東京都の青少年健全育成条例について(5)

 ずっと、このブログでも取り上げていました、東京都による青少年健全育成条例改正案問題ですが、本日、都議会の本会議で否決されました(URL)。ほっと胸をなでおろしたいところながら、これがわずか3票差であったことには冷や汗を禁じ得ません。9月にも再提出という都側の意向が事実となったときには、また、新たな展開があることでしょう。
 正直、わたしはこれをずっと勝てない戦いである、あるいは、戦いにさえなりえないものであると思っていました。なぜなら、これは論理による運動ではないからです。賛成派の意見を読むたびに、それを感じました。まず最初の出発点が「性的な描写」に対する生理的な嫌悪感なのです。それを目にしたときに起こる瞬間的な「こんなおぞましいもの」「悪いもの」という嫌悪感が、そのまま「これは有害なものである」という判断につながれば、そこに調査やデータや論理などの入り込む余地はありません。だからこそ、賛成派は、こんなにも反対の声があがったときに、「誤解だ」と、むしろ心外である、というような反応をしたのだと思います。客観的な調査だのデータだの、なにいってるんだ、見ればわかるじゃないか?と云いたかったに違いありません。これキモくね?と。
 そう、あえて表現も言葉も悪く語りますが、わたしたちオタクは、ぶっちゃけ、キモいのですよ。紙に描かれたインクの線の人間を愛し、かれらの運命に一喜一憂し、さらには欲情までもするわけです。その感覚を理解できない人には、これは、一生、理解できないことです。しかし、だからこそ、表現と創作を愛するひとびとは懸命に行動しました。そしてなんとか今回の結果にこぎつけることができました。非実在の存在を大切に思う気持ちが、実在の人間の行動をうながした。わたしは、それを思うと、心が揺れます。実在のこどもたちの為のより現実的な救済方法を見つけてください、との声が、多くの規制反対派の人々から聞かれました。そう、創作物への規制への懸念と同時に、その思いも少なからずあったと思えることが、誇りです。非実在の存在を愛する我々が、同時に、実在のこどもを尊重することも出来ます、という当たり前のことが確認できて良かった。
 まだまだ多くの課題、多くの問題が山積みです。この問題に対して、なにが正しくて間違っていて、どう行動するのがふさわしいといえるのかは、いまもってわたしも分かりません。ただ、自分で判断して行動して、その結果を引きうけていくしかないと思いました。今後もそうしていくのだと思います。ライブと本の感想と日常のゆかいなくさてるさん的なおしゃべりが主体のこのブログで、何度もこの問題を取り上げたことで、違和感を感じられたかたもいらっしゃるかもしれません。けれど、こんなささやかなブログの記事でも、誰かのこの問題に関する考えの参考になったのなら、とても嬉しく思います。

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