そしてあなたに会いに行く

※以下の文章は2022年1月5日、名古屋ダイヤモンドホールにて行われた第14帝國「会いに行ける元帥」の公演DVDの感想、そして、それにまつわるさまざまな述懐を思うままにつづったものです。現在は(おそらく)入手困難であるかと思われますが、DVDの完全にネタバレですので、ご注意ください。また、一般臣民であるわたし(くさてる)の個人的な思い入れによる自分勝手な文章でありますので、客観性はございません。どうぞその点にもお気をつけください。以上、勝手を申しますが、どうぞよろしくお願いします。

 コロナのせいで、当日は参加できなかったこの式典。当初予定されていた配信も中止となり、どうなることかと思っていたのだけど、定光寺中将がうっかりさんだったおかげで音だけは共有することができました。当日は泣いたなあ。ほんとうにただただ泣いて、終了後は、「ありがとうございます」と繰り返したことを覚えています。

 たくさんの臣民の皆様がTwitterに上げていたり、友達から送られてきたりした当日の写真、さらにはリッターの皆様が上げて下さった動画や写真を見るだけでも、現場の雰囲気を感じることはできました。けれど、やはり、実際の画面を見たい気持ちはあたりまえ。なので、その後、DVDの発売が決まったのはとても嬉しかった。作成にたずさわったすべての関係者のみなさまには感謝しかありません。なんども書きましたが、また書きます。ほんとうにありがとうございました。

 注文後、とうとう待ち望んでいたDVDが届きましたが、当日は忙しかったこともあり、すぐに見ることはできませんでした。それでも、元帥の背を映したパッケージを眺めて、自分は何を見ることになるのかなあと思いました。内容はもちろん分かっています。でも、実際に、DVDという映像で見たときに、なにが起こるのかと考えたのです。これからちょっと乱暴な言い方になります。どうぞご容赦ください。

 わたしは、DVDを見たら、自分の中の元帥が死んじゃうと思ったんですよね。

 訃報を聞いてからずっと、リアリティを持たないままでいた事実が、現実になっちゃう、と思いました。もちろん現実は現実なので、その事実はふっと現れてわたしを泣かせるんだけど、やがてまた去っていって現実感は薄れていく。その繰り返しでしかなかった。でもさすがにこのDVDを見たら、ほんとうの意味で、元帥はわたしのなかで死んじゃうんじゃないかなあと思った。つらい。でも、見ないという選択肢はなかったんですよね。あたりまえじゃないですか、わたしがどれだけ帝國を好きだったと思ってるんですか。ただそれでも、ねえ。

 そんなことを思っていて、いつになったら見られるかなと思っていたDVD。結果として届いた翌日には見ました。だってわたし帝國が好きだから……。

 というわけで、前置きがたいへん長くなりましたが、これから先は、そのDVDの感想になります。繰り返しますが、ネタバレです。

 響いてくる「Numb」を聞くだけでもたまらなかったけれど、続いて元帥が旅立った旨の文章や献花台の様子が映し出され、「会いに行ける元帥」の文字がしずかに浮かび上がったのを見て、さすがに胸にせまるものがありました。さらに、あの見慣れた元帥の肖像が、浮かんで、消えて。

 そして、「カルミナ・ブラーナ」が鳴り響く中、幕が上がった瞬間。あの赤い光と、たなびく旗のもと整列しているリッターを見たら、うわ、と思いました。そして始まった、中将と大将による、元帥の略歴の朗読。これまでにトータルで何回聞いたか分からない、あの略歴。それを読む、中将の手がぶるぶると震えていた。「名古屋の皆さんこんばんは、劇団第14帝國です!」あの自分でも暗記している台詞が、〝名古屋の皆さんこんばんは〟の響きが、たまらなかった。

 やがて、中将が「それでは紹介しよう」と言ったとき、そんなことはまったくもってありえないのは分かっているのに、わたしは元帥が出てくるんじゃないかと思ってしまった。ない。そんなことはない。分かってる。でも思ってしまった。中将の表情を見て、それでもそう思った。願った、の間違いかもしれない。いやでも本当に、元帥なら、元帥だったら。ここにいたってわたしは知った。わたし、ほんとうに元帥が死んだなんて信じてないんだな! そろそろ失礼だよ、マジもんの馬鹿じゃん!

 もちろん元帥は登場しなかった。そのかわりに、現れたのは声だった。これこそ何回聞いたか分からない元帥の声だ。でも、その声が響いたときにわたしが見たのは、元帥の視点から見る式典会場だった。あたりまえだけど、初めて見た。このカメラワーク、神でしょ。そして前方に歩みよる、春木大佐のピンクの髪を見て、力が抜けた。わたしは、元帥がいつも見ていた景色をはじめてみるんだ、と思った。きっと最初で最後の、すごいものを見るんだ。

 それを痛感したのは、オンブラッタ。大好きな大好きな、言葉では言い尽くせないくらいに、好きな、オンブラッタ。しかも、春木大佐を中心にした、スリートップのオンブラッタ! こんなものを見るなんて。

 Twitterにも書いたけど、このオンブラッタは本当に良かった。リッターみな素晴らしかったんだけど、とりわけわたしにとって大事なのは春木大佐の存在だった。というか、このオンブラッタにはぜったいに春木大佐が必要で、春木大佐じゃなきゃいけなかったんだと思った。なぜかといわれたら、だって帝國の本式典だもの、式典のオンブラッタだもの!としか言いようがないのだけど、これまでずっと自分が見てきた本式典のオンブラッタの思い出が一気に蘇って来て、たまらなかった。春木大佐がいる、春木大佐がいるよう、と思って、ちょっと泣いた。ありがとう春木大佐、と思った。やっぱりあなたのセンター最高だ。

 そして真嶋少将の「ヒアカムズ、シュウセイ・クスモト―!」の叫びで、また、わたしは、元帥が出てくるんじゃないかって、これまでに百回以上見てきたように、あのたなびく旗の向こうから元帥の姿が現れるんじゃないかと思った。そしてここのカメラワーク、ダメでしょ。泣いちゃうじゃんこんなもの。もちろん元帥は現れなかったんだけど、春木大佐のつぶやきを思い出した。うん、元帥がいたね。きっといたね、と思った。

 大将の最初のナレーション。字幕が出ていたので分かりやすかった。これからもこうしてほしいと一瞬思って、その可能性を考えてちょっと泣けた。しかし「その戦いは30年に及び……」と言われると、そうか、14帝國そのものの存在は30年近いのかと納得しました。そのうちわたしが見られたのは、たかだか20年くらいなんだな。もっと見たかった。

 緊迫した雰囲気のなか、消えた元帥の姿を探すリッターたち。これはシリアス……と思わせておいて、言葉通り、リッターみなが草の根を分け始めた展開には笑っちゃったよ。いいな、これが14帝國だな! ここでようやくリッターの皆様それぞれを個体認識する余裕が出てきたわたし。もちろん立花大将とか風間少佐、加納中佐と言ったTwitterでも現在のお姿を拝見できていたみなさまは驚きがなかったんですが、秋山少佐の変わらなさにはちょっと驚いた。あっきー、すごいな! 

 あ、もちろんTwitterでも見てはいますが、ご贔屓児玉中尉がよりにもよってピコピコハンマーとともに現れたときはどうしようかと思いました。相変わらずの小坊主頭のずんぐりむっくり体形が、いと愛らしい。大将と並ぶと、ほんとうに反則としかいいようがない。このスキンヘッドでずんぐりむっくりがもうひとりいたら帝國マトリョーシカやれるのに。

 ここの個別リッターによるボケ合戦は本当に楽しいのですが(みんな輝いてた)(武藤中尉はわが目を疑った)(風間少佐のパン屋再現、つまさきまで素晴らしかった)、一人ツッコミ担当として頑張られていた立花大将のカッコ良さと可愛らしさがこれまた無限大でした。普段であればだれよりもボケとして輝く方なのに……。あと、ひさしぶりと言えば、有馬大尉は髪こそ短くなってたけど、あの麗しさは保たれていたのに驚き。リッターみな、20年の時を経て、まったく変わらない人と変わりすぎた人と両極端だな……。

 そしてここで初めて定光寺中将のお姿をゆっくり拝見できたわけですが、さすがに御本人からもTwitterでお言葉をいただきましたので、正直なところはコメントしがたい。でもぶっちゃけ、オレたち14帝國の頃をかるくぶっちぎった、軍服の中になにかを詰めてるような豊満さを見て、見栄えとかそんな問題以前に健康状態が気になりました。中将、帝國騎士団の健康診断で、要検査とか要治療とかの指示を受け取ってませんか。隣の大将のほうが締まってみえるって、まあそれはオレ14の頃にすでに兆しはありましたが、大丈夫ですか。

 でも、あのころと違って、いいかげん痩せてくださいとか着ぐるみ脱いでくださいとか言う気はもうありません。マジでマジで。わたしはそんな中将のこと大好きですので、中将が幸せならそれでいいんです。ただもう、健康でいて欲しいだけ……。

 この場面で、元帥ゆかりの証拠がいろいろ出てきてしまうと(演台の中のイイ感じに気の抜けたコーラとか、たまんないよねえ……)、なんだか楽しいだけのところではなかった。でも楽しいのは間違いなくて。結局、ニコニコしながら眺めてました。リッター、みんな可愛いねえ。ほんとうに楽しい。

 その感覚は、暗転後の、大将、中将、風間少佐に加納中佐、草薙大佐の場面でも変わりなくて。「柊生元帥のことだから、大丈夫ですよ。柊生元帥がいなくなるのなんて、いつものことじゃないですか!」という中将の台詞に、いろんなことを考えてしまう。でもそこから、お肌ぴちぴちの頃にもどりたいなあと元帥が言っていたというところで笑ってしまい「だって50だぞ!」って最高だな)、過去を振り返る伏線が張られると、なるほどなーと感心してみてしまった。

 まあここの白眉は立花大将のポーズを決めての「アラフィフ♡」なんですけどね! わたしの大好きな大将がここにいた。そう、わたし、立花大将のこういうのが大好きなの。「エモーい」もいいよね。二十年前なら「チョベリバ」とか言ってたよね、きっと。でもここでちょっと新鮮な感じもあったのが不思議だったんだけど、思えば、わたしにとっての本式典の大将は、やっぱり髪がある大将なのだ。大将がスキンヘッドになったのは、「オレたち」の初回式典だったから。そう思えば、時は流れた。

 そしてここで出てくる「柊生元帥のおねがい」。ここから「軍夏」が出てくるわけですけど、加納中佐の「ぴちぴちお肌は30歳ではちょっと!」のタイミングが最高だったな。「軍夏」をみんなで見ることにより、「我々が柊生元帥に会いに行くんだ」って中将の台詞、実に胸熱ではないですか。

 そして、みんなで「軍夏」を鑑賞する、オールナイト14へ。ここはやはり、中将の「柊生元帥、死んじゃったな!」ですよね。笑うと同時に泣いちゃう、みごとなあれ。これね、その発言に至る過程は中将ご自身がしっかり説明されていて、それで間違いないのです。「柊生元帥、小官ちゃんと言いましたからね!」ってすごいよ中将。

 それに、臣民としても言わせていただくなら、過去のオールナイト14ではさ、前半で死んだリッターに「死んじゃったな」っていうの、当たり前だったんだよね。お約束なの。だから、それが現実だとしても、ここでそう発言するの、すごく正しい。ここで言わなきゃ。それだ、それなんだよ。ああ、オールナイトを見てる、そんな気になりました。これ、現場に自分がいたら、もう泣いちゃってたと思うけど、同時に笑って笑ってしかたがなかったと思う。中将と同じ顔で。

 ここを仕切る風間少佐も良かったけれど、わたしはやはり大将の「お亡くなりになった、だろ」っていうのがすごくオールナイトぽくて楽しかった。そして、泣いちゃってる中将に「がんばれ」「うん、頑張っていこう」ってさ、いいよね、大将はこういうひとなんだよねーとあらためて惚れ直した。大将は、中将の背中をばんっと叩いてあげるひとなの。いつかの鳴海少将の引退式典で、それこそ泣き出していた中将の背中を叩いていたことを思い出しました。他のリッターもみな中将を気遣い、同時に笑いにつなげるなかの大将の「定光寺、おまえはすごい」って沁みたよ。

