「この世でいちばん大事な「カネ」の話 」西原理恵子(よりみちパン!セ・理論社)



 これはもしかして、西原理恵子の著作のなかでも、一、二を争う名著なのではなかろうか。とりあえず、彼女と同じ故郷を持つ女子の一人として、そう思わずにいられない一冊でした。
 といっても、マンガではありません。1Pマンガもイラストもほぼ皆無。これまでにインタビューなどで断片的に語られたり、或いはマンガ作品のエピソードとして表現されてきたサイバラの生い立ちと、マンガ家としていまの位置を確立するまでの道のりが語り下ろし(?)で、しっかりと述べられています。
 生い立ち、ということで、まずは彼女の生まれて育った高知という場所がクローズアップされるわけですが、同郷のわたしとしては、その雰囲気が痛いほど分かってせつないほどです。「わたしはこの空気を知っている」と思わずにいられなかった。そんな彼女の代表作に「ぼくんち」がありますが、わたしもそれを職場の人に貸したら「戦後すぐの話かな」と云われた経験がありました。まあ高知は進駐軍が来たのも戦後数年たったあとなので(わたしの父はアメリカ兵にチョコレートを貰ったことがあり、成人して仕事に就いたときに使ったのも進駐軍払い下げのジープだったらしい。何年高知にいたんだ進駐軍)、それもあんがい的外れなだけとはいいきれないかもしれないけれど。閑話休題。
 もちろんそれは高知だけの問題ではないかもしれない。中央から離れ、たいした資本も観光資源もない他の県はみんな似たようなところはあるかもしれない。ただ、貧しい場所なのですよ。もっとも、高知には太平洋と四国山脈がなまじあるため、山の民と海の民が交易してその日食べるものはなんとかできたことから、また特色が生まれたかもしれないな。ひどい偏見だが、出身者がいうのだから許してくれ。
 わたしはサイバラのちょうど一世代ほど下だし、家庭環境も違うため、ここで彼女が述べているほどの貧しさは体験していない。けれど、ここにあるものをわたしは知っている。女の子は結婚する以外に家を離れる(それはもちろん新しい家に囚われることを意味するのだけど)方法がなかった時代を。わたしの世代でも進学によって合法的に県外に出ていくことが出来る女子は限られていて、同じような友人とそれをブルジョアと笑った記憶もある。環境や家族、個人の特性により様々な差はあるだろうから、簡単に決め付けることはできないのは知っている。それでも彼女の言葉から浮かび上がる真実、その、貧しさは人を傷つけるというシンプルな事実を、どれだけの大人が正面から子供に教えることができるだろう。大人はみな、そのことに傷ついたことがあるはずなのに、そのことをちゃんと子どもに教える勇気がなかなかない。苦労するよとは云えても、そのことによって傷つくよ、ということはできない。そう思えば、わたしにもお金をナメていた時期があり、それがいまはとても恥ずかしい。浪費した時間や物を後悔することはあまりないのだけど、自分のお金だけでなく、他人のお金をもナメていた頃を思うと、心から恥ずかしい。恥ずかしすぎてこんな抽象的な言い方しかできないくらいに。
 そしてこの本は、ただ貯金しろとか無駄使いはよくないとかいうだけの内容ではない。お金につきものの、浪費についてもきっちりと語っている。ギャンブルについてあれだけの実績がある彼女だからこその「ギャンブルというのは、授業料払って、大人が負け方を学ぶもの」という解釈のもと、依存症としてのギャンブルの怖さをきっちりと語っている。それはもう、実体験ならではのエピソードと名言が溢れているけれど、同時にきれいごとでない、ギャンブルから得たことも語っているのだ。それが、彼女ならではの「引かない」ところだと思う。
 そこから派生して、亡くなった夫である鴨ちゃんのことも語っている。故人のことをあれこれいうのはなんだけど、実はわたしは(もちろん一読者という立場からの勝手な見方として)鴨ちゃんに対して、一抹の不快感をずっと持ち続けていた。だって、わたしはサイバラのファンだから。あんなにサイバラを困らせて疲れさせて、サイバラのおかげで本も出せて有名にもなったのに、ずっとアルコール依存のまま、ようやくクリーンになったのはガンになるかならないかのとき。いくら、最後がきれいでも、それはひどいよと思っていた。勝手すぎると感じていた。けれども、この本で、サイバラがマンガというフィルターを通さずに語ったことにより、ようやくサイバラは鴨ちゃんからたくさんのものを貰ってたんだなと腑に落ちた。分かった。サイバラがあんなに立派だったのも、単にそういう男と結婚したからその落とし前をきっちりつけたということだけじゃなかったんだと。二人はフィフティフィフティだったんた。それがよかったと思う。鴨ちゃんがいなくなる前にサイバラが得た幸せは本物だったと、二人は出会ってよかったんだと、身にしみた。
 この本には、他にも、働くということに関しても、大きな部分が割かれている。いまの時代に本当にタイムリーな内容だと思うし、それは、なんというか生活者としての実感が溢れる言葉ばかりだ。サイバラのいまの年収は億単位なはずなのに、それでも失わないこの感覚が、彼女の強みだと思う。だからこそ説得力のある「大人って、自分が働いて得た「カネ」で、ひとつひとつ「自由」を買ってるんだと思う。」という彼女の言葉が表している働くという意味を、こういう時代だからこそ、噛み締めたいと思うんだ、わたしは。
 とにかくサイバラファンなら楽しめることは請合いです。あと、高知生まれの働く女子にも。そしてなにより、生まれたときからずっと不景気だったいま10代のこどもたち。とくにこれからお金を稼いだり自由に使うことになるであろう中学生にわたしはこれを読んでほしいな。それが許されるなら、わたしは高知市の全公立中学の図書室にこの本を置きたい。なんなら寄付するから。いまでもかならずいるはずの、あそこから出ていきたいこどもたちが、自分を諦めてしまわないように。おとなとしての責任をもって届けたい言葉がこの本には溢れている。
 名著です。働くということと「お金」の問題に向き合いたいひとには、必ずお勧めいたします。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする