「戸川純」(岡山デスペラード)

 お久しぶりです。まだブログは生きておりました、くさてるです。

 後述する事情でライブに行くことも出来ず、帝國も活動があんな感じで(わたし、神風の方はご縁が無くノータッチです)、すっかり読書ブログと化していたものの、それも忙しさにとぎれていました。まあそのほかにもちょっと忙しいことがあって、いまは主にツイッターにおります。

 まず、個人的なお話で恐縮なのですが、わたくし、2012年にライブで音響外傷からの突発性難聴をやりまして、ここ数年、ライブ参加を自粛していました。しかしいいかげん耳の症状も固定し(基本的にずっと低音が聴き辛く、疲れた時など体調次第で耳鳴りがひどいくらい)、これ以上良くも悪くもならないことが分かってきて、そろそろライブに行くのを再開したいなと思うようになりました。さすがに昔のような爆音系は無理としても(耳を痛めたのがまさにそういうV系のイベントだったので、気持ち的にリラックスして楽しめないと思うんですよね)。でもじゃあなにかと言われたら迷う感じで日々を過ごしていたわけです。

 そしたら去年の12月に、戸川純の歌手活動35周年を記念したセルフカヴァーのベスト盤「わたしが鳴こうホトトギス」が発売されました。これがまああなた、素晴らしくて。ぶっちゃけ純ちゃんはやたらとベスト盤が多い方なので、最初はあまり期待してなかったのですが、このセルフカバー、ほんとうによかったのです。純ちゃんそのもの、剥き出しになった戸川純という存在をぶつけられているような歌声がそこにありました。

 ここでわたしと戸川純についてすこし語らせてください。わたしは彼女が一世を風靡した時代(80年代、いわゆる“お尻だって洗ってほしい”とかの頃ですね)にはまだ子どもだったので、後追いで、まずはいわばレジェンドのお勉強として聴き始めました。それでも、ゲルニカは正直、ぴんと来ず、ソロ作品もハマるものとそうでないものがあり……な感じだったのです。しかし、そこで、出会ったのが彼女のバンド、YAPOOS。よりにもよってリアルタイムで「ダイヤルYを廻せ! 」です。あんなものを、遅れてきた厨二病発症中のメンヘラかぶれの十代後半の女子に聴かせてはいけません(真顔)。これと「Dadada ism 」で決まりでした。

 この二枚のアルバムが当時のわたしに与えた影響たるや。そこの収録された一曲一曲にどんな意味があったかということを、ここでいちいち語るのはあまりに煩雑に過ぎるしこれ以上の黒歴史の陳列には意味がないので割愛しますが、どの曲も、まさに当時のわたしのテーマソングでした。しかしそれから時は流れ、YAPOOSの活動も止まって久しくなり、そんなこんなで気がついたら約二十年ですよ二十年!歳がバレるってもうええわそんなもん!そんな感慨にふけりながら、それでも単なる懐かしさだけではない新しさも、その「わたしが鳴こうホトトギス」から受け取りました。これはいいなあと思って、ついライブスケジュールを確認したら、なんと地元でライブが予定されているではありませんか。それで、とうとう5年ぶりのライブ参加を思い切ったわけです。

 心配な耳は、ライブ用の耳栓を準備して赴きました。この商品です。結果として、たいへん快適に過ごせました。音の聞こえ自体も、かえってクリアに聞こえた気がするくらいです。終了後の耳鳴りも、映画やカラオケのあとくらいの感じで、時間の経過とともに落ち着いていきました。良かった。

 というわけで、前置きがとても長くなりましたが、戸川純、岡山デスペラードの感想となります。前述のとおり、わたしはコアな純ちゃんのファンとはとても言えず、ちゃんとしたファンのかたからしたら申し訳ないような記述もあるかもしれません。メモも録音も当然ながらしていないので、こまかいところで記憶違いなどあるかもしれませんが、ですが、当日感じた自分の気持ちの整理として感想を書いておきたいと思います。広いお心で見守って下さったらと思います。よろしくお願いします。

 デスペラードは、いつ以来かともったら2009年に人間椅子を見に来て以来でした。そのときも感じたけれど、この落ち着いた雰囲気、いいなあ。同世代かちょっと上の感じの客層で、にぎわっていて安心いたしました。

