「あなたに不利な証拠として」ローリー・リン・ドラモンド(ハヤカワ・ミステリ文庫)



 パトロールのとき、あなたは現実の自分と町を行ったり来たり、出たり入ったりし、境界線のそばで見えない相手と踊る。心の底から湧き起こってくる恐怖にときどきおびえる。子供のころのお化けが、明るい夏の昼間の静かな鼻歌や、暗い道路に降る氷雨で待ち伏せている。いつ、どこで遭遇するかわからない。広い倉庫内の息詰まる暗闇の中、あなたは銃を身体の脇で握りしめ、心臓が乾いた口まで上がってきそうなほどどきどきし、内なる声を震わせる。ママ、ここにいたくない。(p170-171「銃の掃除」より引用)
 この本には、5人の女性警官を主役にした10篇の連作が収められています。桜庭一樹の読書日記で推薦されていたことで知りました。タイトルからして警察小説なのは間違いない。それはちょっと興味がない。あと、フェミニズム色が濃かったら苦手だけど…と思いもしました。わたしはなんであれ作者の主張が物語を乗り越えて迫ってくるものは苦手です。まあ、女性が登場する米のミステリにこの視点がない作品はそうないのですが。ただ、短編集ということで読みやすいかなと思ったことと、パラ見した各題も良かったから手に取ることにしました。その結果、なんだかもう、大変なことに。読書でこんな目にあったのは久しぶり。
 「完全」
 武装強盗を射殺した女性警官であるキャサリンの視点から、その夜の出来事および、その経験が彼女にもたらした影響が静かに語られます。細部までリアルにあいまいなことはなく語られていくことにより、その事実がキャサリンに刻印のように残したものを浮き上がらせます。おそらく、アメリカでは当たり前に起こっていること、凡百のミステリでは、挿話程度にも扱ってもらえないような、ありふれた事件です。けれども、それは人間の命を奪うということであり、それがひとりの人間に残すもの、キャサリンが受け入れなくてはいけなかったものを思うと、その禍々しさに眩暈がします。正当な行為であり、なにも間違ったことは行われなかったにも関わらず。悲劇ですらないようなシンプルな事件が、ゆっくりと彼女を蝕んでいき、なおかつそれを抱えて生きていくということの手ごたえのなさに、打ちのめされます。感情的な語り口ではなく、彼女は涙一つ流さないのに、怯えと恐ろしさが伝わってきます。人が人の命を奪うということは、どういうことなのかと思いました。
「味、感触、視覚、音、匂い」
 新人警官を訓練する立場となったキャサリンが語る、死臭とそれにまつわる諸々の事実。そして、そこからつながっていく子供のころの記憶の芳醇さについての作品。警官にとって、死の匂いを自らの一部とすることが自然となってゆく過程が語られます。自らの職業にとり、さまざまな感覚器官を研ぎ澄ますことがどれほど重要なことかを語りつつも、無味乾燥な事実の羅列でなく、かといって過度に感傷的な表現でもありません。そして彼女が探し求める子供時代を象徴する音にたどり着いたとき、すべてがその一瞬に収束されるのです。おそらくすべての人間が自分の中に抱えているけれども、その事実に気づきもしない、あえかなうごめき。それを示唆するラストの一文が、ありふれた言葉ではあるけれど、だからこそ普遍的な意味を込めた言葉であると思いました。
「キャサリンへの挽歌」
 これはキャサリンの物語ではありますが、語り手はキャサリンでなく、彼女の訓練を受けた警察学校の訓練生です。初めて現場に出ることになった訓練生の興奮と戸惑いに共感しながらも、そこで伝説の存在となったキャサリンの姿を、これまでとは違った観点で見ることができます。キャサリンの、ある意味でとても痛ましい行為が、大声で非難されるわけでもなく、もちろん受け入れられることもなく、ただ静かに終わっていくこと。それが同時に、訓練生たちの若さと可能性がゆっくりと消えていくことにつながっています。痛ましいと思いました。あまりにも、いたましい。
「告白」
 離婚して警察官になったばかりのリズが、引っ越してきた場所で出逢った風変りな男。桑の木を枝払いしてくれているかれとの何気ない会話が、たどりついた一瞬の告白を、リズはただ、受け止めます。6ページ足らずの短い短編ですが、ちょっと、こう、驚いた。おそらく、なにかの秘密を誰かに打ち明けるときは、こういうものなのかもしれません。ほんのちょっとのきっかけと言葉のやりとりで、それは溢れてきてしまうのでしょう。その自然さに、はらはらと落ちていく桑の葉と枝の音を、わたしも聞いた気持ちになりました。
「場所」
 警察を去ったリズが、そのきっかけとなった交通事故を回想していく物語です。これもまた「完全」と同じく、警官なら誰しも体験しておかしくないことであるし、交通事故の被害者としてであれば、わたしもいつなんどきその場所に行くか分りません。けれど、誰にでも起こりうることが、ほかでもない自分に起こった時に、その経験は真に個人的なものとなり、他人には手出しできないものと変化します。そのひとつがほかのものとどう違うのか、言葉で説明できなくとも、それはそこに存在しつづけます。リズは新しい人生を見つけられたのでしょうか。どうもわたしにはそう思えないのだけど。
「制圧」
 スカパーのFOXチャンネルで放送している「COPS」という番組がありまして、それは日本でいえば「警察24時」のカジュアル版のようなもの。パトカーに撮影クルーが同乗して、警察官の日常的な犯罪との対応を映し出します。それはたいてい、DVや麻薬、銃の密売や交通事故というありふれたものであるのですが、日本のものと違って、通報を受けた家にそのままモザイクも無しで突っ込んで、その場を制圧する場面が放送されることがあります。この作品は、ちょうどその場面だけを切り取ったような作品。ここでは、家庭内暴力の場に突入した女性警官のモナの、息詰まるような犯人とのやりとりと同時に、彼女が幻視する、幼いころからの家庭での光景が、混ざり合って存在します。兄と撃ったと我を失って泣く男の足元に転がる拳銃をどうにかしなくてはいけない、そんな状況であるにも関わらず(あるいは、そんな状況だからこそ?)モナの耳と目には、過去の、父親による母親への暴力の場面が、浮かんでは途切れ、また浮かびます。そしてそこに応援警官が駆けつけて…という展開は、注意深く読まないと混乱してしまいそうな内容です。このような状況でのモナの反応に、意外さを感じる読み手があるかもしれません。けれどわたしはリアルを感じます。ある種の極限状態では十分に起こり得ることだと、わたしも知っているような気がするのです。
「銃の掃除」
 この感想の冒頭に、一部を引用させて頂きました。この短編集のなかでも一二を争う傑作だと思います。被疑者への暴行が原因で停職処分になり、夫が娘を連れて家を出たモナが、銃を見つめながら思うこと。二人称で語られるがゆえに、いっそう胸に迫ってくる。読み進むうちに、モナ自身にもどうしようもない彼女の怒りが自分のものになっていきます。モナの目に映る景色、モナが見る過去と現在、それはわたしの見るものとなり、わたしはモナの選択を自分のものとして受け入れていきます。このすさまじいシンクロを、単に感情移入とか云いたくない気がします。モナってかわいそうとかそういうレベルでなく、モナの怒りは自分のものだと逃げ場無く感じさせられてしまう、この文章はいったいなんなんだろう、これはなんだろう。ひとりの人間が追い詰められ、耳にこだまする声を受け入れるということを、こんなにリアルに感じさせられるなんて。切れないナイフが胸に突き刺さっているような、そんな読後感でした。
「傷痕」
 その女性との初対面は、彼女が刃渡り9センチのステーキナイフを胸に突き刺していたときだった。被害者サービスの仕事をしているキャシー。最初は死傷及び性的暴行事件とされたものの、刑事は自作自演だと判断する。6年後、警官となったキャシーの前に、再びその事件が現われたとき…。アメリカ探偵作家クラブ最優秀短篇賞を受賞した作品です。明確な謎解きがあるわけではなく、すっきりした解決が提示されるわけでもありません。そこにあるのは、ひとりの人間のなかで価値観や考えが揺るうごめきのようなもの。親切でありたいと願いつつも、己の器を越えて溢れる感情に対応できなかった苦い思い出を、どのように昇華していくことができるのかという問い。あらゆる対人サービスの援助職が一度は対面する苦境だと思いますが、それはとりもなおさず、ひとりの傷ついた(精神的にも肉体的にも)人間と対面するとき、第三者が本当にできることとは何なのかという問いでもあります。そして、実際の人生には、絵にかいたような被害者も、悪人も、存在するわけではないのだと。こう書くと重苦しい話だと感じられるかもしれませんが、わたしは主人公に夫が求愛したときのエピソードのさりげなさがとても好きです。最後にも、正解がなにかわからずとも、前に進んでいく勇気が感じられます。
「生きている死者」
 女性警官として、暴力の末に殺害された女性と対面するたびに、ある儀式を執り行ってきたサラ。今回、夫からの凄惨な暴力の果てに、無残な死体となって発見されたジャネットを目の当たりにしたときも、彼女はそうすることにした。公のことではない、けれど女たちの絆にとっては大切な儀式。しかし、今回ばかりは、その儀式の最中に思わぬことが起こり…。中編の長さですが、じっくりと読みこんでいけば長編の読み応えがあります。地に足がついたリアリズム描写のなかに見え隠れする幻想と世界のズレのようなものが現れては消えていくような作品です。シンクロできないひとにはよくあるミステリの一篇と片付けられてしまいそうなほど、これも派手さはない作品です(凄惨な殺され方をした死体など、ミステリの世界では掃いて捨てるほど存在するでしょう)。けれど、一度、サラの視点と思いに読み手の気持ちが重なってしまえば、これは重苦しく、耐えがたいほどの孤独を与えてくれることでしょう。少なくとも、わたしはそうでした。
「わたしがいた場所」
 「生きている死者」の続編にあたります。なにもかも捨ててニューメキシコにやってきたサラが得た新たな場所と人々の出会いを描いたこの作品は、もはや警察小説ではなくミステリとも言い難い、レベルの高い一般小説であると思います。登場人物、台詞、挿話のひとつひとつが溜息をつくような配置です。純文学だと思います。これはゆっくりと生まれ直す魂の物語です。深く傷ついた人間だけが得ることが出来る再生誕のチャンスを描いています。わたしは泣きました。嘘くさい癒しという言葉も、泣くような出来事は存在しないはずなのに、わたしは心で泣き続けました。「銃の掃除」のときと同じ、よく切れない刃物が胸に突き刺さったままであるかのような痛みを強く感じました。なにかを失い、怖れ、それでもやり直すことによってまた得られるなにか。赦し。そんなことを感じて、苦しいほどでした。この感じかたはきっと、とても個人的なもので、わたし以外のひとがこれを感じるかどうかは分かりません。わたしの物語は、だれかの物語ではない。けれど、だれかの物語がわたしの物語になにかを与えてくれることはあり得ます。だからわたしは、本を読むのだと思いました。たまらない。
 警察小説ではありますが、ジャンルにこだわらず、読みごたえのある作品を読みたいひとにお薦めです。読み終わったあともしばらく、熱に浮かされたような後味が残りました。

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