、そうしたら、単なる異世界ファンタジーで終わったかも。ある一部分を切り取って出したことで、印象深い物語となりました。「俺」の造形が、実に美しく、その「人物像」がくっきりとして勇ましい。
ウォーターマスター
 水路と水門を管理する男、ウォーターマスターと出会った少女。伝説の存在だったかれの真実の姿とは…。これもどこか神話めいていて、けれどそこにいるのはひとりの男と少女の平凡ともいえる姿だったりします。水がすべてを支配する世界。その運命が、解放感溢れる最後の場面から、まさに水の奔流のごとく広がっていくような、作品です。
悪を見るなかれ、喜ぶなかれ
 アーミッシュを連想させるような、語りと欲望、視線が禁止された村で、男と目を合わせてしまった女性が、そのままではいられなくなっていく物語。少しずつ少しずつ、けれど、変化は明らかに彼女を変えていき、それから目をそらすことは出来ない。これもまた、最後の解放感が心地良く、けれど同時に自由の持つ寂しさと厳しさも感じさせるような作品です。
石造りの円形図書館
 遺跡を発掘することを生きがいとする老婦人の生活を描きながら、少しずつタガが外れていく心の軌跡と夢、立ち現われる幻想とのコントラストが、凄みを帯びて美しい。そして同時に、読む側を惑わせるような作品です。そう、美しい。けれど、わたしは哀しいお話だとも思いました。
ジョーンズ夫人
 古い農家に住んでいる行かず後家の姉妹。二人は適度に憎みあい、生きづらさを感じつつも、変わり映えのしない生活を送っていた。けれど、ある日妹が「彼」と出会ったことから、物語は始まる。どういう話と例えていいのか分からない。寓話というか、歪んだハ―レクインのパロディとでもいえばいいのか。後味はもちろん良くはないけれど、洋の東西、時代を問わず、こういうロマンスの訪れを夢見たことが無い、あるいは理解できない女子はいないのではないでしょうか。だからこそ、この物語が体現する欲望はグロテスクでありながらも、すこし、悲しくてユーモラスであるとわたしは思いました。
ジョゼフィーン
 老人ホームから脱走してはつかまるジョゼフィーンと彼女を捕える役割を任されている「私」。今夜も徘徊を始めたジョゼフィーンを追いかけるうちに、私は思わぬ方向へと歩んでいくことに…。これは美しい、けれどとても奇妙なラブストーリー。不思議な話でありますが、どこか心が温まります。
いまいましい
 「彼ら」を探し求める一団の苦難と試行錯誤の日々を描いた、フェミニズム的皮肉がきいた作品。でもユーモラスで、ちょっとおかしい。短いけれど、好きな作品で、タイトルの意味に思い当った時に、さらにおかしくなりました。
 確かにSF寄りで(わたしのなかの海外SFに対する偏見として、まったく理解できないガジェットとアメリカンジョークが混ざり合って並べられるというものがあります)、ちょっととっつきにくい作品もありますが、むしろそれは味付けていどで、説明不要の不思議な世界観が語られているものが多い印象です。その不思議さの味わいと、女性なら通じ合う感覚が交ざりこんで込められている感じが、わたしには面白い作品集でした。不思議な感覚を味わいたい人におすすめです。

「悪魔の薔薇」タニス・リー(河出書房新社)



 「わたくしをだれだとお思いです?」彼女は言った。「おまえのなめらかな肌に、がさついた肉をこすりつけたいと願う耄碌した老婆?正気も選り好みも持ち合わせぬおまえが、幻によって、快楽の名残によって堕落させ、そののち命を奪い、指から宝石を食いちぎってやれる老婦?それともおまえの若さを体液とともに舐めとろうとする、みだらな欲望を抱いた老女?わたくしがそのようなものだと?とんでもない」(p25「別離」より引用)
