わたしにできること、あなたにできること。

 今ごろ、になりました。でも、自分の中でまとまったかたちにたどりつくのに時間が必要だったのです。
 ネット上では、大きな話題となっていましたので、すでにご存じの方も多いと思います。わたしのブログでも何度も取り上げていました、マンガ・アニメ・ゲームの規制を目的とした東京都の青少年健全育成条例案の改正案が、可決となりました。今回の改正案は、6月に否決されたものを手直ししたうえ(さらに内容的には問題が多くなったと指摘されています)、都による根回しなどの運動の結果、都議会の多数派である民主党の賛成を得て、可決という流れになりました。その流れに少しでも抗いたいと思い、わたし個人も出来ることをしてみたつもりですが、たいへん残念な結果となりました。
 ここで考えなくてはいけないのは、前回は否決されたものがなぜ今回は可決となったのか、ということだと私は思います。それに関しては、様々な要因があると思いますが、個人的には、BL作家の水戸泉さんのTwitterでの発言「6月は否決できたのに、ほぼ同じ内容の条例をなぜ12月は否決できなかったか。理由は簡単。『漫画好きの人々はネット上では意気軒昂だけど、現実社会には出てこない。票にならない』と思われた。だから切り捨てられた。これに悔しさを感じた人は、ちゃんと名を名乗り、政治家と直接向き合って下さい。」が、いちばん正しいのではないかと感じています。
あ と、本当に、時間が欲しかった…。ぎりぎりで、コミック10社会による東京アニメフェアボイコットや他の多くの団体からの抗議声明があり、その流れをふまえての菅首相のブログでの発言という追い風もありました。そこには、6月のとき以上の、ネットを出発点にしながらも現実の世界に働きかけようという盛り上がりがあったと思います。これが三週間でなく、三ヶ月であったならば。それが悔しくてなりません。
 けれど、とわたしは思います。今回、とくにTwitterでの規制反対の流れを見ていて思ったのですが、それでも、みな、自分のできることをやるしかない、と。それもできれば、現実社会に働きかける方向で。もちろん、ネットのなかには多くの有益な活動があり、そのなかで得た情報により、現実社会で行動することが出来たというひとは多いと思います。なにより、ネットもまた現実です。けれど、わたしは、ネットのなかだけで発言することでなにかを変えられる、ひとの心を動かせるような力の持ち主ではありません。自分の意見をブログやTwitterで表明することは出来ますが、それがこの条例に対して力を持つとはまったく思わない。むしろそれをすることにより、なにかを「やった」気分になって終わるかもしれない。ネットで文章をつづることで、自分の思考を整理することは大事ですが。しかしだからこそ、ネット上での活動を続けながら、より、現実社会にコミットするやりかたで、このわたしになにが出来るかということを考えていきたいと思っています。なによりも、関心を持ち続けること。
 わたしは、どうやったら、規制派に自分の言葉が届くかを考えます。もしくは、規制派は無理でも、規制とかそういうことを考えてもない、まあ、こどものためになるならいいんじゃないのくらいの考えの人に、それ、ヤバいんじゃない?くらいの認識を持ってもらうためにはどうしたらいいのかを考えます。個人的には、そのために、単純に規制派の考え方をあげつらったり批判したりしても、意味ないと思っているのです。だって、向こうは理屈じゃないんだから。理屈でやってることならば、仮にもジャーナリストと名乗っている猪瀬直樹氏の一連の発言とか、あり得ないじゃないですか。もうちょっと取り繕いますよ。論破する行為自体に意味がないというのではなく、論破しても相手にダメージは与えられないんじゃないかな、と思うのです。その場合、それに意味があるのは、中間層の迷ってるひとに「なるほど」と思ってもらえるようなかたちにすることじゃないかなと思うのです。分かりやすく、出来れば、ユーモアも絡めて。
 猪瀬副都知事をはじめとする、一連の規制賛成派の発言で、いたいほど感じたのが、マンガやアニメというものが、いかに少数派のものであり、「なくってもなくってもいいもの」くらいに思われているかということ。ぶっちゃけ、オレら、ナメられてるんすよ。票にならない、発言力もない、なにより、目の前にいる人間として認められるほどの存在と思われていない。だからこそ、わたしは、議員さんに手紙を書くときは、自分がどういう人間か、それを読む人にイメージしてもらえるように努力しました。人間である、と。あなた方と変わりない存在の人間が、アニメやマンガを楽しんで、それを守りたいと心から望んでいるのです、と伝えたいと思いました。そして、わたしのような無名の人間に持てる武器は、それしかないと思うのです。ネットの海にいると思われる幽霊のような存在でなく、生きた人間であるということ。そしてそういう存在が、この条例案に不安を覚えているのです、と。
 しかしわたしは、今回の条例案に懸念を示す人々が、この日本にたくさんいること、それぞれの人々がそれぞれの立場で、なんとか取り組めることはないかと努力しているのを感じました。有益な情報を探し出し、人々の目に触れることができるかたちにするひと、議員さんに手紙を書いたり、陳情書を書くひと、行動のためのHOWTOを編み出すひと、扇情的な言葉に惑わされないよう、懸命にデマの火消しにまわるひと、そういう「自分にも何かできないか」というたくさんの人々の具体的な行動を知ることが出来て、良かったと思います。ネットでの活動が無力なわけではありません。現実世界での行動をサポートしてくれる有益なツールです。なにより大きいのは、一種の連帯感だったと思います。が、それが厭なひともいるかと思うし、なにより、行動しない人が後ろめたさを感じるような傾向はわたしも厭です。それぞれがそれぞれの考えで、あえての沈黙を守っているひとだっているはず。その考えも尊重したいです。みんなが同じ考えをしなければいけない、という決めつけこそ、マンガやアニメを愛する人間を傷つけてきた考えと同じ根から伸びる、毒の果実ではないでしょうか。
 あと、個人的に大事だと思っているのは、規制賛成派のなかに、かならず存在するであろう、実際に性被害を受けた経験を持つ人々の存在を思いやることです。ご自身の辛い体験から、その手のものをすべて排除したい、それを楽しむ人間がいるなんて信じられない、というある意味当たり前の希望や考えを、頭から否定するようなことはしたくない。とてもデリケートな話だと思うし、すべてが個人的な問題になると思うので、うかつなことはいえませんが、ただ、そのファンタジーは、あなたをも救う可能性があるのですよ、と言い切る勇気は、いまのところまだわたしにはありません。実際の条例案がどうという問題点とは話がずれているかもしれませんが、リアルの性被害を嫌悪する気持ちは同じなのです。なにかそこで共有できる気持ちがあれば、と思います。
 都条例にまつわる一連の出来事や発言で、様々なことを学んだし、考えることが出来たと思います。これから動きがあるとすれば、コミック10社会などをはじめとする出版社やアニメ制作会社の対応、来年3月の東京都知事選挙および東京都議会議員補欠選挙などがきっかけになると思いますが、わたしはわたしなりに、自分の出来ることをやっていきます。なにもかも、これからだよ。

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