 さて、元帥との約束は「ダイヤモンドホールをいっぱいにしたい」「風間少佐、加納中佐、春木大佐のスルートップのオンブラッタが見たい」「過去の式典を上映してみんなで見る」の三つ。というわけで「軍服のいちばん暑い夏」の上映が始まりました。完全版はYouTubeに上がっています。

 「軍夏」を見ながらのリッターの皆様の思い出話はひとことひとことが楽しかったり、懐かしかったりで、拾うのが楽しかった。当時を覚えている人間の証言ですが、あのですね、武藤中尉は「軍夏」の頃には、すでに初登場よりふっくらし始めてたんですよ。びっくりでしょうけど、かれはシュっとしたスタイルのイケてる新人リッターとして入って来たんですよ、わたし覚えてるよ! 

 練習中にこっそり稲川さんの舞台を観に行ってた風間少佐のエピソード。わたしはこの「極物伝説」は実際に観たんですが、稲川さんの怪談は語り口と落ちまで含めて完璧で本当に面白かったので、風間少佐の気持ちは分かります。そしてついFCの内容を確認したら、けっこう充実してて楽しそうでした。それにしても、二十年前に比べても容姿に遜色ない(むしろ磨かれているかも)風間少佐の土下座はとても素晴らしかったです……。

 「極物伝説」でのVol.6の再演。やっぱり、Vol.6は最高だな!という思いを新たにしつつ、当時の映像、それを20年後に見ているリッターの皆さん、現場にいたときの自身の思い出、そしてそれを映像作品としていま見ている自分、という何重にもダブった感覚に、ちょっと混乱しました。なんかすごいな。そして、中将の語るこぼれ話がいちいち面白い。ライターの火で手袋焦げちゃうなんて! あと「いたいいたい。春木いたい」ね(笑)。

 あと、大将のツッコミも楽しかった。おっしゃる通り、大将が死んだバージョンでは、あそこまでみんな寄ってたかっていなかったような印象があります。わたしの記憶違いかしら。まあ、ここでの大将の最高の一言は「平日だから」ですよね。

 続く「NEWFLAVOR」篇。「NEWFLAVOR」というイベントには帝國は複数回出演してて、個人的には興味のあるV系バンドも見られるし、未見の友達に帝國を見てもらえるし、でたいへんお得なイベントだった思い出があります。楽しかったな……。

 まず、ここで最高なのは草薙大佐ですよね! 音だけで聞いたときは「草薙大佐に注目!」と中将が言ってても何のことかよく分からず、あとで「軍夏」見て、すごく納得した(笑)。草薙大佐、可愛すぎないか。当時の踊れてない草薙大佐も可愛いんだけど、現在のヤケになったかのように踊って見せたり「もう、いじらないで!」と叫ぶ大佐もすっごく可愛い。草薙大佐もほんとうにほんとうに変わらない。素敵なリッターだなあと思います。

 さらに、ここで復活!「成り上がりエックス復刻版」。カノーンさまがひたすら愛しいな……と思っていたら、成り上がりエースがほんとうに変わってなかった。素晴らしかった。そしてカノーンさま、「中高年の入り口」ネタって、やめろそのネタはおれに効く状態で笑いました。まあ、一歩手前どころかもうずっぽりですけどね。だってこのひとたち23年前って言ってるんだよあたりまえだよ!

 いま現在も帝國が活動を続けてたら、ぜったいにやると思ってた「鬼滅の刃」ネタはひたすら楽しかった。まあその場合、元帥には無惨さまのパワハラ会議ネタをやっていただくしかなかったのですが。もちろん禰豆子ちゃんは大将でお願いします、譲りません。それはともかく、ほんとうに力いっぱいネタをやり切った感があって、すごく笑ったし楽しかったです。成り上がりのふたりがしっかり元帥を送り出せた姿が嬉しかった。

 そして続くは「尉官ズ」。あの、正直に言いまして、現役時代はわたしとセンスがすれ違い続けていたかれらを、いちばん楽しんだ舞台となりました。いや、中身というかセンスはずれたままんだけど、なんていうかこう、可愛くて頑張ってる姿が素晴らしかった。

