「空の色ににている」内田善美(集英社・ぶ?けコミックス)



 主に1980代に「りぼん」や「ぶ?け」などの雑誌で活躍された少女マンガ家の81年の作品です。リアルタイムで執筆されていたころには、わたしはまだ子どもでしたので、大人っぽい絵柄にいまひとつ惹かれなかったことを覚えています。また、もう少し時がたって「幻の作家」という声を聞くようになった中高生の頃にも何作か読んでみたのですが、難しくて分からない…という印象を受けてそれっきりになったと思います。そして今回、この作品が描かれてから33年たったこの年に、ふと、どこかでこの著者の評判を耳にして、もう一度トライしてみようと手に取ってみました。
 その結果、わあ、この年齢になるまで分からなかったのか…と己に呆れることになりました。びっくりしちゃった。すごかった。
 学校の図書室の貸出カードを通じて、ひとりの女生徒、浅葱の存在を意識するようになった蒼生人。そして、浅葱と強く結ばれている人間嫌いの冬城。この三人の関係が、季節の移り変わりを通じて、深まり、ゆっくりと変化していって、やがて有るひとつの結末に到達するまでの物語です。これみよがしの派手な事件は存在せず、むしろ積み重ねていく静かな日々の中で揺れる感情のうねりだけが伝わってくるような、観念的で内省的なモノローグと台詞に圧倒されました。純粋に、誰かに惹かれるということ、誰かを求めるということを、性愛を含んだ恋愛のかたちで説明すること無く、ただ、こういうものなのだと指し示す展開に、心の芯が震えるような気持ちになりました。
 主人公の蒼生人は、高一という年齢にふさわしく、つねに賑やかで楽しげな仲間たちに囲まれています。かれの幼さを心配しその成長を余裕持って見守る兄をはじめとして、優しく理解ある家族もいます。小さく鳴きながらかれに寄りそい、かれに疑問を残して去っていく飼い猫も(ちょっとずれますが、この飼い猫のエピソードは、猫クラスタのかたにぜひ読んでほしい…。また猫の姿が実にリアルで可愛いのです)。さらに、長距離の選手として走るという目的も持っている。それでも、かれは浅葱に惹かれます。それは、簡単に恋というだけでは片付かない、もっとなにか深いもので、それと同じような深い想いを浅葱もまた、傲慢で孤独な冬城に抱いています。そして、そんな冬城もまた、自分が心を許した浅葱と同質のものを蒼生人に視ているのです。
この三人の関係。それは三角関係などという単純なものでも疑似家族のような温いものでもありません。それぞれの存在が、自分に欠けているなにかを埋めるためのものを求め続ける過程のなかで生まれた、偶然の溜まり場のようなものというほうがふさわしいかもしれません。そしてそれが偶然ならば、とうぜん、いつかは終わりが来るものでもあるのです。
 人間は生まれたときからあらかじめなにかが欠けている存在。そしてひとはそれを埋めるためのなにかを求めている。その欠損に気づいていても、いなくても。そんな単純な事実をこんなに厳しくつきつめて考えて、その結果がもたらしたものをこれほど温かく優しいものに変えた物語を、わたしは読んだことはありません。この作品の素晴らしさが33年たったいまでも有効なのは、時代と関係なく、人間の抱える根本的なそんな課題がテーマだからだと思います。そしてもちろん、流行に左右されない時代に流されないこの描線のちからも。
 ちなみに、アマゾンではすごい高値がついていますが、わたしはこのぶーけコミックスを市立図書館で借りました。図書館のマンガというと、手に取られる機会が多いためかひどい状態になっていることが多いのですが、86年発行の第7刷が、とても良い状態でした。昔の本なので書庫に入れられているせいもあるかと思いますが、借り出す人が丁寧に扱っているのかな、とも思えて、ちょっと嬉しかったです。 

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