「理想の花嫁と結婚する方法:児童文学作家トマス・デイの奇妙な実験 」ウェンディ・ムーア(原書房)



聡明で、博識で、機知に富む/政治や哲学や文学について存分に語りあえる/ギリシアやローマの女神のように若くて美しくて/都会の悪習にも現代社会の思想にも染まっていない、純粋無垢な娘/確実に処女でなければならない/『エミール』の理想の伴侶ソフィーのように肉体的に健康/寒くて侘しい禁欲生活に耐えられるくらい丈夫」(表紙カバーそでより引用)
 …なんじゃそりゃ、と思ったかたも多いでしょう。なんとこれが、ある男性にとっての理想の花嫁像。1700年代後半、イギリスにて慈善家、児童文学作家、アメリカの独立運動にも大きな影響を与えた、トマス・デイという名の実際の人物の理想の結婚相手なのです。要するに、頭が良くて美人で若くて純粋無垢で健康な処女じゃないと!ということ。そんなに都合の良い相手はいないだろうと思ったあなた、その通り。当時のデイは、家柄も良くお金持ちで、文学的才能もあり、他人を不思議と惹きつける個性もありましたが、変わり者で垢抜けて無くて不潔で礼儀知らずでした。デイは何人かの女性に求愛しますが、当然のことながら、あまりに理想的すぎるかれの想いに完璧に答えることが出来る女性は存在しません。苦い思いを抱くことになったデイは、とうとうある考えにたどりつきます。
 この世にこんな完璧な女性は存在しない。だったら、自分が一から作りだせばいいのでは?そこで人形とか魔法とかに手を出せば立派なファンタジィでありますが、デイはあくまで現実的に、その理想的な花嫁を育て上げる方法に着手します。育て上げる。そう、かれは、孤児院から幼い少女を引きとって、自分の意のままに教育して理想の女性に育て上げて、自分の花嫁に迎えようと決意したのでした!
 という、嘘のようなエロゲのような(あ)、でも本当にあったお話を、様々な資料と当事者の証言をもとにまとめあげたのがこの一冊となります。いや、事実は小説よりも奇なり、と申しますが、これはそれを地で行くお話です。というか、フィクションでなら前例も多いこの手のお話が、フィクションであればこう展開するであろう、と思われる方向に素直に話が進んでいかない、それがわたしにとって、とても面白いポイントでした。そもそもこの前設定を読んだ段階で、ひとはあれこれと予想すると思います。こんなことがうまく行くはずがない、女の子は自分の運命を悟るや否やなんらかの行動に出るはずだ、こんなことを考えるデイって男は孤児の女の子を拾って好きなように弄びたかったんだ(はっきりエロ目的だよね?とか)。あるいは、始まりがそれでも、やがて真実の愛にめざめたデイはもっと現実的な相手を愛するようになる、あるいは女の子の欠点を認めたうえで愛するようになるのだ、とか。わたしも普通にそんなことを考えながら読み進めていったのですが、いやはや。とんでもなかったです。そんなはじまりこそいわゆるキモオタの妄想が、まったくその通りには進んでいかないその理由が、面白かった。人間っておそろしく思ったようにはいかない生き物なんだなあ。
 未読の方の興味を削ぐようなことをしないために、望み通り孤児の少女を手に入れた後、デイの人生がどう動いていったかという具体的な展開には触れずにおきます。が、わたしが思うに、この本のテーマには「人間は人間を自分の思うような存在に変革することができるのか」ということが挙げられるのではないでしょうか。デイが行った花嫁育てのような極端な例を中心にしながらも、彼らを取り巻く様々な人々には、実の子供を対象とした子育てや、密着した女友達、男友達との関わり、夫婦間の関係性などについても、自然と考えさせられるようなエピソードが満載です。あまりにも多くの、不幸と幸福の複雑なサンプルを目にした結果として、わたしは思います。
 つまり、ひとはこんなにもひとを自分の思うように変えたいのだ、と。けれども人間はいつでも自分がいちばん可愛くて、そのあまりに、ときに思いよらない言動に走ってしまう。なのに、自分の望むものがなんなのか、ということと正面きって向かいあうことの怖さゆえに、望んでいた運命から逃げ出すこともある。そして、たとえ、どんな理由があっても、どんな立場にあったとしても、誰かの思い通りになって生きていくことはとても難しいことなのだ。それが本人が愛ゆえに心から望んだことであったとしても、真の意味で他人の望むように生きることなどは不可能に近いのだ、と。
 あと、この設定だけを読んだなら、なんと女性蔑視な!とお怒りになるかたもおられるでしょうが、案外、そういうわけではないのですね。もちろん、この時代(アメリカがイギリスから独立する直前です)ですから、男女同権など望むべくもなく、宗教の戒律に厳しく縛られてもいるのですが、それでも女性たちは、お金持ちだろうが名士だろうが、自分にとんでもない理想を押しつけてくるデイにはちゃんと「NO」ということが出来るのです(だからこそ、デイは「すでに育って知恵がついてる女は駄目だ」と思ったわけでして…)。この本に登場する女性たちは、みな、女性にとって生きやすいとは言えない制限の多い時代でも、それぞれ自分に出来る範囲で懸命に自分の人生を生きた女性たちであると思います。そもそも、いわゆるジェンダー的な考え以前に、理想の人間像としての「男らしさ」「女らしさ」に、男女両方ともが、(いまの目から見ると)いささか滑稽なまでに縛られていた時代でもあるのだなあと感じます。そして、デイ自身もある意味、その犠牲となっていることが分かるエピソードもいくつか出てきます。だから、この本の真のテーマは、男だから女だからというレベルの話では、実はないのかも、という気がするのです…。やはり、基本は「ひととして」ということではないかなあ。
 18世紀のイギリス、という個人的にはあまり馴染みのない時代が舞台でしたが、それでもダーウィンやルソーといった有名人が生き生きと活躍していた時代の人々の生活描写、時代背景などが丁寧に描きこまれていて興味深く、また、それでも現代とそう変わることの無い人間たちの欲望と愛情のさまがとても面白い一冊でした。
 なにより、理想の花嫁を求めて奔走するさまが滑稽で愛らしく、しかしところどころで本気で不愉快になるくらいに傲慢な、トマス・デイという主役の個性。「こんな自分勝手な理想を女に押しつける男がその後どうなったの?」という興味だけでも、一冊の本を読み進めることが出来るくらい、とても複雑で興味深い人物です。おすすめです。

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