ありがとうとさようならが言えるまで。

 第14帝國公認独裁官にして帝國元帥であらせられる楠本柊生氏が、更なる第14帝國の発展を目指し単身別世界への開拓に挑戦する為、新たなる旅路につかれたそうです(URL)。

 これからの文章は、いまから20年以上前からの臣民による自分勝手な思い出話と、帝國と元帥への思いというものです。とてもつたなく、かつ個人的な内容ですが、気持ちを整理するために書きました。同じ時代を臣民として生きた方や、お友達に読んで頂けたらありがたいです。

 そもそも、わたしが14帝國の存在を知ったのは、97年。当時のオタク友達に面白い劇団がいるよ、と誘われたのがきっかけ。演劇には興味が無いから……と断りかけたところ、言われた言葉は「大丈夫! 帝國は演劇じゃないから!」。えー、劇団って名前じゃんと思いつつ、連れていかれたのが97年の帝都民祭だった。たしかに演劇じゃなかった!

 それは要するにFCイベントみたいなものだったのだけど、並みいるリッターたちを目の前にした初めての感想は「怖い」だったのを覚えている。いや、軍服を着た大きな声を出す舞台化粧の男性たちをあんなに間近で見たの、初めてだったんですよ。でも、なんだか面白かった。そのあと、友人に借りたビデオでVol.6を見て、その面白さにハマった。すごい!と夢中になって、他の式典もどんどんビデオで見てその思いが止まらなくなった。当時の最新式典はVol.11で、わたしが初めて実際に体験した式典はVol.12だった。

 オタクだったけど、絵は下手で(すぐに諦めた)、人に云えない内容の小説ばかり書き散らしていたわたしは、自分が感動したり面白いと思ったことをすべて言葉にしたい地方住みのコミュ障の女の子だった。帝國に関しても、すぐに、友人にFAXで文章を送りつけたり、何時間もの長電話をするだけではとても足りなくなった。

 当時はまだネットが一般的なものではなかったけれど、その頃の帝國にはすでに公式サイトが存在していた。わたしは大学からそこにアクセスして、インターネットとというものにも初めて触れた。その後すぐに、個人がホームページを作るのがブームになりはじめて、わたしもバイトしたお金でパソコンを買って、帝國のファンサイトを作ろうと思った。いちばん最初はWORDでHTML直打ちという、いまとなってはもうできない技術を使って作りました。

 そして、97年の夏に帝國と出会ったわたしは、98年の夏にサイトを立ち上げた。そのサイトを永久に更新停止状態にして終わらせたのは2003年の11月だった。わたしと帝國の思い出には、その5年間のファンサイトの存在が強烈に結びついている。ファンサイトの運営というものは、楽しくてしかたがないことと、とても面倒なことが同時に存在することでもあった。現在と比べればずいぶんと牧歌的な時代だったとはいえ、やはりそこはネットの世界だったから。

 でも、サイトを作ったことで、わたしにはいまでも付き合いが続いている何人かの友達ができた。わたしは、それが帝國がわたしにくれたいちばんのプレゼントだと思っている。友達といっしょにわいわいとやれること、同じもので盛り上がれることは、まだ20代のわたしにはとても大事なことだったけれど、それがいまでも続く関係になったのだから。

 もちろん、思い返せば、ほんとうに幼い仕事だった。何も知らなかったからこそできたことだった。帝國そのものの活動記録や紹介、情報伝達という部分では多少は臣民の方のお役に立ったとは思うし、臣民の方がほかの臣民の方と出会う場所を提供できたのは事実だと思う。それを感謝して頂けるのはいまでもほんとうに嬉しい。

 けれど、サイトの多くを占めていたわたし個人の発言といえば、ほんとうに、ただの無礼で失礼なものが大部分だったと思う。それでも当時、その言いたい放題を面白がったり共感してくださるかたもいらっしゃった。そのお言葉にはとても感謝しているけれど、自分としては、今回、データとして残していた当時のサイトの記述を見て、己の口の悪さにめまいがしました。関係者のみなさまや読んで下さった臣民の方には不快に思った方も多かっただろう。なんとお詫びしていいか分からない。

 ただ、言えるとしたら、それでもそのときの自分は精一杯やっていたのです、嘘はなかったのです、ということだけかもしれない。気を遣うことは(あれでも)あったけれど、自分の気持ちに嘘はなかった。もちろん、それが贖罪になるとは思わない。ただ、そのスタンスのまま、どんどん大きく成長していく劇団を必死になって追いかけて、できるわけもないのにすべてをフォローしようとして、とうとうついていけなくなった当時の自分をいま思えば、その幼さがちょっと可哀想にもなった。