 だってもう長沢大尉が。変わったと言えば変わったのだけど、20年過ぎてると思ったら十分保ってるし、ぶっちゃけルックス面でいえばいまのほうがより好みですね(おまえの意見か)。大昔にかれのことを「帝國に咲く一輪の可憐なスミレ」とか言ってたわたしの目は確かですよ? ええ、児玉中尉は躾のいい柴犬で、長沢大尉はシェルティだとか言ってました(どうかしてる)。いやほんとうにわたしは長沢大尉のことも大好きでした。友達みんなにどうしたのかと心配されたのもいまとなってはいい思い出です。

 あと、長沢大尉ってこんなに背が高かったっけ、と思いましたが、児玉中尉が小さいんですね(あ)。ええ、尉官ズ、ネタはともかくみんなのなかでちっちゃくてうろうろしてる(なんせ武藤大尉がでかすぎるので隠れてしまう)児玉中尉にくぎ付けだったんですよ、しょうがないよ、20年前から好きだったんだもの。

 まあ、当時のわたしが一目惚れした17歳の金髪の美少年はいまやスキンヘッドの40歳なわけですが、それでも隠しようがないこのすぐれたルックスよ。ほんとに鼻筋がきれい。眉がいい。スキンヘッドと呼ぶよりも、普通に坊主頭と呼びたい頭の形の美しさよ。どこを取っても昭和の日本兵ぴったり。きっと階級は軍曹。とか言ってると頭の中に「めりーくりすます、ミスターローレンス」とか浮かんでくるのでこのあたりにします。

 が、20年前、というか引退前の舞台に立っていた頃に比べると、ほんとうに笑顔が柔らかくなった。こんなに可愛く笑えるようになったんだと思いました。目がやさしいし、武藤中尉と並んでちゃんと演技してた。「とんだ暴力エノキ教師だぜ」最高だった。「キュンです」の目線ヤバかった。どうしようこのあたりにならない。

 とりあえず「NEWFLAVOR」の続き。「ならず者」ってけっきょく登場しなかったよね? しかしここで仮面リッターが登場したからには、いま現在の「仮面リッター」が登場すると思ったのに、そうはならずに残念。わたし「仮面リッターは風間少佐を許さない」が大好きなのです。春木大佐がもっと見たかったな! もっともそれを言えばどのリッターももっと見たかったのです。「タヌ吉」くんも! でも、ここで、ある意味ですべてをさらっていったのは有馬大尉だった……。

 当時も面白かったけど、20年の時を経て、有馬大尉の持ち味がまたここで分かったような気がします。当時はあのヴィジュアル系な容姿と「帰る」ネタの印象が強かったけど、いまこうやって見てみれば、純粋に面白いよね、このひと、という感じ。中将のいうとおり「ぜんぶ持っていく」ひとでした。

 そしていよいよ赤坂BLITZの「ライヒスリッターBEST」。Vol.16の再演です。ここで「生き返ったー!」「奇跡だー!」とやる元帥を見ることになるとは。あたりまえだけど、企画したときには意図されていたはずもないこの展開に、ちょっと、うわあ、と思った。そしてこのあたりから、わたしはなんだかすごく不思議な心持ちになっていました。

 先にも書きましたけど、二重三重の時間軸が展開されてるんです。わたしはこの式典には参加してないけど、それこそ、この「軍服のいちばん暑い夏」が発売されたときの記憶は鮮明だから。そのときの気持ちと、いま、このDVDを見ているわたしが一緒にいて、ちょっと困った。いろいろ思い出した。

 思い出話になりますが、「軍夏」を初めて見たとき、当時のわたしは「帝國はこれで大丈夫だ」と思ったんです。不遜か。でも、これまでずっと見たいと思い、ひとにも見せたいと思っていた、帝國の魅力が伝わるコンパクトでわかりやすく面白い入門編が、こんなに奇麗な画質(当時はまだVHSの時代、地上波だってアナログだったんですよ)の映像になったんですもの。しかも赤坂BLITZがSOLDOUTした結果を残した記念の作品。すごいじゃん、帝國、もう大丈夫だよ!って思ったんです。

 ほんとうに、どこから目線だよって話ですが、昔からの臣民として、ずっと帝國は大丈夫かな、続けられるかなと思ってた、世間知らずの小娘の思ったことなのでお許しください。そして、帝國はその後ずっと快進撃を続け、わたしはずっとかれらを見続けた。やがて、さまざまな状況のなかで帝國が止まってしまっても、わたしは帝國がずっと好きだった。そして、よりにもよってこんな理由で、その「軍夏」を見ている。その「軍夏」からしても、信じられないような画質の、DVDを。

 そう、今回のDVD、映像はとても鮮明で、なおかつ複数のカメラワークで様々な角度から撮られています。こんなクリアな14帝國の本式典映像ははじめてです。過去のビデオに関してはみなさまご存知の通りですよね。あれからしたらもう驚き。もちろん、実際に現場に居たらそれはあたりまえにクリアなんだけど、複数の視点から見ることはできない。だから、はじめてこんなものを見た。ほんとうに嬉しかったし、幸せだった。こんなことがきっかけじゃなかったら、と元帥の訃報から何度も思ったことをまた思いました。

 そして、「軍夏」の再生が終わり、中将が「今後、できるだけたくさんの式典をYOUTUBEにあげていきますので、臣民のみなさんはいつでも柊生元帥に会うことができます」と言ったときに、あ、そうだ。そういう形で、「会いに行ける」元帥は存在するんだ、と思った。でも、これで終わりじゃないんだよな、と今後の展開を思った。音を聞いたときの記憶が浮かんだ。あれを、映像で見たらどんな気持ちになるんだろう。すこし怖かった。

 暗転後。元帥の肖像画を前にひとり杯を傾ける定光寺中将。「なんだかもう、帰ってこない気がするんだよな」ってこの台詞、どんな気持ちで言ったんですか中将と思ったら泣けてしまった。しかし、この式典では、だいたいわたしが泣くより先に中将の声が潤む。参っちゃった。そしてそこに響く「定光寺中将」というあの声。

 これ以後の元帥の台詞、音で聞いたときは、昔の声を流しているか、あるいはこういう内容をやろうとリハしてたものを録音してたのかと思ったほどでしたけど、映像で見たら分かりました。風間少佐すごい。オレ14でも見たことはあったけど、いやほんとうに、すごい。なんというか、単に元帥の真似とか似てるとか言う話じゃなくて「見てる人がそうだと認識してしまえば、風間少佐のままであっても柊生元帥となりえる」という意味での、元帥を演じてるんですよ。

 どんなに声が似ていても、仕草が完璧でも、視線の動きまでも元帥であっても、それは元帥そのひとではない。わたしたちにはそれが分かる。でも、あの精神世界、式典の世界のなかにいるひとたちには「それで元帥となる」。だって、これは夢だから。きっといまだに、これは、皇帝陛下の夢だから。わたしたちは夢の中では、どんなあり得ないことが起こっても、それを当たり前として受け取るよね。でも、いま、この式典をみているわたしたちは夢の外の住人なのだ。物質世界の住人なのだ。この完璧な風間少佐を、間違いなくこの精神世界では柊生元帥だと認識しつつも、同時に、そこにいるのは、あの元帥ではないと分かる。だから、だからこそ。

 わたしたちの愛した現身としての楠本柊生帝國元帥は、もうここにはいないと分かる。

 「だが、いる。いっぱいいる」という元帥の言葉は、わたしが大好きな帝國ならではの第四の壁を破る言葉だった。言い回しや語句は違えど、元帥はその壁をすれすれで破りかけ、また戻し、壊してみせて、たったひとことですべてを戻す、そういうひとだった。それこそが幻創論だ。「まぼろし」を「つくる」論こそが、元帥の魅力で、元帥を元帥たらしめるものだった。わたしは演劇ぜんぜん詳しくないので、的外れなこと言ってるとは思うんだけど、それは演劇の本質ではないのかしら。もしかして演劇だけでなく、もっと広いいわゆる「物語」の本質なのかもしれないけど。

 だから「新しい世界に旅立とうと思う」という元帥の言葉は、この精神世界のなかで、現身の存在としての楠本柊生元帥の物語を閉じるための、美しい糸だ。わたしはそう思う。風間少佐が登場し、幻創論を語り、大将と中将にメッセージを残す。ここにいるのは、あの元帥ではなく、あの元帥を送り出すための物語に必要だった精神世界の元帥だ。でも、わたしは、この元帥の存在を、指先と視線ひとつの動きまで、元帥だった風間少佐を、とてもとても、ありがたく思う。必要だった、と思う。

