「上妻宏光 デーモン閣下 山井綱雄 能舞音楽劇 『義経記』」(倉敷芸文館)感想

 こんにちは。タイトル通り、行ってきました「義経記」。つい二か月前の「うただまプレミアムコンサート」に続き、閣下宗としてのリハビリに励む第二弾です。

 まあ、正直言いまして、昔から閣下の邦楽関連の活動につきましては、ご縁が無いというかいまひとつそそられるものがないままでスルーしていたのです(ごめんなさい)。日本の伝統芸能というものへのリスペクトこそそれなりには持ち合わせていると思っていますが、それでも興味が薄いものを目にすると退屈に感じる可能性が高い。万が一、億が一にでも閣下の関わるものを見て、そんな風に感じちゃうのは嫌だな、と思っていたのです。あと、単純に機会もなかった。

 しかし、ちょうど「うただま プレミアムコンサート」への参加を決めた直後に、地元での「義経記」公演を知り、これこそ悪魔の配剤かも、と参加を決めました。そしたら「うただま」に引き続き、目を疑うような良席で、これ、閣下がわたしをお召しになった?とかつぶやきましたね、マジで。でも、ご縁があるというのはそういうことなのかもしれません。

 会場になりました芸文館は昔からあるこぢんまりとしたホールです。倉敷の観光名所である美観地区に隣接しているため、わたしにもなじみの場所でした。というわけで今年7月の倉敷の豪雨災害のあとに行われることとなったこの公演に県外から参加されるみなさまには、ついでに美観地区にも寄って楽しんでいただきたいなという思いをTwitterでも呼びかけさせていただきました。すると思いのほかRTしていただいて、とても嬉しかったです。そのせつはありがとうございました!

 で、「義経記」。義経の話だということは分かります(それ以外だったらびっくりだな)。が、わたしはそもそも義経に関心が無い(歴史への興味が薄い)。もともとの知識もごく一般的なものしかありません。牛若丸とか弁慶とか勧進帳とか。なので、ずっと静御前はいつ馬に乗って戦に出るのだろうと思っていました。節子、それ静やない巴御前や。

 ですので、この後の感想は、邦楽にも義経にもさほど詳しくない、出戻り閣下宗による、あくまで覚え書きレベルの「義経記」感想になります。理解が浅いゆえの間違いや、勘違いもあるかもしれませんが、どうぞご容赦ください。また、わたしは文中で閣下のことを「ひと」と表現するときは、「人間」という意味ではなく、あくまで代名詞としての「ひと」であるとご理解ください。もちろん閣下は悪魔ですよ。いやほんとうに、悪魔でしたよ……。

 まずは、山井綱雄さん。ていうかとにかく山井さん。びっくりした。わたし、能の舞というのを生で見たのはこれが初めてだったんですが、度肝を抜かれた。ナニコレ。人じゃない。閣下も人じゃないというのに、ここにはさらにヒトじゃないひとがいる(ややこしい)。山井さんだけが、無重力の世界にいるよう。あるいは逆に、山井さんの周りにだけ空気が具現化してそれが揺れるさまが見えるよう。身体のアクション自体はまったく派手なものでなく、むしろゆっくりした地味といえるようなもののはずなのに、迫力がすごかった。なんだあの動き。
 
 とりわけ、静さまの舞。とうとう見ていて、座席の椅子に背中をぴったりくっつけました。怖かった。能面ってこういうことなんだと感じました。だから、ああなんだ、と思った。われながらアホな感想で申し訳ないですが、それぐらい言語化できない感情に襲われたのです。あそこで舞っているのはひとでない。ひとの感情や想いが、舞のかたちで揺らめいて、生まれては消えていくそのさまを見せられているのだと思いました。とんでもないものを見せて頂いた、というのが正直な感想です。いやもう、なんだあれ。

 その山井さんの舞を支える高橋さんの地謡。こちらはもっとなじみが薄い。自分の教養の無さを恥じることもなく告白すれば、その語りの内容の7割も理解できていなかったと思う。なのに、分かるのです。耳を傾け続けずにはいられないリズムと迫力。なにより声がすごいよ、声が。正直言って、最初は、あれ、閣下が謡うんじゃないの?と思ったけど、これは違いますね。山井さんの舞にはこれでないといけないのだ、と開始数分で理解しました。すごかった。

 そしてもちろん上妻さん。この方の三味線はわたしなどがいまさら言うまでもないことですけど、カッコ良かった……。三味線の生演奏をまともな形で聞いたのはこれが初めてだったけれど、初体験がこの出会いでよかったと思います。当たり前ですが、ギターの音色とはまったく違う表現、違う激しさ、それがどの場面でもかき鳴らされるたびにしっくりと響いて、会場の空気に溶けるようでした。聞きほれるとはこのことよ。

 で、閣下。朗読担当とあったので、どんなものかなーと思っていたんですが、思いのほかの七色いんこぶりで、懐かしのANNを思い出してしまうほど(笑)。でも、すごく良かった。義経の若武者ぶり(それは様々な運命の流転を経験しても、義経から奪われることはなかったのだ……)、現実主義者であり同時にロマンティスト(でなければなぜかれは義経を語るのでしょう)な吉次、秀衡の老人ならではのやさしさとたくましさ、静御前のたおかやさ……。そんなすべてを閣下があまりにみごとに演じ分けられるので、正直ずっと「きゃー閣下♡」というよりは、ただ物語に聞き入っておりました。あたりまえだな、あそこにいたのはそれぞれ登場人物で、デーモン閣下が姿を現すのはいちばん最後だった(ところどころで可愛い閣下は顔を出してたけどね!)。

 そんな感じで、ずっとこの舞台を楽しんでいたのですが、やがて、物語は佳境に入ります。わたしでも知っている、この会場にいるようなひとならばほぼみなが承知の上の、あの運命。追い詰められた兄弟仲が呼んだ悲劇をだれも止められない、最後の展開に向かっていくのです。

 すごいなーと思いました。ぶっちゃけて言えば、この話はあくまで狂言回したる吉治の視点から局所的に語られていることもあり、観客が義経というキャラクターに強い思い入れを感じるような仕掛けにはなっていないのですね。勧進帳の場面もないせいで、いちばんのポイントである弁慶と義経の絆に焦点が結ばれるのは、ほんとうに最後の最後。義経の悲劇に感情移入するには、義経そのひとの人物像が、あまりにこちらにとって身近でない。あくまで個人の意見ですが。

 そしてわたしには、それは古典ならではの距離感であると思えました。なんといいますか、倫理観も価値観も、現代のわたしたちとは違うわけですよ。そしてそれを現代に通用させるために翻訳もしていない。それはほんとうにすごいこと。いまのわたしたちとは違ってあたりまえのもののふを、この場に誕生させたということでもあるのだから。でもそうなると、この「義経記」も、そういうどこか遠いあくまでお話としての悲劇で終わりかねない。そう、そういうお話で終わるのかなーと思ったのですが。

 終わらんかった。わたし、号泣しました。義経に思い入れもなく、この悲劇にもまあそんなものかなと思って(いやだって知ってる話だし)、ただフツーに素晴らしい舞と音楽と朗読を楽しんでいたはずのわたしが、義経と弁慶の別れのあたりから、勝手に目が潤みだし、あれれおかしいなと思ったところで、義経のあの独白で涙腺崩壊でした。

 正確に引用できないのが歯がゆいですが、あの言葉に、現代のわれわれとは相容れない部分も多い、遠い時代の人々の物語である古典の登場人物であるはずの義経が、わたしの、いまを生きている人間の感性とつながったと思いました。リンクした。それこそまさに、邦楽という名の古典と閣下をつなげたこの舞台そのものでもあるではないですか……。それを可能にしたのは、ここまで義経を語ってきた閣下の力。そしてそれを支える山井さんの舞、小林さんの地謡、吾妻さんの三味線。ここにいるのは、閣下がそうやって生み出した、義経なのです。

 それに気づいて、あ、閣下はものすごいことをしている。すごいんじゃないか、これ、と思ったところで、あの歌ですよ。「花の香が満ち満ちて」ですよ。

 もう、じぶんがなんで泣いているのかもわかりませんでした。ただもう涙があふれて止まらなかった。こうやっていま思い出すだけでも目頭が熱いです。でもその理由は分かりません。義経の悲劇に涙するというレベル以上に、あの閣下の歌が、歌声がわたしをこんなにも揺さぶった。意味はないのだ、理由はないのだ、そこにいるのは閣下だったから。そして、閣下だけが、こんな奇跡を起こすことができるから。

 まいったなあ、と思いました。この歳になると、頬を伝う涙を感じるような泣き方をするのはめったにないことですが(拭けよ)、二か月前の「うただま」で泣いたときと、ある意味同じ、ある意味で違う、そんな涙を、やっぱりわたしは閣下を見て流してしまいました。あの声。ほんとうにそれしか言えない。あの歌声。そして、あの舞台にいる姿。どちらも、世界でいちばんきれい。かけがえがない、この世界にたったひとりの存在が、自分の目の前にいて、わたしは本当に本当に、このひとが好きで、大好きで。そしてこのひとは、わたしの目の前にいるのです。

 悪魔だよね。ほんとうに悪魔だ。わたしは閣下に関することではいつでも14歳の小娘に戻るのですが、それでもそのときからずっと続いた、まさに恋としか表現できない浮ついた思いが、ガチっとレベル上がったというか、とっくの昔に上がっていたのにまた気づいた、そんな感がしました。いてくれるだけでいい。本当に、この世にいてくれるだけでかまわない。そして、閣下が幸せで楽しく、好きなことをやっている姿をながめていたい。そんなことを、個人的な関りを持ったこともない相手にこんなに泣きながら思うんですよ。まさに魂を奪われてるじゃないですか。閣下はほんとうに悪魔だよ!(知ってたけど!)

 というわけで、ぐすぐすと泣き続けたわけです。が、舞台の緞帳が上がってからは、なんともお人柄を感じる出演者の皆様のトークにほっこりし、豪雨災害のことに触れる閣下の気遣いにまた涙し(「今日のこの会場にも被災したひとがいるかもしれない」というお言葉に、わたしのすぐ近くの席のかたがちいさく声を上げました。参加できて良かったです)、お客さんがしっかり入っていることに喜ぶ皆様のかわいらしさに笑いました。ほんとうに楽しかった!

 終演後、ロビーを見るとたしかに閣下宗というよりは、古典芸能ファンらしき地元のマダムやムッシュの姿が多く見受けられました(いや、閣下宗かもしれないが)。そして、みなさまがそれぞれうっとりと「いいもの見たわあ……」「三人三様で素晴らしいわ」「デーモンさんは相撲の解説でしか見たことなかったけど、ええ声やねえ」とおしゃべりしているのを聞いてまたほっこり。嬉しいな。

 というわけで、また閣下にイカれた感じの「義経記」感想でした。わたしは古典の教養が無いから、長文で感想を書いたら頓珍漢なことを書くかもと思い、ツイッターで感想をつぶやきかけたんですが、さすがにここまではっきりと閣下にイカれてるさまをツイッターで書くのはためらいがあり、ブログに描いたらこの文章量です。なぜツイッターに書けると思ったか、いまはそれが不思議です。

 長々と語りましたが、出戻り閣下宗のリハビリツアーも、次回のROCKTOUR大阪で、ひとまず終わります。なぜなら、公式FCに再入会するからです。出戻り、ではなく現役の閣下宗として、これからも閣下の活動を見守っていこうと思います。あくまで自分のペースでのんびりと、ではありますが。とにかく閣下が大好き、な気持ちでいきます。どうぞよろしくお願いします!

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