 10分ほど押しで始まったステージ。バンドメンバーが揃って始まった前奏で「バーバラ・セクサロイド」だ!とテンションがあがったところに、登場した純ちゃんを見た瞬間に駄目。涙ぐみました。だってピンクのフレームのサングラスにレース付きのバカでかいリボンがついた帽子ですよ。往年のピンクハウスを思わせるギャザーとフリルいっぱいのワンピースですよ。いま2017年なのに!そして約二十年ぶりに生で見た純ちゃんは、記憶よりいくぶんふくよかになってて(ご本人はやたらと“太ってしまった”“デブだ”“これじゃいけないとダイエットして7キロやせた”とまで言ってましたが)、あの折れそうだった少女めいた雰囲気が薄らいで、より柔らかそうな女性になっていました。そして、腰が悪いせいで、座ったままのステージとなりました。

 しかし、それでも歌い始めると、なにかが一変した。ステージの上で、まるで見えない幕がばんっと上がった気がした。やはり声が。この声が。安定してるとはお世辞にも言えない、どこまでも不安定に揺れて震えて、なのに強い。はかりしれないほど、強いとしか言えない力があって、ああこれだ、と思いました。これが戸川純だと思いました。たぶん、声量とか声音ではなく、ただ歌うということ自体が自己表現のひとなのですね。

 そして一曲歌い終えると、MCに。ちょっとびっくりするくらいの呂律だったのですが、よく考えれば昔からこんな感じの喋り方だった気はする。バンドメンバーも観客もみな一心に純ちゃんのたどたどしい喋りをにこにこと、時には心配そうに見守る感じ。そうこんな感じ。
「バーバラセクサロイド」「ヴィールス」「シャルロット・セクサロイドの憂鬱」「肉屋のように」など、YAPOOS時代の名曲をつづけざまにやられて、わたしはもうくらくらしてました。泣いちゃうかなと思いつつも、とにかく普通に好きな曲ばかりなので、嬉しい方が大きかったのですが、Vampilliaとのコラボである「lilac」YouTube)あたりでキた。こういう曲を歌うときの、純ちゃんの声の優しさあどけなさはハンパない。ほんとうに、美しくてたまらない。

 とか思ってたら、まさかの「赤い戦車」YouTube)が来てしまいました。これはあかん。号泣しました。背中震わせて泣きました。これはその昔、腰の手術を受ける前にだったか、その手術が失敗したらもう女優はやれないかもしれない、でもあたしはもう女優だったと思った純ちゃんが書いた詩です。人間のもつ生命力の賛歌、どのような運命でも生きると決めた人間の歌です。いつだったか、それこそ二十年くらい前に、いつかのライブでこの曲を聴いたことがあります。そのときも号泣しながら聴いたことを唐突に思い出しました。あのとき、わたしはただひたすらに、わたしも生きたい、生きたいですと泣いていました。なにをそんなに悩むことでもあったのか、いまではそのときのことをさっぱり思い出せません。そしていま、そこまでの切実さとはまた違う思いで、ただ、生きたいなあ、生きてきたなあと泣きました。

 この曲の最後、それまで座っていた純ちゃんは立ち上がってまさに雄たけびとしか言いようがない声をあげました。言葉にもならず、意味もなさない、歌詞の最後の「色」という声が、響いて、わたしのなかに響いて。なんだろうなあ、理由は分からないけれど、この感想を書いているいまでも思い出したら涙ぐみます。ああいうものを聞けて、ほんとうに良かった。

 ここであまりに揺さぶられてしまったため、これが続いたらどうなるかなあと思っていたのですが、今回のライブは二部形式(おそらくは純ちゃんの体力のため)となっており、このあと数曲で休憩となりました。結果として、いい感じで気持ちを切り替えることが出来ました。助かった。

 二部は大好きな「Men’sJUNAN」で幕開け。その昔、ダウンタウンがやっていた番組でダウンタウンとその他の芸人たちが番組のゲストの持ち曲をカヴァーする(もちろん演奏するのです)という企画があり、そこに純ちゃんがゲストで来たときにこの曲をカヴァーしたことを覚えております。なんというか、おおらかな時代だった。

 それからは「バージンブルース」「吹けば飛ぶよな男だが」というカヴァー曲、これがほんとうに良くてうっとりと酔うような気持ちになったのですが、そこでまさかの平沢進「金星」が来てしまい、悲鳴を上げました。いや、純ちゃんと師匠の仲から言えばそう意外な選曲でもないはずなのですが、あの曲と純ちゃんの歌声、アレンジが美しくて、夢のようで、ほんとうに、夢のようとしか言いようがなくて。目を開けたままで夢の中にいる感じ。泣くとかそんなんじゃない、痺れるようなきもちよさがそこにはありました。