 もっとも、わたしはサイトを止めたあとも、臣民を辞めたわけではなかった。あいかわらず帝國に通いながら、こりもせず、気ままな感想を自分のブログに綴っていたのだ。しかし、もう東京に遠征することはなかったし、名古屋公演でも、内容が分かり切っている再演には足を運ばなかった。そもそも、わたしがサイトを止めたときの式典はVol.25だったけれど、それ以後はそれまでのようなコンスタントな新作式典の公演自体がなくなってしまったのだ。

 再演と、単発の新作が出たかと思うと、また再演。そんな状態で、ライヒスリッターの公演自体の間が空くのと同時に元帥のソロ活動がどんどん盛んになっていって、その後は、臣民ならばまあみなさまだいたいご存じの通りの流れになった。そのときの思いを繰り返すことはここではしません。

 そして、数年の空白ののち、元帥が名古屋に戻ってきて、ライヒスリッターが復活すれば、わたしはまた名古屋に通った。もっとも、わたしはその数年のあいだは中将や大将が名古屋で行っていた「オレたち14帝國」に喜んで通っていたので、あまり空白という印象はもっていなかった。

 だって、「オレたち14帝國」は最高だったんですよ、マジで。

 「オレ14」はバンド活動も同時に行っていたから、未見の臣民さんにはそういう印象を持たれていなかったのかもしれない。けれど、「オレ14」のストーリーは、幻創論バチバチだったのだ。それはもう見事なまでに幻創論ありきで、そこに元帥自身は存在しなくとも元帥はいた。そういう感じ。もしかしなくてもリッターよりも式典、式典の要素のなかでも幻創論がとりわけ大事だったわたしは、そこでけっこう満たされていたのだ。とにかく「オレ14」は楽しかった。帝國に通い始めた頃のあの楽しさが「オレ14」には存在していた。確かに。そのあたりは、わたしがひたすらはしゃいでいるブログの感想を読んで頂けるとより具体的に伝わるかと思います。

 だからむしろ、元帥が戻ってきてライヒスリッターが復活するときに、いちばんに思ったのは「オレ14」はどうなっちゃうの?だった。そしてその危惧というか予想はある意味で当たって、それ以後、オレ14の活動はゆっくりとフェードアウトしていった。だからといってライヒスリッターの活動が盛んになるわけでもなく、式典自体は相変わらず再演が多く、やがて、名古屋でのライヒスリッターの活動の間は年単位で空くようになっていた。

 それでも、おそらくはここで復活?という心意気なのかなと思ったのはVol.29だった。その直前に、中将と大将と元帥が、帝國の解散か、二年間の活動休止か、新作式典かを決断するというイベントまでやったうえでの式典だったから。

 でも、その内容が過去式典のベスト版のような懐かしキャラ大集合だったことで、わたしは、ああもう帝國は新しいことができないのだなと強く思った。その思いを裏付けるかのように、それ以来ライヒスリッターの新作は途切れてしまった。なんだよ、あんなにもったいぶって決めたくせに、結局は活動休止じゃないかと不遜にも思ったものだ。

 そして、その結果として、また帝國から遠ざかる日々が続いた。オレ14の活動もなく、風間少佐の「帝國神風倶楽部」は関東での活動が中心だったので足を向けることはなかった。わたしは元帥個人の活動というか、青髪でない元帥とはご縁がないまま(「宇宙と恐竜」のぞく)でやってきたので、そのあとの元帥の活動もどんなことがあったのかさえよく知らない。

 もちろんそれでも、わたしは帝國がライヒスリッターとして活動するのなら、名古屋公演には駆け付けるんだろうとずっと思っていた。それはもう、あたりまえなのだ。だってやっぱりわたしは14帝國大好きだったから。20代のときのようなおかしな熱狂はなくとも、帝國が何を見せてくれるかということにドキドキし、舞台のかれらに笑ってときめいて、幻創論を行使する元帥にしびれることは、わたしにとって当然すぎることだったから。

 もっとも、あのころ、そんなにやきもきせずにいたのは、活動に何年か間が空くことを気にしない年齢になっていたせいかもしれない。歳をとると一年が過ぎるのがほんとうにあっというまになるのです。だからまたそのうち、ライヒスリッターを観る機会があるなら行くかな、それくらいに思ってた。

