「グッデイ」須藤真澄(エンターブレイン・ビームコミックス)



「明日死んじゃうわたしですが、今日はちょっと幸せものです。」
 15歳以上のひとが任意で服用することが出来る「玉薬」。その薬を飲むと、身体の寿命で亡くなる人の体形が、亡くなる前日から球体に見えるようになります。その現象は「玉迎え」と呼ばれます。ただし、亡くなる人と、そのひとの「玉迎え」を見ることが出来る人との組み合わせは、世界でたった一組のみ。天文学的な確率だけど、それでも起こりうる現象。あなたは、いますれ違った誰か、久しぶりに会った家族、偶然出会った他人、それぞれが死ぬ前日にいることに気づいたら、どうしますか?
 …というテーマの連作短篇です。これがまあ素晴らしい。テーマだけ聞くと、重々しかったり、お涙頂戴に思えたり、或いはもっと悪趣味なものに思えてしまうかもしれないのですが、そういう先入観は、須藤真澄描くところの「玉迎え」を迎えたひとびとのヴィジュアルを見た瞬間に吹き飛ぶことでしょう。可愛いんですよ、これが。
 そう、いくらでもシリアスな感動作に仕上げることが出来る素材ではありますが、須藤真澄はそれをとても軽やかに自然な笑いをともなったお話に創りあげています。そしてそれだけに終わらないのがまたすごい。
 なんといっても、絵の力が良いのです。つーてんな描線(見て頂ければ納得できますこの表現)で描かれるこの世界は、とても可愛いけれど、甘過ぎない。細かいところまで描写しているけれど、ごちゃごちゃしてない。作中の女の子たちは、うるさくて落ちつきが無いくせに男子の夢を裏切る冷たさをもっているけれど、そのまつげは可愛らしく伸びやかで、素直なほっぺたはきっと真っ赤に染まっている。
 また、このマンガは「身体の寿命」で亡くなるひとたち、をめぐるお話なので、お年寄りがメインを張る話が多いのですが、さすがはこれまでずっと、お年寄りを可愛らしく生き生きと描かせたら右に出る者はいないマンガ家さん(わたし調べ。次点はひらのあゆでお願いします)である須藤真澄らしく、いまの年代のおばあさん、おじいさんたちってこうよねえ、という服装に髪型、生活の風景に説得力が半端ないです。
 そしてこの可愛い描線で描く世界そのものは、油断して読んでしまえば良いお話、泣けるお話でもあるのですが、それでもなんだかそれだけに終わらない。笑って少し涙ぐんで、良いなあと感動したあとに、でも、そのあとに。ぞくっとするのです。ああ、このひとたちには翌朝は無いんだ、という事実に気づくと、少し冷え冷えするような気持ちが残るのです。須藤真澄の作品は、その可愛さとファンタジーな雰囲気に酔わされて楽しく読み終えてしまうことが多いのですが、そのところどころに、冷たさ、というか、人生そのものを達観して見ている冷静さを感じることがあり、この作品でも、わたしはそれをちらっと感じました。まさに神の視点。
 可愛らしい描線で描かれて悪人は登場しない、気持ちのいいお話が並んでいます。けれど、それは人間の寿命が分かってしまうというある意味、とても怖い世界。正反対であるような両者が同居している、そのバランスが絶妙な作品でもあると思います。須藤真澄の描線でなければ納得できない「玉迎え」の描写であることを踏まえて、本当に、このひとでなければ描けない作品だと思いました。わたしはたいしたマンガ読みではありませんが、直観的に、わたしのなかで、2014ベスト作品である、と決めました。おすすめです。

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