 いろいろ本を読んでいるわたしですが、いわゆる剣と魔法系のファンタジーは苦手であります。ラノベでも小説でもマンガでもあまり惹かれない…。唯一OKだったのはグイン・サーガですが、あれもまた正統派の剣と魔法ものかといわれたらなにかが違うような気がします。しかし、このタニス・リーに関しては、以前、短編集と「平たい地球」シリーズを読んだ思い出があります。しかしそれも下手したら10年以上前で、なんとなく面白かったという曖昧な印象しか残っていません。なので、たまたま河出の奇想コレクションのなかに短編集が存在しているのに気がついて、読み始めた時も、そんなに期待はしてなかったのです。それがあなた。いや、びっくりした。ていうか、そもそもタニス・リーは、剣と魔法系のファンタジーじゃないのかもしれない…。絡みつくような濃厚な文体と対照的に、ひんやりと冷めて対象を見つめる視点、それによって繰り出される物語の奥深さは、神話的なものさえ感じさせます。好き嫌いは大きく分かれるでしょうけど、わたしはこういう、悪文すれすれの、しつこい比喩と目的を見失いかけるくらいの絢爛豪華な修飾が散りばめられた文章が大好きなので…(自分が書いたら単なる悪文になるんだけどな…)。いや、これは好きだわ…。以下、いくつか感想を。
「別離」
 年老いた女吸血鬼と、彼女に仕える従者を登場人物に、二人の別れと新たな出会いを描いた作品。わたしはこういう置いていくものと置いていかれるもの話に致命的に弱いので、それだけでも良いのですが、キャラクターの人物像がくっきりと際立っていて、目に浮かぶようとは本当にこのこと。最後の一文が、哀しくて、たまらなく美しいです。
「悪魔の薔薇」
 田舎町で足止めを食らった主人公が教会で聞いた悪魔の伝説と、教会で出逢った美しい娘。この二つが思いもよらないかたちで結びあうラスト。いや、まさかそういうおしまいが用意されているとは思わなかった。まさにタイトルが示すとおりの話です。
「魔女のふたりの恋人」
 囲い者であるジャーヌが、ある日、恋に落ちる。そして、その恋を自分のものにするために、女がなることが出来る存在、魔女になった。しかし、その魔法と想いが、思わぬかたちでジャーヌの運命をもてあそんで…。これはさまざまな教訓と、恋の意味するものについて考えさせられるお話。寓話めいてはいますが、それだけにとどまらない残酷さと哀しさに満ちています。
「黄金変成」
 騎士が忠誠を誓った王のもとに現われた、美しく、なおかつものを黄金に変えることが出来る娘。騎士はその娘を怪しみ憎んだが、やがて娘は王の妃となり、王子を出産した。騎士の疑念はやがて確信となって、娘の正体を突き止めることとなるが…。萌えた。あ、すいませんつい。ただそれだけであれば、ありふれたお話であるかもしれない展開を、最後の最後で、騎士に消せない後悔が残ることで、どこまでも不吉な雰囲気が残る作品となっています。禍々しく、美しい。
「蜃気楼と女呪者」
 ひとりの仮面を顔から外さない魔女が、街の若者たちを食い物にしていくことを誰にも止められなかった。しかし、ある日、その街を訪れた楽師が、魔女の屋敷を訪れたときに…。わたしはこの話、好きだなあ。ちょっと甘すぎるというひともいるかもしれないが、魔女の美しさと可愛らしい愚かさが、ある意味「愛」の本質をとらえていると思うのです。こういう魔女は、きっとどこにでもいる。現代でも。日本でも。もしかしたら、わたし自身も。
「青い壺の幽霊」
 あらゆる魔術を使う魔道王のスビュルスにも、手に入らない美姫ルナリアがいた。彼女の心をとらえるために、ありとあらゆる珍しい贈り物を探していたスビュルスの前に現われた青い壺の中身とは…。すこし皮肉で、切ないお話。魔道王のスビュルスのキャラクターが、よくある冷酷一辺倒の無敵の魔動王にとどまらないあたりが可愛くも、ルナリアの最後の述懐がせつない。これもまた恋のお話であります。
 対象と距離を置いて冷静に物語が組み立てられてはいても、その物語を彩る言葉は、冷静どころか情熱的にうるわしい。そしてその文章によって立ち上がる光景や人物は、なまめかしく生き生きと息づいて、単なる神話や寓話めいた世界より、ずっと頽廃的で、この世でない。なのに、そこに広がる感情や運命は、我が身にひきつけて思うことが出来るほど身近なものが見つかったりします。ううん、タニス・リー、ちょっといろいろ読み返したり、新たに読んでいこうと思いました。おすすめ。