 そしてそのまま「好き好き大好き」や「諦念プシガンガ」「蛹化の女」と進んでいったときに、わたしは気づきました。そうか、わたしはヤプーズっ子だったから、これまでにソロの純ちゃんの曲を生で聴くことはほとんど無かったんだ!と。だからおそらく、ソロの代表曲のほとんどが初見なのです。その事実に気づいてからは、なんだか文化遺産でも見ている気になりました。いや日本人なら「諦念プシガンガ」はいちど生で見ておくべきだろう(錯乱してます)。そして歌詞のインパクトがなにかと取り上げられがちなこれらの代表曲が、生の歌で聞くと、その歌詞がすっと胸に入ってきて、単語のインパクトよりもそこに現れる物語性のようなもののほうがずっと重要に思えて、しみじみと染み入るものがあることがわかりました。「諦念プシガンガ」の、まさに諦めとしか言いようがない静けさと、でもそこにあるより大きな感情のうねりのようなもの、ほんとうに素晴らしい。

 本編ラストは「電車でGO!」。その昔、ランドセルと黄色い帽子をかぶってこの曲を歌っていたときの純ちゃんを思い出しました。が、いまの目の前の純ちゃんも、記憶の彼女に負けず劣らず、とてつもなく可愛かった。可愛いなあ、素敵だなあとにこにこしながら「GO!」とこぶしを挙げました。すごく楽しかった!そしてアンコールは「パンク 蛹化の女」でした。なんかここまで来ると、これらの曲を体験できたこと自体がお宝に思える。純ちゃんも立ってステージを動き回りながら歌ってくれて、とても嬉しかった。楽しかったです!

 というわけで、終わってしまえばただ浮かぶのは「とても楽しかった、ありがとう」の一言に尽きます。耳を傷めてライブに行くのを自粛してて、もう大丈夫かなと思いつつ行くのをためらっていたいちばんの理由は、もういちど同じように耳を傷めてしまったらライブに参加するということ自体を後悔してしまうんじゃないかということを恐れる気持ちでした。結果として、耳は傷めなかったし(耳栓超優秀!)、地元のライブということで体力も大丈夫だったし、なにより、ライブって楽しいなあ、やっぱりライブっていいなあと思えました。昔のような無茶な参加はできなくても、ライブに行くのが怖くなくなった。それがほんとうに嬉しい。

 いまよりもずっとずっと、普通でない女の子に居場所が無かった時代、変わった女子には見世物台か座敷牢しか準備されていなかったころ(純ちゃんは実際に自分をそう言うところに入れる話があったとインタビューで話していたことがありました)から、戸川純は、そうでしかいられなかった女の子でした。世の中に「個性的」と言われる女性表現者はたくさんいます。。浜の真砂は尽きるとも世に不思議ちゃんの種は尽きまじ。しかし、どうしてわたしが戸川純に惹かれたかと言えば、世の中にたくさんいるその手の女性たちは、みな(精神を病んだ子以外は)、結局、みな自分を肯定して、わたしはわたしよ!とポジティブに生きることを目標にしているように思えたのです。けれど、純ちゃんは、変わった女の子である自分にいつも戸惑っているようにわたしには見えました。その戸惑いが、リアルだったんです。

 みんなと同じでいたいのにどこが違うのか分からない。みんなが生まれたときからもっている「女子の生き方マニュアル」を自分も持っているはずなのだけど、どうやら自分のそれは落丁と誤植まみれっぽくて役に立たない、と途方にくれる女の子がこの世には一定数います。そして、間違いなくそのひとりであったわたしにとって、純ちゃんは、大人になる直前の自分に寄り添ってくれた、或いは手を握りあって世間という名の嵐をともに眺めてくれた、そんな存在だった気がします。そして大人になったいま、あらためて見れば、純ちゃんは間違いなくすぐれた表現者でパフォーマーで歌手でした。嬉しいなあ、ほんとうに素晴らしかった。

 そしてわたしはYAPOOSの新アルバムを待ち続けます。最後のミニアルバム「CD-Y」が出たのが1999年ですから、それからずっとニューアルバム「人類ヒト科」を待っているのです。今日のライブでも「またYAPOOSをやるときには」という発言がありました、楽しみです!ほんとうにありがとうございました。

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