DVD感想「DEMON KOGURE“IN THE NAKED LENS”」



 デーモン小暮閣下のソロPVと、ソロアルバムの曲と映像のコラボレーションによるショートフィルム「ジブンナリ」が収録されています。わたしは純然たる聖飢魔ll信者デーモン小暮閣下宗ですが、聖ll解散後は、音源はともかく、映像でその後の閣下を見ることもなかなか難しかったため〈心情的な問題で〉、これが初見となりました。
 まずPV三曲、といっても「めぐりあい」は「ジブンナリ」からの抜粋で構成されているため、純粋には「AGE OF ZERO」と「太陽がいっぱい」の二曲。両者を比較するなら、閣下の姿が断片的である前者よりは、正面から捉えた後者のほうが閣下宗としては当たり前ながら嬉しい出来です。よっぽど出来がいい(それ単品でひとつの映像作品となるような)ものでないかぎり、ファンとしては、PVには、まず動く写真集としての役割を果たしてほしいものではないですか(笑)。
 しかし思えば、ごく一部の例外をのぞいて(新日本フィルハーモニー交響楽団をバックに「正義のために」を歌う姿とか)、聖ll構成員以外をバックに歌う閣下というものを、ほぼ初めて見たことになります。閣下ご自身のビジュアルは、わたしが以前狂喜した「SYMPHONIA」当時の、赤いマオカラー上着に金髪のコンペイトウ頭に赤く染まった瞼というわけで、マーベラスでビューティフォーでキュートなことはいうまでもないのですが、やはり、ううむ、この存在感をどう生かせばいいのかと思います。
 ソロでの閣下は、声質に実に磨きがかかって、どこまで突き抜けていくのか、その麗しさは法に触れないのかが疑問になるほどですが、そうなればなるほど、この声と力量を的確に効果的に生かす方法、というのを考えずにはいられません。わたしは閣下の古典芸能コラボレーションやミュージカルを見たことがないので、それらでの閣下の生かされ方というのは分からないのですが、やはり閣下はバンドが似合うと思うんですけどね。聖llとは云わないけれど。
 そしてわたしのそんな気持ちをさらに強くしたのが、閣下が出演した(あれは主演じゃないだろう…)ショートフィルムの「ジブンナリ」でした。各国の映画賞にノミネートされたとか新進気鋭の映像集団とのコラボレーションとかそういう惹句に若干ときめいたのは嘘ではありません。が、実際に映像を見たわたしの素直な感想は、閣下は完璧、というものでした。ごめんなさい。ストーリーとか画面とか構成とか演出とかは無視して、閣下は文句なしです。すいません無視しました許してください。あのう、正直云って、ものすごく困りました。そもそもわたしはこういうフィルム〈オシャレでも笑いでも狙いを外した自主制作系のフィルムって本当に駄目なんです…〉と合わないので、独断にしかならないコメントは避けます。
 が、そういう自分的にはまったくピンとこない世界のなかでも、閣下は素敵なんですよ。「めぐりあい」にも使われてたウィンクするカットなんて、なにあの睫毛。なにあの目線。そうやって閣下の立ち居振舞いだけを見てれば時は過ぎるので、もうそれでいいのかもしれませんが、でも、最後のシーン。柵にもたれてひじをつく閣下と登場人物のカットを見たときに、なんでこの存在感をもっと有効に使えないかなとため息が出る思いになりました。
 インタビューでも閣下がお話しされてましたが、あの見てくれ(素晴らしいですけどネ!)では、色々と制限がつくのも仕方ないながら、だからこそ巧く使う方法はないものか、と。それがあの「写るんです」のCMだけでは勿体なさすぎる。有能なプロデューサーの皆さん、ここにダイヤモンドがあります。原石ではなくすでにカット済みですが、これをさらに加工してみませんか。ただし、ダイヤなだけに加工する側も本物のダイヤでないと、文字通り,歯が立たないという状況に陥ると思いますが…。あと、もしかしたら呪いのダイヤかもしれませんが←冗談です。
 なにごとにも聡明な閣下だけに(無自覚の天然な部分もあるが…そこがまたたまらなく可愛いんだが…)、こういう状況にはご自分なりのお考えもあるだろう。同時収録されたインタビューなどでも、閣下の言葉というものはたくさん聴けた。そういうものを含めてもの感想をさらに云うなら、やっぱりわたしにはこのひとだなと思います。他の誰を好きになっても、このひと以上の存在はいない。ナンバーワンでオンリーワン。だから、閣下が不器用だったり失敗したり戸惑ったりしてても、わたしはその姿を追いかけていくしかないんだと分かった。これまでは、自分の好きなカッコいい閣下の姿しか選んで見たくなかったし、少しでもそれに外れたものが見えそうになったら、無条件で目を伏せていた部分があると思う。でも,少なくとも、閣下が主体的に望んだご自身の姿がこの世に存在する限りは、わたしはそれがどんな姿であれ、見ていくしかないんじゃないかと思うようになりました。選択権はわたしにない。疑問も否定も苛立ちも、この姿の前ではねじふせられてしまう。閣下であれば。それが閣下でありさえすれば。もし自分に絶対に受け入れられない閣下というものがあるのならば,それは人間の顔を見せて活動する閣下であるとは思うけど、それすら実際に見てしまえば、どうなるかは本当に分からない…。実に、困ったものです(笑)。
 これからも活動を続けていく閣下です。わたしはその姿をずっと見ていきたいと思います。

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