 「そんなこといわないで、連れていってくださいよ」いったい何人の臣民が、定光寺中将といっしょにこの台詞を胸の内でつぶやいただろう。わたしもまた、元帥に連れていってほしかった。また同じ夢を見たかった。ねえ、連れて行ってくださいよ。連れてって。それこそ、世界の果てまで。これまでに見せてくれたあんなにたくさんの素敵なお話、笑い、ときめきを、また見せて下さい。そう願わずにいられないわたしもまた、哀れな物質世界の住人だ。だから、この元帥が必要だった。そんなわたしが、元帥を送り出すために。夢は、いつだって共有されることによってより大きいものになるのだから。

 定光寺中将と立花大将は、旅立つ元帥が戻ってくるために、ここに残る。それは、臣民も同じことなんだろう。でも戻るって? なに言ってるんだろう、元帥はもういないじゃないか。そう思ったわたしに、元帥は言った。

 「いつでもだ」。「わたしはいつでも、誰にでも、会いに行ける存在になるんだ」。

 ああ、それが元帥が消えるもうひとつの意味だと思った。続けて元帥が言った、手のひらの上で式典を見られる、人が存在しなくても式典ができる、とかそういう現在と未来のお話は正しい。でも、わたしにとって些末なことだった。わたしは、あたりまえのことにもう気づいていたから。元帥は、いつだって、最初から、そういう存在でもあったんじゃないかって。

 もちろん、式典やライブといったリアルの空間の元帥は生きた存在だったし、そこでしか会えない元帥は確かに存在した。でもずっとずっと、それが絶えた時期も、たとえ目の前にいなくとも、わたしは元帥とかれが創った14帝國が大好きだった。それはつまり、こういうことだったんだろう。元帥はずっと、そういう存在だったんだ。

 だから「また会えますね、柊生元帥」という中将の台詞は嘘じゃない。また会える、いつだって会える。すくなくともわたしの好きだった元帥は、14帝國という精神世界に存在しているひとだった。だから、また会える。会えるんだ。

 でも、それはとても嬉しいことのはずなのに、とりあえずのさよならなのに、なんでこんなに泣けるんでしょうね、定光寺中将、立花大将。あなたがたが泣いたときにわたしも泣きました。いっしょに泣いてくれてありがとう。そして、「この景色、覚えておくこととしよう……いままで、ありがとう」と伝えてくれた、この元帥も、ありがとう。

 続く献花と黙禱は、もし現場に居たらわたしはずっと泣き続けて立てなかったかもしれないと思った。そしてあの赤い光とともに「さまよえるオランダ人」が鳴り響いた瞬間に、オンブラッタの時と同じく、自分はこれを何回見て来ただろう、と思いました。本式典の終わりは、どんな式典のときも特別だった。式典を見終わったあとのぐちゃぐちゃの感情に、元帥の言葉はいつだって大事に響いた。そんなことを思い出しました。このDVDでは、幕が下りたあとは、出演リッターのロールで終わりだったけど、音で聞いたカーテンコールの中将の挨拶を思い出すと、また泣けました。
 
 こうやって、あれこれと長く書き続けた感想ですが、わたしのなかでは、やはりDVDを作って下さってありがとう、というのがいちばんの感想かもしれません。あの日、現場に駆け付けたかったけどその願いが叶わなかったたくさんの臣民のために、こんな素敵な完成度の高いDVDを作成してくださって、関係者のみなさま、本当にありがとうございます。

 わたしは、このDVDを見たら、自分のなかの元帥が死んじゃうと思ったけれど、それは間違ってた。自分の中の元帥は、また「会いに行ける」存在だった、と認識することができた。そのために、見て良かったと思いました。

 あと、ほんとうに個人的な感慨ですが、わたしは自分の一推しリッターである児玉篤史中尉が、その事務周りの一切を取り仕切っていたのがとても頼もしくて嬉しかったです。なにもかもかれ個人でやったわけではないと分かってはいますが、それでもあれだけの数のDVDの申し込みを個人のDMで受け付けて入金確認と発送作業を担当することはもうすごく大変だったはず。なので、それをやってのけたかれを、20年来のファンとして誇らしく思いました。その能力こそ過去の帝國に必要なものだったと本気で思いました。すごいよ児玉中尉。だいすき児玉中尉。

