東京都青少年健全育成条例の改正案が提出されます

 またこのエントリーを書く日が来るのが、本当に嫌でした。が、事実として、それがいま行われようとしているわけです。以前より、このブログでも何度か取り上げてきた、東京都による青少年健全育成条例の改正案についてですが、このたび、再び、都議会の方に改正案」が提出されました。今回の改正案についての問題点は、山口貴士先生のブログ(URL)、およびてんたまさんのページ(URL)がたいへん分かりやすく、かつ現状を認識できるものとなっておりますので、ぜひそちらをご覧ください。
 さて、この問題に関して、自分は何が出来るのかをわたしは考えました。前回の時は、それでも数カ月の余裕があった。今回は、いくら予想されていた再提出とはいえ、いきなりの感が否めません。正直、スルーしようかと思いました。いや、ちょっと忙しくて…とか、迷ってるうちに議会が終わってました、とか云えばいいかなという思いが頭をかすめました。だってね、これは正直、わたしのようなタイプの人間にはすごく辛い問題なのです。ネットの世界にいると錯覚しやすいことですが、実はオタクは世の中で言えば少数派。ましてや、マンガをはじめとする創作の価値を大事にしなければという思いを行動に移すひとは、もっと少ないはず。その心細さと行動したにも関わらず負けてしまうことへの哀しさとやるさなさを想像すれば、くじけるほうが楽に思えました。だって、そっちのほうが多数派だから。あーバカなこと考えるひとたちもいるね、でもなにかしろといわれてもね…とためらっているうちに時間は流れることでしょう。わたしよりかしこい、わたしより偉い人々がどうにかしてくれることと片付けることも可能だったでしょう。しかし、わたしは、ここで何らかの行動をとる方を選びました。といってもあまりにも時間がありません。わたしに出来たのは、悩みつつも、何人かの議員のかたに手紙を書くことにすぎませんでした。あまりにもささやかなことと流されるかもしれません。が、それをしながら思ったのです。この言葉が届くひとがもしいるならば。
 本当に、行動できる可能性を持ちながら、それでも迷ってるひとがいるとするなら、やっぱり、やったほうがいいですよ、と思いました。確かに時間が無いけど、意味が無いことと片付けられるかもしれないけれど、なにより、自分の為にやればいいんじゃないんでしょうか。わたしは自分に言ったのです。腹が立つよね、と。自分の愛するものが差別され厭われ削除されてしまうかもしれないこと。自分を救ったものが、他人をも救うかもしれない、その可能性が摘み取られること。それを回避することに、何万分の一でも自分の力が役に立つのなら、それを使わなかったことを、あとで絶対に後悔すると思ったから。
 
 ただ誤解は避けたいのですが、わたしは、この一連の騒動に対して、何らかの思いを抱きつつも、結果として傍観を余儀なくされているひとを非難するつもりはまったくありません。だって、気持ちは分かるもの。なにより、一つの物事にどう対処するかの判断は、その個人の自由な考えと行動に基づくべきで、それによってなされたことを、他人が「こうでなくてはいけない」と指図するなんて、有り得ないと思います。これはあくまで、わたしという個人がどう考えたかという記録を記しているものにすぎないので、念の為。
 わたしは、創作の持つ力が、ひとりでも多くの人の心を救い、人と人の絆を広げることが出来る環境を望みます。多様な価値観が多様な可能性を生み、生きていくことが出来る世界が続いていくことを望みます。わたしは、かつて物語に救われたこどもでした。そのこどもの感じていた痛みは、いまもまだわたしの中に存在し、そのこどもが与えられた救いもまた、わたしのなかにあるのです。どうぞ、ひとりでも多くのこどもが、そのこどもが必要とする物語と出会えますように。もし、こんなわたしにも大人としての力が有るとするならば、わたしはその力を、このシンプルな願いがかなえられることに、注ぎたいと思います。

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