「果てなき渇望 ボディビルに憑かれた人々」増田晶文(草思社)



 
水道橋博士の「筋肉バカの壁 [博士の異常な健康PART2]」に紹介されており、博士の熱い紹介に興味をそそられたので、手にとってみた一冊です。しかしそもそも、わたしは、ボディビル自体にはまったくといっていいほど興味が無く(読んでいて浮かぶのがまず「シェイプアップ乱」だったあたりでお分かり頂けるかと)筋肉にも、たいしてそそられません。WWEが好きだったので、ステロイドを使用しての筋肉増強には、なんとなくの知識があったくらい。というわけで、何の事前知識もなく手にとってみたのですが、あまりの面白さに一晩で読み終えてしまいました。
 ボディビルという、あまりに強大な筋肉を発達させ、その完成度を披露する競技については、なんとなくイメージで、「ムキムキマン」的な、どこか滑稽であったり、異形であるイメージを持つひとも多いかと思います。しかし、ボディビルに取り組む人々の実際の生活は、けして滑稽なものではありません。厳しいトレーニングや食事制限、一般的な生活が不自由になってでも、巨大な筋肉を手に入れて、コンテストで勝利をつかむこと、さらには、そこまで苦労して得た勝利も無にしてしまう危険性をはらんだ禁止薬物にまで手を出して、さらに完璧な筋肉を求めること。まさに筋肉に憑かれたとしか表現できない、ボディビルダーたちの生き様に、この本は迫っていきます。
 その対象となるのは、三島由紀夫を皮切りとして、働きながら、コンテストを目標として調整を続ける現役のコンテストビルダー、性差のなかで求められるものと求めるものの狭間で自分の道を進んでいく女子のビルダー、業界から追放される危険性をいとわずに「ナチュラル」では得られない筋肉を手に入れることを選択したステロイドビルダー、敗戦から高度経済成長期に至るまでの日本社会の移り変わりのなか、歳をとってもあえて引退することなく、筋肉を鍛え続ける高齢者ビルダーたちです。
 わたしにはボディビルというものに対する情熱を真の意味で共感することは出来ません。しかし、なにかに憑かれてそれを追い求めること、執着していく情熱は、なんとなくではありますが、理解することができます。そして、そういう情熱に駆られた人々が往々にしてそうであるように、かれらもまた、己が真に求めるものを得るためには他のすべてを投げ打つことをも厭いません。ボディビルという、世間的には理解されにくい競技(そう、これは「趣味」のレベルではないのですね、もっとも、日本にはアメリカなどと違って、いわゆるプロのボディビルダーはあまり存在しないようです)に、打ち込むために、仕事や家庭、恋愛も後回しにしていくそんな姿勢は、一般には奇妙なものに写るかもしれません。しかし、この本は、そういうかれらの内面にしっかりと入り込み、インタビューを基にしながらも小説であるかのようなリーダビリティをもって読み手を引っ張っていきます。それを読み込んでいくうちに、自分とはまったく別次元にいるはずだった、かれらの渇望を、身近に感じていくことになります。
 この本を支えているのは客観的かつ寄り添う視点であり、筆者による余分なバイアスを感じることもほとんどありませんでした。その姿勢の公正さをとりわけ感じたのは、こういう素材であれば、ことさらキワモノ的に扱われたであろう女性ビルダーに関する章です。筋肉を鍛え誇示する、という一般的な女性のジェンダーからは逸脱する道を選んだ女性に対して、丁寧に成育暦をたどり、ビルダーとしての生き方と女性としての生き方の狭間に立つ彼女らの姿を描くその筆致は、冷静でありながら温かいものであり、なんら批判的なものは感じられません。同じように、「ナチュラル」をもってよしとする傾向の強い日本人にとっては、まず批判の対象となるであろうステロイドユーザーのビルダーに対しても、かれらが薬の力を借りてまで、そうでないと作り上げられない身体を渇望する姿と同時に、違法薬物の副作用や神話についてもデータを用いてその正体を明らかにしていきます。その過程はスリリングであると同時に、まさしく、著者がいうように「ヒューマン・インタレスト」なものであります。
 まったく興味が無い分野であったのにも関わらず、まったく退屈せず読むことが出来、これまでになんとなく感じていたボディビルへのステロタイプなイメージも修正されたような気がします。なにかに飢え、求めること。完成や満足をどこまでも追い求めての切ないまでの欲望、そういったものに興味があるかたにおすすめします。

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