 児玉中尉だけでなく、出演したリッターのみなさまにはみな思うこといっぱいあって、それは感想の中でもたいがい書いたことなんですが、まずは、数年のブランクがあった方もいらっしゃるのに、こういう舞台をあの短期間で作り上げて下さって本当にありがとうございました、ということ。みなさんカッコよく、可愛らしく、素晴らしかった。わたしはどうしても名古屋時代の14帝國臣民なので、うまく触れることができなくて申し訳なかったのですが、真嶋少将に黒崎大尉のことももっと知りたかった。名古屋を離れた後の時代の元帥を支えたリッターたちとして、この式典に存在して下さって嬉しかった。もちろん、オレ14で大好きだった阿久須中尉も。くりかえすことしかできない、でもほんとうにありがとうございました。

 わたしは、元帥の訃報を聞いてからずっと、死ぬってどういうことだろうと考えていた気がします。これが身内とか家族とか、直接の友人知人とかなら話は別なんだけど、わたしにとっての元帥はそうでない。単純なファンとか好きな表現者とか言うのでもない。そんな存在がこの世を去るってどういうことなんだろうと思ってました。

 なんとなく思うんだけど、それはきっとその存在が永遠に更新されないってことなんです。とつぜんに断線されたみたいに、存在が未来につながらなくなる。自分もまたそのうち向こうに行くからそっちで会えるとかそういうのは、わたしは受け入れられない。それがないからこそ、死は残酷で、取り返しがつかない、やり直しがきかないと考えるからです。だから死は辛いんです。やりきれないんです。

 元帥にはこのさき、どんな可能性があったんだろう。どんな未来があったんだろう。この「会いに行ける元帥」を企画した時、かれのなかにはどんな計画があったのか。この舞台の中で語られた以上のことは、もはや想像するしかありません。そもそも、計画があったとしても、その通りのものになるわけもないのが14帝國の式典です。だからこそスリリングで、可能性に満ちていた。そして、死はすべての可能性を奪うものです。

 でも、このDVDを見て、そうなったあとでも、残された、生きている人間にはできることがあるんだな、と思いました。それはきっと、帝國の思い出を守ること、元帥を忘れないことなんです。まさにこの舞台で語られていたことですね。

 わたしは、自分のこれまでの元帥に関わる記憶のかけらすべてを抱えてこれからも生きていきたい。そうすれば、自分のなかの元帥に会いに行けるのです。思えば、元帥の訃報を耳にしてから、臣民友達といっぱい元帥の話をしました。何時間語っても飽きなかった。あれは、元帥に会いに行ってたんだなあといまさながら思います。それが、こんなに長い間、帝國を大好きだったにもかかわらず、忠誠とも盲目とも言い難い、まったくもって不遜で生意気で考えすぎでろくでもなかった、わたしのような臣民にできることなんだと思いました。

 前回のブログは、驚くほどたくさんの臣民の方に読んで頂けて、拍手と、ほんとうにもったいないようなメッセージをいくつも頂きました。泣きました。あんなにたくさんのかたにファンサイトを見て頂けてたなんて、驚きました。おひとりおひとりに返事を書くのは難しいのが残念です。でもきっとおそらくは今回のブログにも目を通して下さっている、そんな臣民のみなさまにお伝えしたいのは、これからも「元帥に会えますね」ということです。だいじょうぶ、元帥はきっといますよ。あなたのなかに、わたしのなかに。

 VHSのビデオはもう見られなくても、すでに何本かの式典はすでにYOUTUBEに上がっています。それを見ればまた浮かぶものがあるはずです。中将をはじめとするリッターの皆様もそうやって、元帥に会いに行く手伝いをしてくれています。そういったものにアクセスすることが難しい場合でも、ただ目を閉じ、思い出すだけでも十分では。そうやって。そして。

 そして、あなたに会いに行く。

 わたしはそう思って、元帥のことを忘れずにいようと思います。そんな気持ちをこのDVDから頂きました。ありがとうございました。

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