「幻の近代アイドル史ー明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記」笹山敬輔(彩流社)



 元祖「会いに行けるアイドル」たち。現代でも人気のアイドルたちですが、いまより遠い、明治時代から昭和20年代にも、劇場や寄席で活躍して、若い男性を中心に熱狂的な支持を集めていた少女たちが存在していました。娘義太夫の太夫、奇術師、浅草オペラの劇団員、ムーラン・ルージュの踊り子たち…そんな彼女たちの存在とその人気ぶり、さらには彼女たちを追いかけ、支えて、恋した男性たちとの関係を解説した大衆芸能史です。
 これが面白かった!彼女たちの公演があればどんな辺鄙な場所でも追いかけて、プレゼントや手紙は当たり前。移動中の車を取り囲んで自宅までついていき、劇場ではご贔屓と目が合った合わないで一喜一憂し、いつも同じ場所にいる常連になることや目立った格好で覚えてもらおうと画策する。ファン同士でも揉めあったり、匿名の投書欄でバトルしたり…そんな風に並べられるのは、ある意味以外でもなんでもない、アイドルを追いかけるファンのエピソードとしては基本のようなものです。でも、それらのエピソードはみな、明治や大正、終戦までという時代に行われたことであるのです。そんな風に、彼女たちを追いかけるファンたちが、いまのファンとそのまま同じことをやっていた例がたくさん挙げられていて、その夢中ぶりのエピソードだけでもとても楽しいです。時代背景も丁寧に解説されているので、それにも関わらず、というか、それでもなお、というべきか。そこらへんの変わり無さ、ファンのやっちゃった話が、まず最初のこの本の面白さのポイントでしょう。
 そう、やっちゃった感。そのポイントから言うと、個人的には、あの「暗夜行路」や「城の崎にて」で知られる文豪志賀直哉のエピソードがすごく好きです。なんと娘義太夫という文字通り若い娘さんの義太夫にハマった経験から書いた小説が引用されているのですが、そのやっちゃった感がすごくいたたまれずに、でも憎め無くていい感じなのです。友人と二人で、雪にもめげずに公演を見に行って、そのあと「今、もし、この雪の中に彼女が倒れていたらどうするか」という仮定の話だけで小一時間盛り上がっちゃうんだよ…。話は尽きないんですよ…。なんだろうこの見知った感じ。
 でも気をつけてみれば、この本は決して、単純に、「昔からオタはこんなことしてたんだよ(笑)」という本ではないのですね。確かにそこかしこで現在のアイドルファンと当時のファンの姿勢を面白く対比させながらも、その文章は、自然と、明治から昭和の、彼女たちを追いかけた人々の記憶に残る(彼女たちは実演が主でしたから、映画などの記録はほとんど残っていないのです)「アイドル」たちの姿を生き生きと描写します。いまはもうすたれてしまった芸能のジャンルや一時の人気から零落していった運命につて触れることも忘れません。なにより、彼女たちは、いまの目から見たら稚拙な芸の持ち主だったりダサかったり微妙な容姿であったかもしれない。でも、間違いなく、当時の若者には夢のように素晴らしく、美しく映ったであろうということが分かるのです。記録ではなく記憶に残る、という言い回しがありますが、彼女たちはまさにそういう存在だったのではないでしょうか。
 しかし当然のことながら、時代の流れということで、やがて始まった戦争は、学徒出陣で出征する前に「万歳!」と叫ぶファン、その手を握り「ご武運長久をお祈りいたします」と涙ぐんで挨拶するアイドルという場面を産むことにもなります。彼女たちが出演していた舞台も、空襲で焼け落ちるという運命の日を迎えます。が、そこでも、それでも。本当にぎりぎりの状況の中で、懸命にひとがすがった、文字通りの偶像としての「アイドル」。その存在の意味を語った第5章のラスト近くの記述が、わたしは本当に好きです。頷けます。
 そしてこれは、究極的には、いつの世にも、現実に存在する相手だけれども、まず自分のものにはならないことが確実な相手に、どうしようもなく熱狂してしまう人間がいるという単純な事実を証明した歴史の書であることが、個人的には興味深かったです。文章も、適度にくだけてユーモアを入れつつも、馴染みの無い時代の社会風俗についても理解がしやすいような丁寧な解説があり、とても読みやすかったです。「アイドル」という存在に興味がある人はもちろん、そういう人間心理が面白いと思うかたにもおすすめです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする