「アンダー・ザ・ドーム(上)(下)」スティーヴン・キング(文藝春秋)



 スティーヴン・キングの最新作です。キングといえば、ホラーの帝王というだけでなく、「ショーシャンクの空」や「スタンドバイミー」の映画のイメージからそういうヒューマニズムなイメージを持つひともいるかもしれませんが、この作品は、ジャンルでいえば…SF、なのかな。突然現れたドームによって外世界から遮断された町とその中での人間模様、息詰まるドラマがメインです。ので、ぶっちゃけ、ドームの正体は、あの、なんであってもいいんじゃないかという結論に達しました。ほら、さんざん展開された話の謎解きがそれかい!という経験は「アトランティスのこころ」でも「回想のビュイック8」でも「セル」でも「ドリームキャッチャー」でも繰り返してきたことですので(ひとによっては、あの「ダークタワー」だってそうだというかもしれん…)、そんなちいさなことにはこだわりません。はい、小説本来の評価としては間違ってるかもしれないことは百も承知です。
 というわけで、謎解きというか落ちはそれほど重要視されないとしたら、キャラクターは?と問われるかもしれません。そこで主人公が「イラク戦争での心の傷を抱えた元軍人で、いまは流れ者のコック」というと、なんとまあ類型的なとも思われるかも。わたしの夫はこれ聞いて「それセガールじゃね?」といいました。そんな主人公を助けるのは、田舎町でも気骨あふれるジャーナリスト魂をもった女性記者に、信念をもつ医者。かれに対抗するのは、町を牛耳り私服をこやす大物に、その息子で精神を病んだ悪党、とあっては、B級ぽささえ漂うかもしれません。解説ではTVシリーズ化が予定されているとありましたが、確かにそれにぴったりな内容です。
 でもね。でも。安っぽくないの。
 これはわたしが本当にキングを尊敬するというか、やられたと思うところなのですが、悪人にも人間性があるとか云うレベルではなく、人物が文章の中からゆらりとたちあがってくるような描写が本当にうまい。というか、優れている。膨大な登場人物のひとりひとりが、たとえ出番は少なくてもその場所に存在し、それまで生きてきた歴史があるということが伝わる。つまり生きた人間であると感じられる。それがどんな悪人であろうと、あるいは愚かな人間であろうと、そこにいたるまでの人生の道筋が伝わってくる。これはキングの凄さです。たとえ薄っぺらい人間であっても、その薄っぺらさに、真実味がある。だからこそ、この膨大な量を持つ語りが形成するイメージが退屈なものではなく、豊潤なものになり、目の前に広がる力を持つ。そこにはストーリーのためにとってつけたような行動をとらされるキャラクターはおらず、むしろストーリーがキャラクターに殉じているような印象さえ受けるほど。今回の悪人たるビッグ・ジムは、キングの作品にこれまで登場してきた悪人の中では小粒な方だと思いますが、その小粒さにも意味がある。小粒な悪人である生き方を選んだ人間としてのすごみがある。
 そんな生きた人間としての彼らの運命が、ドームという存在によって左右されるのです。文字通り息詰まるような気分で読み続けました。どうせ最後に主人公は助かるんでしょ?的な楽観は、キング作品には通じないし、ドームのなかという狭い世界の中で、主人公はさらに孤立無援です。そしてそこに現れる、正義と悪。良き心と悪しき心。この対立が鮮やかにくっきりと際立つ。いつもの、とかお約束の、とか云われそうだけど、わたしはキングのこれが好きです。それは、ホラーを愛する人のなかに時々見つかる、幼く純粋な部分の現われであるような気がします。そもそもホラーは勧善懲悪なものであり、人々を安心させるためのものでもあります。本当はそうならないことを知っているからこそ、それに心を痛めた人がたどり着く一種のおとぎ話としてのホラー。実際には悪は滅びない。正義が勝つとは限らない。ベッドの下に魔物は潜まない。それよりももっとこわいものが、自分の家にいるかもしれない。そんな現実から心を慰めるために、ブギーマンを自ら呼び出すのがホラーファンです。ときに、そのブギーマンを帰す術を見失ってしまうことがあるとしても。この物語では、超自然的要素はほとんどといってもいいほどありませんが、ドームという存在こそが、超自然というか非現実のものなのです。
 しかし本当に物語としての吸引力がすごい。一刻も早く最後まで読みたいのに、ざらっと飛ばし読みすることが出来ない内容の濃さに翻弄されっぱなしでした。そういう意味では、まだまだ話が終わりにたどりつかないと分かる上巻のラスト近くがいちばん辛かったかもしれない。そして、下巻のラスト20ページほどは泣きっぱなしでした。登場人物の誰かが死ぬとか、哀しい出来事が起こるとかだけではなく(でも二等兵のエピソードは泣くよね…)、ただもう、このエネルギーに圧倒されて。ぐいぐいと引っ張られて、自分もまたにいるような錯覚の中、物語が収束に向けて動いていく渦の中で、涙が出ました。
 そしてこれは直接、物語に関係ない話ですが、ドームという存在が放射能の匂いをまとっているということから、現在の日本が抱える問題をもどうしても重ねてみてしまうところがありました。こちらはしょせんお話なのですが、現実の日本にはいまだこれが存在している。わたしはひょっとしてリアルにその事実と向き合ったことがないんじゃないのか?とも思いました。優れたフィクションは、そうやって、現実との向き合いかたも、変えてしまうものです。そしてこの日本に、バービーはいない。
 なんせこの厚さなので、疲れてしまうかもしれませんが、物語に引きずりまわされて、圧倒される読書体験を持ちたいひとにおすすめです(わたしが一番好きなキング作品は「ダーク・タワー」ですが、それに比べれば短いですよ!)翻訳ものが苦手なひとの多くは登場人物の名前が覚えられないといいますが、これだけキャラが立っていれば名前なんか覚えてなくても大丈夫です。余計なことを考えず、落ちに怒らず(いえその)、読んでみて欲しいと思います。

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