 それでも、元帥が大動脈解離をやったと知ったときには血の気が引いた。洒落にならない病気だと知っているからだ。あんなに煙草を吸ってた人だから、驚きはない。とはいえ、ほんとうにぞっとした。助かったのは奇跡だと、よかったとほんとうに思ったのだ。

 それからは、ツイキャスを楽しそうにやってるのがなんとなく目に入ったり、それに大将もつきあってるのを見て、相変わらず仲いいなあと思っていた。そうやって元帥なりの活動をしていくのかな、でも、さすがに心臓をやったんだから無理なく動いて欲しいな、くらいに思ってた気がする。

 そしてまた心不全になったニュースが入って来たときには、心底、肝が冷えた。でも、その後で復活したときに「死ぬかと思った」みたいなことを大将にメールしてたのを知り、ああもうこのひと変わんねえな! とあきれて、ちょっと笑ったのだ。元帥はずっと、そんな風に周りをやきもきさせるだけさせておいて、自分は平然と笑ってる、そういうキャラでもあったから。

 その後、また入院するけれど、それはどちらかというと前向きな治療のためだと元帥自身が記述していたので、何も心配しなかった。そこで、1月5日に「会いに行ける元帥」というイベントを考えているらしいと知ったときも、これはいつもの元帥の個人的な活動なのかな、式典だとしても、コロナだから行けないなあ、くらいに思ってたのだ。

 そして、12月2日がやってきた。

 仕事が休みだったので、たまたまのんびりツイッターを見ていたときに、風間少佐が流したRTが目に入った。え? もしかしてやっぱり式典? 1月5日ってそういうことだったの? と思って、サンデーフォークのサイトにアクセスした。一回読んだときは理解できなかった。二回目に理解した。

 ほんとうにお許し願いたい。ふざけるなと思われても仕方がない。でも、わたしの頭にいちばん最初に浮かんだのは、「ずるいよ、元帥」という言葉だった。

 なんだこのひと、と思った。あんなすごいもの創って、たくさんのひとを楽しませて、いろんな夢を見せておいて、なんだ、と思った。なにしてくれてるんだ、と思った。なに勝手にどっかに行ってるんだ、ずるい、あんなにたくさんの人にこれからも楽しめるよと約束をして、それきりにして、なにしてるんだ、ほんとうに、なにしてるんだと思った。それはない、それはないよ、元帥!

 さらに、同じことを書いているひとが何人もいたけれど、わたしもドッキリじゃないかと思った。元帥は、そういう悪ふざけがほんとうに好きな人だったのだ。誤解を恐れず言ってしまうけれど、元帥はそういうことをやりかねない人だった。おまえになにが分かるのかといわれそうだけど、わたしの知る元帥はそういうひとだった。自分で面白いと思えば、どんなことだってやるひとなのだ。

 でも、翌日の大将と風間少佐のツイキャスを聞いて、大将の第一声を聞いただけで、あ、それはないとすぐに分かった。いくら元帥の仕掛けでも大将はこういう嘘に加担できるひとではない。いや、そんなことはあたりまえだった。こういうことに、嘘はあり得ない。ネタじゃない。これは悪ふざけなんかじゃないんだ。

 そしてきっと、元帥自身がいちばん、なんだこれは、と思っていたはずだと。

 それでも、自分の中でその事実がリアリティを持つことはないままで、わたしはずっと泣けないでいた。そして、その知らせのあと、いろんな方が「サイト見てました」と声をかけて下さったのがきっかけとなり、わたしは昔の帝國資料を引っ張り出して、ツイッターにUPすることに決めた。

 1月5日まではそうやって、かつて臣民だった方々に帝國のことを懐かしんでもらおうと思ったのだ。それがこの状況でわたしができる唯一のことだと考えたからだ。そして、いろいろやってるうちに気づいたけれど、それは自分が20年前にファンサイトを作ったときの動機と同じだった。わたしは、ずっと、ひとりでも多くのひとに帝國のことを知ってほしかった、好きになってほしかったのだ。

 もちろん、当時とは違い、今回ばかりはそんなことがほんとうに帝國のためになるかどうかは分からなかった。単なる自己満足か古参の自己顕示欲でやってるんだろうと思われても仕方がなかった。あと、すごく気になったのは、わたしは帝國以外の元帥のことをほとんど知らなかったので、帝國以外の元帥をお好きだった人にはわたしのやることはなんの慰めにもならないだろうということだった。

