「その女アレックス」ピエール・ルメートル(文春文庫)



 十代のときはがりがりに痩せていて、美しいとはいえなかったアレックス。でも30歳になったいまは、かなりの美人として認められ、自分でもオシャレを楽しめるようにまでなった。自分の中に巣くうコンプレックスは解消できそうにないけれど…。そんな彼女の日常は、突然の拉致誘拐で壊される。「お前が死ぬのを見たい」と囁く男に、檻の中に閉じ込められた彼女は、なんとか脱出しようともがき、彼女が誘拐されたことを知った警察も、必死の捜索をはじめるが…。
 フランスが舞台のミステリを読んだのは初めてですが、日本やアメリカというお馴染みの舞台とは違った司法制度が垣間見れるのが慣れないけれど、面白かったです。、いろんなミステリの賞を総なめした話題作です。とりあえず、読み始めて驚いたのは、この物語はアレックスの誘拐事件で幕を開けるのだけど、それはまさに序盤にすぎないということ。それまで読んだ紹介文は、この監禁事件のことしか触れていないものばかりだったので、てっきり、ここからの脱出がメインだと思っていたのです。しかし、読み進んでいくに従って、それらの紹介文がそうなってしまったことにも納得。わたしも、これ以上は物語の展開について触れる気にはなりません。この本をこれから読む人の楽しみを奪ってはいけないと思うことは当たり前ですが、それ以上に、ネタバレせずにこの物語の展開を説明することは不可能に思えるからです。ドンデン返しとか、意外な展開とか、読者も騙されるとか、そういう言葉で説明してしまうと、なんだかかえって良くある話のように思われてしまいそうですが、それでも、やっぱりそうとしか言いようがない。一度、読み終えたあとに、とりあえずもう一度、頭から読み直さずにはいられませんでした。
 ただ、そういう仕掛けだけのお話かというとそうでもなく。わたしはミステリが好きではありますが、綿密なトリックとか意外な犯人探しとかにはあまり魅力を感じないタイプです。うん、トリックね。とくに機械的なやつはね、理解できないことが多いの。むしろ、それよりはそこにいたるまでの人間心理や駆け引き、人物像のドラマなどに惹かれるのですが、そういうわたしの嗜好からしても、この物語はとても納得いくものでありました。あまりにも、凄惨で苦しいもので、救われない物語ではありますが、そこにいたるまでの登場人物のちょっとしたひとことや仕草、感情表現が、これをトリックの為だけのお話にしていない。トリックの為に必要な描写であることと、この物語に登場するひとびとを生きた人間として表現するための言葉であることが両立していると思いました。
 真相がゆっくりと姿を現した時に、そのあまりにも暗く救われない運命に、読んでいて身がすくむ思いがしました。現実では、真実はあくまで事実として終わってしまい、そこに正義は存在しない。けれど、これはあくまでミステリという物語だから、正義は存在する。あくまで作りごとのお話としてのお約束かもしれませんが、わたしはそこに救われました。読み応えのある一冊です。
 
 

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