「この世界の片隅に(上)」こうの文代(双葉社)



 落ち着いた描線と、可愛らしい人物、ささやかなおかしみと広がる世界観が魅力の、こうの史代の最新刊です。
 
 昭和10年代、広島から呉に嫁いだほんわかとした少女の目を通して、戦前から戦中にかけての広島の生活を描いています。トーンを使わずに構成された、すっきりとしているけれど柔らかで味わい深い描線と、絵が好きな主人公が描く鉛筆画のスケッチが素晴らしいです。目に心地よい。戦前戦中といっても、ことさら暗さや貧しさを強調するのでなく、ごく自然に(誤解を招く言い方かもしれませんが)戦争と共存している一般人の生活が語られていきます。思えば、ごく一部の人間をのぞいて、その時代を生きていた人たちは、みなこんな風に、戦争を当たり前のこと(あるいは抵抗することなど思いもよらないこととして)過ごしていたのではないでしょうか。
 たかだか70年前のこととしても、そこには時代とそれに沿った人々の感性というものがあります。戦争モノにはよくあることなのですが、そこに現代の思想や観点が入ると、正直、とても不自然です(特攻隊の映画に必ず反戦思想を持つ兵士がいたり、「この戦争は負ける」とかいうひとが出てきたりするじゃないですか、あれです、あれ。まあそういうのが無いと共感できないという考えもありかもしれませんが)。ただ、この漫画に出てくるひとたちは、どういった状況にも関わらず、生きている。自分たちの生活を懸命に生きるその姿勢自体は、現代のわたしたちとなんら変わるものでないと思います。
 もちろん、そんなかれらにも、忍び寄っていく戦争の影響は描かれるのですが、さりげない生活の変化を通して、であるがゆえに、余計に、「その後」を知っている現代の読者には、その過程が胸の痛いものになります。その影響の恐ろしさがその当時を生きていたひとたちの実感として描かれるのは、主人公の姑が生活の変化を淡々と語ったあと、空を見上げている1ページでしょう。
 これが上巻、というわけで、この舞台が「広島」であるだけに、主人公と家族がたどる運命を思うと、次の巻が待ち遠しくもあり、辛くもあり。ただ、残酷だったり哀しいだけにはならないでしょうから、余計にこの物語を見届けたく思います。

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