ありがとうございました。

 今日は仕事が休みなので、市立図書館に出かけました。最近は、県立図書館よりもお手軽な広さのこっちを選びがちです。
 
 まったく予想していなかったのですが、栗本薫の逝去を伝える記事のコピーが展示されていました。それを見て、その死を知ってから初めて涙腺が緩みそうになりました。自分でも驚いた。もっともその記事の下に並べられていたのが、代表作とはとても云い難い「ゾディアック」だったことは残念ですが…。良い本は貸し出し中だったのだと思いたい。追悼の意味を込めて、検索し、書庫にあった「魔都」を借り出しました。実は20年近く前に読んだきりで、詳細が思い出せないのです。そして、検索ついでに、文庫化もされていない、中島梓名義の若い頃のエッセイ集「赤い飛行船」も書庫から出してもらいました。こちらは未読です。
 
 これから書くことは、わたし個人の勝手な思い込みにすぎませんが、良くも悪くも、栗本薫は、現代のヲタク女子の先駆けでした。腐女子であることはともかくとして、なにより、強い劣等感の裏返しである熱烈な自意識がそうだと思います。その特性を保ちつつ、しかし世間的にも一度は評価を受けた彼女の人生の、最後の日々が、理想的なものだったとは、おそらくはいえなかったのではないでしょうか。少なくとも作家として30年近く書いてきて、代表作がすべて初期の10年で書きつくされている状態は、本来の彼女のプライドを考えるならば、ベストではないはず。しかし彼女はそこに目を向けず、自分を現実から守ってくれる一部の存在の厚い庇護のまま、新しいものに触れずに過ごしていたのではないかと思います。もし守ってくれる存在がなければどうだったでしょう。彼女はもう一度いまの彼女にとっての「翼あるもの」を書いたでしょうか。わたしは書いてほしかった。また、彼女が現実に目を背けつつ、庇護のもとに守られていたとしても、ただ自分の内面に真摯に向き合うことができたのなら、彼女は書けたのでないか、と思わずにはいられないのです。どれだけ認められても、なお満たされない渇きの正体を見据えることができたのなら、それはどんなに恐ろしく、しかし哀しい、読み手の心に届くものになっただろうかと。そう願わずにはいられないくらいに、わたしは彼女のファンでした。
 栗本薫の熱心なファンはよく云いますが、わたしも(痛いのは百も承知で)云います。栗本薫は、「わたし」でした。もちろん彼女の持っていた才能はわたしには無く、ただその書くものから溢れる、どうしようもない渇きと劣等感、居場所の無さに絶望する気持ちが、わたしでした。だからこそ、彼女の迷い込んだ迷宮がどんなに心地よく、温かかったか分かるのです。現状維持にぬくぬくと浸かったまま、ゆっくりと停滞したまま、自分の中でなにかが死んでいくこと。それは一見、恐ろしいことにも思えるのですが、同時に、とても幸せなことであるはず。だから、それがいけないと言い切ることはできない。でも。わたしは彼女に、書いていてほしかったのです。ファンのエゴであることは明らかですが、読みたかったのです。新たな、「翼あるもの」を。「優しい密室」を。「トワイライト・サーガ」を。「レダ」を。そしてなにより、普通の人々の生活する合間にふと訪れる物語の瞬間を見事に切り取った、切なくもいつまでも心に残るような、小説を。自己の再生産だけでない小説を、書き続けて欲しかった。しかし、それはかなわぬ願いとなりました。
 
 栗本薫について、ここ数日、お友達とも話しながら色々と考えてましたが、やはり、結論としては「わたしは勉強をやめない」という思いが残ります。それが、もしかしたら、彼女がわたしに与えてくれた一番のものなのかもしれない。勉強というとあれですが、好奇心を失わない、という意味です。本でも音楽でも、慣れ親しんだもの以外に触れることはつい億劫になってしまう。でも、なんでもいいので、自分のアンテナにひっかかったものには臆せず手を伸ばして、耽溺してみたいと思います。そして、自分なりに取り込み、たとえ相容れないものでも、否定でなく許容することを学びたい。いつでも自分だけの視点に偏りがちな人間なので、特にそう思います。そしてたくさんの物語と出逢いたい。それがどんなかたちのものであっても、自分にとって必要なものと感じたならば、愛していくことを恐れずにいたいです。新しいことは、時にとても怖いことであるから。でも、できるだけそこから逃げないように。
 
 そんな風に、わたしは物語を本気で愛するということを、栗本薫から学んだと思います。先生、ありがとうございました。 

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