「ハンニバル(上・下)」トマス・ハリス(新潮文庫)





 ※ネタバレあり※
 悪名極まりない猟奇殺人犯、ハンニバル・レクター博士を主役としたシリーズです。ハリスの前作「羊たちの沈黙」は映画、原作ともに観ていますが、こちらの映画は未見です。ベストセラーとなってからも、評判だけは聞いてたんですが、なんとなく手に取らずにいた作品。しかし、痛快な映画本「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判」町山智浩&柳下毅一郎(洋泉社)にて、映画版「ハンニバル」が取り上げられたとき、「小説版『ハンニバル』は映画版『羊たちの沈黙』の続編」「トマス・ハリスがジョディ・フォスターにこんなことやらせたい、あんなことやらせたいと思ったことを書き散らしている」と述べられていたので、興味が出て読んでみることにしました。
 こういう純粋なサスペンス小説を読むのは久しぶりだけど、やっぱり稀代のベストセラー作家だけあって、どんどん読ませますね。冒頭のフィッシュ・マーケットでのクラリスの殺人(公務ですけど)から、レクター博士への復讐に燃える大富豪メイスンの描写まで、多少こけおどしが過ぎるほどに、ぐいぐいと読み手を引っ張っていきます。上巻の途中を過ぎるまで、肝心のレクター博士は実際には登場しないのですが、登場人物には、その影は色濃く落ちており、その登場をいまかいまかと待たせるけれん味に満ちています。作者自身も、読者全員がレクター博士を待ち望んでいることを知っているわけ。そういう構成を含め、絵に描いたような嫌キャラ、クレンドラーから、クラリスの同居人アーディリアにいたるまでのキャラの類型さ(なんつーかこう、見事に型にはまった言葉を使い、行動をする)なども、しかし、物語の欠点にはなりますまい。それは、魅力的な殺人鬼であるレクター博士を主役にした娯楽活劇のお膳立てにすぎないのだから。しかし、物語中でやたらと持ち上げられるレクター博士の趣味も、正直、分かりやすすぎるような気がしますが。
 それでもわたしも世間の皆様と同じく、アンソニー・ホプキンス演ずるレクター博士の存在感には痺れたクチだし、とにかく読み続けずにはいられない物語というのも好きです。なので、どうなるかなあと思いつつも、かなり楽しみながら読んでいたのですが…。なんかどんどん展開がアレになっていきます。クラリスへの誕生日プレゼントを買いに行ったがために、仇敵に拉致されるレクター博士と(しかも落ちたメッセージカードでクラリスはそれを知る)、それを助けるためにひとり億万長者の屋敷に乗り込むクラリスとか(いや、護衛とか防衛システムとか…)、乗り込んだ彼女の恫喝の言葉を、イタリア人の殺し屋のために吊り下げられながら嬉々としてイタリア語に翻訳するレクター博士とか。はしゃぐな。
 で、ラストまで読んでの感想ですか。ひとこと。気持ち悪い
 それはレクター博士やその他の人々のおこなう残虐な行為やその描写が、ではありません。脳みそ食べるのなんてそんなもんただの悪趣味というレベルだし(映像で観たら単に嫌でしょうけど)。ただ、わたしには、この結末、クラリスがレクター博士を受け入れて、どうやら生涯の伴侶としてしまった結末が、ひたすらに気持ち悪い。ここで、前述のファビュラス・バーカー・ボーイズの言葉に思い当たるわけです。そりゃ、ジョディ・フォスターも辞退するわ。いや、わたしはクラリスがレクター博士とくっつくという結末自体も、かなりあれだと思いますよ。しかしそれも、クラリスがクラリスのまま、レクター博士の狂気に彩られた(しかし抗えないほど魅力的な)人格にとりつかれてしまうというのなら、まだ分かりますよ。
 しかし、メイスンの屋敷から傷ついたクラリスを連れ出したレクター博士がやったことは、単なる洗脳であり、クラリスをクラリスたらしめていた彼女の人格は抹殺されているじゃないですか。しかも、それがレクター博士の鬼畜な振る舞いであると描写されているならまだ分かるけど、ここではまるでそれが真実の魂の赦しと癒しであるかのように、描かれている。しかし実際にここにあるのは、女性の人格を白紙にして、そのあと己の望むように趣味に合わせて教育し悦に入る姿でしかないように思います。確かに、レクターは残酷な振る舞いに喜悦を感じる狂人であるので、その事実こそがレクターの意図であるという風に読み取れるなら、まだ救いがあるんですが、どうもそうではないような…。そんなものは愛でない。救いであるはずがない。レクターにとっても、クラリスにとっても。
 わたしがこの結末を気持ち悪く思うのは「羊たちの沈黙」でレクターがクラリスに惹かれたのは、彼女に内在するトラウマとそこから派生した彼女自身の人格だと思っていたから。肉体の触れ合いなど、互いの指先がかすかに触れるほどの接触で十二分だった。なのに、この「ハンニバル」の最終節で、抹消された人格の持ち主となったクラリスとレクターの肉体関係について触れられているところなんて、悪夢のようです。ハリス、あんたがジョディ・フォスターに萌えたのは分かったから、そんなこと、書かんでいい。そんな感じ。
  最後の最後、クラリスがガウンの襟に手を突っ込んでレクターの前に差し出したもの、それが彼女の乳房などでなく、45口径だったらどんなに良かったかと思います。撃ち殺してまえ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする