「赤朽葉家の伝説」桜庭一樹(東京創元社)



 いちばん最初に読んだ読書日記(URL)のおすすめ本がとても自分の好みに合っていて、それがきっかけで読むようになった作家です。こういう好みをもった作家さんの作品はどうだろうと、読んでみた「私の男」が大変よかったので、ぼちぼちと他の作品も読み始めています。小説を書くこと、物語に憑かれるとはどういうことかを圧倒的な昏さで描いた「ファミリー・ポートレイト」も良かったですが、日本推理作家協会賞を受賞したこの作品も、とても良かったです。
 製鉄で財をなした鳥取の旧家、赤朽葉家を舞台に、三代にわたる女性の人生と目線を通して、終戦後から高度経済成長期、バブルとその後の平成不況という時代の流れのなかで生きる人々を描いた長編、と紹介してしまうと、なんだかとても重苦しいザ・女の人生、みたいな話かと思われるかもしれませんが、全然違います。そんな先入観と二段組でハードカバー300ページというボリュームに惑わされず、物語好きならぜひ、読んで欲しい。ラノベは向かず、かといって、正統派の文学にもちょっとついていけない、そういうわたしにはすごくぎりぎりのバランスでぴったりの作品でした。
 まず、第一部「最後の神話の時代」の主人公である赤朽葉万葉は、山に住む“辺境の人”に置き捨てられて、字も読めないままに成長し、その代わり、千里眼と呼ばれる不思議な力を持って成長した少女です。戦後すぐの復興を目の前にした混乱と、まだ、わずかばかり残って息づいている科学の光に照らされることのない存在が同居している独特の空気のなかで、語られる彼女の物語は、どこか御伽話にも似て、幻想的で、しかし、確かにその後の時代に繋がっていく、力強さを持っています。
 そして、第二部「巨と虚の時代」の主人公、赤朽葉毛毬は、石油ショック後のバブル経済とその終焉の時代を、レディースの特攻服と漫画家としてのペンを使って駆け抜ける存在です。第一部からじわじわと増殖してきた赤朽葉家の人々の運命が、彼女のポニーテールや原稿用紙にかすめるように浮かび上がっては遠ざかっていく。一番派手で、マンガちっく(なぜならこの時代はまさにオタク文化の黎明期であったのだから)な展開が、ここでは楽しめます。が、狂躁的な雰囲気には、必ずこぼれ落ちてしまう影のようなものが運命としてつきまとうものです。いっけん、派手で、騒がしくて、無茶な風俗を通しつつ、実は、時代そのものが、じっくりと時間をかけて疲弊していったのだという印象を受けました。
 さらに、第三部「殺人者」は、そんな彼女たちの人生を見つめてきた、現代の少女たる赤朽葉瞳子を語り部に、長く続く平成不況のなか、なにもとくに秀でるものをもたない少女が、この時代で生きていく意味を探りながら、思わぬかたちで浮かび上がった殺人の疑惑におぼつかない足取りで立ち向かっていくさまが描かれます。一般的には、どこか幻想的な第一部、物語そのものが湯気をあげて走っているような疾走感のある第二部が、評価されるのかなと思いますが、わたしはこの第三部が、いちばん身に沁みました。それは間違いなく、わたしがこの時代を生きている女子だからなのだと思います。なにより、第一部からの伏線が、この第三部で実を結び、切なく哀しい真実にいたった道筋が素晴らしいと思いました。ミステリとしては弱いのかもしれませんが、第一部の冒頭で現れた存在の意味が、第三部で解き明かされた瞬間の、哀しさと、美しさに、ため息をつきました。
 これは戦後から現代にいたるまでの時代と、長く続く一族の変遷を描いた物語です。過去は確定されているからこそ揺るぎなく、現在は未確定だからこそ危うい。しかしわたしたちはその危うさのなかでこそ息をしていかなくてはならない。それが未来につながるかどうかは、わからない。しかし、そこにビューティフルワールドが広がると願うことで、生きていることは素晴らしいと思える。わたしにとり、桜庭一樹は、現在を生きている作家だと思いました。おすすめです。

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