「風花」川上弘美(集英社)



 わたしは川上弘美に関しては、幻想的な雰囲気が見え隠れする作品をとくに好んでおります。なので、そういった香りがしない普通の男女の恋愛がテーマなものはあまり積極的に読まないし、読んでも印象に残らないことが多いです。ずっとそうだったのですが、「ニシノユキヒコの恋と冒険」(感想はこちら)、および「センセイの鞄」の二作がきっかけで、好き嫌いなく読むようになりました。
 しかしながら、それでもたまに後味が良くないものもあったりします。単にテーマに興味がないだけならそんな風に感じないのに(「古道具中野商店」とか)、変に生々しいくせに、ドラマチックな出来事がとってつけたように起こる「夜の公園」のあざとさにはかなり辟易としました。
 なので、この本もそうだったらちょっと困るなと途中まで読んで思いました。なんせ、それなりに平穏な日々を過ごしてきたはずの主婦が、ある日夫が不倫していることを知るけれど、大きな破綻は無くゆっくりと時間は過ぎ、小さな事件が訪れては過ぎていく、そういう話なのだから。このあらすじだけで興味がない人は一生手に取らない本かと思います。
 けれど、読んでいるあいだ、わたしには、ずっといやな感じが付きまといました。テーマに興味がないから、ではなく(そうであれば、それは退屈なだけです)、さりげなく、いやなことを囁かれている感じがするから。つまり、ひとは過ちを犯してしまうほど愚かで、自分勝手でありながら、なかなか思うように自分の気持ちすらコントロールできないということ。そんなことを、この小説が淡々としたトーンで知らせているように思えました。平凡な人間のどうしようもなさ。過ち。ものごとはいつでも、こんな風にあいまいに流れていくかもしれないこと。それは確かに自分にも覚えがある感覚です。自分だけは間違えないと確信が持てていた幼いころには、きっと、許せなかったであろう感覚。自分のずるさと卑怯さを知ること。
 わたしからすれば夫の行動は、不倫であるとか以前に、だらしなくて耐えられない。きちんと社会人をしているくせに、妻ひとりを納得させ得ない行動を続ける男が、すごく嫌です。けれども、主人公であるところの妻も異常にこどもな心性の持ち主です。正直、気持ち悪いくらいに幼いと思った(頭の中でずっと森下裕美の「ここだけのふたり」の妻が浮かんでいた)。なので、妻のキャラクターと夫のキャラクター、どっちも受け入れがたいものがあるのですが、否定もできない。このだらしなさも幼さも、たしかにわたしのなかにもあるものだと思うから。しかしそれを、わざわざ知らされるのは、やはり、いやなものなのです。そこがやはり、文学なのかと思います。エンタテイメントのように、すっきりはしません。叶えられる約束も、すかっとする啖呵も、素敵な王子様も出てきません。
 ただ、妻は、やがてゆっくりと世界を見つめていきます。生活すること、生きていくことによって。これまでは何も考えずに過ごしていけたことが、そうでなくなっていくことに気づきます。基本の心性は変わらないけれども、いま、なにが起こってしまったのか、それをどうしていく」べきなのか、ということを理解して受け入れていくことが出来るようになっていく、これはその過程の物語でもあります。成長、というよりは自分がなにを知らずに、なにが出来なかったかを理解すること。それにより、妻は、自然なかたちで自分のめぐり合わせと向き合います。
 わたしは、はっきりとした答えになっていると思うのですが、あえて言葉にならないラストに至るまでの、小道具や比喩、ちょっとした警句の配置に、作者の細かい配慮を感じました。好きな小説、とはいえません。けれど、心に残る小説だと思います。

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