「みずうみ」川端康成(新潮文庫)



 落ちは何処だ。あ、すいません。つい結論から始めてしまいました。そんなことをいうのは野暮ですか。でもつい。うう。
 本作の主人公は、美しい女を見るとあとをつけずにはいられなくなる性癖をもった孤独な男。かれがこれまでの人生で関わってきた女性たちとその回想がくるくると入れ代わり立ち代わり語られて、つながってはちぎれてまた交差して、という構成の作品です。ストーカーともちょっと違うな。主人公の男は恋愛をしているわけではないから。かれは憑かれているだけだ。そんなかれが恋愛というか、ちゃんと付き合った相手が教師時代の教え子、というあたりは、なんというか、リアリティです。二人が交わす最後の会話が、とても少女との恋愛らしかった。
「どうしても先生に会わずにいられなくなったら、どんなにしても先生をさがして行きます。」
「僕は世の底へ落ちてゆくよ。」
「上野の地下道に先生がいらしても行きます。」
「今行こう。」

 ここが、とても印象的。少女の必死さと、男の情けなくて小ずるい感じが、微妙にすれ違ってる。男には少女の言葉の意味が判らないのでしょう。だから、今行こう。と云っちゃうんだな。お別れの言葉を云われているのに、かれにはそれが分からない。
 そこ以外でも、地の文章も台詞もとても美しく読みやすく、素晴らしい日本語の教科書みたいだと思いました。川端康成を読むといつもそう思います。難しい表現や、漢字を使わないのに、高貴で可憐で格調高い。なによりも情景が浮かび上がってくる文章です。ため息が出るような。
 さらに、文章だけでなく、物語としてもこれはどうなるのかなと思って読み進めました。男がこれまで惹かれてきた女性の思い出が繰り返し語られ、ときにはその女性が語り部となり、時代は進んでいるような停滞しているような不思議な空間のなか、それでもじりじりと男は破滅に近づいているのだな、静かな終わりがかれを待つのだな、と思っていたのに。
 ラスト。あれ。これで終わりですか。そもそもこれはもしかして、そういうお話ですか。びっくりした。ああそうか、わたしは純文学にはあんまり免疫がない。お話というのには落ちがあったり、ラストらしいものが準備されているものだとばかり思っていたから、このラストには拍子抜けしてしまいましたよ。ページめくったら解説だったから、そこで初めて「ここで終わりですかい!」とツッこんでしまったくらいなんだもん。物語じゃないんだ。文体とか構成を見る「意識小説」とかいうものなんだ(解説から丸写し)。しーかーしー。物語がぶつ切り、という感じはないですが、それでも、なんというか、もったいない。
 なので、落ちとか物語とかを求めるひとには向いてないかも。だけど、美しいことばで創りあげられるみずみずしい情景、さらに女性を追い求めずにはいられない孤独な男の心情というものに興味があるかたなら、読んで損はないと思います。川端康成の少女って特殊だけど、実に「少女」というイキモノだという気がするので、そこらへんに興味があるかたも、ぜひ。

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