「八本脚の蝶」二階堂奥歯(ポプラ社)



 作者とこの本の製作に関しては、こちらのページをどうぞ。わたしもこの紹介を読んで、興味を持ちました。実際のウェブ日記自体もこちらで読めるのですが、どうしても未来→過去になってしまうこの形式よりは、年代順に読んでいける書籍のかたちでぜひ読んでいただきたいと思います。縦書きの雰囲気がぴったりの文章であるし、本自体が、とても丁寧につくられているのです。
 
 最初のほうでは、まだまだ、球体関節人形や、書籍に耽溺するのと同じ調子でコスメやヴィヴィアン・タムの服にうっとりしていた彼女の文章が、じわじわと自らの自律性と聖書からの引用(しかもそれがどういう意図をもってのものなのか、痛いくらいになんというか、こう、分かります…)に侵食されるようになる過程は、その視線が真剣であればあるほどこちらの胸が痛みます。マゾヒズムとフェミニズムの同居と矛盾に悩む彼女の文章は、それ自体が、一個の詩でありえます。
 
 聖書からの引用と彼女自身の文章の区別が明確でなくなり、生きることへの恐怖から死に惹かれはじめる。初めてそれが具体的に浮かび上がってから、(痛々しい未遂を何度も繰り返しながら)成功するまでは、一ヶ月足らず。言葉はこんなにもあふれているのに、その過程は理解できるようで困難だ。溢れる言葉がかえって言葉足らずに感じるとき、わたしたちは、結局、人間同士の断絶というものを感じるのかもしれない。もちろん、この日記に触れていないことも多いだろう。(たとえば5年越しの恋人の存在は日記のなかではほとんど触れられることはない。わずかに触れられるとき、その文章が愛に満ちているのが、また哀しい)実際に、具体的に生きるというこのなにがそんなに彼女を恐れさせたのか。13人もいる解説の誰もが死の理由にそのものに触れない。間違いを恐れるように。
 正直云って、わたしは奥歯さんのように迷いつつも、彼女と同じ道は選べないと思った。彼女とわたしにはある一点で共通点があって、わたしはいまだそれを解決しえてない。彼女もまた解決に向かうよりはるかに魅力的な道を選んでしまった。それがどんなに蜜のように甘くとも、わたしは蝶たりえない。なにより、彼女ほどのひとでも恐ろしくて迷い続けたここなのだから、わたしなどがぐるぐると迷っても当然なのだ。怖いくらいの共通点があるという思い上がりからこういう結論に達するのもまたただのあがきかもしれないけれど。
 生きなくては、いけないのだ。少なくとも、わたしは。

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