 でも、昔もそうだったけれど、わたしはわたしのやれることをやるしかなかった。止めるのは、帝國本体に禁止されたときだけだと思っていた。なので、定光寺中将がわたしのツイートにリプ下さったのはほんとうに有難かった。臣民の方が、いつもいいねを下さったのも支えだった。フォローしてくださった方もたくさんいたのに、フォロー返しができなかったのは、多くの臣民のかたの嘆きのツイートがTLに流れてくるのを受け止めることが無理だったせいです。申し訳ありませんでした。

 そのために、10年以上開けていなかった帝國の資料が詰まった段ボール箱を開けた。本当に何でもとっておいた自分がいてちょっと笑ったのだけど(式典チケットの先行販売のための振込用紙までとってあった。たぶんリッターの写真入りだったせい)、そんなことをしているうちに、どんどん胃が痛くなってきた。そしてわたしは相変わらず、うまく泣けないままだった。

 そんなわたしが、初めてちゃんと泣いたのは、医者の前だった。

 あまりに胃が痛く、吐き気もひどかったので病院に行ったのだ。あれこれ検査もしたのだけど、幸い、機能的に異常があるわけではなかった。そこで医者に「最近、なにかストレスがかかるようなことがありましたか?」とたずねられ、知ってる、と思った。思って、えっと、と口を開いた。ついこのあいだ……。わたしはここで迷った。元帥はなんだっていうんだろう。芸能人、と表現するのも何か違う、大ファンだったひと、それも違う気がする。

 そこで、わたしは「何十年も知ってた、ひとが、亡くなって」としか言えなかった。そして、言ったとたんに診察室で泣き出してしまった。そこで、わたしは初めて、元帥がそうなったと認めたんだと思う。お医者さまもあわてさせてしまったので、その場はなんとか涙を止めて、あと、病院のトイレでしばらく泣いた(ご迷惑をかけて申し訳ありません)。ちなみに、体調は、そのあともだましだましですが復調したのでご心配なくお願いします。あんがい丈夫な人間なのです。

 そしてそのあとは、ときどきはその現実がふっと浮かんで、涙しそうになって、でもまた遠のいて、という感じで過ごした。そのなかでもずっと帝國の資料に目を通していた。動画はいっさい見られないけれど、古い資料を持ってきてどれを上げようか考える。ツイッターにあげて反応を頂く。そのたびに自分もいろいろ思いだす。そんなことを一か月近く続けたあと、1月5日の直前になって分かった。これはわたしなりの喪の作業だったのだ。ご協力くださった皆様に感謝します。みんなのおかげでやりとげられました。

 そのあいだに懐かしい友達ともひさしぶりにおしゃべりした。みんな、数年ぶりに話したのに、昨日別れたみたいに話ができて、相変わらずだった。そしてみんな判で押したように「あのころはほんとうに楽しかった」と過去の臣民生活を思い出し「久しぶりに話ができて良かった。こんなことがきっかけじゃなければもっと良かったのに」と言い、「ねえ、これドッキリじゃないのかな」と言うのだ。

 ほんとう、楽しかったね。これ、ドッキリじゃないのかな? わたしはまだ心のどこかでそう思っていて、そんな自分を馬鹿だと思っている。

 つらつらとこうやって書いてきたけれど、自分にとっての14帝國という存在は、とても客観的に語れるようなものではないし、語り切れることでもない。いい思い出も辛い思い出もある。でも、あのころ、リッターと臣民みんなで、14帝國という場を楽しんだのはまぎれもない事実だった。すごく楽しく遊ばせてもらった、という思いがある。一生忘れないんだと思う。

 そして、その帝國を創ってくれたのは、柊生元帥だった。元帥こそが、14帝國だった。

 わたしは元帥がオンブラッタで見せる圧倒的な存在感、まさに独裁者と世界の創始者と呼ぶしかないあの表情が大好きだった。シリアス展開で、冷酷な表情を見せ、刀を振るい、銃の引き金を引くときの怖さにしびれて、オールナイト14で笑い転げ、リッターたちのツッコミにとぼけてみせる笑顔をたまらなく可愛く思った。コメディ展開で、あまりの展開に膝を折って肩で息をする仕草、悲鳴をあげながら舞台を走り回ったり、笑いながら軽やかにマントをひるがえすあの動きが好きだった。そして、最後の最後、赤い光のなか姿を消していく、あの姿。すべてが最高だった、と思う。

 一か月かけて、わたしは元帥のことをずっと思い出していた。それでも、わたしがいちばん好きな元帥は?と問われたら、いつかの式典、オールナイト14で、前半の展開を振り返った草薙大佐に「小官を殺したとき、どんな気分がしましたか?」と問われ、「スカっとした!」と間髪入れず答えた元帥だったりする。我ながらどうかと思うけど、ほんと、あの元帥は最高だった。あのひとやっぱりそういうひとだよ。映像はまだ見られないままだけど、そんなこと思い出して、笑ったりした。

 だから、わたしは。

 元帥。あなたをようやく送り出せそうです、と言えるようになった。わたし、あなたのことがずっと怖かった。帝國に通い始めたごく初期の頃をのぞいて、客出しでもあなたに近づくことはほとんどなかった。舞台を降りたあなたに、すこしでも〝帝國元帥〟らしくない部分が見えたらと思うと、それが怖かったから。わたしにはそれくらい、〝楠本柊生帝國元帥〟が大事だった。

 あなたのことが大好きだったけど、ときに大嫌いだった。ふざけるなと思ったこともあるし、愛してると叫んだこともある。泣いたり笑ったりしながら、ほんとうにたくさんのことをあなたから受け取った。直接にぶつけたことこそなくとも、自分勝手な思い入れで、傲慢な想いを押し付けていたんだと思う。

 それはたぶんわたしだけじゃない。そんなひとたちがあなたに寄せる愛ゆえの自分勝手な思いは、あなたにとり、さぞかし面倒で、時にしんどいものだったかもしれない。でも、同時に、イタズラ好きのとびっきりのトリックスターだったあなたは、そんなものさえも、すこしばかりは面白く思い、大事に感じてくれたこともあったのではと願わずにいられない。

 なぜなら、そう願わずにいられないほど、わたしはずっと、劇団第14帝國の臣民として、あなたの創ったものを楽しんだのだ。吸収して、味わって、自分の物みたいに慈しむことで、第14帝國を愛した。帝國元帥である、あなたが創った、世界を愛した。わたしは間違いなく精神世界第14帝國に存在しながら、物質世界に住まう哀れな臣民のひとりだった。

 だから、ここまで振り返って、ようやく、ようやくです。

 元帥、わたしはあなたがそのすべてを抱えたまま遠くへ行ってしまうことを、ようやく飲み込むことができました。だってすべて最初から、あなたのものだったんだから。あなたが創った精神世界、あなたが創った軍人たち、楽しい舞台、泣ける台詞にドキドキする展開、それはもう更新されることはない、あなたがぜんぶそれを持っていく。自分が創ったものだからと莞爾と笑って去っていく。

 さらに、1月5日を前にしたこのときに、予定されていた配信が中止になったという知らせを聞いて、一気に痛くなった胃を抱えつつ、わたしはすこしだけ、面白くなっていた。笑ってしまった。これが14帝國だ、と思ったのだ。いつだって帝國には、大事な舞台の土壇場のギリギリのタイミングで、とんでもないアクシデントが起きる。そしてそれをリッターたちがみんな走り回ってなんとかしようとする。待っている臣民のために。元帥のために。

 そしてわたしには、そんなリッターたちを笑ってながめている元帥の姿が浮かぶのだ。「このわたしを送るんだ、なにも起こらないわけないだろう?」と、目を細めて嬉しそうに笑っている元帥が、ほんとうにダイヤモンドホールにいるんじゃないかと思う。これこそが、元帥の悪ふざけ、ドッキリじゃないかとすら思うのだ。

 やっぱりあなたそういうひとだった。最後の最後まで、イタズラ好きで意地悪で可愛らしい、最高の独裁者、帝國元帥だ。そう思って、わたしはあなたを送ります。

 1月5日の現場に参加できないわたしがなにを体験するかは分からない。でも、少なくとも20年前には想像もできなかった技術を使い、あのころよりも歳を取ったリッターたちが、ずっと頑張ってくれている。だから、きっと、どんなかたちであれ、わたしもその空間に存在することができる。泣いたり笑ったりしながら、あなたを送ることができるんじゃないかと思います。だから元帥。だから。

 どうぞ安らかにお眠りください。ありがとう柊生元帥。そしてさようなら。あなたはわたしにとって永遠にただ一人の、帝國元帥でした。

☆☆☆

 このブログを公開したあと、ほんとうにたくさんの方が読んで下さったのに驚きました。たくさんの拍手と、有り難くて、嬉しくて、幸せになるメッセージもいくつも頂きました。20年近く前にファンサイトを停止させた自分に、頂いたお言葉の一つ一つを教えてやりたくなりました。ありがとうございました。あのファンサイトを創って良かったです!

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